hearing the unheard voices

小鳥たちと対話し、自然と人とが調和できるバード・サンクチュアリを創立しています。http://homepage2.nifty.com/birdsanctuary/index.html

笠間・稲田からの坂 -4-

稲田の家からの満月
   (稲田の家からの満月)

そう言えば、友人とその9歳の男の子が泊りがけで遊びに来たとき、こんなこともあった。

稲田神社の麓を流れる農業用水路をふと覗いた。用水路は何の愛想もなくコンクリで固めた形のもので、そこを水が思ったよりも速い勢いで流れていた。前日の夕方、大変な大雨が降ったからだ。そして、

 「???」

何だか変な生きものがいっぱいいる。友人を呼んでしばし観察。まず、

 「これ皆、ザリガニだ!」
 「それだけじゃなくて、何か居るよ ・・・ ウナギかな・・・?」
 「-- ドジョウだ!!」

そう、大雨の水の勢いで、上流から流されてきたのだろう。ここに来て、急に大きなコンクリ用水路になったから、ドジョウは半分からだを出してヘリの辺りにへばりついてる。ザリガニもドジョウも、何とか上流に戻ろうと、からだをうねらせているのだが、水の勢いは強く、ここで用水路に大きな段差が二つも設けてあるので、元の住処に戻るのは滝を登るよりも難しく、少しずつ少しずつ下流へと流されていく。

しばし黙っていた友人、息子の二本の網(補虫網とタモ網)のうち、使われてない一方を取り上げて、うごめいてもがく生きものを掬い取ろうとし始めた。しばらくして、一匹、二匹と掬い上げるのに成功する。子どもの方は、ザリガニでしばらく遊んで、「連れて帰りたい」とだだをこね始めた。お母さんは無視して、「僕の網、勝手に使うなよ」という子どもの文句も何のそので、ひたすら掬う。

水は、道路を隔てたところにある農業用水から流れてくる。道路の向こう側の水路は、田んぼを突っ切って流れており、流れは大家さんの家のほうから来ている。そこはずっと狭いし、段差もない。

「ここに戻してあげれば、もとのところに戻れるかしら?」

ザリガニもドジョウも、懸命に上流へと戻ろうとしていたのだ。

それから、とんでもなく大変なレスキュー作業(?)が始まった。

まず、掬い上げたザリガニを道路と反対側の用水路のできるだけ上流、できるだけ流れの緩やかなところに戻してみる。そこでは、ザリガニは自ら、オイッチニオイッチニとマイペースで上流に戻っていく。
お母さんが後から後からザリガニを掬い上げるので、それらのザリガニが近くの田んぼに落ちないよう通せんぼをしていたわたしは、(網がないので)夏用帽子を使って(!! ちょっとばかり、ザリガニを掴むのは苦手で、でも、でも、大事な帽子だったんだけれど・・涙)ザリガニを安全なところまで戻す。いやあ、大変なことになっちゃった。ザリガニが済んだら、次はぬるぬるしているドジョウ。これも何とか、戻していく。放した後、自ら上流へと帰っていくのは、ザリガニより大変そうだったけれど、でも発見した場所に居ては生きるすべはなさそうだし、戻っていけたなら、農薬散布をしていない大家さんちの家の方向だからね。

延々と作業は続き、一匹、一匹を戻して、本当に、本当に大変。

「これでよし!」と最後の一匹を戻して友人が言う。

本当に、本当に大変だったし、また、ザリガニは外来種だから自然保護活動でも問題視されている生きものではあるけれど、でも助けの要る生きものに手を差伸べずにはいられなくて ・・・ 

子どもがどれだけ文句をたれても、子どもの網をぶんどって、延々とザリガニとドジョウを捕まえていたその友人は、子どもにもまして何と偉くたくましいのかしら、と感動した出来事だった。
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笠間・稲田からの坂 -3-

夏休み中、久し振りに八郷のS先生(野鳥観察・森づくりの大先生)のところにうかがったら、空中農薬散布は「それは時代遅れですね」「大変だったでしょう」というご評価。その被害は大きいため石岡市ではすでに反対があり、必要な田んぼに直接に撒く形式に変わったということだった。人間の健康や自然を大切に考える方々の意識が反対運動となり、また、それに反発される旧来の農家の方もいらっしゃるという。

ヒーリングを受けてすぐ、不調になってしまったことの中でもうひとつ現れてきたことがある。

ブログに書くのをずっと躊躇っていたが、やはり書いておこうと思う。

不調になる直後、稲田で友人をお客として向かえた。大樹が大好きという素敵な友人で、泊まりがけで、男の子連れでいらして下さった。美人だが大きな木を思わせる背の高い友人のパワーも大きかったが、9歳となるその男の子のパワーは鳴り響くようだった。鳥やコウモリみたいに意識が素早く動き、ここにいるかと思えばまたあちらで別のことをやっている、大人の言うことはまったく聞かないか聞こえていなくて、近づくだけで大変なパワーが発散されているのが感じられる。

その男の子は花火と立派な虫取り網、タモ網、虫かごを携えてやってきた。到着した途端、庭でちょっとの間に、生まれたての蟷螂を3匹つかまえて、虫かごに入れてしまう。どうやら大変なスポーツ少年、虫取り少年のようだ。その後、稲田のお気に入りの散歩コースを案内することになるのだが、とにかく「ついていくのに」へとへとだ。

10代からベビーシッターで鍛えているわたしは、子どもと同じ目線になれることも多く、たいていの子どもには受けがよく、仲良くなれる。最近も、サンクチュアリ計画では《子どもと自然》がキーワードだと思っていたから、子ども達と自然の中で遊ぶことは結構自信があった。

また、この子の行動、まっすぐな瞳とからだつき、敏捷さと頭のよさ、お母さんの言うことを聞かないか反発する中にも、この子なりにとても敏感に繊細にお母さんを気遣い、大人たちの空気を感じ取っているのがわかるので、へとへとになり振り回されながらも、この子はとても魅力的だった。そして、やたらとパワーをもてあましプライドが高いくせに、その瞳の奥には、まっすぐに伸びていく何か尊いものが潜んでいて、それがこの男の子の本質なんだということが分かった。

しかし、正直、男の子のパワーと天性の何かには圧倒されてしまった。体力という点よりは、とにかく素早く、「本能的に」と言えるような強さで、素早い生きもの、美しい生きもの、珍しい生きものを、網や素手で捕らえてしまうのだ。じっくりと虫を観察する昆虫少年というより、それは獲物を捕らえる敏捷な能力を試すためのスポーツだ。もちろん、捕らえた後は、お母さんが近付いて、「すごいね」「綺麗だね」「さあ、もう逃がしてあげようね」と、しぶるその子を説得して、もがいている生きものを野に放つ。傍らで、そのお母さんと一緒にわたしも同じ言葉をかけるのだが、普段から「生きものの目線を持とう」としているわたしは、はらはらドキドキ。あのチョウチョは大丈夫だっただろうか、蟷螂は傷ついていなかっただろうか、ドジョウたちは無事に棲家に帰れる・・・? と心配を重ねる間もなく、何かがまた捕まってしまう。

「オニヤンマだ!」 稲田神社を歩いた後、わたしたちの頭上を大きな蜻蛉が見事に滑空し、みんなで声をあげた。透明な空気を切って堂々と進むその姿は、他のトンボから群を抜いて大きく、美しい。そのキラキラした偉大な姿に見とれていたわたしの目の前で、男の子の補虫網がビュンと複雑な弧を描いて力いっぱい振り回され、男の子は自慢げに「つかまえた!」と叫んだ。慎重に網から獲物を取り出す男の子。蜻蛉は透き通る大きな羽を持ち、その胴体は美しい黒とエメラルドグリーンに輝き、しかし今は哀れにその脚で宙をもがいている。

その美しさに歓声をあげたお母さんは、しばらくするといつものように「放してあげようね」と子どもを促した。心配でたまらないわたしも、加勢する。オニヤンマは「飛び切りの獲物」だったので、なかなか放してもらえなかったが、ついにその子はしぶしぶと放り投げた。

と、オニヤンマは投げ捨てられたように地に落ちた。

ついに、心配で青ざめるような気持ちになったわたしは、オニヤンマに駆け寄り(もう絶対にわたしが守るぞみたいな気持ちで)両手で包み込んだ。彼女(メス)はじっとしている。とっさに天の氣と自分を繋いで、手からレイキを送る。見たところの損傷はなかったが、彼女は動けない。ショック状態なのか、それだけならいいが、からだの構造に決定的なダメージを受けたのか。

レイキを送っても回復する兆しが見えないので、近くに植えてあったホトトギスの葉の上にそっと乗せてみると、何とかつかまっている。ショックを受けただけで、しばらくすれば回復することを祈るしかない。半分庭のような空地のホトトギスの葉の上では、外敵から身を守ることもできないので、稲田神社の坂をやや登ったところの樹木の下枝に連れて行く。お母さんが後ろから静かに見守っている。子どもの方は、「ね~ もうつまんないよ~ 先行くよ」と、ずっと遠いところでどなっている。

・・・・・・・・・

このエピソードが、空中散布に加え、わたしが急に苦しくなったきっかけとなった出来事だった。

何故だか振り返ってみると、今なら恥ずかしいがよく観える。

農薬散布をする農家の方々も、オニヤンマを捕えた子供も、今の世の中で暮らしていくためだったり、人間として生きるパワーから溢れる狩猟本能だったりで、人間として何ら非難できないだろう。むしろ、今の世の中では、そっちの感覚の方が「当たり前」ではないか。何かそのことを取り上げるだけでも、「ごく普通のことでしょ」「何がいけないの?」という反応がすぐにでも返ってきそうだ。

自然保護に関心を持ってから、自然保護活動を精力的になさっている方々や自然を身近にリアルに捉える卓越した写真家の方々などのコメントで、とても気になるものがある。

「子供時代の自然の中での体験が重要なんです。(自分は)小さいときには自然の中で思いっきり遊んだ。今は自然を大切にしようとしているが、小さい頃は生きものもいっぱい殺した。そうやってこそ、命の大切さを学んだんだ」

このコメントは、よく見かけるし、そこで言われていることもわかるような気がする。また、「小さい頃は生きものもいっぱい殺した」というのが実は懺悔である場合もあるだろうし、この「殺す」ということが「そうやってこそ、命の大切さを学んだんだ」という言い訳や切り札として、次に子どもに生きものを殺させたり、大人が生きものを殺す現場の言い訳として利用されたりすることもあるだろう(現に、教育者で小学生にニワトリを飼育させたあと、とさつ・解体をさせて「命の教育」とやらをさせる人がいる)。それはそれで、今の世の中の現状であり「普通」「当たり前」と言われることもある価値観だ。

生きものの声を聴こう、生きものと同じ目線に立とう、生きものの命と自分の命との響き合いやつながりをいつも感じていよう、としているわたしは、今のところ、上記二つの出来事に対して完璧に無力だ。
(ちなみに、友だちを殺せなくなってベジタリアンを選んだわたしの価値観は、マイナーだったり珍しがられたりする場面が多く、時にはよく分からないままに反発されることもある)。

しかし、どれほどマイナーで無力であり、合理性もない(辛いと感じつつ、お米を頂いているのだから)にしろ、庭で生まれた蟷螂を喜び、愛しく思う心や、空を切って滑空していたオニヤンマの美しさにこころを奪われていた心が、ショックと哀しみで撃沈してしまうのは防ぎようがない。(そして、「殺さなければ命の大切さは分からない」という言説は、有効な場合もあるのかもしれないが、その行き着く先が子どものこころや純真なこころを大きく傷付けてしまうこともあることも気付いて欲しい。小さな頃に無理に体験・目撃した虐待や生きものの殺しが子どものこころを傷付けた例を知っているし、「いつも食べているお肉がどこから来るのか」を知った直後にベジタリアンになる決意をした子どもを国内外で知っているし、解剖の授業がかつてわたしのこころに何を残したか。そんな子どもがいるのだと知って欲しい。大切なペットと暮らすことで、命の意味について深く学べる子も多い。道端に咲いている小さな花にしゃがみ込んでその花を守っていたい、と花の命を感じている子もいる)。

そうは思いつつも、こんな状況と自分の無力さの中で、どうやってサンクチュアリを創立・運営するのだという自信喪失は消えなかった。前にも書いたように《子どもと自然》はひとつのキーワードだと思う。これまでは、少しばかりの自信もあった。だがわたしの感性の深いところは、どんなオニヤンマも守りたい、死ぬのは嫌なのだ。自信を失った。

ヒーリングを受けて見えてきたのは、もっと奥深いところにあった原型 -わたしにとっての最悪のパターン- だ ・・・ わたしは愛するものを守れない。暴力を最も憎んでいるのに、それに怯えて、愛しいものが死んでいくのに、助けに行けず力のある側に卑屈な作り笑いをしている。

これが最悪のパターンだ。わたしがこの世で最も憎むのは暴力だ。暴力に対して、通常の冷静なときには処し方がわかっているつもりだし、自分が暴力をふるわれるならまだ我慢ができる(というか、暴力は連鎖するので、わたしのところでできるだけ止めねばならない)。暴力をふるう人間や人間の集団がいる、という事実もまだ受け止められる。人間の意識的・無意識的な暴力によって、この世界、地球上の愛する命がみすみす傷付けられたり、失われたりしている事実も、苦しくてもまだ何とか受け止められる。だが、愛する命がみすみす失われていくことに対して、「無力である自分」「それどころか権力のある側に怯えて卑屈である自分」というのが最悪だ。どれほど尊敬する思想家やヒーラーに、そこにあるエゴや執着、無条件の愛からの自己受容をうながされても、自分がそうであればそのことは憎いし、許せない。幼い時に焼きついた体験(「大好きな生きものを救えなかった」)から、それは苦しい。

このパターンが甦ってきたから、結構な不調に陥ったような気がする。

最初のヒーリングを受けてみて、その翌朝にヨガをしつつ、そこまでのことを感じたのだが、そして新たに観えてきたことがある。

それは、オニヤンマのエピソード。その男の子は、プライドが高く、お母さんとわたしの反応はてんで鼻にかけないように見えて、結構気にしていたな。オニヤンマが傷付いて、わたしが真っ青になって彼女が癒えるように必死でレイキをしていたとき、「退屈だから、行くよ~ もう~」とか自分勝手の素振りで叫んでいたくせに、わたしを見ていたな。傷付いたオニヤンマの命に対するわたしの反応を感じていたな。その証拠に、その後は、虫取りのスピードがやや落ちたような気がする。いや、しばらくの間、補虫網を振り回さなかった。夜になって食事をする際、「あのオニヤンマもさあ・・」と自分から話題に出して、わたしの方を見た。そして翌朝、再び散歩に出たとき、「昨日のオニヤンマ、見に行こう」と自分から神社の坂を登っていった。

オニヤンマはもう、そこには居なかった。ショックが癒えて再び大空を切って飛んでいるのかもしれないし、その夜の雨で濡れて落ちる前に捕食者の餌食となったのかもしれない。

わたしは、前者だと祈りたい。自分の痛みのために、その男の子のためにも。

そのエピソードに対して、わたしはサンクチュアリの夢の一部を諦めるまでの強い反応をしてしまった。けれども、そこからヒーリングを通して見つめ直してみると、自分のこころのクセによって、幼い時から背負ってきたパターンの原型を見てしまっただけで、現実には起こったことは違っていた。

男の子はオニヤンマの命のことを大切に感じているだろうし、あのときのわたしの必死さを見て、何かを感じてくれた。わたしは、幼少時代の苦しかった体験のように、怯えて笑ったり見ない振りをしたりしていたのではなく、真っ青になってオニヤンマのところに駆け寄ることができた。夢を育てる過程で身につけたレイキと生きものに対する知識で、少なくともできることをした。

大空を飛ぶ美しい生きもの、地に住む美しい生きもの、生まれたての命、輝く生命そのものとして生きる生きもの、虐げられ怯えた生きもの、人間に追い立てられて不信感を持つ生きもの、愛しい生きもの -- 今度人間の暴力によってわたしの愛するものが傷付けられそうになったら、大声で泣こう。それがマイナーでも非合理でも。大声で泣くことが、最悪の原型の中で、小さい女の子であるわたしが本当にしたかったことだから。その次に、自分の中心軸を保ち、冷静に判断して全体にとって最も良いこと、できることをしよう。それが大人であるわたしが、今できることだから。


ハグロトンボ2
  (稲田の家の裏手を訪れたハグロトンボ)
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笠間・稲田からの坂 -2-

先週末は稲田へは行っていない。

近所の方に「空中農薬散布がある」と知らされ、市役所に電話で問い合わせたところ、7月31日に行われることを知った。

大家さんのところは、田んぼも畑も無農薬で作っており、5年程前から市役所に農薬散布を断っていると聞いていた。また、最近では近隣に住む人々や自然を守ろうとする人々の訴えがあり、農薬散布は減ってきていると聞いていたから、田んぼに面した家に住んでいても関係ないだろうと思っていた。

男の子を連れた友人が泊まりに来たとき、家の前の田んぼの先、渓流のあたりでかすかに光って飛ぶ平家蛍を見たから、この辺も農薬散布はされないのだろう(だから安全に蛍が棲んでる)と思っていた。

だから、ふと耳にした近所の方の話に大変な衝撃を受けた。

小型ヘリで行われる空中農薬散布は、何ヘクタールの田んぼにどれだけ、といった農薬の分量に対する考え方で、その田んぼに空からどさっと農薬が撒かれる。それは、田んぼに(田んぼのみに)均等に撒かれるということはなく、風の具合によって一部の場所に集中したり、田んぼの外にかかることになったりする、と大家さんが言っていた。

「土の中にいたミミズが出てきてのた打ち回って死ぬ」と大家さんは言う。

蟷螂や蜻蛉などの虫取りを楽しんでいる男の子に向かって、「そんなんも空中散布でみ~んな居なくなっちまうんだわ」と近所の方が言う。

高齢となる近所の方は「でも、人間には被害はないっぺさ」と言っていたけれど、長年高校の家庭科の先生をやっていらした大家さん(奥さん)は、「人間にだって影響ないわけないでしょ」と断言した。

大家さんのお宅で生産している米は、無農薬で市役所経由で農業委員会が行う空中散布も頼んでいない。初夏には大家さんは、朝から晩まで、草取りで大忙し。全身汗をかいて働いていらっしゃる。夏になると「もう草ぼうぼうは諦めた」と仰るが、それでも田んぼを大切に見回ることをかかさない。大家さんのところのお米は、農薬を使うところよりもかなり収量が悪く、それでも無農薬のお米を希望される方や理解者が遠くから購入を申し込んでいる。今年はわたしも、そのお米をいただける幸運に恵まれた。

みんな(消費者)の意識が変わらなければ、農薬を減らす方向には行かないのでしょうか、というわたしの質問に対して、大家さんは「そんなことより、人手なのよ!」と言い放つ。「田んぼを守っているのは高齢者でしょ。昔は高齢者ばかりでなく、それで労働に牛なんかを使って何とかやっていたけれど、今はそんな大変なことは誰もしないし、とてもやっていられないの。役場がただで農薬撒いてくれるなんていいうと、ありがたいと思いこそすれ。うちがこの辺りの農薬散布断ったときは、うらまれたわ」。

わたしは--。

わたしは、農家の方々がそんなにして苦労して作ったお米を何も知らないで食べてきた。

わたしは、小露鈴とgaeaを絶対に守るためだけれど、自分の肝臓の疾患への影響も心配して(大家さんにもやめた方がいいと言われた)、農薬散布の日を避けて安全な場所に居る。

半年間、大切に育てたちいさな庭で、そっと大事に見守ってきたカエルちゃん、ミミズ、蝶々、蟷螂、蜻蛉、蜘蛛 ・・・ 来てくれて大歓迎だった彼ら、愛しくてずっとここで住んでね、と言ってきた彼ら。みんな、みんな、居なくなってしまう。

彼らに対して、わたしは何と謝ったら良いの?
謝る言葉があるの?
ゴメンナサイを何回言っても、済まされない。
それでも、泣かずにはいられない。
嘆かずにはいられない。

ブルーデイジー

先々週、稲田から戻ってきたとき、もともと強い自己否定傾向のあったわたしは(そこから卒業したはずだが)、久し振りに結構危機的な心理状態になった。

サンクチュアリ創立計画を進める過程で、これまで何かにぶつかると、氣功の大先生であるI先生の言葉を思い出してきた。土地の契約に失敗したとき、伝えてくれた言葉だ。「お釈迦様が悟りを開く前にも、魔物や誘惑が幻になってそのこころを乱そうと誘惑した -- もう曙は近い」。

しかし、土地契約が失敗したり思いがけない病気になったときより、こころの中が暗転することの方がずっしりと重い。

久し振りに、友の勧めるヒーラーの先生のところへ行き、ヒーリングを受けた。
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笠間・稲田からの坂 -1-

週末に笠間・稲田の緑の丘や田んぼと向き合う家で暮らし始めて半年。

my bird sanctuary を創立するためのステップとして、土地の人と知り合って、ささやかだが sancutuary (鳥と人間の聖地)となりそうな候補の山林を探すこと、そして山や田舎の暮らしのノウハウを実際に身につけること、が目的だった。

古い家が必要最小限だけリフォームされ、壁紙もはがれたままだが部屋数だけは多い家の大掃除、そして稲田の石やゴミが沢山埋もれていた小さな庭の改良に、結構時間と労力がかかった。この間、親切な方々の紹介と協力で幾つかの候補地を検討したが、最終決定までぐんぐんと進めず、何故か足止め状態だ -- 「立ち止まってしまう時は、待つことも仕事」という先輩Aさんの言葉どおり、この暑い夏の間は、しばし考えてみようと思う。

大変だった庭の片付けはほぼ終わり、野菜や花たち、野鳥の来るムラサキシキブの木の苗が育ち、庭は緑豊かになった -- どちらかというと草取りが大変で、草ぼうぼうというのが現実だが。

六月には、氣功の中間たち、総勢13人が訪れてくださり、稲田姫神社の境内脇で練習した後、部屋数の多い家をようやく有効利用すべく、交流の食事会に参加して下さった。清々しい境内での氣功の練習に加え、食事会ではサンクチュアリ創立の準備の経過についてもお話できたし、”環境に配慮した””ゴミを極力出さない”、マイ箸、マイ皿持ち寄りのベジタリアン食事会も何とか上手く行った -- いろいろと心配をしたけれど、頼もしい助っ人や、親切な理解者の方々が沢山現れて、いたらないわたしがボーっと、もしくはオロオロしている間に、足りない面を埋めてくれたよ(みなさんに、こころの底からの感謝、ありがとう)。地元福原(稲田駅の隣の駅)の自家製の美味しいお蕎麦屋さん『竹下』さんのお蕎麦と山菜の天麩羅(コシアブラ、コゴミ、ヤマブドウ、タラノメ、ヤマウド、藤の花、等々)、そして京都の大大大好きな天然酵母パン屋さん(ベジタリアン対応) rie さんのパンとスイーツ、その他お野菜やらお漬物やら煮物やら、仲間たちが差し入れてくれて、食事も美味しかったよ。

たまたまお分けしたドライフルーツのお菓子がお気に入りのフェアトレード商品だったことから、「野鳥好きの人が、フェアトレードに関心を寄せているなんて新鮮だ」と大家さんに頼まれて、野鳥のことから考えていった環境や平和の大切さを、地元で活動が盛んな『かさま九条の会』の通信に記事として書いた。そのことから、環境や平和について考えながら笠間での日々の暮らしの中からできることを実践している大先輩の女性達と知り合うこともできた。

先輩や友人達が立ち寄ってくれるたび、遊びにきてくれるたび、彼らは夢の実現や、暮らし方や、土地や自然の感じ方などについて、その一瞬の間に気付かずにいれば見落とすけれど、一瞬の煌めきのように眩しかったり深遠だったりする智慧を授けてくれる。味わいのあるひと時を、ともに創ってくれる。7月には、元気な男の子連れの友人も泊まっていってくれ、《子どもと自然》という、ずっとわたしの中でキーワードだったことを目で見て、からだで感じて体験するチャンスもあった(実際には、パワフルな子どもと一緒に自然の中で駆け回ると、いかに心底くたくたもいいところになるかも分かったけれど)。

今、ふと立ちどまる。

ここまでで感じてきたこと。そして、これからどう歩いていくのか。

実際に田舎に暮らしてみて、見えてきたことがある。といっても、週末だけの暮らし、しかもすぐ隣に家が近接し、電気もプロパンガスも井戸もあれば、困ったときには大家さんに相談できる環境である。(サンクチュアリの候補地は、最終的には、山の中で、電気をはじめとしたエネルギーやインフラをどう確保するかが問題となるような土地となる可能性が高い)。

ほとんどノウハウのない自分が、自然と調和しながら、鳥たちを守って自然の中に住み、そこから《鳥たちと人との配慮や信頼のある対話》や《環境や自然をなるたけ傷付けない、調和のある暮らし》を発信していこう! という夢を、理想ではなく現実として捉えるとき --。確かに、自分の中に、できることとできないこと、向いていることとそうでないこと、楽しいことととてもしんどく感じられることとがあった。できないことの中にも、成長できそうなところと生まれつきどうにもならないところとがあった。正直、無理や背伸びは「続かない」と自覚することもあった。

天の啓示とも言えた my bird sanctuary 創立の夢が現実に根をおろすとき -- 真にわたしは、自分を律していかなければいけない、という気がする。

自分の中に聖なる秩序がなければ、光を広げて sanctuary を創っていくことはできない。

睡蓮

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