hearing the unheard voices

小鳥たちと対話し、自然と人とが調和できるバード・サンクチュアリを創立しています。http://homepage2.nifty.com/birdsanctuary/index.html

微笑み

オオイヌフグリ

オオイヌフグリの花(オオバコ科クワガタソウ属)が咲きました。

毎冬、越冬している花蜂や花アブのために(なるべく農薬を浴びていない)菫やヴィオラ、プリムラ、ストックのお花を植えています。新鮮なその香りをヒトも楽しめていたのですが、この冬は"子どもギャング"のようなヒヨドリ数羽のグループに、全てのお花を食べられてしまいました。まず、ブロッコリーの葉っぱを食べ尽し、次いでカリフラワーや芽キャベツの葉、青梗菜の葉、そして急遽買ってきた葉ボタンの葉も … それでも、よっぽど食べ物がないのか、お花が狙われました。朝になると玄関先に、このグループが現れています。どうも、常駐しているヒヨドリさんたちではなく、どこからか渡ってきた、めっぽうお腹をすかせた鳥たちです。bird sanctuary なので、まあ良しとして、それでも咲き始めたスノードロップや、球根から育てたヒヤシンスの新芽も狙われているのは、ちょっと困っています。それだけ、今年の冬の寒さは厳しいようです。

… が、野のお花オオイヌフグリが咲いてくれて、何だかほっとしました。

オオイヌフグリは、ちょっと可哀想な日本名をもらってはいますが、花言葉は「信頼」「神聖」「清らか」「忠実」。ヨーロッパが原産で、「星の瞳」「 瑠璃唐草」「天人唐草」という別名を持っています。

ありきたりの表現ですが、わたしは、この小さなお花が明るい青い空を映し出して微笑んでいるように感じます。

まだ霜の降りる寒さの中、野の花の健気さを一等愛しく感じる出逢いです。







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十三夜月

昨夜の十三夜月は、息をのむほど神秘的で深い何かを湛えていました。
この世の美しさとは異なる、別次元のうつくしさなのかもしれないと感じました。

東京在住の、とても素敵な方からたまたま届いたメールにも「今日は月が綺麗でした」とあったので、都会の皆さまもご覧になっているかしら、と想っていました。ですが、深夜に都心へと移動して、sanctuary を出たときに広がっていた世界が、到着して見上げた空にはありませんでした。なので、写真ではお伝えしきれませんが、UPしてみます。


十三夜1

日が傾いてからすぐ、差してきた月の光 -- これは6時少しすぎの空です。夕暮れに山仕事用の物置小屋を片付けて(昨日は青梗菜・レタスの苗を植えて、霜にやられ始めた大文字草やランタナの花鉢等を植え替えてベランダ・玄関にいれ、メダカたちの世話をして、竹を2本片付けました)、タヌキたちにおやつをあげて、見上げた空です。はっと息をのみました。夕闇が降りても、辺りは明るいのですが、その明るさは冷たく白く、見慣れた景色がこの世のものではない発光体となっているようでした。


十三夜2

sanctuary を出発する、深夜23時すぎの月です。広い夜空一面に、無数の細かい雲がびっしりと広がっています。気温は2℃でした。月には光の輪が滲み、不思議な蒼い光や鞘えんどう色の光が時折浮いていました。空を「宇宙の海」と想いました。わたしたちは宇宙に浮かぶ船のように、この星に乗船しています。今、ここのこの場所も、間違いなく、宇宙です。


みな、ここから来て、ここへ戻ってゆく。





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神無月

十六夜

今宵の十六夜は、大変に月の力が強いようです。

月のエネルギーに世界が充たされる、というより、このお月様によって上へ上へと引っ張られていくようです。
足で床を掴んでいないと駄目な感じですが、天界に登っていけないのが哀しいです。

もしかすると人はこんな気持ちになって、輝夜姫の物語を編んだのでしょうか。

チューベローズ

この春に球根から育ってくれた南国のチューベローズが花開きました。
宵に香る美しいお花です。
芳しい香が、夜闇を得も言われぬほど甘く包んでいます。








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自然との対話 2017 (1)

この夏も、菅平高原に夏合宿に行って参りました。

合宿担当の(下っ端)理事として、昨年から合宿スタッフなのですが、≪頭のいい and 体育会系≫の先生方の組織なので、わたしにはハードでオーバーワーク過ぎるお仕事です。本年度は3役こなす必要があって、本番では半分寝込みそうになりながらヘタって帰ってきました。

それでも!!
今年もまた、二日目の早朝、『自然との対話』の時間を担わせていただけました。
二年目となり、担当時間も少しだけ増えて、<stage2>と名打って、今回は「対話した相手の声を聴く」に焦点を当てました。お一人お一人が、どのような自然や生きもの、生命、生態系を相手に、どのような声を聴き取ってくださるか -- 身体技法や座禅の達人や専門家の先生方もいらっしゃり、繊細で敏感な方、柔らかく優しい対し方をされる方も多いので、楽しみであり、緊張もするステージです。

スタッフのお仕事や前日のとても大切なインタビューのお仕事で、実はからだはヘロヘロ、意識は朦朧状態です。心は投げやりではありませんが、心身の準備段階としてはやけくそ?にならざるを得ません。ちゃんと、皆様にもっとも相応しい感覚で、菅平の自然の何か、草木や花や昆虫たちと出逢っていただけるのか --。皆様も、そしてそれ以上に自然や生きものたちも、きっと待ち望んでいるに違いない響き合いが生まれるのか --。

スタンバイの状態で、前日の言葉の仕事のインタビューで、感知できないもの、言葉にならないものを模索しすぎていて、ナビゲーションがうまくいきそうもありません。せっかくの日の出を待ちながらの気功も、練習で出遅れて -- 大変申し訳なかったのですが -- ここで、天から助けがやってきました。

sugadaira-sun

わたし以外、ロッジの修行僧のような支配人S様と、他お一方しか見られなかった、ラウンジからの朝陽の出です。山の峰からではなくそこに被った雲から太陽が現れたので、ゆっくりと雄大に朝の陽が空に広がる時間を感じることができました。陽の触手が薄暗いラウンジに伸びるに従い、肌に暖かな、明るい何かが染み込んできます。

光で、洗われる。

光で、温まる。

光が、からだの中に息づく。

そんな体験でした。


さあ、また一歩進むしかありません。

hotarubukuro2017

五感で感ずる。

からだで触れ合う。

ヒトとのお喋り、ヒトへの気遣いは一端置いて、ひたすら自然と対峙する。
図鑑の知識や、観念、思い込み、思い入れは一端置いて、ありのままの姿にふれる。
からだを澄ませて、静かな集中をして、相手の声を聴く。

色々大変なことや反省点もありましたが、感動する出逢いをして下さった方、素晴らしい感覚で捉えてくださった方、優しいものや豊かなこと、精妙なエネルギーを響かせて下さった方、美しい聴き手の方々が登場しました。

ちょっと大変だったので、大切な方々のためにと想わないと続かなかったのですが、何よりわたしが‘自然と対話する’ための沢山の気付きや叡智を与えていただきました。

そして、菅平という場所を越えて、地球上の自然や命の根源にある、祈りを捧げたいその存在のために、ほんの少しでもできることがあるのなら -- その何かのヒントやインスピレーションを溢れるように頂いているに違いありません。





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2017 春分・種

皆様、今朝の春陽を浴びられましたか。

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旧暦新年あたりから、天からの陽射しがすっと届くようになり、今日は昼と夜、光と闇が等分となって、均衡をとっています。

春休みの bird sanctuary には、時折素敵な方が訪れて下さって、これから未来に向けて、とか、今世の集大成となるお仕事に向けて、とか、根本にかかわる大切なお話のご相伴をさせていただくことが多くなっています。本年の念頭に、今年は「生命のおおもと(根源)」や「(多様なものが各々自由に素のままに輝くような)調和」をテーマに過ごしたいなあ、と願ったからかもしれません。野鳥をはじめとする命あるものたちが、これからもわたしたちと共に健やかに生きてゆける未来を想うと、現社会情勢やわたしたちを取り囲む集合意識の現状は、とても切迫して厳しいです。でも、この地で感じ取る祈りのベクトルは、静かに揺るがず希望に向かっています。

光と闇の精妙な均衡をとりながら、それを昇華させ透き通っていくところにある何か ――

この春分の鍵は、わたしにとって、「種(たね)」!

現実的にも、比喩的にも、種です。

今朝一番の仕事は、

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マリアアザミ(ミルクシスル、オオアザミ)の種を蒔くことと決めていました。マリアアザミ(キク科)は、西洋の薬草で、肝臓の特効薬です。わたしは肝臓がちょっと弱いので、いつか自分の居場所で自然の力に必要なだけ助けてもらうことができるよう、探して種を求めました。若い葉や蕾は食用にもなります。

この地で5年、少しでも自給自足をと野菜を色々育ててみましたが、地植えはほぼ、南瓜さん以外は収穫なし(涙)、ポットに植えた苗たちも青々茂ったりはするのですが、食べられるまでの収穫には届きません。育てるのは楽しいですが、野菜の栽培技術の幾つか ―― 例えばトマトなど摘芯して芽を誘導して、葉を茂らせずに水もあげずにして実をつけさせる、など ―― は苦手で、葉っぱが茂るだけなのです。水菜や春菊に花が咲いたり、大根が引きぬけないまま花が咲いたり、すくすく育ってくれても(育ってくれたがために)、ちゃんと収穫するぞという根性がなくて、真面目に農業をするには自分がお話にならぬほど甘いことをおもい知ります。それでも、健気に命を繋いでくれたキュウリや唐辛子やエンドウ豆の、種とりは好きです。

野菜が育つ土地にはなっていませんが、そのような場所に育ってくれたのが薬草・ハーブで、昨年くらいから色んな種類の薬草たちと暮らしています。こちらは、ほとんどが原種に近くて適応力があるのか、生き残ってくれるものがあります。野菜よりも無農薬無肥料で元気だし、その恵みは少しずつ頂けて奥が深いし、何より素晴らしいエネルギーの植物たちです。

ミシェル・ファントン、ジュード・ファントン『自家採取ハンドブック』(現代書館)や自然農法国際研究開発センター『自家採取コツのコツ』(農文協)で種の発芽させ方を勉強して、野菜やお花の種を蒔いてみるけれど、F1種のものは次に繋ぐのが難しく、在来種の種を頑張って探しても、種蒔きして命を繋げるかというと、依然力不足です。でも薬草やハーブは、こぼれ種でも、折れた小枝を差し芽するだけでも、どんどん増えて、命を繋いでいってくれます。こうして薬草たちを相手に、‘植物の声を聴く’ことをもう少し学んで、聞き耳頭巾ができたら、少しずつ野菜たちとも響き合っていきたいです。(最近新たに、岡本よりたか『野菜は小さい方を選びなさい』(フォレスト出版)、高橋一也『古来種野菜を食べてください』(晶文社)を読みました。もし、ここで、少しずつでも、santuary に適応してくれた在来種の野菜の種が、毎年毎年、自分で命を育むようになってくれて、協力して共に生きていけたら、どんなに嬉しいでしょう。)


種、は象徴としても、想います。

そこから育ってゆく何か、育ってほしい何か ――

循環の中で命が次に残してゆく命の核のようなもの、わたしたちが生きていることの実り、世界の起源、大本から差し伸べられる一つ一つの仏性、はじまりを包むおわりとおわりの中のはじまり、等 ――

そのことは、もう少し進めてみないと、何も表現できないのですが ―― 

どんな時にも、どんな場所でも、なるべく根源のところと繋がって ―― 根源のところの「目」、根源のところの「感覚」で、観て、感じて、存在していたい。今は、できることから行動し、大切なことを表現したいから、その根源と繋がったところから、ありったけの行動をしたり、表現をしたい ―― と、いうあたりで、「種」というのは掴みきれないのですが、希望の源泉であるような気がしています。(← 何を書いているのでしょうか。済みません、自分でもわかっていません。)


昨年後半あたりから、発信するということについて焦点が定まらなくて ―― このブログも、それを引きずって、何だか書けなくて、申し訳ありません! ブログでは、色んな「種」を丁寧に蒔いていけたらと望み、力が追いついていなかったことに気づきました。まずは肩の力を抜いて、駄目なところからでも続けます(済みません)。

equinox2


春分を起点に、光は一層濃くなり、種は柔らかい根を伸ばしてゆきます。

equinox3
 (土地とご縁があってすぐ、助けるために
 遠方からいらして下さった先生方と先輩方、
 大事な仲間の方々が植樹してくださった
 スダジイの木。土地の水はけの悪さや栄養不足に負けて
 一時はどうなることかと心配しましたが、無事に
 成長してくれました。今日の光を一杯に浴びています。)




貴方にとってこの起点からの時間が豊かなものとなってゆきますように!






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