hearing the unheard voices

小鳥たちと対話し、自然と人とが調和できるバード・サンクチュアリを創立しています。http://homepage2.nifty.com/birdsanctuary/index.html

季節の野菜、季節の果物

毎日の「文鳥定食」のメニューは、ご飯(=雑穀、すなわち粟、黍、稗、青米、カナリーシードなどの混合食)とお水(=浄水器のものに、栄養剤とバッチフラワーレメディ入り)が中心だ。栄養補助として、カルシウム補給のため、ボレー粉(=牡蠣殻の砕いたもの)や鶏卵の殻も召し上がる。

その他に、季節の野菜と果物もたしなむ。青菜(=小松菜、青硬菜、豆苗など)が中心だが、胡瓜(小露鈴の大好物)や南瓜・サツマイモ類など。そして、林檎、蜜柑、梨、柿、パパイアなどの果物。

小露鈴は、お皿や人間の口元から、人間の食べものもかっさらっていくよ。(← 本当はいけません)


さて、本日の野菜は何でしたでしょう? gaeaちゃんの嘴は語っています・・・

小松菜gaeaちゃん


小松菜ですね、この緑色は。嘴は、昼には黄色(南瓜)、夕方にはオレンジ(パパイア)になる可能性大です。


小鳥は敏感なのか、野菜や果物の味、そして多分、季節による彼らの体調の、ほんの微妙な違いで、反応(=食いつきの良さ・悪さ)が変わってきます。野菜や果物の季節感、産地、鮮度、そして葉っぱだったら若いところかどうか、果物だったら熟しているかどうかで、大好きだったり、そっぽを向いたりします。人間が首をかしげるくらい微妙な差で、野菜や果物が好まれたり嫌われたりします。


美味しそうな(小鳥から見て、ね)ものがやってくると、すぐに飛んでいって、「チッ」「チッ」「チッ」と喜びの声を上げながら、夢中でひたすら食べます。そして、止まり木で大げさに<嘴拭き>(8月17日「お~い、小鳥さん」参照)を何度も何度も繰り返します。

そうすると人間は、目を細めてしまいます。
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『愛しき白鷺』 -2-: 一筋の光

信じられないことが起きた。

あの『愛しき白鷺』の写真家、絹針弘己さんが、訪ねて来てくださったのだ!
(9月10日『愛しき白鷺』参照)

ブログで写真集を紹介するのとほぼ同時に、写真家の絹針さんと、彼をご紹介下さった笠間の陶芸ギャラリー『陶歌』さん(サイトの『my bird sanctuary』参照)にお手紙を送ったり、鷺のことでいろいろとやっていたのだが、手紙もブログも読んで下さり、『陶歌』さんを通してお電話を下さった。話は、ひょいひょいと、と言うか、予め運命で決められていたかのように進んで・・・。

信じられないと言うか、もったいないと言うか、写真集に載っていない白鷺の写真や、写真集の写真を大きく引き伸ばしたものを賜った。


・・・・(有り難くて、何と言っていいか、声も出ない)・・・・

本当、お目にかかっても、「あの」とか「あ~」とかしか声に出ず、こころの中で合掌するのみ。

研究室で、それらの写真を一枚一枚見せていただいた。飾り羽(蓑毛)に白い光があたったり、その羽がふんわりと広がったり、目元の浅緑が涼しい優しい表情をしている、ダイサギ。幽玄な、あるいは力と鋭さに満ちた、あるいは荘厳で華麗に翼を開く、白鷺の飛翔。天と、月と、光と、雲と、鷺たちの幻想的な舞いが息づく、芸術的な作品 -- 水墨画のようなものも、この世でないような神秘的な世界のものもある。

一枚ごとに、声も何にも出せず、夢中で見入ってしまった。

大きく伸ばした写真で見る白鷺の美しさ、命の力強さ、光と色、飛翔の姿、躍動感 -- 見入っていると、頭のいただきから、一条の光が降りて、からだを突き抜けてくるような気がする。

鷺たちの表情に、胸が一杯になる。

どうして鷺たちは、こんなにも間近で、普段私たちに見せない、優しく穏やかな表情をしているのだろう。大きなダイサギが、スピード感溢れてダイナミックに空を突っ切る様が、どうしてそのまま捉えられたのだろう。仲間同士との愛の交換や、天や光と対話するかのような舞いが、現実のものなのかしら? こうした命の美しさが、たとえこの世界のどこかにあったとしても、人間の目で、人間のシャッターで、とらえることができるとしたら、それは「神業」に近いのではないかしら。

絹針さんとお話して、その答えのごく一部かもしれないが、何となく感得出来たような気がする。鷺の姿に魅せられていくお話、鷺の生態、白鷺に近づけるまでの苦労話、そして鷺に受け入れてもらい、シャッターを切るまで、鷺とどんな対話をしてきたか -- 鷺に何を語り、何を問い、どんな答えをもらい、どう受けとめたか。(絹針さんと白鷺は、本当に恋人同士だった!)
 その他、カメラマンの目と心について、シャッターが切られるまで、その瞬間についても、話してくださった。カメラマンとして、とにかく現場に立つこと。現場での感動を受けとめること。自然と向き合い、自然を受け入れて、そして、写真にとる一瞬とは、本当に“神の光が差す”ような一瞬なのだ。そして何かが起こる。そんな一瞬をとらえることにできる、カメラマンの生き方。何と3時間にわたって、話していただいたよ(感激、感激)。

今まだ興奮と感激冷めやらずなので、白鷺と彼との間で生まれた素晴らしきコミュニケーションについては、もう少し落ち着いてから ・・・ 

絹針さんは、いつでもどこでも自然の中に(人間とも!)すんなりと溶け込めて、相手と一体になれる、独特の“オーラ”を纏っていた。しかも、そこにある自然の<核心>にすっと触れられる直観力と言うか、動物的な勘のようなものが怖くなるくらい鋭かった。
 彼の「やっぱり現場に行って感動するのが一番」という言葉は、研究者として、資料(=二次的体験)を読み、分析するのに時間をとっているわたしには、とっても痛かった。たとえば、彼は鷺の目から多くのことを知ることも出来るし、いやそれより、鷺と目と目で会話する。それは、“学問として”記述するのが難しい話だが、わたしの体験や勉強から言っても、真理だ。(鳥は目で<加えて、からだや全体でも>語るし、目でわたしたちの“こころの言葉”をすっと受け止める。) 異種間コミュニケーション研究のために、こだわりを捨てて、もっと現場に行かなければ、もっとすべての感性を使って、鳥と関わらなければ。感動しなければ。

そうそう皆様、『愛しき白鷺』について、追加情報です。
 絹針さんにうかがって初めて知ったが、これは私費出版されているそうで、出版後数年は幾つかの書店にもあったが、今は市販されていないという。唯一この写真集を置いてあるのが、笠間の陶芸ギャラリー『陶歌』さんで、バード・サンクチュアリがらみで、この『陶歌』さんにとてもお世話になっているわたしが、手にとることが出来たのは、まさに奇跡的な偶然としか言いようがない。(絹針さんは、現在ホームページを作成中だそうで、近々そこを通して彼の写真を目にしたり手にとったりできるようになるのを望みたい)

もともとは、<人とサギの共存>のために何か出来ないか、と悩んだとき、写真集『愛しき白鷺』こそが、一番大切なメッセージだと直感し、この写真集を戴けたこと -- そこからご縁に恵まれたのだが、さらに美しい写真と追加の写真集、それに貴重な話という御厚意まで賜ってしまった。


「いいんです。写真集使ってください。写真が好きで撮っている。その写真が人のため、社会のためになるなら、嬉しいんです」と絹針さん。

これらの美しいかけがえのない写真を、わたしは想った。しばらく置いて、どこかから来る声を響かせて、こんな風に決然と応えてしまった。

「人にも、社会にも、勿論そうですが、もしこれを使わせていただけるなら、それは、絹針さんの恋人の鷺たちのために、です。わたしは仲介者として、鷺たちのために何かできればと想います」

目の前に大きな白鷺が舞い降りて、半透明の姿で、翼を広げている気がした。応えながら、涙が出そうだった。

写真が投げかけてくれる美に、一条の光のように貫かれた -- さあ、進まねば。

☆☆☆

今日は夕方まで大学本部で会議があり、薄暗い中を歩いて所属キャンパスに戻った。途中にある、草地に囲まれた池の、薄暗い向こう岸に、一羽の大きな白鷺(判別できない)のシルエットがぼんやりと見えた。

今日、逢えたのが、嬉しい。
「がんばれよ~」と声をかけた。



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二通りの生き方

昨日、小露鈴(文鳥)の好奇心旺盛なチェックについて書いたが(9月17日『白と紫』)、「じゃあ、もう一羽のgaeaちゃんは・・・?」という疑問も生じるので、付け足しておきたい。

レン・ハワード著『小鳥との対話』には、著者のレンさんが、シジュウカラ、アオガラ、ブラックバードなどイギリスでは馴染み深く親しみやすい小鳥たちと暮らし、まさにその一羽一羽を見分けて観察し、日々様々な対話をしている姿が描かれている。ここでは、小鳥たちの一羽一羽がはっきりとした個性をもち、その小鳥らしい振る舞いをする様子が観察されている。鳥類を<個として>識別して、その個性を含め、ごく近くで詳細に観察した貴重な記録だと言えよう。

レンさんが観察した小鳥たちと同様、うちの文鳥も明確な個性がある。前述の「好奇心」は -- 少なくとももう一羽のgaeaちゃんと対比させた場合 -- 小露鈴特有のものだ。(もっとも、どこかの文鳥関連の本に、「(文鳥の)女の子は食べ物に執着する」「男の子は、意味の乏しいことでも夢中になると滅茶苦茶がんばる」などと、性差によって特徴があることが書かれていたから、小露鈴を他のメス文鳥と比べるまでは、もっと詳細なことは言えない)

お客様の荷物やら箱やら小包やらわたしの食べ物をチェックするのは小露鈴だけで、gaeaちゃんはそういったものに対して、「好奇心ビーム」を発してよってくるなんて事は全くない -- 自分の近くに見かけぬものが現れたら、きっと怖がるけどね -- いつものように、一緒にいて、そばでいつものことをしてればそれで幸せなタイプ(8月16日『一緒にいる』参照)。

二人(二鳥)は、朝起きるときから違うんだよ。

小露鈴は、寝る時間も起きる時間も -- 季節によって多少ずれるけれど -- ほぼ一定。規則正しく就寝して、規則正しく起きる。それが乱されるのはとても嫌なの。

gaeaちゃんは、わたしが起きて、部屋のカーテンを開けると、歌をうたいだして起き、ご飯を食べ、水を飲む。それでもちょっと眠そう -- 午前中は眠くて、<ぼけぼけ>のときも多い。だって、前夜、がんばっちゃったんだもんね。
 どうしてがんばっちゃったか、というと、わたしの帰りが遅いと、待っていてくれるし、わたしが布団を敷いて、gaeaちゃんのそばで寝るようなプロセスに入っていかないと(寝てても、「そばにいる」ことが分かるほどの安心感をたっぷり味わわないと)寝ないのだ。一応、眠らせようと、鳥かごにタオルケットをかけて真っ暗にするのだけれど、その暗い中で、怖がりの癖にひどく無防備にも、かごの横の辺りに飛びついたりしてしまうのだ。(そうすると、暗い中、止まり木に戻れないので、こちらがおろおろして、またタオルケットを上げる格好になる)
 いつもと状況が違い、お客様がいたり、別の部屋に行ったりと、わたしがそのままそばにいないかもしれないという不安が少しでも生じると、絶対寝ない。だから、「そばにいるんだよ~ わたしもここで寝るからね~」を儀式しないといけなくなってしまった。
 もちろん、あんまり遅いときは、比較的すぐ眠ってくれる。だが、gaeaちゃんのこの決め事のせいで、わたしは、旅行どころか、用事があっても「とまりはだめ」ということになってしまった。(gaeaちゃんが絶対寝ないので、預けられそうな家族からも、許可が下りなくなった) 起きるときも、眠るときも、一緒じゃなきゃだめなんだね、gaeaちゃん。

というわけで、小露鈴とgaeaちゃんを「鳥ども」なんて一緒にして接しさせていただくことなんてできない。どちらも、個々の生活パターンがあり、やり方がある。小露鈴は、自分という鳥や自分の意識・からだのリズムにまっすぐに生きてる感じ。gaeaちゃんは、一緒に暮らす相手がいて、その相手と一緒にいることを大切に、気持ちで生きてく感じ。あお、そうか、人間的な解釈になりすぎてしまうけど、人間だったらわかるでしょう、マイペースと「あなた命」の二通りのタイプの違い。

この違いは、いろんなところに現れてくる。

夜、小鳥が眠っているところを、人間が起こしてしまうことがある。
 たとえば、物音や話し声をたてたりしてしまうとき、小鳥は起きてしまうことがある。あるいは、地震が起きたり、人間がもの淋しくてどうしても小鳥の可憐な姿を見たくなって、鳥かごのタオルケットをめくってしまうとき(← 小鳥の健康を害するので、後者の理由で、しばしばやってはいけません)。

そんなとき、小露鈴は、「ミャーミャー」と切なく哀しい声で鳴く。鳥かごに手を入れると、怒って噛むこともあるよ。”眠いんだよ~””起こさないでよ~”という意思表示に感じられる。

そんなとき、gaeaちゃんは、「チッ」と小声で鳴いて、ぴょ~んと飛びついてくる。”何?””僕? いますよ~”という意思表示に感じられる。

人間の寝起きが様々であり、思わぬ人が寝起きが悪かったりするのが興味深いので、そのことを思い出して、この二羽の反応の違いも可笑しくなってしまう。

☆☆☆

満月ですね。

以前『小鳥を呼ぶ水笛』(8月1日)をお持ちのヨーガの偉い先生について書きましたが、この先生の教えで、満月の日にはウポワズ(=断食)をしています。ウポワズ中でちょっと不安でしたが、今朝早く、日曜の太極拳の練習にも行きました。生まれたての朝の緑と朝露のそばで、からだも気持ちも綺麗になった気がしました。

お彼岸(一年の臨界点)近くで、満月(月のリズムの臨界点)なので、今日は特別によい日になるはずです。

 



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白と紫

自家製のブルーベリー・ジャム(美味しい!)の瓶詰め作業をしていたら、小露鈴(ちろりん)が”なに、なに?”とやって来ました。届いた小包、お客様のかばん、いろんなものが詰めてある箱、そしてわたしの食べ物には、必ず好奇心一杯にしてチェックを入れにやって来ます。

ブルーベリージャムのような甘いものは文鳥のからだに毒なので、小露鈴からジャムを遠ざけようと防御するわたしと、そうすると絶対にジャムを知りたい小露鈴。しばらくの攻防の後、小露鈴はジャムを入れてあった大き目のパッケージの蓋やら空箱の中を歩き回り(!) -- 中身を詰めてあった方は、近付けないよう、守ったのだ -- つまりはあの、濃い紫色のべとべとするジャムが表面についている上に、しっかりと足型を残したのでした。

そうまでするか、小露鈴! 

とっても綺麗な、ふわふわの純白の羽にくるまれた、可憐な小鳥なのに・・・小さな愛らしいピンクの足は、濃い紫のべたべた。ついでにいつの間にか、白い小さな胸にも、紫いろの筋が --! 

いたずら小露鈴


思った通り、その足でとまってくださったので、わたしの腕にも、白いシャツの上にも紫のスポットが --! 

綺麗好きの彼女は、胸の汚れがやはり気になるのか、何度か嘴で梳いていて、それでも落ちないので、今日は早めに水浴びをしました。

白い羽毛に濃い紫 -- あ、普段は、白い羽毛に、苺いろの嘴と脚が可愛いのが、文鳥さんです。

☆☆☆

明日は満月ですね。

昨夜、寝返りを打った途端、澄んだ薄い金色の光が、「ピシッ」と額を打ちました。眩しくて眩しくて、頭の中に光が入ってしまったのかと想いました。闇夜の群雲のわずかな隙間、締め切ったカーテンのわずかな隙間から、満月近い月の光が、わたしの眉間のところまで飛び込んできてくれたのです。

半分眠ったような状態で夢うつつでしたが、とても不思議な体験でした。
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『愛しき白鷺』

宇宙を舞うような気分になったり、愛しさで胸が締め付けられたり、瑞々しい光で洗われたり -- 時には泣いてしまったりする。

美しい写真集だ。

何度めくっても、何故か手を合わせて合掌してしまう--

白鷺(正確には、白い鷺にはダイサギ、チュウサギ、コサギがいる)と大空が織り成す、鮮やかな、あるいは幽玄な調和、その神々しいほど崇高な命の営みが迫ってくる。

『愛しき白鷺』


副題に、『永遠に幸あれ わが心の友』とある。

写真家の絹針弘己さんは、警戒心の強い白鷺の写真を撮るため、来る日も来る日も営巣地の雑木林に通い、雛を育てるサギたちが安心して彼を迎え入れるようになるまで、大変な努力を積んだそうだ。長い時間をかけて、サギたちは、彼を受け入れるようになった -- 彼に“落し物”をプレゼントするまでに(打ち解けてくれないと、“落とす”どころではないらしい)。
 サギに“落し物”をされた作業着を着続けて、雑木林でひたすら待つ。そんな撮影をすることで、これほどまでにサギの命、サギの生き方に接近することが出来た。

究極の「異種間コミュニケーション」ですね。絹針さんがそう思っているだけでなく、白鷺たちにとっても、彼は<永遠に幸あれ わが心の友>なのではないかとまで感じてしまう。

写真の一枚一枚は、言葉を添えなくても、サギが生きていること ―― 一つの命であり、天空を舞い、愛を交わし、厳しい自然と向き合い、新しい命を育てようとする命の営みをする生きものであること ―― を力強く、美しく、伝えているように感じる。しかも、その命の営みの、神々しいような眩しい輝きの瞬間に、シャッターが切られた。

空や風と見事に調和した雄大な飛翔--
白い羽に光る目、目元の涼しげな緑色、飾り羽の艶やかさ--
朝露の飛沫と戯れる白い翼--
木々の緑の上でのカップルや親子、仲間同士のむつましい姿--
「瞬光」「霧翔」「寂光」「暁に舞う」・・・様々な光--
天空で、仲間と、光と、自然の中で、真っ白な姿で、こんな風に
生きるのって素晴らしい。


今日は、久しぶりにこの写真集を手に取った。

毎年、つくば市を含め、各地で<サギ問題>が起きている。
 白鷺たちやアマサギが、住宅地に近い林などを集団で営巣地(=コロニー)としてしまうために、周辺の住民の方々が悪臭や汚れに悩み、また感染症などの影響が疑われているために(現在までのところ、感染症の例は現実にはない)、地権者に訴え、営巣地の木を切り倒し、消臭剤などを撒き、追い払う。つくば市の1例では、子育て中であったため、サギのヒナが放棄され、道路などに出てきて轢かれてしまった。
 現実に被害に遭われている住民の方たちは大変な思いをされているので、何としても解決しなければならない。しかし、サギたちも命ある生きものだ。
 かつての雑木林や里山が住宅化すればするほど、人と、人以外の野生の生きものとの過密な接近や不幸な事故は増えるだろう。そして、「感染症」のような問題が生じ、様々な情報がマスメディアを通じて横行すればするほど、人と人間以外の生きものとの摩擦や乖離は進むだろう。さらに、人以外の生きものの命に無関心な人が増えれば増えるほど、そうした命の声は、人間にも届かなくなるだろう。そのとき、人間の中の”生きもの”性や自然は、どうなってしまうのだろう。
 どうすれば、人間とサギが共存していけるのだろう。

サギのことを想うとき、似たような環境で見かけたはずのトキやコウノトリのことも想う。トキはもう、日本にいなくなった。コウノトリの野生復帰をかけて、現在、豊岡市の人々や関係者の方々の努力は大変なものである。
 この夏も、サギは、つくば市の上空を飛んでいく。朝や夕方、よく見かける。彼らは、ここに居続けてくれるのだろうか、それとも、生きる場を追われて、新たに生きる場を探し続けているのだろうか。

この写真集が、途方もなく美しい故に、そしてその美しさが、白鷺の命に近づけるという才能に恵まれた写真家によって、奇跡でしかない一瞬のものであるが故に、打ちのめされてしまう。

俳優の西田敏行さんが「天の羽衣に恋した男 絹針弘己氏」という前書きを書いている。

 今、人間は”時代”という
 燃料も大量に要し、排気ガスも
 沢山吐きだす、巨大な車に乗って
 いつ 来るとも知らぬゴールを
 めざして爆走している、
 その後には、美しい花や、やさしい緑が
 踏みつけられ 物云わぬ鳥や獣達も
 その爆音に恐れおののき瀕死の状態で
 その轍を見つめている。
 絹針弘己さんは その車から飛び降りた
 車窓に、美しい白鷺の命を賛える舞を
 見たからだ。氏は魅せられた この美し
 さを“写真”という媒体を通して留めて
 おきたいと想ったからである・・・・・。
 私はかつて ”池中玄太”という
 ぶきっちょに人を愛し、鶴を愛し
 スクープ写真はうまく撮れないけれど
 鶴の写真は<鶴実>にものにする
 カメラマンを演じた 私はその玄太から
 いろいろな「こと」を教わった。
 そして彼の示す不器用な正義に大いに
 賛同の気持ちを抱いた。
 今 絹針氏の熱意と愛によって
 写し出された白鷺を見るにつけ
 エコロジーを声高にとなえずとも
 私達が本当に大切にしなければならない
  ”もの”や”こと”を
 静かに やさしく教えてくれる。
 今日も絹針氏はカメラをかかえて
 待っている。
 あたかも”天の羽衣”の飛来を心待ちに
 している”あの男”のように。


どうです? 研究室に1冊ありますので、お近くにお寄りの方は、めくってみてください。

(愛しき白鷺 絹針弘己写真集 日本写真企画 1993)


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初秋の下草刈り -2-

昨日は、何故かアップロードできなかったのですが、下草刈りの実習をした雑木林です。円陣になったs先生手製の木のベンチの右に、地面に倒してある草刈り機が見えます。

雑木林1


空気はまだぼうっと暑くて、湿気が多いのですが、風が吹くと涼しいです。どこか秋めいています。

雑木林2


一生懸命、草を刈ってこんな感じです。
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初秋の下草刈り

この日曜日、八郷のS先生の雑木林に、二回目の下草刈りの実習にうかがった。S先生は、自然との共生、特に雑木林の管理について、ご指導いただいている先生である(サイトのmy bird sanctuary参照)。実際に、八郷町に、ご自身の管理なさる雑木林のフィールドを持っていらっしゃる、経験豊かな先生だ。
 この先生は、野鳥を中心に、野鳥を取り巻く生態系について、小学校の総合学習を受け持たれているほどの大家でもある。特に、野鳥の<声>については、ずばぬけた知識と経験と判断力をお持ちだ。

すでにS先生直伝で、林の伐採、枝打ち、そして雑木林の下草刈りを体験的に教えていただいた。1回目の下草刈りは、6月、雑木林の下の草や篠竹がしまつに終えないほど成長する前に、先生のフィールドにて行った。
 大きな樹の伐採や枝払いは、経験と直感による微妙なコツがないと、非常に難しい。ちょっとした角度で樹が違う方向に倒れてしまい、大変に危険なのだ。おまけに、そうした角度の読みが鈍いほど、ロープを上手に使ってうまい方向に樹を誘導しなければならないが、このロープ使いが、また大変 -- 頭のよさと、習熟度を要する -- 知恵の輪みたいな感じなのだ。
 それに比べて、下草刈りは、ただただ無心に草を刈っていくので、わたしにとっては瞑想修行みたいに楽しい。おまけに、庭の草刈りと違い、雑木林の場合は、”よい雑木林を創る・管理する”ことが目的なので、育てる樹や残したい草、適度に刈る草、絶対に刈らなくてはならない草などを瞬時に繊細に識別していかなくてはならない。刈りながら、沢山の生きものたちにも出逢える。S先生と奥様と一緒なので、しばしば中断して、自然観察会となってしまう -- と言った具合に、とても楽しい。
 そこで、是非にでももう一度実習したいとお願いしてあった。

S先生は、6月に刈った後は、8月のお盆過ぎにもう一度、さらに今年最後に9月のお彼岸頃、下草を刈ると仰っていた。
 なのに、9月初めに、2度目の下草刈りのご通知をいただいた。え~?! 今? 実は今、新学期始まりで、仕事大変で、肉体的にグロッキーで、大丈夫かな? と、一瞬感じたが、今夏は例年になく、下草の伸びが遅く、今この時期が最適なんだそうだ。ううむ、自然はこちらの都合に合わせてくれない。仕方ないか。

台風接近ということなので、朝早くお邪魔して、ちょっとご挨拶して、すぐに草刈り第一ラウンド(草刈機のガソリンが切れるまでを1ラウンドにしている)。ウィィィ~ンと草を刈るこのからださばき、懐かしい。機械の操作は今ひとつ覚えが悪いが、草木と向き合うこの感触はなかなかのものだぞ。
 それにしても、下草は、6月の頃と比べ、随分と種類が違う。篠竹やヤブカラシは相変わらずだが、今回は、キツネノマゴ、チヂミザサといった種類の草を主に刈らなければならなかった。そして、タラノメの若い芽は -- 見分けるのが大変なのだけれど -- 草むらの中に埋もれていても、刈ってはいけない。春先、天麩羅にして食べるのが大好きなのだそうだ、S先生が。

個人的に、ニワトコやネムノキが大好きなので、芽生えてきたばかりの彼らも、こっそりと残してしまった。刈るのに偲びずに--。

それにしても、樹の伐採もそうだけど、草刈りも、ある意味では、草の命を奪ってしまうことだ。たとえば、ある植物に陽光を当ててあげるためには、別の植物を刈らなければならない。“人間にとって”ある植物は大切だけど、ある植物は要らない -- あるいは、蔓延りすぎると良くない。人間にとっても、害があるものを避け、林を歩いて回遊できるだけの快適さがなければならない。
 S先生は、長い豊かな経験から、この辺りをすっぱりと割り切り、作業中もどんどん判断をされていく。以前、森林管理の講習会を受けたときも同じことを教えられたが、人間の森づくりは、結局は、人間の価値感で「良い」森を創る、ということなのだ。

個人的には、「この草、みんな刈っちゃった -- いいのか?」「あの草を残して、この草を刈る判断を、こんな風にしちゃっていいのかな?」「ここ刈ると、蛙やコオロギ、大丈夫か?」などと、いちいち悩みながら、それでも草を刈る。しばらくすると、いつのまにか、ただただ無心に刈っている。それでも、「命と命の共生って何だ」という昔からずっと難しいテーマが、肩の上に乗っかっているような気がする。
 反面、下草の中から、隠れていた植物やいろんな生きものが見つかる楽しさ。そして、今回発見したのだけれど、プーンと青臭い草の匂いを嗅いでいるうちに、アロマセラピー効果。さらに、疲れ目に、安らぎを与える緑が優しく、癒し効果抜群だ。からだが、段々と緑に染まって、瑞々しく潤って、しゃきっとしてくる。

ガソリンが切れたので、冷たいお茶を戴いて、小休止。

 ヤブミョウガ


ヤブミョウガの幽玄な姿。近くで見ると、白い小さな花と、濃い紫の実がすてきだ。

それから第二ラウンド。ううむ、もう無心だぞ(というか、草刈り機ならぬ、からだのエネルギー全開にしてないと・・・)

最初は、草刈り機が回りだすと、四散して逃げていったコオロギや、アマガエル、アカガエルも、どこかに逃げて落ち着いてくれたのか、もうあまり飛び出さない。良かった良かった -- もし間違えて、可哀想な目にあわせたりしたら、大変だ。

草木の中には、踏まれたり刈られたりすると、より強くなったり、成長が良くなったりするものもあるそうだ。やっぱり植物をもっと勉強して、草を刈っていきたい -- どのみち、森作りは、人間が、人間の限界の中で、価値判断をせざるを得ないから。それに、技術ももっと必要だ -- 今回、注意されていたのに、やっぱり不注意で、タラノキ一本、草刈り機で切り倒してしまいました。

美味しいお昼を戴いて、野鳥談義をたっぷりした後、第三ラウンド。いや~がんばりましたね。もう、からだヘロヘロですね。でも、気持ちは、かえってストレス全部吹き飛んで、幸せ状態ですね。

清楚な小手毬の花からにょろっと小さい茶色の尾がのぞいている。「こ、これ、何ですか?」(蛇かな -- 花の中に蛇、ですか)

しっぽは、ぷらんと垂れたまま -- ちょっとつまんで、ぶらさげたくなった。でも、何だかわからないものね。可哀想かもしれないし、手ひどい反逆に逢うかも。

S先生が来てくれて、そうしたら、しっぽの反対側(=頭)が小手毬の上部にのぞいた。「カナヘビですよ」 

わ、可愛い。初めて見ました。ヘビと言うより、トカゲに近いそうです。

カナヘビ


写真、よく見てください。目はつぶらだし、耳(目から首にかけての辺りに、少し見える)は、丸くてよく聞こえそうだし、喉がかすかにぴくぴくして、様子をうかがっている。手(というか、前脚)には、ちゃんと繊細な、半透明の指が五本ついている。

驚いて、すぐ逃げるかと思ったら、ゆっくりと間近で姿を眺めさせてくれた。
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“空気”はどう変わる?

雑木林を抜ける大学までの道すがら、一匹の赤蜻蛉を見つけた。結構近くまで寄ってきてくれるので、しばらく赤蜻蛉と風と戯れて過ごした。

この夏の暑さは厳しかったですが、もう秋ですね。

昨日の夜は、大学で氣功の練習会があった。
「異種間コミュニケーション研究」のために、からだを使って感じる力や感受性を磨かなければと始めた氣功。それが今は、バードサンクチュアリ創立という大仕事とも、とてもつながっているように感じる。

氣功という修練で出会った仲間たちは、みなとっても尊敬できる人々だ。だからもちろん、サンクチュアリ創立の意味を温かに理解してくれるし、力強い支援をしてくれる(ありがとう)。
 そういう意味でも、つながっているのだが、氣功そのものにも、大きな関係があるような気がする。

氣功では、からだの内側やからだの外にある<氣>を感じたり、それを整えたり、他者のそれと交流したり、といった練習をする。
 それがどういうものかは、わたしには論じるのが難しすぎるので、ここではしない。ただ、体験すると「感じる」のだ -- それも時に激しく。そして、からだを通して自分や世界が変わったという印象をもつまでに。

それで、昨日のことだが、わたしは練習会の直前に、非常に攻撃性のある言葉をまともに受け取ってしまった -- 毒塗りナイフでぐさぐさ・・・という感じで。
 でも、めげないもんね。わたしは<本当に大切なこと>を見つめているんだから、それを守り通すんだもんね。そして、人は純粋に喜びを感じていれば、そんな攻撃にやられないんだからね。ふんばらなきゃ。
-- と、「愛や光でいっぱい」という気持ちで、練習場に入ったんだけど。

酷暑の疲れの出る時期で、みんなもぐったりとしていた。

「場」の空気ってわかりますか? 

たとえば、いつもの教室に入ると「あ、今日は何だか嫌な感じ」とか、友達の集まりの中に駆け込むと「何? この気まずい(ぴりぴりした)感じは?」とか -- 反対に、「今日は話が合っちゃって、合っちゃって、もう楽しくて、のっちゃって」というときもあるね。「う~ん、清々しい」とか「癒される」とかも。
 おんなじ場所でも、空気はその都度違い、全く別の空間があるようだ。そして、空間は、そこにいる間中、変化し続けている。

日常的感覚としてはすごく当たり前の話だが、これってどう研究すればいいんでしょ。

ともかく、「ぐったりとした空間」の中で、練習が始まった。
これが、日常生活だったら、まあ、そういうときは、雑巾がけをするなり、庭木に水をやるなりしていると、何となく”空気が綺麗になっていく”感じなんだけど、氣功の練習会はだめ。まわりの氣を感じる練習だから、自分も全面解放するとなると、下手すると「ぐったりを吸い込み、ぐったりの相乗効果で、さらにぐったり」になっちゃう。
 普段だったら「明るくて、清らかな、方向へ、行け!」とちょっとは空気を変えられるかもしれないんだけど、昨日はどうも無力。

(そうそうこれは、みんなの「雰囲気」の話ではありませんよ。みんな人柄は抜群に良くて、わたしより遥かに人徳者ばかりだから、人間関係の雰囲気はそれでもなごやかなんです)

そうしたら、からだの感覚に一等敏感かつ繊細なK先生が、がんばってくれたよ。ぐったりとお茶を飲んでいるみんなの輪を抜け出て、何故か「めっちゃ明るく」ふざけてダンスを踊りだしたの! 
 最初は、「何してんの?」と引いたが、今思うと、空気を明るくしてくれていたような気がする。

だって、(練習で疲れが取れてきたせいもあるけど)だんだん部屋が明るくなってきたのだ。これ、雰囲気の話ではなくて、何か照明のワット数が上がったように明るくなった実感があったのだ。

それから、みんなが交代で組になって<対氣>をした。対氣とは、二人で、氣の交流を練習することだ。それで、K先生と対氣するときに気付いたのだが、途中からわたしは、後頭部とか首とか、胸腺から胸にかけて、「ぎゅ~と締め付けられていたのが、フワ~と緩んで拡がっていく」という感覚がきた。
 本当に、ギブスで固められていたのが大きくぼろんとはがれた感じ。
 
そうしたら、自分の中に居るいじめられた小さな子どもが、急に楽しげな子どもになって自由になって笑い始めるイメージが出てきたんだ。

あれ、辛いことがあってもそんなのにはめげない、と一生懸命良いからだ、良いこころでいたつもりが、こんなに締め付けていたんだあ、と感じた。
 それからは急転直下、元気溌剌、爽やかパワーでみんなと対氣できたよ。頭で考え「言う」のではなく、体験として教えてくれた、K先生ありがとう。

思うに、人間のからだも、からだの周辺の空気も、何と言うか、詰まりや澱みがあって流れが悪かったり、バランスが悪かったりすると、皮膚の内側と外側はつながっていて、その外側は限りなく広がっているから、空気をどんどん変化させてしまうんではないか。悪い場合だけでなく、その人間が幸せや優しさ、あるいは清らかさで一杯の状態だったら、それも拡がっていくよね。

この”空気”のことを何と言っていいかわからないが。
でも、そのとき意識していることや、考え、想念、感情、その人の健康状態、その人が相手との関係でもっているパターンや柔軟性などと、総じて関係しているような気がする。

あんまり”研究として”示せそうにないが、でも、小鳥や樹木と対峙したとき、自分のかもし出す空気と相手からかもし出される空気とがうまく調和していければいいと思う -- 少なくとも、「邪気」のあるからだ・こころの状態で、小露鈴やgaeaちゃんの元に帰るのは、まずいまずい。

でね、飛躍するようですが、バード・サンクチュアリは、土地や場所というだけでなく、”空間”だと思う。そして、そこの”空気”を幸せや喜びで一杯にして、訪れる人も鳥も、みんなそれを感じるようになればいいな。
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鳥と自然を想う、どきどきのもう一歩

昨日、大きな包みが大学のわたし宛に届いたので、プレゼントかしら(←能天気)と希望に満ちて開けたら、

募金箱


何だか分かりますか? 

日本野鳥の会からでした。
答えは、「鳥と自然を守る」募金箱! 

そう言えば、日本野鳥の会に申し込んだんだった! 会では、人と野鳥の共存を目指し、野鳥保護区の購入、野鳥生息地を守る活動や調査、野鳥や自然を想う心を伝える普及活動のための募金活動の一環として、募金箱の設置を呼びかけている。これまでにも、病院や郵便局、店舗などに設置されて、成果をあげている。

募金ってちょっと難しい。自然を大切に想う方で、気持ちだけでも何かしたいという方と、その気持ちを反映させる活動とを、気持ちよく暖かく<橋渡し>できる募金活動はいいけれど ・・・ いかにも「お金、ありますか?」は、ちょっと言いにくいでしょう。というか、言えない。
 いつも、そう感じていたのだけれど -- でもね、この募金箱、なかなかデザインが良い。もしもこんな箱が、お店や郵便局や病院の窓口に置かれていたら、わたしだったら「あ、可愛い。こころの優しい人が、ここにはいるんだな」と思う。(募金する勇気があるかどうかは、別の話だけど)
 別にそれがねらいではないけれど、ちょっとだけ勇気を出して、仕事場に置いてみようか、と考えた。

でも、大学の研究室でもいいの? わたしの研究室を訪れてくれるのは、主に(気持ちはあっても)お金に窮していることの多い学生さんたち。それ以外にも多様な方がいらっしゃるけれど、皆忙しい方ばかりだからなあ。目に止まるかどうか。それに、狭い研究室で、わたしの目の前で、募金しづらいだろうし・・・
 うん。絶対お金は集まらないぞ。
 それではだめか、日本野鳥の会!

そうは言っても、この箱の「存在」が語ることには意味があるかもしれない。日本野鳥の会のパンフレットも自由に持っていけるようになっているし。
箱が全く無視されても、その存在が何か語りかけてくれるはず。

かつてわたしは、現代の環境破壊の現状や今後の地球のことを知れば知るほど、絶望や厭世観に押し潰されそうになった。

そんなとき、「もうお終いだ」じゃなくて、「そのために、やれることをする」と、わたしが勉強するよりずっと以前から、苦悩して、そこから立ち上がって、自分に出来ることをしてきた先輩方がいらっしゃることを知り、その存在に大きな勇気をもらった。

それでも、そこから具体的に何か出来るようになるまでには、時間がかかった。

何かやれれば、と思っても、普通の人が普段の生活の中で、その「何か」を見出せるようになるまでには、時間とエネルギーが要る。

それがよく分かっているから、「ま、募金箱を置くのもいいかも」ととりあえず、”もう一歩”を踏み出すことにしたのだった。

日本野鳥の会には、「大学の研究室で、本当に本当にいいんですか? これこれの状況だから ・・・ お金、集まらないかも。」と問い合わせのコメントを載せて、申込書を書いた。

でも、いきなり(← 勝手な言い草)届いちゃったよ~

箱を開けながら、やっぱり集まらないから、最終的には、ポケットマネーで全部間に合わせるのかな、と思いながら--。

いえいえ、置くことに意義があるんです。

どきどきのもう一歩です。

でも、アクリル製で、なかなかシックなデザインでしょ? 
本来は、上部に折々のメッセージを伝えるカードを立てます(まだ、届いてないの。http://www.wbsj.org/membership/index.htmlに例あり)。
この箱、<タンチョウのタマゴ原寸大>とあります(たて径10.5センチ×よこ径6.4センチ)。

気に入りましたよ。とりあえず、お金を入れて(← でもケチ、1004円)「はい、ポーズ」
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