hearing the unheard voices

小鳥たちと対話し、自然と人とが調和できるバード・サンクチュアリを創立しています。http://homepage2.nifty.com/birdsanctuary/index.html

冬至から

願えば叶う ―― 仕事があって、どうかな、と思っていましたが、冬至の朝陽を浴びた途端「行かなきゃ」と感じて「伺えますように!」と願ったら、偶然が重なって仕事帰りに途中で先輩をお乗せして大洗磯崎神社に伺うことができました。


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年の瀬まで、世界的にも、また誰しもが、
この世界のありよう、
地球の行くすえ、
ヒトの心の向かう先について、
学び試されているような2016年ですが、

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浜辺で太陽礼拝を捧げていると、


冬至の、遠くてそれでいて最も温かく光優しく、
感謝と敬愛に胸がいっぱいになる、太陽へ

雲一つない、穏やかな澄んだ冬の空へ

青く、深く、呼吸をするように、
波を立てている海原へ

多くの年月に磨かれた丸い石たちを抱く大地へ

小さな己は突き抜けて、
貫かれてゆきました。

ただ溶け込んでゆき ――


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2011年に訪れたときは、
命の根源から再生していきますように ――
という祈りを捧げました。

それから希望を見出す長い旅に出て、

今また祈りは深くなり、
大自然や命の元に包まれ、繋がりながら、
一粒の煌めきとなりながら帰命していく
命の安らぎと幸せに
希望のヒントを見つけようとしています。

それは己を捨て去ることではなく、
自己の存在を深く知ること
本来の自己の幸せの姿に気づくこと
現世で知性と感性を磨いてしっかりと立ち
己の命のありようを
活かし愛し励ましながら--

空の鳥も海の鳥も
塩の香りのする浜辺の海藻も
海風に揺れる磯菊の花々も
浜辺の小さな貝も
まあるい小石たちも
みな、わたしとして生き、
笑い、戸惑い、踏み堪え、、
安らいで、移ろい、去ってゆき、
大きな源へと還ってゆきます。

そして、また
新たに生まれてゆく --

生まれてゆきますように。


地球よ。


命を育む星よ。





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太陽・月・星

冬至まであと少し ―― 長く伸びてきた夜も、もう少しで頂点を越えます。

Bird sanctuary では夜の藍色の空に浮かぶ月や星々の美しさが格別です。そして昼間は、陽光が透き通り、その中にある煌めくような宝物を感じる冬日が続きます。

毎年年末のyogaの練習では、冬至が近いことから、「太陽礼拝」を練習します。すんなりと太陽への感謝が湧き、また信念に向けて晴れやかな気持ちになりますものね。

「太陽礼拝」は太陽への祈りを込めた流れるような幾つかのアサナの組み合わせで ―― やや長いこともあり、今年はこれと並行して、「太陽」「月」「星」のポーズも練習しています。覚えるのも簡単だし、朝でも昼でも夕方でも夜でも … 空を見上げれば一日のいつでもできますものね!(たとえ曇っていても、天空と共振することはできます。)


振り返れば「太陽」「月」「星」のポーズは、ずっと昔(1996年)、ウポワズ(お断食)の合宿で早朝山中湖畔に出たときに前田行基先生から教わった行です。大自然や宇宙に向き合って、触れることも知ることも叶わない遥か深遠な何かに畏怖を感じ、一方でその深遠な何かと響き合う自らを感じながらの祈りは、大きく変わるきっかけとなりました。

本年10月に前田先生が遠くへと旅立たれ、11月に偲ぶ会に参加させていただいた折に、先生がお好きで繰り返しお伺いしたことば ―― 実は恐れ多いのですが、わたしも一等好きな言葉 ―― メソポタミア古聖詩を美しい書体で受け取らせていただきました。

   全てのものの中に
     神が潜む
   神は鉱物の中で眠り
   植物の中で夢を見
   動物の中で目覚め
   人間の中で自らの姿を
   顕わさんとしている





ひと呼吸、ひと呼吸に、忘れないでいたいと想います。




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蓮 そのまま -番外編-

『蓮の生命のyoga』ワークショップが、いよいよ明後日となりました。

今日は会場へリハーサル(兼 空間設定 兼 打ち合わせ 兼 お掃除)に行って参りました。美しい自然やアートに包まれた、ときめくような空間になりましたよ! (それ自体がとてつもなく素晴らしい気付きでした。美の空間の創立を一手に担ってくださった気功の先輩で芸術家のAさま、日々の身体性や意識の深いところからご指導いただいている気功・ボディーワークの先生で会場オーナーのE先生、本当にありがとうございました! 直に学べた一流の仕事、そこで頂いた気付き、一生の宝です!!)



蓮の御花は神々し過ぎて、‘エネルギー負け’しそうになったり、荒波が来たりと、色々ありましたが今は静かに穏やかに流れが高まっていっています。あとは精進のみです。

大賀蓮や念願の白蓮に巡り合うことができて、この夏は歓喜に溢れていました。が、これまで皆様と蓮の御花のyogaをやってきて、一番人気とも想える蓮にはまだ巡り合えていません。

・・・ それは ・・・ エジプトの blue lotus 。

こればかりは ・・・ なかなか開いているところに逢えませんよね。

数年前、近くの大きなガーデンセンターで、真冬に半額になっている熱帯の青い睡蓮に出逢いました。冷え冷えした水鉢の中、根っこだけになっているらしいその子は、誰も買い手がいなかったのでしょうか。迷いに迷って、見過ごせなくて連れ帰り、日本では冬の温度管理が難しいらしいことを調べ、西日の入る台所で盥の中に冬を越してみました。が、温室もない sanctuary の部屋では、無理だったのでしょうか、芽が出ることはありませんでした。可哀想なことをしたのかもしれません。… ごめんなさい …。

陽光を惜しみなく受けて育つ blue lotus に憧れる皆様のためには、どうしたらよいかしら、と想っていましたが、実は今は、秘密の切り札があります!

オルゴナイト


この美しい、紫を帯び輝く青い蓮のオルゴナイトは、夏の初め、蓮のWSを決意してすぐ、fairy garden のMさまが創ってくださったものです。Mさまとは遠距離だけれど長いご縁で、特別な方! 石とのコミュニケーションが欠かせないわたしが何かあるとご相談し、沢山のヒーリングストーンと出逢わせていただいていますが、同時にとても不思議な繋がりの糸を幾層にも感じさせていただいています。
 オルゴナイトについては、全く門外漢だったのですが、この蓮ちゃんが届いてあまりに綺麗な空気感に驚きました。繊細過ぎてなかなか触れられないほどの感じがしましたが、思い切って掌で包むと何ともしっとりとした精妙な感覚が内側に集まってきます(オルゴンエネルギーに関しては、まだ不勉強なので、Mさまのお店のサイトをご覧くださいね)。
 多分 … ですが、この蓮ちゃんは何かを変容させる力がありそうです。
 しかも、飛び切り優しく繊細に!


大変な時代ですが、尚のこと注意深く、真に大切なことを見つめていましょう。恐怖や諦念、絶望、妥協、逃げやごまかし、暴力性、閉塞感、刹那主義、自暴自棄、等 … 自らを損なったり欺く方向は潔く捨て、あらゆる本来的でないことが潜在意識に巣くわないように、心身を清め、生き生きした生命力と愛や慈悲を根にした調和の力を発動させて、今、ここで本来の自分を放ちましょう。まずは生命の源に立ち返って、生きていきましょう。







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朔を過ぎて ~『蓮三夜』 附記~

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この朔(16日)を過ぎてから、世界がまた大幅に変わった気がしています。

全くもって身勝手な、直観とすら言えない、(けど鮮烈な)主観として、「世界が白と黒に分かれた -- !!」という印象です。光も闇も濃くなって、胸を打つような出来事も大切な人々に良い変化が訪れることも起きました。一方で、近い未来を考えてもとんでもないことが起きています。ニュースを見れば胸がえぐられる様だったり暗くなるよりもできることを少しでもするために身を落ち着けなければならないこともしばしば …。身の回りでも、亀裂や別れがあったり、がっかりせずに見守っていようと思ったり、温かいお気持ちをいただいたり、澄んだ心の祈りの強さを感じさせていただいたり … がありました。

色々なのに、一つの層では語れないことなのに、どうして「白と黒」なんだろう ・・・ ?
でも、決定的に「白と黒に分かれた」ので、それは白の方のベクトルと、黒の方のベクトルが、はっきりと突出した、ということなんですよね。世界は今、白い方の帯と、黒い方の帯の、平行線 -- (← 済みません。またまた、自分でも何を言っているかよく分かりません。)

ちょっとマテ、白い帯と黒い帯 … ?

… ああ、アレダ。

アレデス、アレ。
ちょうど二年前の、蓮の瞑想で出てきた、あの光景です(『蓮三夜 第三夜』 2013年8月21日ブログ)。

気持ち悪いくらい、ヴィジョンが符合します。

世界には今、白い方の帯も、黒い方の帯も、よりクッキリとしてきてしまっていて、今は平行線なんです。
それはあんまり安定度の高い、居心地の良い状態ではないかもしれません。
調和の、とっかかりさえも、ないから。
その下の地球も、地球上の生命も、癒されないから。

あのとき観た、白い靄の中の美しい蓮の花。

毎夏、yoga の会では、皆様と「蓮の花のyoga」(今年からは「蓮の生命のyoga」)を練習しています。皆様お一人お一人がご自身のイメージの蓮のお花を咲かせてくださるのですが、年頭からわたし自身の胸の中にある蓮花のイメージは、「白」です。

ドキッ。

そして今(唐突ですが)、
芥川龍之介の『蜘蛛の糸』について -- 名作ですが、そして尊敬する方が良く朗読して下さっていますが -- 不謹慎にも、はっきりと想います。

カンダタ(でしたよね? あの地獄の河から一本の蜘蛛の糸で天国に上ろうとする盗賊?)は悪くない。

悪いのは、蜘蛛の糸を垂らしたお釈迦様 (← あ~! 言ってしまった!!罰が当たりませんように!)。

100歩譲って、カンダタのちっぽけな心を試したからではない。
(カンダタじゃなくたって、後から上ってくる悪党たちを見たら、蜘蛛の糸が今にも切れるのが怖くなるでしょ! そしてカンダタの生い立ちを考えるなら ?? [って、わたしが勝手に想像するのだけれど、何となく不幸な境遇で育った気がするので] ?? 人を信じられなくても不思議はないでしょ。さらに、よくよく考えるなら、悪党全員を助けようと思ったって、一人ずつ蜘蛛の糸を上るのが一番安全なんだから、いったんは降りてもらわなきゃいけないでしょ。カンダタが一人で上り切った後、意地悪な気持ちで後から上ってくる人を落とすために蜘蛛の糸を切ったなら、話は別だけど。)

「上から、悲しげに、見下ろしてないで」、お釈迦様なら「下に、慈悲の心で、降りていって」小さな灯をともしてよ。
天上だけに白蓮を咲かせていないで、その汚濁した海の中に、白蓮を咲かせてよ。
お釈迦様ってゆうなら、そのくらいの力を発揮してよ。
蓮のお花だって、カンダタに助けられた蜘蛛さんだって、喜んでないよ。
(⇒ あ~! 言ってスッキリした。)

( … と、今年の初め辺りまで、怒っていたのですが ?笑?)


わたしたちは、この地上に、蓮の花を開かせる力を持っています。

お釈迦様でなくとも、わたしたちにはその力があります。

「蓮の花のyoga」が「蓮の生命のyoga」に進化したのは、ここ数年のうちに様々なことを学ばせていただき、‘花を開かせる’ことの一歩進んだ意味や、そのお花の一生の中での生命の循環の物語が欠かせないものであることを知ったからです。命としての蓮花は、自然のすべての要素、地球上のあらゆる命と関わりながら、今、ここを生きて、変化してゆきます。蓮のお花は、天上界で永遠に美しく留まるものではなく、地上で生まれ、煌めき、大地に還ります。

蓮は、天上界で咲くのではなく、地上で咲くのです(芥川龍之介氏、ゴメンナサイ!)。


(ここから、ちょっと宣伝みたいになってしまいますが ・・・) 今年は「蓮の生命、、、」をまるごと受けとめるワークショップを初めて試みます。ちょっと背伸びで、どうなることかと想っていましたが、いらしてくださる方々お一人お一人にびっくり! (もう、すでに、胸に大きな薫り高いお花を開かせていらっしゃるのですよ^^)  さらに、近くから、遠くから、お花を咲かせる空間を聖なる空間に高めなさいよ、精進しなさいよ、と贈り物を届けてくださる助っ人様が現れました。一人では頼りなかったでしょうが、「地上に、蓮の花を咲かせます」と胸を張っています!


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 (とっておきの、「Peace」キャンドル。
 このキャンドルを朝の祈りのとき灯そう。
 「平和」のための行動をとってくださっている、
 全ての方々。ありがとうございます。)










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蓮始開(はすはじめてひらく)

先週末は、長年憧れていた整体の講習会に泊りがけで行ってきました。雨続きだった日々が途絶え、雲一つない晴れ空に太陽が眩しい週末でした。

シャキッとした身のこなしに笑顔のチャーミングな先生は、長いこと一貫してからだを通して生命の根源に触れられていらしたからでしょうか、教えてくださる言葉に透徹した明晰さがあります。お弟子さんたちもキビキビした所作で、入門者たちのお世話をして下さいます。御講義の後、技法の実習に入ってすぐ、あっという間にわたしはからだの反応が出てしまい衝撃が走りました(わたしは、からだやサトルボディの一部に、超敏感というか、過敏なところがあるので、学びが多くて頑張ったけれど、相当頑張らなければならないというか、きつい面もありました)。

からだを通して‘生命の原初的な力を取り戻す’‘自らの野生を呼び戻す’といったことが全体として起こっていたと感じます。これは、今のわたしたちが自らにとって本質的な大切なものを想い出すということなのかもしれません。特に、電子機器を通しての情報や、外部からやってきて意識される/意識下の強い刺激を頭脳で処理し、他者や社会が押し付けてくる知識に基づいて行動している現代人にとって、ぼやけて失われかけていることだとすればなおさらです。

レッスンでは、呼び覚まされた生命力から、頭痛や肩こり、腰痛などが治ってしまう、疲れや不調がとれてしまう、健やかになる、人間関係や生活がスムーズになる、等々、先輩方も入門者たちも刻々と驚くべき変化を遂げていったのですが、わたしには戸惑うこともありました。まず … わたし、レッスン中も、教えていただいた技法をするときも、先輩の補助で技法を受けての反応も … 若干浮いていたようです(先生! 御免なさい!!)  自分を感じながら技法をやっていると、皆と同じにはできないのです。頭でガチガチに考えすぎてしまって、あるいは何か別のことに気を取られてしまって、からだの動きにブロックがある、というケースもこんなとき考えられますが、今回はそうではなくて自分に集中していけばいくほど、違うことが起こってくるのです。

最初にからだの反応が起こったとき、「通常なら(=お弟子さんや先輩方は)」からだの歪みが取れたり活力が湧く、という動きが生じるようです。が、わたしは、からだの反応もありつつ、同時にあろうことか、yogaで言えば、上の方のチャクラが意図しないほど大きく開いてしまった感じがしました(第四~第七、さらに上まで)。自己の存在や自己保存、生命力、健やかさや安定などの第一チャクラ、生命の根源のチャクラではありません。逆に、生命力が高まるにつれて(?)、胸が広がり眉間が開かれ天と直結して繋がってしまった(??)感じです。(でも、こんな反応を感じた方はいらっしゃらないようで、わたしの感覚もちょっと場違いだという雰囲気でした。)

その他にも、脊柱のうちのある一つの椎に触れられると特定の感情が呼び覚まされたり、ずっと昔に起こった深いトラウマが古傷のように戻ってきたり ―― (その上、どの先輩もわたしの背中に触れるときは必ずその椎に触れられるので ―― 手は一番よく知っているというか、わたしの‘その椎が宿している深い悲しみ’は、意識されずとも手で感じ取られているのだと思います。) ―― ただ、レッスンでは、脊柱のことは、「胸椎三番が呼吸器系に関係している」など、あくまでも技法はからだ・健康への働きかけとして学びました。

たった一人で、あまりにも「からだ=こころ」の境目のないその状況に、戸惑っていました。身体のあり方が、あまりにも‘こころ化’していて、からだが発する気(プラーナ)を整えたり開いたりすることが、こころやそれを越えた精神性そのものの開通を良くして次元を越えてゆくような感覚です。でも、レッスンでそんな反応をすることは邪道のような気がして、深く戸惑いました。体験したことのない技法でいきなりこころの奥や精神の上の方の扉が開かれすぎてしまうのは恐いという気持ちも、あったような気がします。

まだまだ体験がちっぽけで浅く、理解するには遠く、今はまず、真摯に学ぶときでしょう。そして、自分のからだが教えてくれることにも、からだが与えてくれる可能性にも、素直に開くことが大切でしょう。

それでも … 今直面している地球環境の危機、命や人間性の危機に対して、「生命の根源から再生する」「一人一人、からだに潜在的に秘められている知性や感性を呼び覚まして自立する」ということが、ここ数年、キーワードとして浮上しました。その、「からだに潜在的に宿っている力」というのが今回の講習のテーマで、それが呼び覚まされたとき、同時に並行して、胸(第四チャクラ)が無防備すぎると感じるほど開き、喉(第五)から眉間(第六)、頭頂(第七)にかけてスウッと天と繋がるような感覚が訪れたこと ―― これは、キーワードについての大いなるヒントであるとも感じられます。生物としての生命体の真の力(生存、他者との調和と存続、自己の確立 第一~第三)を取り戻せば、人間は同時に、「愛」や「霊性」に目覚める ――。目覚めるというか、本来のあり方を、想い出すのかもしれない。



ただ一羽の小鳥の命、地球環境や人間のゆく末を考える中、ここ数日(今日もまた)、ここまで来たのかと胸が詰まるほど、世界は大変な方向に進んでいるようです。森や海や川の流れ、一匹の虫、一羽一羽の小鳥を思いやるどころか、自分や親しい仲間、その少し先の世代の命さえも、人間には思いやることが難しかったという結果になるのでしょうか。この巨大な脳と繊細な感覚器官で学べて来たはずのことは真に学べたとは言えない結果となって、やり直しの効かない世界を壊しつつ、人間は退行してゆくのでしょうか。周りの方々を思い浮べる限り、そんなはずはありません。

ぶれず、鈍らず、自らの力を発揮しましょう。
負のベクトルに抗するだけでなく、まるごとの魂で希求する世界を生き生きと思い描きましょう。喜びと安らぎのもと、その世界を体現してゆきましょう。どこから、どんな範囲、どのシーンから始めても良いので、今すぐに魂の答を生きてゆきましょう。


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 (宿泊所のお部屋から)

緑に囲まれ、ヴァリエーションに富んだ鳥の歌声が早朝4時から夕方まで朗々と聴こえていました。妙なる美しい声なのですが、それは外来種として勢力を拡大しつつある、ソウシチョウの声 -- sanctuary 近辺にはいないので、旧来の野鳥たちの歌声を掻き消す勢いの美声に、複雑な気持ちでした。

汗の噴き出る中での講習会 … 御講義が始まってすぐ、夏は暑いもので、汗をかかない(かけない)方が増えているけれど、本来汗をかくということはからだが体温を調節したり不要なものを排出する大切な働きだと教えていただきました。タオルを持ってくるようにと前もって教えていただいていましたが、実習をしながら汗が滴り、からだの変化に従って思わぬ時に急に汗だくになったりしてきます。

seitai seminar2

たっぷり汗をかいて、からだはツヤツヤに変化しました。でも、そんな雰囲気なので、決して言えなかったのですが、「暑かったぁ~!!」





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