hearing the unheard voices

小鳥たちと対話し、自然と人とが調和できるバード・サンクチュアリを創立しています。http://homepage2.nifty.com/birdsanctuary/index.html

聖地の歌 ~A Song of Holy Land~

日本野鳥の会の創始者、中西悟堂さんがインドの詩聖タゴールに贈った歌を読んで、とても感動しました・・・・

*****
A Song of Holy Land

A stream winds its way,
In the morning over the way.
A camphor three stands there,
With a profusion of hair.

Hark! a bird upon the bough sings,
Quite innocent and bright songs.
The intermittent songs of a rainbow-tinted life,
The isolated tendrils of honeysuckles' life.

Nearby the songs are sung with all its body,
And the earth that holds the grass-shoots tiny.
Amongst the bush, in the stream,
The drops of glory springs from the morn beam.

Behold, my brightens.

Since the Land was deserted by men,
A series of days was forgotten to them.
The bird of rainbow colour with a pure song,
Is waiting longingly for their returning.

Bloom my heart from within,
Protect the fervour of that life thin.
With morn and bearable power,
With beauty like a lotus here.

<日本語訳>

あすこに、朝の中で、川の流がおのづからうねるところに
沢山の葉をつけて立っている一本の楠。
その梢にて歌う小鳥の
無心な、明るい歌をきけ!

虹色の小さい生命(いのち)の、とぎれとぎれな歌、
全身で歌われるその歌のそばの
忍冬(すいかずら)のさむざむしい蔓と、
小さい草の芽を支える土地。

また、繁みにも
流の中にも
朝から生まれた光明の滴が
私の心の心が耀やくを見よ!

この一廊の地を人々が去ってから
永い年月が忘れられた。
そして虹色の小鳥は脆い歌で
彼等の帰るのを待ちわびている。

内からひらけ! 我が心よ!
朝と、堪える力と
この土地の蓮(はちす)のような美しさとで
あの小さい生命(いのち)の情熱を庇え。

*****

”バード・サンクチュアリ”ってどんな空間だ? と思索を重ねながらきた日々、この詩に、久しぶりに胸が熱くなるのを感じました。

小鳥たちの命のありように胸熱くなるその瞬間が、彼らの歌や飛翔のさまにこころ動かされる瞬間が、わたしにとっても何より大切です。

すべては、小鳥たちの命のありようへの愛から始まりました。
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あなたも動物と「会話」ができる! ~『動物のことば入門』~

 あなたも動物と「会話」ができる! 

そんな魅力的かつ大胆な呼びかけが、表表紙に付いている本がある。
ウルリッヒ・クレバー著『動物のことば入門』(どうぶつ社, 1995)だ。
何と、ドリトル先生の絵まで載っているよ。

 人と生き物との「橋わたし」をする本
 彼らと話をしたい、というのは私たち人間の、
 昔からの願いでした。
 そして、このことは決して夢物語ではなく、
 正しい手順をふめば、ある程度は可能となることなのです。

裏表紙では、“動物博士”で有名な増井光子氏のこんな言葉も載っている -- というわけで、手に取るしかないでしょう。

うたい文句やドリトル先生の絵、「ソロモンの指輪」という言葉に惹かれる人は多いと思う。だが、そこから、動物行動学研究によって明らかになった広範囲の事実を集めて、平易で簡明に「会話のしかた」の手ほどきをする本なんて、そんなにない。「異種間コミュニケーション」に着手した頃読んだのだが、今回(5、6年後)に再読してみて、改めてその困難を成し遂げたこの本のすごさに感銘した。

夢やファンタジーの世界と、ノーベル賞級の数々の研究成果を、やすやすと、正確に、橋渡ししている。

話題は多岐に渡っている。動物との「会話」や動物の「ことば」について簡明な解説がなされた後、動物で言えば鳥から、犬、猫、ハムスター・モルモット・ハツカネズミ、馬、アリ・ミツバチ・ガ・コオロギ、魚、イルカ、ジャッカル、ゾウ、チンパンジーまで、動物の研究者で言えばローレンツからジェーン・グドール、ガードナー夫妻まで、ともかくよくもこれだけ集まっている!
 動物の「ことば」を研究したり、動物と会話しようとする際の問題点や留意点の中でも、特に重要なものの根っこは押さえてある。

しかも、誰でも気軽に読めそうだよ。楽しくとっつきやすいイラストや写真がふんだんに載っている。そして、この本で動物やその言葉や、彼らと会話することに関心をもった読者が、さらに読み進めるための関連書物も挙げてあるし ・・・ 何と、自分で猫やら馬やらを“観察しよう!”と思ったら、<研究課題>のコーナーがあって、そのための手引きやヒントもあるんだよ!(注意深く観察して、いろいろ工夫を重ねてノートにつけてみよう!)

子どもたち(人間の)が、将来、“異種間コミュニケーター”や”異種間コミュニケーション研究家”になりたそうだったら、この本を手渡してあげて!

動物のことばやコミュニケーションのしかたを、わたしたち人間が「学ぶ」ことにより、わたしたちも、(そのことばやコミュニケーションのしかたの内、人間でも駆使できるところを、駆使できる範囲で)彼らの声をもっと聴き取り、彼らの語りかけることが出来るんだ、と再確認できた。
 そして、ローレンツの時代(20世紀初~)から、動物どうしがやりとりしている世界に体当たりで潜り込んでいって、計り知れないほど深くまで知ることが出来た、飛びっきり優秀な研究者たちがいたことを、改めて確認できた。

動物行動学の目覚しい展開の中で、「異種間コミュニケーション」に関連する話題と言えば、脳の発達した動物に人間の言語を”教える”という方向性、人間の能力を尺度として”動物がどれだけ能力があるかを測ろう”という方向性が、最近目に付いていた。だけどやっぱり、ローレンツのように、ハイイロガンと暮らして、ハイイロガンのお母さんに”なりきって”みるというように、動物の世界を体験して彼らから習うことは大切だ。
 科学としては、“擬人化”という過度の感情移入、人間中心の見方は避けなければいけないが、一方で、彼らの世界に深く入っていって、そのことば、コミュニケーションのやりかた、“生きる流儀”をどこまで感受できるかに、彼らを真に知ることができるかどうかがかかっている、という気がする。
 また、その際に、彼らの世界で人間としてどう振舞えばよいのかについて、コミュニケーションや対話、他者との関係の研究を活かしていけるのではないかと思っている。たとえば、”なりすます”だけ、”(人間側の)良いとこ取り”だけでは動物に対して不公平でしょう、という気がする(異文化研究なんかで、よく言われるよね)。彼らとの世界が開けた暁には、やっぱり人間と彼らとの関係をしっかり築いていく責任があるように思う。

当面の課題:
 人として、どこまで<鳥>になりきれるか?
 <鳥界>において生きるとき、人としてのあるべき姿は?

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静神社の近くで--

健康を回復された友人のお祝いの会に、那珂市瓜連町の静(しず)というところまで行ってきました。常磐高速道路、那珂インターで降りて、バードライン(!)という道路をまっすぐ、まっすぐ、深い山並みの中へと入っていきます。山奥の、お豆腐や湯葉、豆乳が専門の料亭での会食です。

山と山の間を抜けるように通るバードラインは、その名の通り、野鳥や野生動物が沢山棲んでいるに違いありません。ただ今回は、なにぶん道を探すのに必死で、そこでは野鳥たちに出逢うことができませんでした。それよりも、インターを降りてから間違えて入ってしまった高速道路わきの細い道に、ムクドリやスズメの群れ、モズなどがいて、必死に道路地図とにらめっこするわたしを慰めてくれました。

そんなわけで30分遅刻して辿り着いたのですが、友人とその妹さん、友人のそのまたご友人のヨガの先生は、温かく気さくに迎えてくださいました。池があり小川の流れる立派な日本庭園には、不思議な紫色のサフランが咲いていて、それが景色を半分異次元のように変えていました。そんな空間を眺めながら、お豆腐尽くしなのに、胡麻豆腐、天麩羅、煮物などなど、色んな種類のお料理が出てきました。実はベジタリアンのわたしのために、友人がこんな精進料理でもてなしてくれたのです。・・・おいしかった・・・

すっかり健康を取り戻して、友人の顔が虹色に輝いていたのが、何よりのご馳走でした。

食事の後、お豆腐や湯葉のお土産を売るお店をのぞいから、みんなで静神社に参拝に行きました。

駐車場に車をとめると、なにやら双眼鏡とプロミナーを構えた二人連れ。静神社と向かい合わせに広がっている大きな池を見ています。バードウォッチングかな? -- 気になって仕方ありません。ヨガの先生の車とはぐれて待つことになったのをいいことに、

「バードウォッチングですか?」

と声をかけ、一緒に池を眺めました。

池は、後で調べたのですが、静溜池という池でした。
 この二人は、カワセミを見ているとのことでした。向こう岸に、サギの真っ白な背中が見えます。どうやら丸まって眠っているようです。それ以上は、この遠さでは判別がつきません。しばらく目が慣れてくると、その脇に、ゴイサギも立っていることが分かりました。カワセミもその近くにいるようです。
 二人が、双眼鏡を貸してくれました。あ、確かに、瑠璃色の<点>が見える(遠いので、小さい!)

そのあたりで、はぐれたヨガの先生が戻っていらしたので、わたしたちは静神社へと向かいました。長い急な階段を上がり、うっそうとした山を上がっていきます。途中には、二人の人間が手をつなぎ合わせてもその円周には届きそうもないくらい、太い杉の木や松ノ木。羊歯や赤白の水引がその足元に生えています。聖なる空間にふさわしい草木ばかり・・・さすが。

降ったり止んだりの天気も手伝って、白い霧が出てきました。何が出てきても ・・・ 落ち武者なんかがぬっと現れても ・・・ 不思議ではないくらい、幻想的な山道です。

それでも無事に境内まで辿り着き、静かに穏やかに参拝しました。

以前、北茨城の花園神社に参拝したときは、キーンと張り詰めていると言っていいくらいの鋭い浄化の空間が広がっていて、“穢れが根こそぎ削ぎ落とされる”ような感じが怖いくらいだったのですが、ここはとっても幽玄で、静かなふんわりとした空間です。ただ、霧のせいか、”この世感覚”があまりありません。

周辺には、<人が手をつないで5人以上>でないと囲めないような、大きく太いご神木が数本ありました。ごつごつした節やこぶのある大木、今は枯れ木だが昔周囲を千回まわり願かけをしたという杉、緑の細長い葉を羽のようになびかせている槙の木・・・。近づきやすそうな木も、そうでない木も、うんと優しい感じのする木も、気持ちが潤ってくるような木も、ありました。
 ナイショですが、そのうちの“目と目が合った”感じの木には、抱きついてきました。

神社の裏手の山道をさらに入ったところにある、足腰や関節を守ってくださる神様がいらっしゃるという神社も、お参りしました。(大地にグラウンディングできますように・・・)

帰り道は、霧がさらに出てきて、やっぱり不思議な空間です。ひときわ明るい友人と一緒でないと、不思議なほうへ、不思議なほうへ、行ってしまいそうです。

でも、大丈夫でした。駐車場には、先ほどのバードウォッチングの二人連れがいました。カワセミの瑠璃色の背中を撮った写真を見せてもらいました。二人は、溜池の反対側で観察してきたのです。龍宮上から戻ってくるようなことはなく、ちゃんと白鷺もゴイサギも元どおり、じっとしていました。(水面に、カルガモやカイツブリが一杯降りていました)


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雑木林とたき火

急に、というほどでもないですが、じわじわと職場の他の仕事が忙しくなってしまい、毎日へとへとで帰る状態になってしまいました。そんなわけで、hearing the unheared voicesの方の仕事が抜けてしまい、済みません。

それでも、お休みの日に、再び八郷のS先生の雑木林に行ってきました。

ここのところ、木の伐採やら下草刈りやらの修行で伺うことが多かったのですが、「まあ、たまには自然観察中心に・・・」とお声をかけていただきました。どうやら仕事でへとへとの状態を見抜かれてしまって、休息とこころの癒しのために雑木林にお誘いいただいたようです。

休息とこころの癒し ・・・ うん、それこそ、樹木や野草、鳥たち、そして木漏れ日や清水や土の感触が与えてくれるエネルギーは、何よりですね。
 こちらは、時間やら肉体やら気力やらの余裕さえあれば、彼らに何かを返したい、と願っています。でも、現実に、ほんのちっぽけなことでも返せるか返せないかにはお構いなく、彼らは無尽蔵に分け与えてくれます。それは、エネルギーだけでなく、優しさや静けさ、穏やかさ、感受性の潤っていくとき、いろんな気付きであったりします。

静かに、落ち着いて、ゆっくりと雑木林の中を歩くと、何だろう、時間のたつごとに、”本来の自分に戻っていく”ような気がします。

そうそう、今回のお誘いは、それで「<アイコチャマ>を見に来てください」でした。ん??? <アイコチャマ>ってなんでしょう? 
 サクラタデの花でした。
 タデ科の仲間で、すっと伸びた細い茎に、薄紫と薄桃色の間のような淡く可愛い色の小花をぽつりぽつりとつけます。ちょうど、おなじみのネジバナをもう少しすらりと大きくして、もう少し”ひっそりはかない”風情にしたような感じです。野に咲く花でなければ恵まれていないような、可憐さ、気品があります。
 この花を、S先生ご夫妻は、もう少し幼かった頃の<愛子さま>になぞらえていらしたのでした。

この時期のS先生の雑木林は、一見緑で覆われているようですが、目が慣れてくると、驚くほど色も彩かな姿をしていました。野に咲く様々な色の花々 -- 園芸種と違って、地味で小さいのですが、近寄ってよくよく見つめると薄紫や薄青や白やクリーム色や、とても美しい色と姿をしています。そして、同じように色も彩かな木の実、草の実。ブルーベリーのシーズンは終わったのですが、これと似てより野趣に富む、ナツハゼの実が房状に垂れ下がって実をつけていました。緑の実が青くなり、しだいに黒く熟していって、すっぱく甘い味になります。ルリビタキ、ジョウビタキの好むムラサキシキブ。ツルウメモドキ、ヤマボウシの実。その他色々。

今回は、その他にも楽しいことを創っていただきました。

お誘いいただいたお電話で、雑木林散策をさせていただくことにして、「う~ん、それから・・・」としばし考えていらしたS先生。「ヤキイモ、なんか好きですか?」--「え?」ときょとんとしたわたし。
 雑木林では、たき火は危ないのですが、S先生のお家の前庭で、たき火をしてヤキイモを創ることになったのでした。(このアイデア、飛びついたことは言うまでもありません)

雑木林は、枯葉がふかふかに重なって、それが次第に土となっていったような状態の場合、土の上にたき火をしたとき、思わぬところに発火したりして、大変危険なのだそうです。

そこで、しっかりと踏み固めた土の上で、不要となった古い竹材や枯れ枝、枯葉でたき火を始めました。最初に、古い竹材をうわーっと燃やして、大きな火を作り、それから何と、剪定したばかりのクスノキの枝を燃やしました。クスノキ特有の、とても良い香りが立ちのぼりました。
 それから、たき火を徐々におき火にしていって、やわらかくぱちぱちはぜる炭火の中に、サツマイモを入れて--。

しかし、熱い熱い。
雑木林の近くで、大きな火を眺めていると、不思議に懐かしい気持ちになります。

雑木林には、土も、水も、風も、木も、あります。しかし、<火>はありません。

<火>は、人間が使ってきたものなのだなあ、と雑木林の近くで実感しました。むかしから、自然と人間とがもっと別のあり方をした頃から、人間がいて、<火>があったのだと。

ヤキイモは格別に美味しく、午後には雑木林にヤマグリが落ちているのを見かけたので、S先生に、「これでヤキグリなんて出来ないですかね?」と訪ねると、S先生も初めてでしたが、即興で今度はヤキグリ創りもやってしまいました。

消えかけたたき火に枯葉をくべ、そこにある道具でやりくりしながら、小さなヤマグリが破裂してしまわないように沢山の工夫をしてヤキグリ創りしてくださるS先生を見ていて、またまた懐かしい人間の姿を見たような気がしてしまいました。

結果は? 初めてでしたが、本当に美味な焼き加減に仕上がりました!
秋の庭(重野さん)

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