hearing the unheard voices

小鳥たちと対話し、自然と人とが調和できるバード・サンクチュアリを創立しています。http://homepage2.nifty.com/birdsanctuary/index.html

また逢えた!

職場の書籍部に寄った帰り、カーディガンを羽織っただけだったので寒風に身を縮めて急ぎ足で歩いていて、ふと懐かしい声を聴いた。

 キュルルルッ キュルルルッ

切ないような、どこか物悲しい、でも甘い声。キャンパスにある人口池の上に張り巡らされたロープの上に、小さな鳥影が見えた。薄いけれど明るい橙色だ。最初、ジョウビタキかと思ったが鳴き声が違うし、「風の吹き曝すこんな場所に?」と気になって足を止めた。

 キュルルルッ キョロロ

あ!! 鳥が向きを変えたとき鮮やかなコバルトブルーが見えた。
翡翠(カワセミ)だ・・・

冷たい風でブルンブルンと揺れているロープの上に、頑張って足でつかまってバランスを取っている。翡翠といえば池の端に立っている木の枝の上や、杭の上や太い草などに止まっている姿しか知らない。こうやって強く冷たい風の揺さぶるロープの上で踏ん張っているから、ジョウビタキと見間違うような姿勢になっているんだ。

驚いているなか、再び

 キョロロロロ

と声がしたかと思うと、魚を求めて、彼は迷うことなくまっすぐ池の中に飛び込んだ。水の音がして -- しばらくしてもそれきりだ。

あまりにも長い間だったので、不安になって池の縁に近付く。そのとき

 キュルルルルル

美しい光沢のあるブルーの背中が、またロープの上に現れた。

ああ、翡翠 ・・・ 自転車を止める音がして振り向くと、研究室の学生さんだったので、「しいっ」という合図をして「翡翠だよ」「あ、いるんですね!」と一緒に眺めることになる。が、私たちに気付いたのか、彼は背中を煌めかせながら池の向こう側の木の枝まで飛んでいった。「どこどこ?」としばらくバードウォッチング。

 ・・・・・

また逢えたね。

もう15年前になるが、最初にこの職場に通い始めた頃から、この池には翡翠が訪れてきてくれていた。キャンパスを歩きながら、美しいブルーの彼に挨拶することが、日々のわたしのささやかだが豊かな楽しみとなり、日課となった。ある年は、二羽で訪れてくれて、決まった時間に現れるので、池の向こう側の小山の奥の辺りで子育てをしているのだろうと思い、抜き足差し足、ひそやかな期待と喜びをもって過ごした。

だがある日、池の向こう側の小山と池の間にはコンクリの“回遊路”が作られ、小山は“綺麗に”整備された刈り取られた芝となった。

それから二羽では、君達は現れなくなったんだ。

そして三年前のある日、池の水面中にロープが張り巡らされた。池の魚を食べに来るアオサギなどを撃退するためらしい。昔からキャンパスを知る同僚の一人は、ぽつんと「先生(わたしのこと)みたいに鳥・鳥って思わないけど、でもちょっとやりすぎじゃないの?」。-- 確かに、魚にも命があるし、無制限に食べ尽くされるのは困る、というのは分かるのだけれど、そのロープは水を飲みに来るスズメやウグイスなどの身近な小鳥たちや、水面を飛ぶ燕や蜻蛉、その水を頼りにしていた生きもの達全てを追いやってしまった。しかも、薄暗くなるとロープが見えなくなりそうで、誤ってロープに引っかかってしまう生きもの達が出てきたらどうしよう、とわたしは心配でたまらなくなり、毎日ハサミを携えて、池の周囲をパトロールした。

-- ハサミ? そう、もしも誰かが絡まっていたなら、そのときは(始末書、いや、退職覚悟で)「水の中ジャブジャブわたってって、助けるぞ~」



それから君はいなくなってしまったんだ、翡翠。

それまで数多くの学生さんたちや同僚達が「先生、あの、池のそばの木の上にいる、すっごく綺麗な青い鳥は何なの?」「あそこに翡翠いるの、知ってた?」「池のそばに綺麗な鳥がいるから、写真とってみましたよ」「あ、わたしも見ました」「今日もいてね、結構近くで挨拶できましたよ」と、君と逢えた喜びをわたしにも報告してくれた。君は魚をとる習性を持って生まれ、池の魚を食べなければここでは生きられないけれど、わたしが勤めるずっと前、昔からここにいてくれた。君と逢えた喜びは、池の端に棲むブルーの鳥の存在は、わたしが論文に書くことも出来ないし、職場の管理側の偉い人たちを説得する根拠とはならないけれど、目を留める人たちの心の琴線に、優しく触れるものだったんだ。

君がいなくなってから、職場でのわたしのこころには、また一つ氷の塊のようなものが増えたけれど、でも君はまた「少しでもできることからする」勇気をくれたような気がする。

張り巡らされたロープに、ゆらゆら揺れながらも頑張ってつかまり、ロープの間を引っかからずに潜り抜けて、水に潜って魚を探した。

そうやって、頑張って、生きていく。

また逢えたね。

翡翠KUN

 (カワセミ K氏撮影)
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鈴なり桑 -2-

昨年11月12日ブログでご紹介した鈴なり桑は、長いこと白い繊細な花をつけていたが、今はこの通り!

鈴なり桑2


部屋の中で冬を越すので、お日様に当てたり、温度や湿度に気をつけたりして、今はこんなに可愛い紅い実をつけてくれているよ。

この紅い実はしばらくすると黒紫色になる。その頃になると、そっと指で触れるとほろっと落ちちゃうので、写真には無い。

落ちた実は--? もちろん、お口へポイッ! 

ありがとう、桑の味だ。(←もしも~し、小鳥さんにあげるんじゃなかったの? 「サンクチュアリの地に植えたら、大きく育つからね、そのときは桑の木さん、小鳥さんに沢山の実をあげてね」)
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奇稲田姫 -3-

新年早々だが、今春からお借りすることとなった笠間稲田の家まで出かけた。

仮住まいをさせていただくにあたっての内装の費用が思ったよりかかることとか、家の前の空地が使えないかも知れず、細い道を抜けて急斜面を駆け上る形で家に駐車するのが無理そうかも、などと、年末ぎりぎりまで色々なことが持ち上がった。やっぱり駄目かな~という瞬間もあったのだが、大家さんになっていただく方にひとかたならぬご厚意を頂き、一つ一つの課題を具体的・現実的にクリアーにしていくために頑張る!という決意で新年を迎えたのだ。

仮住まいの家は、あくまでもベースキャンプで、そこを拠点 my bird sanctuary の地を見つけてその森を育てたい。できるだけ早くその夢を実現したいが、同時に、今回こそは確実に、その夢にぴったりの場所であることをじっくりと見極めて行動していこうと思う -- 土地を求め木を植え小鳥の飛来する森を育て、こころある方々には訪ね来て頂き、自然と人との調和ある暮らし、小鳥や樹木と人とが対話できるような空間が実現できるためには -- 自分の力で無理なく暮らせ、調和の空間が周囲に広がるような土地探し、買い取ることで地球の緑化に大きくプラスになるような土地購入が理想だ。そのためにどれだけの時間がかかるか分からない(ものすごいスピードで進むかもしれないし、まだまだじっくり修行を積まねばならないのかも)。その間、同時に、信じられないご厚意の連鎖でご縁に恵まれた稲田の家で、山暮らしとまでは行かないまでも、山里の暮らしの実践力をうんとつけてみたい。つくばに職を持ちつつ週末の時間しか充てられない自分の力の現実的な限界も、知る必要がある。

笠間まで、高速道路を使って往復することも多くなろうかと(元はあまり支持していなかった)ETCも初デビュー。(高速道路をどんどん延長していく現状にも支持・便乗したくはないが)新しく延長された笠間西インターで1時間少しで稲田に到着。書きたくないのだが、実は実は実は非常に反射神経・(ハンドル切る)方向感覚・運動能力鈍いため運転技術の低いわたしが、「対向車が来たら、命縮まる」「命縮まるだけでなく、もうこちら側は完全ギブアップだよね(地元の方の車の方に、何とかしてもらうしかない)」細い道を頼りな~く走り抜けて、お目当ての貸し家へ。だが、それでキケンは終わらず、本日の最大懸案課題、この細い道から急斜面を駈け上がる形での家への出入りだ。家族の先導の下に
 “急斜面駆け上がり頭突っ込み駐車”
 “急斜面降りつつしかも両側の石壁や置き石で車の側面
  がりっと削りそうになりつつハンドルを複雑に切り替えて
  畑に落ちそうになる僅かなスペースでのUターン”
 “急斜面降りつつ両側の石壁や置き石をこするぎりぎりのところで
  お尻から道に降りてその先の空地まで走っていってのUターン”
を練習した。

もうさ、ゆるく締めておいたシートベルトが首吊り状態になるくらいの急斜面なんだよ。練習中の緊張感で肩は凝るし恐怖でショック状態。わたし、自分の運転能力自覚しているから、慣れた場所に、しかも空いている時間帯に、しかも周囲の車に対する危険回避ができるくらいの余裕のある条件下でないと、運転しないんだから! と家族に愚痴っても、幼少時から運動能力抜群でこの恐怖を理解しない家族は「まあ慣れるよ」「これなら大丈夫」と全然リラックス -- そうです慣れればワンパターンになりさえすればそのワンパターンをかっきり繰り返す運転は得意ですわたしは。ワンパターンになるまで恐怖を何回経験しなければならないのだろう。

でもとりあえず家族の言葉を信じて、恐怖はかき消すことにして大家さんにご挨拶にうかがった。(今までの全てを「わたしやっぱり無理ですこんな駐車!」とヒステリー状態でわめいてしまって消すわけにはいかないものね -- 駐車は練習です練習)。大家さんとも今度はいろいろとお話できた。せっかく内装で御苦労・ご負担かけるのに、越してから「別のところ(サンクチュアリの地)を探します!」では本当に申し訳ないのが気がかりで、最初から大家さんにこちらの夢をなるべく誠実・正直に話そうとしてきたが、大家さんはとても知的で良い方で、my bird sanctuary の夢についても耳を傾け気遣ってくださった。本当に、もう感謝するしかない ・・・ 北茨城のSさんが広げてくださったご縁のひとつひとつに感謝するしかない。

稲田神社08-1


時間も押しているが、やっぱり今日のうちに稲田神社へ初詣。

稲田神社08-2

稲田神社08-3


今回は大家さんのお父様から、稲田神社に「奥の院」があることを教えていただいた。7月の祇園のお祭りのとき、奥の院へと神輿をかつぎ上げ、そこから村中に神輿が回るそうだ。今は少数の担ぎ手が車で回るが、昔は馬で巡ったようだ。そうかあ、奇稲田姫のことも段々分かってくるかなあ。

稲田神社ご神木1

稲田神社ご神木2

年明け早々、ご無礼ゴメンナサイと謝りつつ、清々しい氣を放っている大きなご神木の写真も撮影させていただいた。樹の真中辺りの梢に、いつものように光の輪が観えた。
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『太陽とともに生きる』

お正月なので、楽しくてちょっぴり creativity をかき立てられるものをと思い、ラモン・センダー&アリシア・ベイ=ローレルの『太陽とともに生きる』(草思社, 1975)を手にとった。言わずと知れた、小さな森の中での手作りの暮らしの手引書『地球の上に生きる』(草思社)の著者ベイ=ローレルと、そのパートナーで作曲の訓練を受けたセンダーが、太陽を感じ自然を感じつつ生きることの手引きを書いた本だ。『地球の上に生きる』と同様、西海岸のコミューンで生きる中から生まれた本らしい。『地球の上に生きる』が生活について教えてくれるものであるなら、こちらは自然と調和するために太陽や月、宇宙を感じ、自然を感じ、それらのエネルギーを祝い愛でるために彼らが実行している様々なことやアイデアで溢れている。

世界に対する知覚を研ぎ澄ませ、拡大していって得られるのは「神聖な教示」「啓示」「至福の境地」 -- そのために彼らが実践しているのは、自然と溶け込むこと、瞑想、ヨガ、様々なものから様々な音を聴くこと(特に、すべての振動数を持った音“白い音”、持続低音を聴くこと)、様々な音を奏でる楽器を作ること、太陽や月のサイクルと調和した歌をうたうこと、心や呼吸やエネルギーを感じること、からだについて知ること・感じること -- 本当に盛り沢山だが、どれも興味深く、ボヘミアンというか“カリフォルニアっぽい”。

太陽ストロボを色々と作って「まぶたの裏に極彩色の曼荼羅がくりひろげられ」「それはときにはあなたへのメッセージをひらめかせ、またとくに強烈なときには真っ白な光にとざされた恍惚状態を生み出」すとか、太陽が登り沈む一日の時間ごとの詠唱歌とか、サクラメント(秘薬)の摂取とか -- う~ん、カリフォルニア70年代だな、と懐かしく(?? 実はわたし、77年ロスにいました)、ある意味読んで楽しくはあるが、わたしにとっては全てが試したいアイデアではない。ヨガのアーサナの図解は、「皆さんアリシアの絵だけで真似しないで、ヨガはちゃんと習ってね」と言いたい部分もあり。

それでも、「最近ゆったりと自然を感じ、自然を楽しみ、自然と遊ぶことが少なかったな~」と反省していたわたしは、とても良い刺激を沢山いただいた。五感を研ぎ澄ませてみたり、逆に五感を捨てて静寂の中に浸ったり、太陽や月のリズム・移り変わりをちゃんと感じてみたり、それを人々と分かち合ったり ・・・ 人間社会で忙しいと、こういうことはホッタラカシにされてしまうから。そして、これらのことに傾ける、この本の情熱はほんとすごい。

いいと思ったアイデアの一つは、ウェディング・ケーキ。全粒紛、ハチミツ、刻んだナッツ、刻んだ乾燥ナツメヤシ、イチジク、干しブドウなど、タヒニ(胡麻バター)、すりおろしたオレンジの皮、すりつぶしたシナモン、ナツメッグ、ショウズク、食塩少々を混ぜて作るんだけれど -- 誰も結婚しないけれど、作っちゃいたくなった。

でもやっぱり、一番共鳴したのは、ひとりひとりが自分の好きな樹を選び、聖なる木立を育てるというアイデア。

 周に一度は、あなたの樹に
 歌をうたってやりましょう。
 鳥たちに、あなたの木立にきて
 巣をかけるようすすめましょう。
 樹のように生きることに努めましょう。
 樹のそばで音楽をかなでてやりましょう。
 樹はすてきなお友達です。

 完全な悟りをひらくとは、樹のようになることです:
 つまり、大地にしっかりと根を張って、
 つねに太陽をあがめ
 日光からのエネルギーを吸収し、
 周囲の空気(意識)を浄化し、
 生前も死後も土壌の改良に貢献し、
 死にさからわず、身体の中を
 吹きぬける風に誘われて
 歌いたくなったら、歌う。
 そのようなひとになることです。

 樹の仲間になるには:
 木立のなかで長時間過ごす。
 かれらの言葉を学ぶ。
 かれらを抱擁してやり、
 そのそばに横たわって幹に足の裏をあてる。
 あなたはきっと、枝の間を吹く風を
 感じることでしょう。
 樹の生きかたと調和した生き方をしていれば、
 かれらはあなたを新参者として受け入れ、
 初心者の樹として、
 仲間の秘伝を伝授してくれるでしょう。
 (『太陽とともに生きる』 p.32-33)

これらのことの多くは、既に実践していたので、とってもよくわかる -- 自分の好きな樹に毎日でも、時折でも、挨拶できることが、どれほど素敵なことか。樹のような気持ちになると、どれほど優しく、たおやかに、天と地にすんなりと伸びていき、すんなりと受け入れてもらえるか。

このように感じてみると、樹のエネルギーは1本1本全く違っていて、だけど大きな樹の多くは、どんな人間に対しても、信じられないほどの慈悲に充ちていて、その人間が何をしようとも、静かに全てを受け入れてくれる。樹のようになりたいと、幾度願ったかわからない。

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お喋りキライ !!

《ピヨピヨ、ピヨピヨ》と携帯電話の着信音(着信音を「コトリ」〔の声〕に設定しちゃっているもので)。めいめいの部屋で静かに休んでいたうちの文鳥さん達が、同時に「チャッ、チャッ(出せ、出せ)!」と騒ぎ出す。急いで電話を取りながら、扉を開けざるをえない状況で、二人(文鳥の小露鈴とgaea)が飛び出してくる。

わたしの無事よりも、二羽の小鳥さんたちの声が聴きたくて電話をかけてくる家族が与えた悪影響 -- ついついサービスで、彼らを呼んでは電話で声の中継をしていたもので -- 携帯の《ピヨピヨ》がなると、お部屋から飛び出て好き勝手するものだと、鳥さんたちは解釈してる。

好き勝手 -- これも学習されてしまった。電話で話をしていると、一点集中型のわたしは鳥さんたちの目付けが効かない。もちろん、危険がないかは目で追っているけれど、ものの落ちてきそうな場所や足の爪を引っ掛けそうな場所に飛んでいくとか、お互いに激しいケンカを始めでもしない限り、電話の相手を無視して立ち上がることはできない。彼らもそれを読んでいて、あ~切手くわえて持っていっちゃった(涙)、あ~激しい空中戦を始めちゃった(「コラー!」)。

でもそのうち、電話の相手にばっかり意識を向け気持ちを注いでいるのが淋しく(気に食わなく?)なってくるみたい。こっち向いてよ。わたし、わたし! わたしの方!と携帯で話しているのが気に入らなくなるみたい。電話機器が怖いのか、gaeaちゃんにはちょこんと止まってじ~っと眺められる(?)だけで済むが、小露鈴はすごい。

携帯電話とそれをもつわたしの手との間に全身で無理矢理潜り込んできて、持っている指の1本1本をはがそうとするんだよ -- 実際には手を離すより前に彼女に与える電磁波の影響が気になって、「あ、ごめんね、それじゃ(涙)」と電話を切らざるを得なくなる。

そして、昨日は新年早々彼女にもっとすごいことを発見されてしまったのだった。携帯に向かって話していると、すぐ傍まで来て、何と話している口元に頭ごとズボッ! うわっ! 自分の頭をわたしの口の中に突っ込んできた! そりゃ、そりゃ、もう電話で話せないでしょ~~~。-- というか、ここまで危険を顧みずやるの(食べちゃうでしょ!)? -- というか、人が絶対危害を加えないと信じきっているなんて? -- というか、お喋りしているの、そこまで嫌だったの~? 

2008お正月の小露鈴

 (あけましておめでとうございます 小露鈴)

2008お正月のgaea

 (僕もおめでとう gaea)
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黎明

新年おめでとうございます。

小露鈴、gaea、沢山の植物達ともども、今年もよろしくお願いいたします。

お正月の草木

 (下妻に連れて行って下さった友人Nさんと産直所・道の駅で見つけたお正月の草木 -- 青々とした五葉松、そこから右回りで蕾をつけた石榴の木、福寿草、長寿梅。盆栽仕立てだったんだけれど、針金ぐるぐる巻きがどうしても可哀想で取ってしまいました。いずれ sanctuary の大地に植えて、大きく育てたい)

平塚の氣功の会でお目にかかれる尊敬するTさんに「澄氣、澄心、聴身調息」と年賀状でことばをいただきました。うん、そうだ、これを年頭、2008年の言葉としよう (←単純、というか調子いい?)

ねずみさんたち


昨年12月、笠間稲田に週末の家を借りて my bird sanctuary の土地を探す、ということを笠間の陶芸ギャラリー『陶歌』さんにご報告に行った折に出遭えた「ねずみさんの絵皿」を玄関に飾ります。稲穂と月が出ていて、まるで稲田の土地で、どんな風に調和のある空間を探してそこを光で開いていけるか、ねずみさんがお月様に相談しているようです(←年女ですわたし)。手前は、大受けしてしまい、昔から持っている”大杯(おおさかずき)を大喜びで傾けるのんべねずみ”(!!)。

本年は「浄化の年」と多くの方が仰っていらっしゃるようです。多分、本当に、「大きく変わる必要がある」「そうでなければ、大変なことになる」あるいは「大変なことになって変わらざるを得なくなる」んだと思います。

環境に関しては、工業化・産業化や自然荒廃、社会の廃れなどに警告する文献は20世紀以前から存在していました。わたしたちの多くの記憶に在るのは、1970年代「もう今が(社会が変わるための)タイムリミット!」と数々の警報が出され、それが80年代・90年代と優れた先輩達の先見的な思想啓発、様々な市民の根気強い取り組みを生み、それらは連綿と続いてはいますが、マジョリティの状況が抜本的に変わらないままに、20世紀の世紀末状況、21世紀の人間の不全感・閉塞感・絶望を伴う混迷の状態に入ってしまったのではないかという気がします。

それでも、依然としてわたし達には“希望”が残されている。著名なチンパンジー研究家であり、稀有な環境保護活動家へと転身していったJane Godallは、“希望”の理由として、(1)ヒトの脳、(2)自然の回復力、(3)世界の若者にみられるエネルギーと意気込み、(4)ヒトの不屈の精神、を挙げています。最初の理由は、チンパンジー研究家らしく、人間の進化を紐解いて、テクノロジーの進展とそれに伴う利己主義・経済主義、その結果としての競争・殺戮・汚染を挙げ、それでもヒトが環境問題に気付き、真剣に取り組みさえするならば「ヒトの問題解決能力をトップギアに入れれば、自然と調和して生きる方法が見つかり、ヒトがあたえてきた傷を癒すことが、きっとできる」ということ。二番目として、現在地球は無残なほどに傷付けられ、汚染されており、その度合いは加速度的に進んではいるけれども、地球や自然には驚くべき自然浄化・自己治癒力があるから。Godallはテムズ川、長崎、カナダのサドベリー(ニッケル鉱山)の自然回復の様子に加え、カナダで136エーカーの森を9倍にまで広げてきたマーヴ・ウィルキンスン夫妻の例、自らの研究所の森林再生・自然保護教育プロジェクトの例、絶滅寸前のブラックロビンを救済し野生にもどしたドン・マーテンの例などを挙げています。そして、第三に、自ら立ち上げたプログラムを展開する中、励まされ、権限と希望を担うとき、子ども達は迷わず疑わず、本当に大切なことへを看てとって、現実を変えようと真っ直ぐに実行していく力をもっていることを経験したと伝えます。最後の、人間の不屈の精神 -- Godallのレポートを読んで、母親を失ったチンパンジーのために何週間もの貯金をためて「夜、ひとりで寝るときに、その子が寂しくないように」とスヌーピーの人形を買い、この人形と共に「その子にバナナを買ってあげて」とわずかな小銭を届けに来た五歳のアンバーメアリーをはじめ、現実をみて、それを変えようと不屈の行動を見せた数多くの人々 -- その力と希望。Godallは、「生命をうやまう人は、ただ祈りのことばをささげてこと足れりとはしないだろう。その人は生命をまもるためのたたかいに身を投じるはずだ。ほかならぬその人自身が、周囲の全ての生命の延長だという、ただひとつの理由によって」というアルベルト・シュバイツァーの言葉を引用しています。そして、次のように述べています。

 いま、だれかの訴える目をこころでうけとめ、
 たたかいに身を投じる人たちがふえはじめていると、
 わたしは確信している。
 そこにこそ、未来への真の希望がある。
 わたしたちはヒトという種の究極的な運命
 -- 慈悲と愛のある状態に向かって進化しているのだ。
 (ジェーン・グドール 『森の旅人』(原題は Reason for Hope:
A Spiritual Journey) 角川書店, 2000. p.287-288)

人間には、戦争や暴力を生む精神性を乗り越え、「わたし達はどこへ行こうとしているのか」「今何をすべきか」「そのためには何が必要なのか」の智慧を学び取っていく力を持つことは可能なのでしょうか。

Godallが“希望の理由”(Reason for Hope)を書いた1999年から、さらに9年が経ってしまいました。彼女に共鳴しながらも、今のわたし達の誰しもが、彼女の挙げる四つの理由によって世界が良くなっていくことに確信をもちえるとは言えないでしょう。それでも、“希望”は、あるとするなら、たった今、この一瞬、この手やこころの中にあるような気がします -- わたしには未だ何かできることがある、ということに。少なくともわたしは、わたし達と共に活きていてくれている命たち、土や石、水(雨や海や河川)、空気、大氣、火や光や虹、愛する世界、etc.とわたし達との繋がりを感じることができるなら、“希望”はあると想います。繋がりを聴きとり、観てとっていくことを失いさえしなければ、その繋がりがかけがえの無いものであることを忘れさえしなければ、そこからきっと、何かできることを見つけられ、考えて、行動できるような気がします。

茜富士

 (遠くのほうで茜色に輝く富士山。手前に在った山々や森はここ数年でビルや駐車場にとって変わられましたが、お正月の大氣は澄み切っています。今は一本の木 -- 実際には二部屋とベランダに数鉢の木 -- しか育てられないとしても、1本の木を大切に植えて、大切に育てていこう。ベランダに飛来してくれる鳥たちも、ずっと見守っていこう)。
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