チャチャチャチャ!(足踏みしながら、急いたような声で)
「ちろり~ん!」(彼女の部屋<=鳥かご>のドアを開けて、ころげるように手の中に飛び込んでくる彼女を受け止めて)
チャチャチャチャ!!
「ごめんね、ごめんね」(両手で彼女を包み込みながら ―― 一応、夜の間、一人で部屋に置いておいたことについて、謝っているつもりです)
キュルルルル・・・ (「キュルルル」とか「カルルル」は、一般には、文鳥の怒ったときの鳴き方ですが、この場合、甘えるようなトーンで鳴いていて、「もう、ずっと一人にしとくんだから」と、やや拗ねているような感じです)
「いい子だね。ちいちゃんは可愛いね」(彼女の頭や顎の辺りを撫でながら)
キュルル・・・
この後、台所の水道の蛇口から流れ落ちる水を、嘴近づけそのまま飲んで、小さな木皿に入れた雑穀のご飯を食べる。そして、わたしが朝のヨガをしたり片づけをしたりする側で、小露鈴は気ままに、自分の好きなことをしている。ご飯をついばみ、わたしの周りをぴょんぴょん飛び跳ねながら、彼女は絶え間なく鳴いている。
「小露(ちろ)ちゃん、お喋りりだね~ よくお話してくれるね~」
チチチチ
「ほら、何言ってるの~」
そう、彼女は、gaeaちゃんと比べても、とにかくよくお喋りをする。彼女の鳴き方、声のトーンに、身振りやしぐさ、そのときの状況や前後の脈絡、いつもの習慣や<人間-文鳥関係>を重ね合わせると、少なくとも彼女がそのとき、どんな気分でいるのかが感じ取れる気がする。
コミュニケーションがメッセージのやり取りだとすると、文鳥が、厳密に「メッセージ」と呼べるものを発しており、そうした文鳥の行為が意識的なものであるとみなすのは、動物行動学的に見ても、社会学・言語学的に見ても、大いに疑問の余地があろう。
小露鈴は、何かをしながら、その動作の一環として、鳴き声を発していることが多い。人間の視点からは、いかにも突然、まるで思いついたように飛び立つとき、同時に「チッ」と確信に満ちた強い鳴き声を発する。「待ってました」と好きな胡瓜に飛びついて食べ始めると、「チチチ、チチチ」と感に堪えたような声。そのとき、そのときに向き合っている対象や、捉えている世界に対する、彼女の姿勢が、身振りやしぐさと共に声として発せられているようなのだ。
それを人間が捉えるとき、鳴き声の中に彼女の気持ち ―― 情緒や気分 ―― が豊かに表れ出ているように感ずる。毎日、毎日の微細な鳴き方の違いが識別できるようになり、そのときの状況に彼女がどう向き合っているかの脈絡が汲み取れ、確認できるようになると尚のこと、鳴き方から彼女がどんな気持ちでいるかが細かに分かるように感ずるのだ。
「チッ」 (別の部屋にいる彼女の鳴き声)
(間)
「チチッ!」 (声がより強くなる)
(間)
「チチチチ!! チチチチ!!」 (非常に強い声で、切羽詰った鳴き方。同時に、鳥かごのドアを嘴ではさんでガシャンガシャンとならす、うるさい音)
最初の声で「どこ?」とわたしを呼び、わたしが応答もせず、現れもしないのでだんだん耐えられなくなり、最後に「どこにいるの? そこに行きたいんだから鳥かごから出せ出せ!」とどなっている(ようだ)。
こうなってくると、彼女が人間という相手に向かって鳴くときは、“感情を表現している”だけでなく、“感情を訴えている”と人間は感じてしまう。動物は、情動を表現するだけであって、意識的にメッセージを伝えられる能力はないのだと、論じられることが多い。だが、この“表現”と“メッセージ”との間には、そんなにはっきりとした境界線が引けるのだろうか。現に、小露鈴は、彼女の様々な声の出し方によって、わたしが“彼女の声をちゃんと聴き”、彼女の望みをかなえるまで、様々な声で鳴き、行動に出ることを繰り返すうち、“わたしにわかるように伝える”ことに習熟してしまっているように思う。
鳥の声の研究においては、その「歌」の研究で興味深いことが明らかになってきている。鳥の鳴き声には、主に、「歌」と呼ばれる「囀り(さえずり)」と、「地鳴き(じなき)」と呼ばれる声との二種類に区分されている。「囀り」をするのは、例外もあるがオスが中心であり、様々な種類の鳥の美しい歌声は人間にも愛でられているが、「オスが自分の縄張りを守るため、また、メスへの求愛をするためにうたうのである」(岡ノ谷)と言われている。研究によって、この歌が複数の音節からなり、その構成に「文法」があることが明らかになった。
しかし、鳥の「囀り」=「歌」について解説した素晴らしい著書でも、「地鳴き」に関しては、以下のように、実にあっさりと片付けられてしまっている。
地鳴きのほとんどは、生まれつきその音響パターンが決められている。地鳴きにはたとえば、ヒナが餌をねだる声、敵が来たことを警戒する声、交尾を求める声、飛び立ちを合図する声などがある。これらの声はたいてい一音節で、ソナグラムにすると一続きのパターンを描く。「ピッ」「ギュイー」「ツ」「ガア」などと聞えることが多い。
(岡ノ谷一夫 『小鳥の歌からヒトの言葉へ』 p.6)
(前略)・・・「地鳴き」はチュー、チィー、スィーなど一般に短く、また簡単な音声で、異なった種でも似ている例が多いし、雌雄による違いもあまりなく、一定の季節に限られてもいない。「地鳴き」は縄張りに関係なく、外界の特別な刺激、たとえば敵、親、子にたいして発声される。また、「地鳴き」は特別な姿勢や動きをともなわず、周期的に発声されるものでもない。
(小西正一 『小鳥はなぜ歌うのか』p.2-3)
ただし、1974年に出版された川村多実二著『鳥の歌の科学』では、「われわれが鳥声を採録しようとして野鳥をつけまわすときには囀りばかりに気をとられて、とかく地鳴きの記録を怠る虞があるから、大いに注意しなければならぬ」と、地鳴きに注目することを促している。
地鳴きには、たいていの場合、合図という目的があるので、同じ鳥でも幾つかの変わった地鳴きをもつものである。鶏が雛を呼ぶとき、猫を見てちょっと驚いたとき、さらに犬に追いかけられてけたたましく鳴くとき、みな違った鳴き声を出すことは、だれでも知っている。野生の鳥でもこういう種類が幾つかあることはもちろんであるが、何といっても飼鳥の場合が最も精細に研究せられているから、メジロを例に挙げると、まずメジロのごく普通な合図音は、雄がチーまたはチュー(これは個体の差)で、雌がツーまたはチェーである。ただ何となく同一行動をとる際の仲間同士、または雄雌間の連絡を保つような場合はこれで、軒先に吊されたり縁側の柱にかけられたりした籠の中で終日やっているのもこれである。次に餌猪口に新鮮な擂餌をもらったとき、蜘蛛のようなものが手に入ったとき、ことに外を飛びまわっていて椿の花か何かを見つけて喜んだときには、いっそう強く長く、むしろさえずりの一種(のちに説明する浮かれ歌)と認めてよいようなキリキリキリキリを声高くやり、これを聞くと仲間がいっせいに集合して来る。さらに急速な集合を促すときは、キリキリツーツーキリキリツーツーというふうに、キリキリと地鳴きを交互につづけてやる。近畿地方の愛鳥家のあいだでこれを「引っ張り」と名づける。また同じ枝に所狭く並んで、俗にいう目白押しをやろうとするときは、ジビジビジビまたはヂュクヂュクヂュクというふうに鳴く。これを「引き着け」と名づける。これと反対に、警戒にはペケペケ、相手を嫌って離れようとするときは、いわゆる「否鳴(むやなき)」、すなわちチンまたはツンを早く繰り返し、山では一羽がこれをやると全部がさっさと引き挙げてしまうので、飼鳥家はこれを「挙げ」または「逃げ」を吹くともいう。
(川村多実二著 『鳥の歌の科学』 p.37-8)
メジロの地鳴きに関する、川村氏の説明を読むと、メジロの地鳴きにしても、奥深く観察していくことが出来ることが分かる。スズメもそう。盲目で、聴覚と文筆の天才、三宮麻由子氏は、スズメの地鳴きについて、次のように表現する。
たとえば餌を見つけたとき、スズメは小刻みなけたたましい声で、「ジュクジュクジュク・・・・・」と長く繰り返し、仲間を呼ぶ。呼ばれてきた仲間たちは、「ピユ、ユン、チチュ、チリッ」とさまざまな声をたてながら餌をつつき出す。餌から餌へ飛び移る羽音も勢いよい。側で、じっと聞いていても、慣れたスズメは逃げようともせず、餌の上に座り込んで休んでいる。(三宮麻由子 『鳥が教えくれた空』 p.18)
スズメの声を繊細に聞き分けるだけでなく、三宮氏は、スズメとの挨拶も交わしている。
(前略)・・・人と厳しい一線を引くスズメたちのなかにも時たま、割合人なつこいものがいる。そういうスズメに出会うと、「ヒユ」と鳴く声に応えて「ヒヨ」と何度か返事を続けるうちに、鳥のほうから返事をすることもある。(三宮麻由子 『鳥が教えくれた空』 p.18)
ねえ、小露鈴、あなたは文鳥のメス。「歌」はうたわぬあなたの声は、全て「地鳴き」。あなたの発する声が、「簡単な一音節」として片付けられてしまうのは、ちょっとひどいよね。あなたの豊かな表現が、「合図」や「警戒音」として以上に、耳を傾けるに値しないなんて、それもあんまりだよね。
たとえばあなたは、「カルルル」という、文鳥に特有の怒ったときや威嚇のときの鳴き方なのに、音のトーンは甘く切なく鳴くことも出来る。しかもあなたは、わたしという相手に向かって、あるいはわたしの何かに応えて、わたしたちが生きている時空間の大切な一瞬一瞬にふさわしく、声をあげている。そして、何かと向き合いながら、「チルチュッチュッ チルル チルツル」と絶え間なく歌うように鳴き続けるあなたのお喋りは、小鳥として生きるあなたの姿を映し出す響きではないのか。
各々の世界で、一瞬一瞬の自分を投影して、あるいは仲間に向かって、地鳴きをする鳥たちよ。「歌」はうたわぬ雌鳥たちよ。あなたたちの声は限りなく豊かに違いない。きっとその声を、繊細に聴き分けていけばいくほど、豊かさが分かるに違いない。
Ladies, Speak Out!! (ご婦人たちよ、思いのままにお話しください!!)
メス鳥たちよ、思いのままに地鳴きを!!

Lady, Look Up!
【参考文献】
岡ノ谷一夫 『小鳥の歌からヒトの言葉へ』 岩波書店, 2003. (岩波科学ライブラリー92)
小西正一 『小鳥はなぜ歌うのか』 岩波書店, 1994. (岩波新書 338)
川村多実二著 『鳥の歌の科学』 中央公論社, 1974.
三宮麻由子 『鳥が教えくれた空』 NHK出版, 1998.