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hearing the unheard voices

小鳥たちと対話し、自然と人とが調和できるバード・サンクチュアリを創立しています。http://homepage2.nifty.com/birdsanctuary/index.html

鳥の魂

今朝は、平塚の気功のお稽古に伺うつもりでしたが、
早朝、駅の近くの歩道にぽつり落ちていた鳥を
見かけました。

巣立ちしたばかりの野鳥の雛かと想いましたが、
大人のムクドリでした。

すぐ近くをランニングの方が通り過ぎても、
逃げも動きもしないので、そっと近づくと
歩道脇の茂みに入り、じっとしています。

。。。

-- 衰弱しているようです。

外傷もなく、病気らしい病気にかかっている様子も
なく、ただ、翼をはばたかせる力を失って
その運命に身を委ねているようでした。

オートバイで駅まで送ってくれていた家族と
顔を見合わせ、少し迷った挙句、
このまま歩道に居ても、カラスか猫に襲われるか、
あるいは急ぎ歩く人に蹴飛ばされるには忍びなく、
これまで応急処置で回復した鳥たちも多いので、
また獣医さんや役場の保護に頼って復帰するケースも
あるため、それに賭けてみることにしました。

そっと両手でつかまえハンカチでからだを包み込みんでも、
(本当は、軍手やタオルがあったらよかったのですが)
もがきたい意志はあるもののじっと身を委ねています。

そのまま胸に抱いて家に帰る途中、
そこにある命がずっと感じられていました。
みるみる薄くなっていくような、透明になって
ゆくような、頼りない感じがしました。

着いたとき、片目には生気があるものの、
その運搬の、短時間の間に、
もう片方が少し落ち窪んでしまったような気がしました。

玄関口で(家の中にも鳥さんたちがいるので、
全員の安静のため、そして、病気感染を念のため心配して)
両の掌でムクドリを抱いたまま、
家族が、こういうときの応急処置の第一弾、
ポカ○○エットとそれを口に含ませるためのスポイトを
買いに行ってくれている間、
そっと首筋を撫でながら、祈りました。

柔らかい、白い、優しい天の光が降り注ぎます。

細いながらも、鳥たちが生まれてきた命の大元とも
どこかで、繋がっていることを確かめ、切れないよう
にいなければと感じました。
(そうすると、この子が今、真に望んでいることが
少しは感じられるのではないかという気がしました。)


・・・・・


これまで自分で、あるいはどなたかが
(わたしが小鳥好きというだけで)
連れてきてくださった、傷ついたり、命の危機に
瀕した鳥たちに何羽も出逢ってきました。

(野鳥は、勝手に個人が保護できず、傷病鳥獣は
役所や獣医さんを通して保護センターなどに
届けることが市町村によって決められています。
また、巣立ち雛などが落ちている場合は、
親が近くにいる/迎えに来ることが多いため、
安易に保護はしないで、衰弱していないか観察の上、
見るからに危険な目立つ地面に居るなど、
カラスや猫や蛇に襲われそうな場合だけ、近くの安全な
木立などに少し移動してあげるのが適切かと思います。)


一時的な応急処置で仲間のもとに帰って行けたり
息を吹き返して元気に飛び去ったり、
心意義のある獣医さんの適切な指示と協力で、
一歩一歩と回復してから自然に戻って行ったり、

ということもあり、

猛スピードで突っ切った自動車に撥ねられたり、
不用意に捨てられたゴミを食べてしまい、
瀕死になった鳥が、あえぎながら、
生まれてきた源へと還ってゆくのを
看取ったこともあります。

(野鳥ではなく、家族として暮らした)
大切な小鳥たちが、幾度も、幾度も、
想いを伝えてくれ、受けとめてくれた後で、
源へと旅立ってゆき、星や木や風や花、
あるいは新たな鳥のいのち、あらゆるものの
中へと宿ってゆくのを、
悼み、また、腑に落ちたこともあります。




包み込む掌のことりの重さが、
何とはなしにほんの数グラムだけ軽くなり
何かが抜けたような、また
周囲との境界線が薄くなったような気がするとき

つぶらな瞳の輝く生気、その奥にある
疑いも媚びも知らない野生の意志が、
急に窪んで、涙のような水気を帯びるとき

あるいは、逆に、

翼をはばたかせることができない時でも、
何とか自らの足で立ちあがり、
どうにかして嘴をあげて、
自らの尊厳を、「生きようとする」意志を
はっきりと伝えてくるとき

保護されて、どんな状況になろうとも、
柔らかな羽毛に包まれた、からだ全体で呼吸をし
安らげる暗がりや温かさに近寄って、
いのちを委ね、護ろうとしているとき



鳥たちの辿る運命は様々で、
急に変化が訪れることも多く、

そのたびに迷ったり、
反省したり、嬉しかったり、
良かった良かったと喜んだり、
涙したり、と様々ですが、

そのいのち、魂との出逢いは
忘れることができません。



応急処置のドリンクを数滴、数滴とたらすと、
飲んでくれたり、嘴を振るわせたり、
安静のために入れた段ボール箱の中から
一度は飛び出したり、
保温のために入れたペットボトルに身を
摺り寄せて眠ったりと、
ムクドリさんは頑張ってくれたものの、
数滴のドリンク以外受け付けず、
目はみるみる落ち窪んでいって、


疲れて、一時的に(わたしが)眠ったのですが、
不安に駆られて目覚めたとき、
魂はからだから離れて、旅立っていったようでした。



からだや糞の様子から、
病気にかかっているようでもなかったので、
初めての子育てで頑張りすぎて力を使い果たし、
衰弱しすぎてしまったのでしょうか。
(野鳥は、ベストな環境では6~10年生きる場合も
あるそうですが、現代の日本の都市の環境下では、
1~2年が寿命だそうです。)


頑張ったね。

あなたには、その翼があるから、

天の命の水のほとりまで
瞬く間に羽ばたいてゆけるでしょう。

安らかに
穏やかに
ゆっくりと休んだら

また、瞳を輝かせながら、
ここまで飛んで帰って来てね。



「天の使い」と人が信じてきた鳥たち

何一つ蓄えず、所有せず、

それゆえの軽さで、夢を運ぶ命たち




hotokenoza
 (ホトケノザ K氏撮影)






















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危機一髪 ・・・・・

ずっと雨が降らず、心配して my bird sanctuary 第一号地へと向かった日のことです。
(就業している方の仕事が大変な時期なので、このところ、1週間に1度、とにかく植物達にお水をあげに出かけるのが精一杯となっています)

玄関前に愛車Toraちゃんを留めて、締め切っていて湿気を帯びている古い家の窓をバタバタッと開けて風を通して、ここを『聖地』としていくためのお祈りをする小さな祭壇コーナーのお水を取り替える -- これが大体、いつもの手始めのパターンなのですが、井戸からの綺麗なお水を流そうと、家の裏手に回って、電動式の井戸の電気スイッチを入れようとしたとき、

 バサバサバサ--

鳥の羽音が聞こえました。

気にせず井戸の様子を見て、あ、大切なツノハシバミの木がお水不足で枯れかかっちゃっているな -- と焦ってお水を取りに戻ろうとして、

 バサバサバサ--
 「ピーツ」   「ピーツ」

羽音と共に、小鳥の鳴き声 ・・・ 声の音質から、《緊急事態の鳴き声》だということがわかりました。

あれ、何? 何が起こっているの? どこに居るの? とわたしのこころは、ツノハシバミに早くお水をあげたいという気持ちと引き裂かれそうですが、《緊急事態》は無視できません。そして何と、池の水面を動くものが -- !!!

ヒヨヒナ1

-- (呆然) 鳥が、池に、落ちてる。
-- ずぶ濡れのからだで、水面を、ばさばさと羽ばたくが、水を横切るのが精一杯みたいだ。
-- 池の縁や、池に倒れかかっている枯れ竹に何とかつかまって、怯えているみたいだ。

-- こりゃ、大変だ -- !

脅かさないように、そうっと池の縁に近付いてみると、大人の鳥よりは小さくて、嘴の周りにヒナのしるしの薄黄色の縁取りがあり、どう見ても、巣立ち間際か巣立ち直後のヒナが水に溺れかけているもようだということが分かりました。まだまばらにしか生えていない羽がずぶ濡れで、ぼろっとした感じですが、色合いと姿は ・・・ ヒヨドリのヒナです。(それにしても、池の周辺の地面は、池から掬い上げた泥を積み上げただけなので、下手に長靴でズボッと入り込むと「底なし沼」のようにどこまでも沈んでいき ・・・ 「大変キケン」ということで、普段は一定の距離からは近付かないようにしていました。また、近付くときは、一人で仕事をしている時間ではなく、必ず誰かが居るときにして、いざとなれば助けを呼べるようにしていました。このとき、状況を把握しようと、池の周辺をめちゃくちゃ歩いたのですが、よく沈まなかったものです)

・・・ 事態を把握したら、あとは冷静に行動して、この子を救助するためのレスキュー隊出動です!

まず家に戻って、仕事着に着替え、長靴を履いて、ゴム手袋をして、今度は用心深く、雨水を流す溝に蓋をしてあるところから池に近付きます。池の周辺には、この土地に生えている竹を切って組んだ竹垣があるので、竹垣の上から長靴で片足池に入り込んで、様子を見ます(雨が降らないのを、苗木たちのために嘆いていたけど、降ってお水が溜まっていなくて良かった!)。長靴が沈み込む場所もありますが、場所を選べば、この子を助けるために、(もちろん何かにつかまりながらだけれど)池の底で踏ん張ることもできそうです。

まずは、わたしの出現で逃げ出したこの子(ヒヨドリのヒナ)が、池に倒れかかっている竹につかまっているので、その竹ごと持ち上げてみようとしました。いいところまで行ったのですが、途中で、この子はポチャンと落ちてしまい、

 キューッ

と悲鳴をあげて、半分溺れながら、今度は竹垣の下辺りにつかまります。あ、かなり怯えている、落ち着かせなきゃ、でも急がなきゃ(←自分も落ち着け!)と念じ、なるべく静かに、優しく、話し掛けながら、ヒナに近付きます。(←こちらも、池の中で泥だらけでいつ沈み込むか分からないんで、「静かに、優しく」は大変です) 

かなり怯えて、逃げようとはしたものの、近付いて、二度目のトライで、何とか捉まえることが出来ました。(「静かに、優しく」というよりは、最後はリキ入れて無理やり両翼押さえて捉まえてしまったかも? 溺れかかっている子の体力、そうそう消耗させられないでしょう)

ヒヨヒナ2

-- うわぁ~大変。怯えきってて、泥だらけだし、もともとまだ子どもで、羽もすかすか。
   (翼の上、肩のあたりに幾つもの白い軸が見えますが、これは「筆毛(ふでげ)」、「羽の子ども」みたいなもので、莢になっており、ここが伸びて、パカッと割れると、中から羽1枚が出てきます。大人のような翼を持つ、準備段階にこの子はいます)

この子をどうすればいいか脳の高速回転で思案にくれながら、まずは柔らかい草のある辺りに連れ出します。思い出したように「キュゥー」と叫んで逃げようとしますが、また近寄ると、「ワタシドウシタラ良いの?」とでも言うかのように、じっとうずくまって円らな瞳でわたしを見つめます。半分は人間を恐れることを知っているけれど、半分は無垢なまま疑うことを知らない。半分は溺れていたショックでパニック状態だけれど、半分は事の重大さもわからずあどけない。

羽ばたいても地面すれすれに50センチくらいしか飛べないので、最初、お水でこびりついてる泥を落としてあげたいと思ったのですが、外付けの蛇口のところに連れて行ってたらいの中に入れ、お水をかけようとすると、ものすごく怯えました。ごめんごめん、もうしない。このままでも、羽が乾けば、少しよくなるといいのだけれど--。

ヒナは、わたしが近付いて話し掛けると、反射的にパクッと嘴をあけます。親がヒナにえさを持ってきたときの行動です。どのくらい長い間、池に落ちていたかは分からないけれど、状況によっては非常におなかがすいている可能性もあります。わ、困った。食べないでいた時間が長いと、池で溺れていたことだけでなく、体力消耗が激しいことになるので、早く何とかしなければなりません。

運の悪いことに、この日に限って、職場の研究室の卒業生の方が遊びに立ち寄り、お昼をご馳走することになっていたため、何も食べ物を持ってきていません。実はわたしは、以前にも職場の在るつくばで、学生達が拾ってきた(?)巣から落ちた迷子らしいヒヨドリのヒナを、めぐりめぐって一晩介護したことがあるので、ヒヨドリのヒナに緊急用に食べさせるものや食べさせ方は分かっていました。そうしたもののリストが頭を駆け巡るのですが、、、、、

目の前に、熟した実を沢山つけている柿の木がありました。一番熟した実をもいで、小さくちぎって、ヒナ色の残る嘴の端にそっと落としてみるのですが、ぱくっと口は開くものの、飲み込まず、この子は柿をまだ食べものと認識しないようです。そうか、多分、お母さん(親鳥)から、虫を砕いてもらっているんだね。う~ん、君が極端におなかをすかせていたとしても、強制給餌(無理やり、鳥にえさを飲み込ませる)をするには、最低スポイトが要るし--。

う~ん、これは早くこの子をつくばに連れ帰って、何とかすべきかな? いや、でも、そうすればこの子を自然に還すことが難しくなってしまう。体力復帰して、もう一度連れて帰ってきたら、その時点では親鳥はあきらめているかもしれないし、勿論この子は一人で自活できるだけにはなっていないだろう。最終的には、このくらいのヒナを健康に育て、いずれは野に暮らす野鳥として、この地でヒヨドリさんとして生きていってもらうための世話と訓練の全責任をおえるのか -- (できるだけのことは勿論するつもりで、ただ、それが並大抵のことではないことは分かります。わたしだけでなく、この子にも、大変な努力と幸運が必要です)

ヒヨヒナ3

体力さえ何とかなれば、やっぱり親の下に返すのが一番です。ただ、落ちた状況を知らないし、どうして、いつ、落ちたのかも分からないため、親が今どうしているのか、巣はどこなのかも把握できません。(この池の周辺は、背の高いアカシデの木とシイの木、小さなアオキの木が自生しているところに竹やその枯れたものがみっしりと絡まっていて、小鳥が巣をかけるのに適した場所ではなく、これまでもそうした様子はなかったのに、このヒナはどこから来て、どうして落ちたのでしょうか。) 

親は、この子が落ちてしばしは、助けようと試みたけれど、一端諦めてどこかに行ってしまったのかもしれない。それでも、この辺りで子育てをしていたのなら、また戻ってくる可能性はあります。この子の体力さえ大丈夫なら、親がやってくるのをしばらく待ってみた方がいいのかもしれません。

ただ、周辺にはカラスが群れとなっているし、頭上ではトビが何羽か旋回しています。トビは生きているものは襲わない、このくらいの子は襲わないと思うけれど、カラスや猫に見つけられたら、格好の〝獲物〟〝えさ〟となってしまうでしょう。それが心配で、まずはホッタラカシにはしておけなくて、とりあえず新聞紙を敷いたダンボール箱の中で落ち着かせます(鳥は、暗くなると、とにかく静かになります)。そして、親がやってくるか、ヒヨドリの声がどこからか聞こえてくるか、しばらく様子を見ました。

その間に、葉が枯れかかっているツノハシバミや植木鉢の苗木たちにバケツで汲んだお水を上げます。なるべく、池の在る〝現場〟に近付かないようにして、親ヒヨドリが警戒しないでやってくるのを祈ります。

しばらくすると -- 親かどうかはわかりませんが、少なくとも、ヒヨドリが「ピーッ」と鋭く鳴きながら飛んでいるときの声が聞こえました。ずっと、ヒヨドリの鳴き声のヴァリエーションには興味を持っていたのですが、もう少し習熟して、それが「親が子を捜すとき、呼ぶときの声」かどうかが聞き分けられるまでになっていなかったのが悔やまれます。でも、少なくとも、カラスが狙っている気配もなさそうです。

親だとすれば、ダンボール箱にいるのも警戒するかもしれない。カラスにだけは注意して、この子がいることをはっきりアピールした方が良いかな ・・・・ と、ヒナが充分隠れられるだけ草(タデ)が生い茂っている池の左側のコーナーに、ヒナをそっと置きます。

ヒヨヒナ4

草叢でじっとしているヒナ。早く、早く、お母さんやってきて! この子を見つけて、ごはんを上げて、早く安全なところに誘導してあげて!

 ピーッ ピーッ

あ、声が聞こえます。池の左端に自生しているアオキの木に、〝大人の〟ヒヨドリが止まりました。

ヒナが反応して、草叢から飛び出します ・・・・  

-- でも、やってきたヒヨドリは、飛び去ってしまった。

せっかく一羽、ヒヨドリが飛んで来てくれたのに、行ってしまって、飛び出ていったヒナはどうなったのだろう、とそっと近付きます。

ヒヨヒナ5

ヒナは、池の横に何本も重ねてある枯れ竹の中に入り込んで、ちゃっかりうまく隠れ場を作っていました。お、君は、ナカナカかしこいね。(それとも ・・・ 後で思うと、このときやって来たヒヨドリに、『ピーッ(とりあえず、早く) ピーッ(そこに隠れなさい)』と言われたのかも知れない)

ちょうど時間が来て、訪ねてくれた卒業生も一緒に思案してくれます。柿の実は食べない、と話をすると、「虫、つかまえましょうか?」とすぐ申し出てくれて、さすが、見込んだだけある昔の教え子! ただ、とりあえず安全なところに隠れたので、もう少し様子を見よう、もし親鳥だったとしたら、人間の気配に、近づけないでいるかもしれないので、ちょっと離れましょう、ということになりました。

ヒヨヒナ6

ヒナはキョロキョロ ・・・ さっきの〝大人〟を探しているのかな?

ここで、わたしたちが家の中に入ると -- 〝大人〟はまたやってきました。

ここからは、家の中の祭壇の窓から、隠れながら(親鳥を脅かさないように)観察しました。

親鳥は、アオキの木に止まり、その中ほど(地上から50センチのところ)に止まって、ピーッと声をかけます。ヒナが飛び出して、アオキの木の根元まで地面すれすれをちょっと飛び、ちょっと飛び、で辿り着きます。親鳥は、ピーッと鳴きます ・・・・・

ヒナは -- 下にいます。そのまま、3分以上の時がたちました。「もお~! おなかすかせているんだから、早く降りていってごはんをあげて!」とわたしがはらはらしそうになったとき ・・・・・

びゅん! 

と(一瞬のことで、よく分からなかったのだけれど)ヒナの方が、親鳥のいる木の繁みの中まで、飛び上がりました。

-- わッ
-- そうか、親鳥は、ヒナがおなかをすかせているにもかかわらず、まず木の繁みの中にリードしたかったんだね。
-- 良かった!

-- 1回目に来たときも、とりあえず安全を確認するまで、ヒナに安全な場所(竹の積んである場所)を教えていったのかもしれない。かしこいぞ。

きっともう大丈夫。ヒヨヒナちゃん、本当に本当に良かったね。どこに巣があって、どこからやってきて、どうして落ちたのか、見当もつかないけれど、今度から気をつけなさいね。そのためには、早く大きくなって、沢山飛ぶ力をつけて、それから、生き抜くための賢さを、一杯身につけるんだよ。

*******

親鳥がヒナをうまく誘導して、安全な場所まで連れて行き、そこで子育ての仕上げを日々つつがなく続行し、この子が立派なヒヨドリとなってこの森で暮らすようになり、サンクチュアリ創りに汗を流しているわたしたちのところに、時折「ピーッ」と挨拶の声をかけに寄ってきてくれる(ほどほどの距離まで)ことを祈りながら、わたしたちは遅めのお昼ご飯を食べに出かけました。

お昼ご飯から戻ってきたとき、そっと、そっと、池の左側、それから周辺全体に忍び足で近寄り、辺りを見回してみましたが、ヒヨドリの親子の姿は、影も形もありませんでした。(無事に、奥の鬱蒼とした竹林、あるいはそのさらに奥?の住み慣れたところまで、行けたんだね)

あと1日早く、あるいは1日遅く、サンクチュアリの仕事をしにきていたら、どうなったか。あるいはあと1時間でも遅く、到着していたらどうなったか -- 想像してもわかるものではありませんが、あの子が自力で池から飛び上がれたかどうかは疑わしいので、この日、この時間に、到着して本当に良かったです。池は、この地を手にしてから、大分規模縮小しましたが、こんなことがあるなんて、これからのメンテナンスを色々工夫していく必要がありそうです。それにしても、ちょっぴり、『バードサンクチュアリ(鳥の聖地)』らしい仕事が出来た気分になれました。そして、この日、この時間に到着できて、神様、本当にありがとう!






 

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危ない!! 3羽のレスキュー!

笠間からつくばへ、小露鈴&gaea、家族と車で戻ってきて公務員宿舎の駐車場に入ったとき・・・

ゴミ捨て場の様子がおかしいよ。

-- 宿舎のゴミ捨て場は、カラスや猫による被害よけの策として、全面青いネットが貼られた巨大な箱型(2畳の小部屋分くらいの大きさもある)になっていて、その中に「燃えるゴミ」を捨てるようになっている。その巨大な箱に -- 

雀たちが鳴き叫びながら何羽も群がっている。総勢20羽くらい。ほんと、蚊柱みたいに周りをぐるぐると飛んでいる。

スズメ03b


こんな光景はじめてみた。

あ、と息をのんで見つめる家族とわたし。車ですぐ近くを通っても、いつもなら随分先から逃げるであろう警戒心の強い雀が、ただひたすら鳴いて飛び回っている。それどころか、主婦らしき姿の二人連れがおしゃべりしながら近付き、自転車に乗ったおじさんもそちらへとふらふら走ってくるのに ・・・ 雀たちは逃げないで(人間たちの方は、雀がこんなに悲鳴をあげて騒いでいるのに、気付いていない) --

「(ゴミ捨てネットの)中に(雀が)閉じ込められてる!」

と家族とわたし、同時に叫ぶ。そう、目を凝らすと、飛び回っている雀の数羽は、”ネットの中で”飛んでいたのだ。わ、一大事!! 青いネットの角にへばりついているのか、引っかかってしまったのか、ひしゃげたような雀の姿も見える。

笠間からの道中は、小露鈴&gaeaのことを心配して一刻も早く彼らを安全な我が家に連れて行ってあげたいと思っていたが、こうなるともう、命の問題という最優先時なので、考える間も一切おかず、速やかにレスキュー隊出動だ。抱えていた小露鈴のかごを助手席において、家族に、

「ちょっと行ってくる!」(軍手持っていった方がいいかな)

走ってゴミ捨て場の青いネットに向かう。ネットまで来たら、周囲を飛び回る雀たちはさすがに逃げ去る -- 普段は小鳥を追い散らすなんてことは絶対しないのだけれど、このときばかりは構っていられない。ネットの一面(ゴミを入れる入り口があり、そこだけは前開きになっていて、下に鉄の棒の錘が渡してあり、横面は沢山の洗濯バサミで厳重に閉じてある)の洗濯バサミを弾き飛ばし、鉄棒をウェイトリフティングのように「ぐわし!」と持ち上げて、彼らを閉じ込めていた扉を開けた。

ひゅ~と二羽の雀がそこから全速力で滑空して青空に逃げた。

まだ一羽いる。ネットが脚に絡まっているなら、厄介なことになりそうだ。これ以上脅かしたくないが、絡まっているなら怪我等の程度によって、はずすのに最善の手段を考えなければならない。そろそろと近付く。

「・・・ギュー!」

とその子は、悲鳴とも声とも判別つかないような音を出して、全速力で空へ戻った。大丈夫だった! これまで耐えていたショックとパニック、恐怖を吐き出すかのような、音。そして、空へすっ飛んでいったから、さほどの損傷はないだろう。

きっとさっきまで外側から群がっていた仲間達とすぐ合流できるだろう。

*****

何が起こったのかは、確実には言えないけれど、恐らくはゴミ捨て場に落ちていた食べものを拾いながらネットの下のほうから潜り込んでしまった三羽が、出られなくなってしまったのだろう。一度パニックになったら、下から潜るなんてこと考えないで、上へ上へと、ネットの上のほうで飛び回りながら助けを求めた。

もしかしたら、巣立って間もない、未経験の若鳥かもしれない。雀のこんなへまは、あまり見たことないから。春になってうちのベランダにも、既に幼い子が遊びに来てくれているから、この時期、幼い子がこの辺りで沢山巣立ったのかもしれない。幼い鳥たちは、未経験であどけなく、警戒心が少なく、へまも多い(それがあだになって命を落とす子も多い)。

幼いかどうかは断定できなかったが、例えばそうだとすると、三羽の雀たちは悲鳴をあげ、泣き叫び、その周辺で大人や兄弟姉妹、仲間たちが、

「おかあさ~ん」「スズちゃ~ん」「助けて~」「ここにいるからね、ネットを、ネットを、どうすればいいのかしら」「こっちは駄目」「じゃあこっちから来られない?」「がんばって! みんないるからね~」

と、近寄る車や人間に対する恐怖を乗り越えて、飛びまわりながら必死で三羽の傍を離れずにいたのだ。

この子たちが参ってしまう前に、そしてカラスや猫やこころない人間達に気付かれる前に、通りかかれて、本当に本当に良かった。

*****

笠間の稲田の家では、相変わらず水が出なかったり使えるはずの駐車スペースが陣取られてしまって出入り困難なストレスが続いたが、ここへ来て、このレスキューで、また大事なことの核心に引き戻された -いつもいつでも鳥たちの友だちの人間でいたい- 雀さんたち、良かった!

suzume
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Bird Plaza

日本野鳥の会の本部には、バードプラザ(Bird Plaza)というショップもあるんだよ。売っているのは、正に、鳥・鳥・鳥・・・の関連商品! 

http://www.wbsj.org/birdshop/index.htmlバードプラザ1
(素敵な店構えです。小さな展示会もやってました。鳥に関する本の小さな文庫があり、鳥・自然保護関連の資料なども置いてあります)

バードウォッチングのための双眼鏡や望遠鏡から、国内・海外の野鳥図鑑のみならず鳥さんに関する調査研究資料、すっごく美しい写真集、エッセイ、文学、絵本、まんが、などなどの書籍が豊富です(それが一番興奮しちゃいます!!)。そして、鳥の模様やロゴ入りの様々なグッズ(バッチ、ブローチ、ネクタイ、ネクタイピン、などのお洒落用品から、絵葉書、時計、タオルやマット、陶磁器まであるよ!) そして、バード・フレンドリーな(いろんな国のいろんな鳥たちが成育する環境を守って作られた製品ということ)グッズ -- 木工品、お茶や珈琲、ドライフルーツなど -- がずらり。

Bird Plaza (鳥広場?)って、ほんとだな~

遠いし、夢中になりすぎちゃうし、どれも嬉しいものばかりすぎて(?!)福沢さんとサヨナラ(=・・・くらいお金使うってこと)する可能性大だから、なかなか行けないんだけれど、今回はちょっと”決意を新たにする”というか”志(こころざし)の高揚”のために行って来ました。

バードサンクチュアリの展開はなかなか進まないんだけれど、できることはあるはずだ -- と、思ううちに、温めていたけれど自信が無かったこと(時間が無いとか、仕事のこととかで、いろいろ言い訳いっていたこと)について、真実やる価値があり、自分にできそうで、実現すれば嬉しくて、何をおいても我が道を行くと考えれば GO!なのではないかと感じられてきて ・・・ ここに来て、感じて、確かめたくて、来ました。

実際には、びっしりと並んだいろんな書籍を見て、時間を過ごしたんだけれど ・・・ 昔から、図書館とか、本屋さんに行って、はっきりした目的を決めずに本を手にとって開いて、中にあるものと語り合っていると、悩んでいたことが解きほぐされてきたり、インスピレーションが訪れてくれたり、アイデアが形になってくれたり、気持ちが癒されたりします。不思議ですが、何かいい刺激があるみたいです。

さらに Bird Plaza には、自然観察であろうと鳥類学であろうと写真であろうと文系であろうと、鳥と付き合ったり、鳥を助けるためにがんばっている人々の”オーラ(aura)”が何か漂っていて -- 気合入るじゃん。

結局は、福沢さんとサヨウナラしてしまったけれど(涙・・)、胸がきゅんとなるような翡翠(カワセミ)の写真集や、アメリカ自然保護の草分け、Whooping Graneの絶滅危機とそこから救おうと働いた人々の姿をぐいぐいと「読ませる!」マックナルティの動物文学『復活』(どうぶつ社)、公園の雀との身近なふれあいを描いた児童文学『すずめが手に乗った』などと出会って、「う~ん」と唸ったけれど(値段を見て)、その他《ちょっとずつ色々と》(← これがまた合計すると恐ろしい)手に入れて、かばんを重たくして帰ってきました。気力は充実(しばらく節約料理ばかり作らなけりゃならないけど)。

鳥の笛
(フェアトレード商品のところに置いてあった鳥の笛です。なかなか可愛い顔をしています -- でも、未だうまく鳴らせない)

こころを澄ませて、できることをしよう! どこで、どんな状況下にあっても、身近に鳥や樹々はいてくれるから、彼らと無心に対話することが基本です。静かで、優しい気持ちで入ることも基本です。その基本に立って、Bird Plazaに行ってこころを決めてきたこと、鳥や木を助ける何かができれば -- そんなに嬉しいことは無い。

********
バードプラザは、京王線初台駅(新宿から一駅)でおりて、甲州街道沿いすぐのところにあります。鳥の好きな方は、是非一度!!

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サンクチュアリのことについて -- いっしょに太極拳をしてくださるSさん、キラキラの感性と繊細さをもつ研究室卒業生のMさん、思いやりと深いところからの言葉をありがとうございました・・・ 




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雷雨の後

一昨日の午後、「ひと雨来るといいなあ」と思った矢先、激しい雷雨が訪れた。連日の炎天で、木々の枝葉がしおしおとなっていたので、しばらくの間は、滝のような雨も嬉しかった。が、そのうち、何度も落雷が続き、大きな木が雷にやられやしないか、心配になってきた。

雨は短時間でやんだ。

雨上がりの緑は、潤って、見ていて本当に気持ちがいい。湿気がうすい靄となって、木々が薄緑の綺麗なショールをまとっているようだ。

帰りがけ、小さな路地で、地面のあたりを何か濡れて頼りないものが横切った。

よく見ると ・・・ 小さな、小さな、ことり。目の周辺に不完全な白い輪が見え、背中までは暗いオリーブグリーンで、そこから尾羽までは黒っぽい灰色に見えた。地面に生えた草に頼りなげにつかまっている。

あ、メジロの巣立ち雛だ! いや、それとも、まだ巣立つ前の雛が、激しい雨で巣を壊されて、おっこったのかな? いずれにしろ、雨でずぶぬれで、その小さな翼で、まだうまく飛べないらしい。わたしを見上げて、小さな細い澄んだ声で「ぴろぴろっ」と鳴いた。

う~ん、この子は大丈夫なのか? どうすべきなのか、まず慎重に判断せねば。人間は、そっと見守るべきなのか、助けるべきなのか、こういうときの判断は、よく観察し、よく考えてからでないといけない。

この子自身、自分の身を守れるだけの力があり、近くに親がいて、自立間近なら、人間は絶対に手を出してはいけない。よく、巣立ち雛を「可哀想」と人間が保護することがあるが、これは「誘拐」なのだと、日本野鳥の会では戒めている。一見頼りなげに見えても、その子には立派に生きる力があり、親はその子を誘導して、独り立ちを促しているのだ。人間が保護したところで、同じようにその子を無事自然に戻せる可能性は高くない。

一方で、このままではみすみす死んでしまうのが分かっている場合、「救護すべきか」を考えてみる必要がある。分かりやすいのが、雛が地面に落ちていて、すぐ近くに猫やカラスがいて、餌食にされるのが一目瞭然という場合だ。「自然の生態系は、食う食われるの循環からなりたつのだから、それでも自然のままにしなければならない」という考え方もある。だがそれは、少なくともわたしの場合、「愛するもの、弱いものは、当然守りたいでしょう!」という自分の人道にあまりにも抵触する。猫やカラスが近寄らず、しかも雛の親が見つけられるような場所にそっと雛を移動するというのがベスト。鳥の親の子に対する愛情は、大抵の場合、ものすごく強いからだ。だから、親が見つけて、その子が成長するまで、見捨てないだろう、という可能性に賭ける。
 だが、そんなベスト・ケースばかりじゃない! どうすればよいか判断がつかなかったり、「このままでは絶対死んじゃう」と思えるケースも多い。そういうときは、「保護したら何か出来るか」も考える。まず、捕まえられるか?捕まえたら何に入れて? 食べ物はどうするか? 野鳥は種類によって食べるものも違うし、雛の場合、成鳥とはまた異なる。さらに、ちゃんと自然の中に復帰させられるか? そのために、どうすればよいのか?
 それから、大事なことだが、野鳥を捕獲することは法的に禁じられている。理由あって救護する場合も、ちゃんと届けなければならないが、当面のケースでは、どういう手順を取るか?

そうです。ただ「保護する」という考えだけで動いてはだめなのだ。保護すれば、その命についてどう責任を持つかが問われてくる。

メジロ自体、小さな可憐な鳥であるが、その雛のさらに小さな頼りなげな様子を観察しながら、わたしの頭の中には「親どり~ 今すぐこっち来い!」とか、「この子が木からおっこったとしたら、巣がかけられる木と言えば、どれだ?」とか、「メジロって、果物とかすり餌とか食べるんだよね? でもこのくらいの幼鳥は?」といった考えが、すごいスピードでぐるぐる回っていた。

そっと近寄ろうとすると、その子は負けん気にひょいと逃げ、草に止まろうとしてまた落っこちた。あ、こりゃだめかな、と近づくと、今度は、道の向こうの低木の繁みまでぱっと飛んだ。あ~ なあんだ、結構元気だ。繁みでは細枝につかまろうとして、落っこちもするが、またつかまっている。今は、あの小さな翼、濡れていて飛びにくいんだろうが、乾いたら、もう少しは飛べるに違いない。この繁みにいれば、猫も濡れるのを嫌がって中に入らないだろうし、近くでよく見かける悪戯小僧たち(人間)も、気づかない可能性が高い。あとは、親鳥だが -- 雨がやんだばかりで、雛がここにいるのだから、親鳥は雨に退去していても、近くにいるのではないか?

わたしは、「ものすごく可憐なこの子を、絶対に助けたい。死んじゃったりしたら嫌だ」という強い気持ちをぐっと飲み込んで、この状況なら、そっとしておけば、助かる可能性は高い、と判断した。手を出せば、「誘拐」になる可能性も高い。それに、この場合、保護しても、責任もって命を生かし、自然に帰し、この子が幸せになる、という保証はしてやれない。そちらのリスクも高いことを自覚せねば。

メジロの雛は、「ぴろぴろっ!」と鳴いてわたしとコンタクトを取ってくれたが、「大丈夫?」と近寄ったとき、飛んで逃げた。あの繁みにいるというのがこの子の選択だ。この子の選択を尊重しよう。

黄昏はじめたその場を立ち去ることを決意して、草むらのほうに「生きろよ~!!」と最後に声をかけた。

それが一昨日のことで、それでも今でもとっても気になる。蝉の降りしきるように鳴くその緑陰は、今日は鳥の声がしない。

それにしても、メジロ自体好きな鳥であるが、雛はまた、格段と可愛かったなあ。良いものに出会えた。それに、雨上がりの繁みの中で、長時間にわたり頭を使う判断をして、したたか蚊に食われた。
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