hearing the unheard voices

小鳥たちと対話し、自然と人とが調和できるバード・サンクチュアリを創立しています。http://homepage2.nifty.com/birdsanctuary/index.html

ice blue crystal

バードサンクチュアリ候補地のことについて、昨夜、不動産屋から電話を戴いた。候補地となっている山林の代替地として見当をつけていたところの持ち主の方が、ようやく「売っても良い」とご承諾下さって、元の山林の地主さんもその代替地でよいと承諾下さったそうだ。

そうなると、候補地の残りの土地 -- こちらは農地で、別の方が所有されている -- の交渉を即急に進めて、もし大丈夫なら、両方とも契約にこぎつけそうだ。話は、良い方向に向かっているので ・・・ とのことだった。

そして今日、農地の地主さんも -- 一度は代替地を希望されていたのだが -- 売っても良いとご承諾下さった、と電話。

一気に、契約だとか日取りだとか手付金だとか、の話まで進んでしまった。(未だ、ポケーッという感じ ・・・ そうは言っていられないのだが。しっかりせねば)

カリン!
とからだの芯のほうで静かな硬質の音がした。 

薄青い、透明の流氷のような水晶が、からだの奥に観えた。

そう言えば、これまでわたしの内側には、砂や泥や水の流れや、色々な綾なす光や木漏れ日や緑苔の匂いや感触、生命の樹の枝葉の緑やさざめき、そして無数の鳥たちや翼や鳴き声などが観えたけど -- いつの間にかこんな水晶も育まれていたのか。

少なくとも大変なことが多くあり、迷ったり失敗したりぐったりしたり後戻りしたりもあるかもしれない。今にもぐらつきそうなのかもしれない。もしかするとまた、全然だめな状態になってしまうかもしれない。「絶望」と思うこともあるかもしれない。心配じゃないなんてことは、怖くないなんてことは -- 絶対 -- ありえない。がんばれなかったり、勇気がなくて逃げ道を探したり、間違えた方向に行って一生後悔するなんてことも -- 「ない」なんて絶対言わない。

でも、今は澄んで静かな気持ちだ。

キビタキ幼鳥
(K氏撮影。キビタキ幼鳥)

小鳥は、軽やかで繊細で、本当に可愛いです。人間のした実にささいなことが要因でその命はなくなってしまいますが、一方で、太陽の下や森の奥深くで朗らかな歌をうたい、小さな身一つで空をどこまでも遠く飛んでいきます。樹木は、長い長い年月を静かに豊かに紡ぎ、そばにいるだけで人間を静寂や平穏で包んでくれます。風のそよぎに合わせて葉はうたい、根は水を護り、枝々は小鳥たちに隠れるところや眠るところを与えてくれます。人間がこころないやり方で枝や幹を切ってしまうときでさえ、樹木が恨みがましい様子を見せるのを、わたしは見たことがありません。どんなことをしても、人間は樹木に愛されていると感じます。
 小鳥や、樹木と、日々語り合い、共に生きていくことができれば、どんなに嬉しく、幸せでしょう。
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鳩サブレ

このところ、鎌倉土産に家族が買ってきてくれた鳩サブレをめぐって、小露鈴とGaeaちゃんと大騒ぎ。(わたしはベジタリアンなので、とり肉は食べないけれど、鳩サブレは大好き -- ちなみに、鯛も食べないけれど、タイヤキは大大好き!)

文鳥さんに人間の食べるお菓子などあげては絶対に、絶対に、いけない。だから、なるべくあげない(と言うか、奪われない)ようにしているけれど、彼らはまっしぐらに飛んでくる(たかってくる)。 

小露鈴は、わたしの食べものは自分の食べものだと思っているから、わたしと奪い合って食べようとする。人間と同じように -- サブレの鳩とは言え、さすがに鳩の頭の方からでなく、尾羽の方から -- さくっと食べると、同じようにさくっと嘴で食いついている。Gaeaちゃんは、しばらく前まで、人間の食べものを食べない《いい子》だったのだけれど、この頃は“人間の口の中にあるもの(!!)は食べられるものである”と認識したようで、美味しく食べている口元(!!)をつついてくる。

昼下がり、ティーカップを片手に、鎌倉土産のお茶菓子、鳩サブレを上品にいただく、優雅なティータイムは ・・・ 鳥さんたちにたかられて、サブレの破片がテーブルにも床にも限りなく広がり落ちていく、とっても落ち着かない時間となってしまった。

鳥さんたち、パンやお菓子を狙おうとするときは、その中のナッツや胡麻が狙いであって、普段なら、“小麦粉に由来する部分”は食べないんだよ。なのに、鳩サブレはなぜか好きらしい。君たちは、鳩なのか?!?(←鳩が食べるから鳩サブレなんじゃないってば)

鳩サブレ
(「鳩サブレー」の箱には、昔ながらの黄色いデザインのものだけでなく、こんなデザインのもあるみたい -- 昔は、缶に入っていたかな? 小露鈴は落ち着かない)
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秋の来訪者

熟しすぎた柿の実を、ベランダの鉢植えにそっと置いたら、ここ数日、朝方になると二羽のヒヨドリが、食べに訪れてくれるようになった。

ベランダのヒヨドリ


一日中自動車の行き交いの激しい大通りに面した、緑も少ない官舎の最上階(
七階)の小さなベランダなのに、飛んで飛んでやって来てくれて、

 ありがとう、ありがとう、ありがとう!

朝起きて、熱い紅茶など淹れていると、硝子一枚隔てたすぐそばにいる。こちらをちらちらと見て、警戒はするけれど、逃げはしない。

朝の時間が過ぎてベランダに出てみると、数日で、柿の実は種だけになっていた。種はベランダの大き目の鉢の土に戻した。

ここ数年で、実生(鳥さんの“落しもの”の種から芽生えたもの)の樹木が少しずつ増えてきた。柑橘系の木の苗、野茨の苗、何だか分からない木の苗 ・・・ 

いつの日か、こうやって、ベランダが森になればいい。『もののけ姫』に出てくる獣神(シシガミ)は、あちらこちらに緑を息吹かせる。それを見た村人は「シシガミって花咲かじじいだったんだ」ともらす。そんな感じで、あちこちのベランダから森が噴き出して、人間の住むところが緑の帯に包まれていって、”自然の翼下で暮らせる”ようになったら ・・・ いいな。空気も澄んで、鳥の歌声が響いて、樹々がすくすくと伸びて、歩くところはふかふかの落ち葉のじゅうたん。

(いや、夢です ・・・ それに、ご近所迷惑にならないよう気をつけます)

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藤袴

小露鈴とGaeaちゃんのごはん(雑穀や粟穂、ボレー粉、栄養補助材)を買いに行ったついでに立ち寄ったガーデン・センターで藤袴(フジバカマ)の花を見つけた。

フジバカマ(白)
(写真はフジバカマの園芸種。白いフジバカマ)

藤袴と言えば、秋の七草のひとつで、比較的背の高い草で、薄い赤紫の小さな花弁の集まりが、可憐で楚々として風に揺れている姿が浮かぶ。

しかし、この花は、七草のひとつだというのに、近年日本では絶滅の危機さえあるというのだ。

原因は、思わぬところにある。まずは、日本中各地で行われてきた河川の護岸工事 -- この花は、昔は何処にでもあった普通の河原、しかも時々増水して荒れるようなところに多く生息するらしい。そんな河原が、そう言えば、どこにも見つからなくなった。自分の近所の川が姿を変えてしまったのは、誰しもが目撃するが、その自分の近所の川で起こったことは、全国各地で起こっているらしい。
 もうひとつの原因は、最近良く耳にする帰化植物による在来種の危機 -- 大陸から渡ってきた生物が、もともと生息していた生物の生息域を奪い、その生物自体の存続を危うくするという話だ。この場合、ほんの僅かに残された河原に、昔から話題に上ってきたセイタカアワダチソウが進出したことが、同じキク科の藤袴を追いやることになったと言う。そう言えば、もとは湿地帯だったというわたしの住む官舎辺りでも、コンクリの隙間を縫って勢いづいているセイタカアワダチソウの群れ、群れ、群れ。もともとは、どんな植物や虫や野鳥たちがいたんだろうか。彼らはもう、いないんだろうか。時は秋で、今、セイタカアワダチソウが黄色い花を見事に綺麗につけて咲いているのが ・・・ ちょっと切なくなる。

もともとの野生種に、人間が作り出した園芸種が混ざってしまうことも問題になっているので(それにね、野生種だと熟せば毒が抜けるのに、園芸種で毒が抜けないまま色づく樹木の実を食べて、野鳥が死んでしまう可能性もあるんだよ)、ガーデン・センターで見つけた藤袴にも気持ちは複雑だったが ・・・ 何だか、藤袴の儚げな魂から囁きかけられたような気がして、連れ帰ってしまった。青紫の花のと、白い花のと、二つの苗。

大切にしよう。
フジバカマ(青紫)
(園芸種の青紫のフジバカマ)

こころの奥深いところで、ずっと大切にしてきた命たちが、吹き消えていなくなってしまうなんて嫌だ。
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水浴びモード

文鳥さんは水浴びが好き。

でも、個人個人(個鳥個鳥?)によって好き好きは様々らしい。

6年間にわたり、絶対に水を浴びなかった文鳥さんの話を読んだことがある。一方、家に来てくれた頃のGaeaちゃんは、夏になって一日八回水浴びするという記録を打ち立てた。その頃は、手乗りではなく”荒鳥”(かごの外に出たり人のからだに接触することに慣れていない鳥さん)だったので、水浴びくらいしか”仕事がなかった”からなのか。

シャワーを浴びる夏(7月6日ブログ)が過ぎて、ここのところ小露鈴は、毎日お昼頃になって水浴び用の器をかごに入れると、すぐに水に入って身を綺麗にする。忙しくてお昼に帰れないときは、容器を入れて出かけると、必ず水浴びをしてある。毎日一回のきちんとした水浴び、それも人間の都合が許す限り、決まった時間帯である。水と小露鈴との関係には、とってもかっきりしたパターンがあるように思える。

ノーベル賞を受賞したコンラッド・ローレンツによると、空を飛ぶ鳥にわたしたちは「自由」というイメージをもつことが多いが、実際には、鳥が習慣に縛られている面が多く見つかるという。日々の行動 -- 例えば、ローレンツが半同居していたガンやコクマルガラスの通る道や帰宅時の飛行には、細かなところまでも規則があり、それが変わるとうまく対応できないこともあった。

また、実際に鳥さんと暮らしてみて、「良い共生のしかた」について勉強する日々を送ると、鳥さんは変化を好まず、”いつも通り”のパターンでないと申し訳ない、と感じることがままある。(寝起きや食事もそうだし、人間の留守や帰宅のパターンとか、かごから出るときの合図とか戻るときの説得の仕方とか、二羽の小鳥に”えこひいき”しない挨拶や遊びのやり方とか ・・・ 一緒に暮らすと、鳥さんは本当に一生懸命、人間の行動を観察していて、それに合わせてくれていて、だからいつも人間の行動を予期して期待して行動してくれている。それをずらすと、裏切ったような気がして、胸がきゅんとするくらい)(変化を好まない一方で、’好奇心いっぱい!’という側面もあるのだが)。

一般的に言っても、几帳面なのか、条件や習慣の影響力を強く受けるのか、鳥類の生活はとても規則正しいように感じられる。

しかし、小露鈴に比べて -- Gaeaちゃんは二、三日に一回、まったく不規則に水浴びをするようになった。

いつ水浴びするかは、全く予測がつかない。朝、「起きるよ」と鳴き声の合図や歌があって、かごにかけておいたタオルをとって、ご飯やお水を替えると、すぐさま水浴びすることがある。一方、夜になって、しかもほんとにほんとに寝る前という時になって、いきなり水浴びが始まることもある。(そして、二日以上入らないときもあるんだよ~)

以前は、小露鈴が水浴びするとすぐにそれに倣って水浴びする「マネッコ」だったのにね。それから、何となく午後3時辺りに水浴びするパターンらしきものがあったときもあったのにね。

講演会で遅くなった土曜日、鳥さんのことを心配しながら慌てて家に帰った。彼らにとってはとっくに「就寝」の時間だったので、暗くなった部屋ですでに寝ていたようだ。ごめんね、と急いでかごを掃除した。Gaeaちゃんのかごは結構大きいんだけれど、一日たつとかごの下の敷き紙が随分汚れるので、いつも寝る前取り替えるのだ。(取り替える間は、ちょこんと止まって眠そうにして待っていてくれる -- それがすごく可愛い)。

お部屋(=かごのこと)がすっかり綺麗になって、さあ、寝ようね、というとき -- 中に入ったとたん、Gaeaちゃん -- 水浴びを始めちゃった!

な、何? そのまま眠ってしまいそうだったのに、水がいきなり何らかの強い誘引力を発したのだろうか。Gaeaちゃん、それに、今まで一日(人間が留守にして)ヒマさせちゃっていたはずなんだから、その間に水浴びする時間はいくらでもあったでしょ? その間は水浴びしないで、何故、何故、こんなに夜遅く、こんな眠っていたのを中断した時点で、こんなにお部屋を綺麗にしたすぐ後で、水浴びしちゃうの? (人間が、掃除したばかりの部屋がまた水でびしょびしょになってしまったことの文句を言っているのでは断じて ・・・  多分、ない ・・・ と思うけど)

文鳥さんは、水浴びモードにどのように入るのか。小露鈴では気心が知れているようなことも、う~ん、Gaeaちゃんではつかめない。男の子(雄の鳥)って、そのときの気分によってしか、身奇麗にしないの? 

水浴び後のGaeaちゃん
(「だって、入りたくなっちゃったんだも~~ん」、、、なのでしょうか。水浴び後のGaeaちゃん。円らな目をして ・・・ やや眠そう)
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Bird Plaza

日本野鳥の会の本部には、バードプラザ(Bird Plaza)というショップもあるんだよ。売っているのは、正に、鳥・鳥・鳥・・・の関連商品! 

http://www.wbsj.org/birdshop/index.htmlバードプラザ1
(素敵な店構えです。小さな展示会もやってました。鳥に関する本の小さな文庫があり、鳥・自然保護関連の資料なども置いてあります)

バードウォッチングのための双眼鏡や望遠鏡から、国内・海外の野鳥図鑑のみならず鳥さんに関する調査研究資料、すっごく美しい写真集、エッセイ、文学、絵本、まんが、などなどの書籍が豊富です(それが一番興奮しちゃいます!!)。そして、鳥の模様やロゴ入りの様々なグッズ(バッチ、ブローチ、ネクタイ、ネクタイピン、などのお洒落用品から、絵葉書、時計、タオルやマット、陶磁器まであるよ!) そして、バード・フレンドリーな(いろんな国のいろんな鳥たちが成育する環境を守って作られた製品ということ)グッズ -- 木工品、お茶や珈琲、ドライフルーツなど -- がずらり。

Bird Plaza (鳥広場?)って、ほんとだな~

遠いし、夢中になりすぎちゃうし、どれも嬉しいものばかりすぎて(?!)福沢さんとサヨナラ(=・・・くらいお金使うってこと)する可能性大だから、なかなか行けないんだけれど、今回はちょっと”決意を新たにする”というか”志(こころざし)の高揚”のために行って来ました。

バードサンクチュアリの展開はなかなか進まないんだけれど、できることはあるはずだ -- と、思ううちに、温めていたけれど自信が無かったこと(時間が無いとか、仕事のこととかで、いろいろ言い訳いっていたこと)について、真実やる価値があり、自分にできそうで、実現すれば嬉しくて、何をおいても我が道を行くと考えれば GO!なのではないかと感じられてきて ・・・ ここに来て、感じて、確かめたくて、来ました。

実際には、びっしりと並んだいろんな書籍を見て、時間を過ごしたんだけれど ・・・ 昔から、図書館とか、本屋さんに行って、はっきりした目的を決めずに本を手にとって開いて、中にあるものと語り合っていると、悩んでいたことが解きほぐされてきたり、インスピレーションが訪れてくれたり、アイデアが形になってくれたり、気持ちが癒されたりします。不思議ですが、何かいい刺激があるみたいです。

さらに Bird Plaza には、自然観察であろうと鳥類学であろうと写真であろうと文系であろうと、鳥と付き合ったり、鳥を助けるためにがんばっている人々の”オーラ(aura)”が何か漂っていて -- 気合入るじゃん。

結局は、福沢さんとサヨウナラしてしまったけれど(涙・・)、胸がきゅんとなるような翡翠(カワセミ)の写真集や、アメリカ自然保護の草分け、Whooping Graneの絶滅危機とそこから救おうと働いた人々の姿をぐいぐいと「読ませる!」マックナルティの動物文学『復活』(どうぶつ社)、公園の雀との身近なふれあいを描いた児童文学『すずめが手に乗った』などと出会って、「う~ん」と唸ったけれど(値段を見て)、その他《ちょっとずつ色々と》(← これがまた合計すると恐ろしい)手に入れて、かばんを重たくして帰ってきました。気力は充実(しばらく節約料理ばかり作らなけりゃならないけど)。

鳥の笛
(フェアトレード商品のところに置いてあった鳥の笛です。なかなか可愛い顔をしています -- でも、未だうまく鳴らせない)

こころを澄ませて、できることをしよう! どこで、どんな状況下にあっても、身近に鳥や樹々はいてくれるから、彼らと無心に対話することが基本です。静かで、優しい気持ちで入ることも基本です。その基本に立って、Bird Plazaに行ってこころを決めてきたこと、鳥や木を助ける何かができれば -- そんなに嬉しいことは無い。

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バードプラザは、京王線初台駅(新宿から一駅)でおりて、甲州街道沿いすぐのところにあります。鳥の好きな方は、是非一度!!

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サンクチュアリのことについて -- いっしょに太極拳をしてくださるSさん、キラキラの感性と繊細さをもつ研究室卒業生のMさん、思いやりと深いところからの言葉をありがとうございました・・・ 




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黄鶺鴒の使者

空気の澄んだ秋日和に、笠間まで行って来た。

木漏れ日1


不動産屋さんのKさんと落ち合って、見つけてくださった代替地をまず見学 -- 下草のはびこる山の斜面を木の枝につかまりながら登り、土地の感覚をつかむ。ここ自体、サンクチュアリになりそうな場所とも言えるが、杉や檜が植林されており、かつて公団住宅が建つ計画もあったため、地価は高そうだ。

その後、「候補地も見てみますか」と尋ねてくださったので、是非にとお願いして出かけた。春から、”手に入らないかもしれない”という思いや、車で乗り付けて、地元の農作業をされている方々の邪魔をしたり刺激をしたりしてはいけないのでは、という思いに刈られて、何度も訪れたいと思っては二の足を踏んでいたのだ。

田んぼ水抜き


途中の田では、稲刈りが終わったばかり。明るい陽だまりに穂が並べられ干されている。田んぼは、水抜きがされたばかりだ。残っている水溜りに、黄色い鳥と白い鳥・・・  

Kさんの軽トラが近付くと、チチン、チチン、チチン、と鳴きながら、弾むように飛んでいった。

黄鶺鴒(キセキレイ)と白鶺鴒(ハクセキレイ)だ!

昨年末、この候補地にこころを決めて、神社に土地の神さまへのご挨拶に行ったとき、“お使い”のように現れた黄鶺鴒。また出迎えてくれるなんて、感慨深い。

澄んだ空気の中、林の中ではギューイ、ギューイとモズも高鳴きをしている。

あとは風の音、虫の声、たまに農作業の機械や車の音がするだけ。
-- 本当に、それだけの音しかしない、あとは静けさだけだということが、人の耳やこころにどれほど優しいことなのか、来るたびに実感する。

*******

土地の交渉のことでKさんに説明を受けた。状況の新しい展開もあった。また、現地に行くまでの間に、地主さんのお一人と偶然お会いして、ご挨拶することにもなった。

Kさんは一歩一歩交渉を進めていてくださる。一方、新たな問題も表れたりでまだ先は見えない。予算の折り合いをつけるということが、畳の目から針を探すような感じではないかと思える側面もある。さらに、地主さんのお一人とお目にかかって、彼とKさんが話しているのを聞く内、この静かな谷津田がそのまま残っていくのなら、何もよそ者が入り込まなくてもいいのではないか、家を建てる、道を造る、をして、かえって自然や静かな暮らしを乱す結果になってしまうのではないかという心配が、またぶり返してきた。

この地にサンクチュアリ(聖地)を創っていけるのか。
今わたしがしようとしていることは、真実正しいことなのか。

秋の冷たい風が漂う谷津田で、こころが揺らいでいる。

「自然への、命への、溢れる愛を形にしていくんだ」「小鳥が安心して暮らせるサンクチュアリを創るんだ」という、春までの、あの揺ぎ無い決意に、何も大きな変化があったわけではない -- 変わらずに、それが、それだけがわたしの中にあるはずなのに。

晴朗な視界の中、真っ直ぐな道が開けていて、ただひたすらに歩んでいく --

そんな未来に疑いすら懐かなかったのに、今日これだけは分かった: 多分この先、こうやって迷いながら、心配しながら、時に失敗や後悔もしながら、歩いていくということなのだろう。土地が手に入っても、入らなくても、自然や命たちに対して、「何かできることがあれば」と、「今はこれしかできない」と、歩みを続けていくのだろう。後悔したくない、と念じながらも、後悔することも沢山あるかもしれない。

カワセミ
 (カワセミ K氏撮影)


この地にサンクチュアリ(聖地)を創っていけるのか。
今わたしがしようとしていることは、真実正しいことなのか。

しばらくは、一人で静かに瞑想したり、秋風に吹かれて歩いていよう。からだも、こころも、伸びやかに、生き生きとすれば、もう少し何かつかめるかもしれないから。


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秋水 2

人生で最も辛い夏 ・・・ だった、かな? 
でも、長いトンネルを抜けると、目に見えない沢山の実りがあったような、そんな面もあって-- 

秋のスイッチが本格的に入った途端、周囲の空気も、自分の感覚や感性も、みんな変化した。

ススキ


秋雨の振る今朝、笠間の不動産屋さんKさんから電話があった。

候補地にある雑木林の地主さんが希望されている代替地を当たってくださっていたのだが、三人ほど当たって、そのうちの一人が協力的になってくださっているという ・・・ また急遽、笠間に出向くことになった。

とにかく感謝 ・・・ 秋まで「待つ」ことになって、Kさんが奮闘してくださっているのに感謝しつつも、その時間はわたしにとってあまりにも長かった。(Kさんの方が大変なのに、Kさんゴメンナサイ)

予算よりもかなり費用がかかりそう、と分かった春の時点で、「そんな交渉すぐ止めなさい」「無理するのはいけない」と支援してくださってきた多くの方に心配を戴いた。確かに、予算オーバーでは現実的に候補地入手はできないし、それを無理しようとすると、その後に展開したい活動に響くことになる。第一、自分の収入の現状や体力・気力の余地を想うと、予算以上の無理をすることはできない。その上、サンクチュアリ・プロジェクトにご寄付や支援を戴いている方々に対しても、浄財を余計な形で使うことは自分で自分に許せない。Kさんを信頼する気持ちが曇ることはなくても、こうした不動産購入は初めての経験で、数人の地主の方との交渉で次第に費用が嵩んでいくことになるという心配はぬぐえなかった。「待つ」だけではなくて、何か行動したい、行動しなければ-- という焦りもあった。

しかしあるとき、気持ちの揺らぎを家族に電話で告げた途端、家の中で最も大きい〝植物の神さまみたいな〟水晶が、がたんと大きな音を立てて倒れた -- そんなことは初めてだった。その水晶の足元には、候補地を初めて訪れたとき、どうしてもこころ惹かれて、その地から預かって連れ帰ってきてしまった石が置いてあった。気持ちの揺らぎを愚痴にしている自分に向かって、何か、びくっとするものが来た。

石たちを流水で清めて、やっとこころが落ち着いた。澄んだ水のように淡々と落ち着いてまっすぐに流れていけば、行き着けるところがある。

「待つ」結果、候補地が手に入らないことになっても、そのときは、次を探す。どこかこころに染む場所が見つかったなら、そこに仮住居を探してどんどん探していくのもいい。候補地が(多少の予算オーバーで)手に入りそうでも、きちんと居住まいを正して、自分にできることを曲げないように、さらに交渉を続けていこう。自分の希求は、いずれかの形をとって、誕生する。

最近再びそう感じられる(というか「そう信じよう」という)ようになって、今朝、電話を戴いた -- 澄んだ水流が、一瞬、暗い森を突き抜けて差し掛かる、陽光の色を帯びた -- 「うまくいくかも!」という想いではないが、「また、この先に行くための道がある」、そのための光だ。瞬時にして、からだも気力も充実した。

笠間の石

  (笠間の土地からお預かりしている石。ハート型をしている)
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