hearing the unheard voices

小鳥たちと対話し、自然と人とが調和できるバード・サンクチュアリを創立しています。http://homepage2.nifty.com/birdsanctuary/index.html

秋!

狭いベランダに並んだ木の鉢の中に、金柑の木がいます。

夏の初めに白い可愛い花を沢山咲かせていた金柑の木は、

金柑1

今、ぽつりと可愛い青い実をつけています。

金柑2

冬には金色に変わるのでしょうか? 鳥さん達は見つけてくれるでしょうか。
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笠間・稲田からの坂 -5-

自然を守り、再生し、鳥たちや樹々と人とが調和の中で暮らし、日々小鳥と対話できるようなmy bird sanctuary の創立のための土地探し、そのためのベースキャンプとして笠間・稲田に家を借りて半年。さあ、ここからどうしよう、と夏休みに入ってとことん考えて、いや考えなきゃどうにもならんというところに来て、1ヶ月以上が過ぎた。

相変わらず土地探しや、そのために色んな方々に相談・お願いに行くということはやっているのだが、今、候補としてみている土地でも新しく紹介されるお話でも、なぜか前に進めない。それではいけない、しっかりしろわたし・・・何かが空回りしているような、夢について語っても何か上滑りなような、一歩踏みでたつもりがちっとも前に行っていないような ・・・ でも、どこのどの部分の方向性が間違っているんだろう? 何か前向きになれないぞ、何か今度のもどうせ上手く行かないっていう気でやっているぞ、でも、これまでも、大失敗したときも、絶対めげないって決めてきたはずだぞ、初心に戻らなきゃ。だけど何だかネガティブで、疲れていて、このままじゃこれまでずっと諦めず見限らず支援してくださった方々、自分がいたらないときも助けつづけてきてくださった方々に申し訳が立たない。例え小鳥に関心がなくっても、人間が自然と調和してつつましく暮らし、小鳥たちが人間を信頼してその肩に止まってくれるような、そんな世界の実現に向かうことに希望をもってくださった方々に申し訳けなさ過ぎる。

ぬかるみの中で前に進もうとすればするほど、無駄に疲れている感じ? 「膝」が空っぽな感じ(「膝」の不調は、肉体的な不調からくるだけでなく、精神的に前進できないときにも起こるそうだ)。8月には、4箇所くらい候補地があったのに、どれも確かめてみないうちから、どうしても更に話を進めてみる気がおきない。

「諦める」? -- それはありえないんだけれど。


振り返れば、2年前には2年間もかけて調査した後に「ここぞ夢に見た土地」と確信したサンクチュアリ候補地で、契約のちょうどその日に、実際には(後から)森が手に入らない(と分かった)おかしな契約を結んでしまい、バンジージャンプで落っこちたようなショックに自分の周囲のエネルギーがひしゃげるという事態が起こった(回復に2ヶ月はかかった)。1年前には、嫌な予感と共に受診した人間ドッグで、一時は「お気の毒に--」と余命宣告を受けて「あと三ヶ月なら、全て投げ出しても夢のほんのひとかけらでも実現する!」という思いをした(後から、その宣告はかなりオーバーだったと分かったのだが、自分の魂からの希求を確信する良い機会となった)。こうしたことの度ごとに、「お釈迦様も、悟りを開く直前には、迷いに誘い込もうとする邪魔者が現れた」という、尊敬するI先生の言葉を思い出しては、「迷い」に囚われることなく、サンクチュアリの夢に進もうとしてきた。だが、今度のも「悟りを妨げようとする迷い(邪魔者)」であるなら、契約の失敗・資金の損失、夢に見た土地の放棄、余命宣告、等の方が一見したところずっと大変なのだが、今度の方が有無を言わせずしんどい -- 自分のこころがどこか堕ちていく、駄目になっていく感じが。

土地確保、入手、でサンクチュアリが完成するわけはなく、むしろ自然と人間の調和、小鳥たちように弱い生きものたちが安心して暮らせ、そうした生きもの達から人間が信頼を得られるような、そして人間達もこころ豊かに清らかに生きていけるような、そんな地球の実現に向けて歩く路は果て無き道程(プロセス)となっていくだろう。わたしが購入できる土地は、地球上のごくごく一部を切り取った、またそのごくごく一部の・・・(以下、繰り返し)・・・一部に過ぎない。その土地の上でさえ、清らな水、生き生きとした草木、生きもの達ののびのびした営みの中で人がこころ豊かに暮らしていくことや、その一人一人のこころが真に穏やかで平和であることの実現までには、相当の道のりがある。だが一方で、たった今のこの瞬間にも林や草地の傍らで目をつぶり、本当にこころ穏やかになったとき、風のざわめき、樹々の揺れる音、小鳥たちの飛翔、とわたしは一体だ。そしてそんな瞬間のうちの何回かでは、木漏れ日の輝きがわたしの中を過ぎり、小鳥たちは本当に近くまでやって来てくれる -- 「サンクチュアリ」がそこに在る瞬間はあるのだ、土地入手が叶わなくとも。

だから、こころが朽ちていくことは最悪?なはずなんだけれど、これだけやっても駄目なのは、どこが悪いのかな? わたしの何が悪いのかな? 皆に迷惑をかけるだけかけて、一体何をやっているんだろう? そもそも自分の力量以上のことをやろうとしていたのかな? いや、元の自分を振り返れば、力量以上だってことはそもそも分かってる。だけど、何か自分を超えた宇宙とか神さまとか、高次のエネルギーから受け取ったことで、それは今でも絶対に真理だし、既にそれに全面的に委ねてしまった。じゃあ、現実面でのグラウンディングが駄目なのかな、歩き方が「地に足をつけていない」のかな? いや、沢山失敗をし、沢山アドヴァイスを頂いて、尊敬する方々から無条件の支援を受けて、実力的にも経済的にも自分に出来る範囲で計画を立ててきたんだ -- でも、じゃあ、何故、過去に笠間で多くの人との貴重な響きあい・出会いがあり、沢山の支援を頂いて、「光が注いで前方の道がぱぁ~っと開けていく感じ」と実感した土地契約で失敗しちゃったんだろう? 何故こんなにうまく行かないで疲れちゃったんだろう? 天から頂いたエネルギーを、全部無駄に消耗している感じ? (以前失敗したとき、あるヒーラーさんから、「本来は上手く行くはずのものも、あなたの自信のなさ・自己否定から駄目になった」と言われ、最近では別の方に「あなたのせいではないかもしれないけれど、家族か過去世に《うまく行かなくなるDNAが入っている》」とまで言われてしまった)。 ほんと、このままじゃ駄目だ。少なくとも、今のままのやり方じゃ駄目だ。

ブログ『笠間・稲田からの坂』の1~3で書いたように、鎮めたい・整理したいことがあってヒーリングを受けて、そのときから感じてきたテーマは「浄化」「解毒」(特に自分のこころの)だったのだが、で、その後出て来たテーマが「手放す」だった。自分でもサンクチュアリ創立の、特に土地探しに関して、ここ5年以上うまく行っていないで、探し方そのものに関する迷いや、駄目と分かったときの失望の繰り返しから、何か混乱し、相当焦ってしまっているのはよく分かっていた。実は、稲田の家を借りたときも、この1年で上手く行かなかったら、笠間という地域にフォーカスする、職場の仕事との両立をする、などの条件をはずして、新規蒔き直ししようと思っていた。

「いったん、全てを手放してみては? 難しいことかもしれませんが・・・」

少し前に、ある友人がメールでこう言ってくれた。その時は、「サンクチュアリのことは絶対にめげない」と思っていたので、「全て」「手放す」は無理だな、今ほんとにそれやったら「手放す」のでなく何もかも「失っちゃう」し、そうしたら一生負け犬だと感じてしまうし・・・などと怖かった。でも、最近はそこからまた何歩も「崖っぷちに」「追い込まれた」ので、「この話も、イチカバチカ、ヤッテミヨウ」と(←半分「やけ」ですね)乗ることにした。

サンクチュアリ、世界や生きることへのわたしの希求、小鳥の声を聴くこと、彼らの信頼を裏切らないこと、生きもの、自然、大切な愛しいものたちへの愛、澄んでいくこと、平和、調和、清らかさ、純粋さ・・・

・・・・・


手放す、ことは、失う、ことではなかった。

真理は、消えていかない。姿は変化する、ただ、‘それ’は全てを包んでいる。


わたしがお別れできたのは、自分自身の執着だった。天のエネルギーに全てを委ねたときに、とっくに捨てたはずだった自己中心的な執着だった。「うまく行かなければ苦しい」「わたしのどこが悪いの?」「うまく行かないのは何のせいなの?」「皆に申し訳が立たない」「支えてくれている皆に、何と言ったらいいの?」 -- はい、これは自分のエゴからくる執着でしたね~(恥)。こうしたことこそ、わたしを「サンクチュアリ(聖地)」から遠ざけていましたね~(焦)。

元来、緑と水の地球はそこに生きる命たちのサンクチュアリだった。植物達が光合成し酸素を放出し、動物達がそれを頂いている大気、豊かな命を育む水、動植物の生きる大地、そして人間達がそれによって文明を発達させることになった火。人間達が数々の間違いを繰り返して、人間をも含む多くの生命体が絶滅・生存の危機へと追いやられ、環境が汚染・劣化し、サンクチュアリでなくなるどころか地球そのものが今ぎりぎりのところまで危なくなってきた。わたしがしたいことは、その地球の一部を本来のところに「還す」こと。人間がおかしな風に奪い取ってしまった地を、自然(自然に生きる人間も含む)に還すこと。だから、サンクチュアリはわたしのものではないし、執着の対象とするものではない。わたしは、それを預かって、自分の最大限の努力で、その番をする番人なのだ。

この夏だって、そう言えば、コンクリの道で干からびかけたミミズを何とか息を吹き返さないかと何匹も広い、水をかけたり、草地に戻したりしていた。息を吹き返す命達ばかりでなく、命の盛りをと数日間鳴き続けた後、落下していくセミたちを拾い、「また生まれておいでね」と少しでも緑のあるコーナーに移して手を合わせた -- この夏もそれだけはやったんだ。あそこから出発しなければ。

必要なときに、力が備わったときに、期が熟したときに、宇宙(でも神さまでも)がわたしに預けてくれる。わたしはそれまで、個の人間として最大限努力して、研鑚するのみ。

その辺りから、焦りから解放されて、楽になった。一陣の風の爽やかな感触、夕闇の篭る樹々の中にある静けさ、家に帰れば真っ白な文鳥さん達(小露鈴やgaea)と目線や声、全身で伝え合う交流、人を訪ねれば受け入れてくださる方々の微笑や頷き -- そうした全てに、サンクチュアリの煌めきが再び感じられるようになった。


・・・・・

でも、土地も、探します。

情報を集め、想いを伝えていきます。

それから、しばらくさぼっていたホームページの方に、「小鳥との対話」を1960年代の英国で実現させていたレン・ハワードさんの対話についての研究、「サンクチュアリ」の本質やもともとこの活動が起こってきたときのことについての研究、小鳥と対話し「野の鳥は野に」と日本の自然保護の父となった中西悟堂の研究、等の成果について書いていきます。1区画の土地以上に、サンクチュアリの風が広がるために。

稲田の家は ・・・ 来年は引っ越そうと想います -- 今度は、冬の小鳥さん達が飢える時期に庭先でごはんをあげられるようなところか、野菜を育ててカエルやバッタやトンボやチョウチョたちを少しは守って上げられるようなところを探します。1本か2本でいいので、庭にいながら木に語りかけられるようなところにします。そこから、土地を探します。

稲田で考えたことを書いていくのに、最初『稲田からの道』という標題にしようとしていたのですが、『道』を『坂』に替えました。「上り坂になるかな、下り坂になるかな」と、そのときは分からないままで--。

今は--。

鷺草
 (鷺草、白い鳥を想わせます)



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お留守番

研究室の卒業生から突然のメール -- 以前訪ねて来てくれたとき「生まれて初めて文鳥を飼った」と喜んでいらしたが -- で、名古屋まで旅行に出かけるということで、その年若い文鳥さんを彼女の旅行中の4日間預かることになった。

チッチ(その子)は火曜日の夜やってきて、うちに来て初めて他の文鳥(うちの小露鈴とgaea)に出会った。かなり緊張して、噛みまくるチッチ(文鳥さんは、生まれて1年ちょっとはどうしてもよく噛む)。それと対比的に -- おや、小露鈴もgaeaちゃんも、落ち着いているじゃない。

チッチと小露鈴
  (上がチッチ。下にいるのが小露鈴)

男の子だが、細くてきゃしゃ。でも、知らないところにいるせいもあるだろうけれど、相当の警戒・威嚇。文鳥さんだけに、か細い声ながら気丈にもうちの子たちにも「トゥルルル」と精一杯のがんを飛ばす。そりゃそうだよね。いきなり他の文鳥さん達のいる知らないおうちで、お留守番しなきゃなんないんだものね。しかも、ここが哀しいところで、文鳥さんには「お留守番だよ」「4日間で、ママ(?!)戻ってくるから」という言葉は通じない。精一杯威張って、噛み付いても、心底不安でつぶされないようにね。大丈夫だからね ・・・ と、そっと挨拶、お世話して、それでも2日くらいは、相当に噛みつかれたけれど ・・・ 静かに一緒にいると、少しずつ安心してくるらしい。

面白かったのは、小露鈴とgaeaちゃんの反応。新しい文鳥さんの出現に、”平和を乱される”ことや”どうなっちゃうのかしら”という不安を抱くのではないかしら、と心配したけれど、極めて穏やかにチッチを迎え入れていた。文鳥のオスは、テリトリー意識が強く、群れになったときにはボスの存在や序列がある、と話には聞いていたのだけれど、gaeaちゃんは違うみたい。男の子のチッチが若い子なりのちょっと生意気な仕草で威嚇しても、うちで唯一の男性として君臨してきた(?)はずの(?)gaeaちゃんはじっと見つめて、嘴をこする仕草をする。あれ、「嬉しい」っていうことだよ(文鳥さんの言葉で、”嘴拭き”は「嬉しいよ」)。 -- gaeaちゃん、堂々たる風格で受け止める・・・っていうかそれはもう、人が良過ぎるよ。若い新入りの男の子に急にやって来られていばられても、君はおっとりと「嬉しい」っていうの~。君ほんと、人(鳥)がいいよ~。

小露鈴も、面白かった。チッチは不安なのか、それとも卒業生は夜9時に寝せていたそうだから、単に宵っ張りなのか、夜9時・10時になっても鳴き出す。時には、歌まで歌い始める。そうすると、小露鈴は「チッ、チッ」と静かだがぴしゃりとした声 -- まるで、「夜なんだから静かにしなさい」と言っているみたい。さらには、1日過ぎてチッチが大声で鳴いていると、淋しがっていると聞こえたのか、近くまで行って -- でも威嚇にならないだけの距離を置いて -- そばにいて見守っている。小露鈴、君はお姉さんだね~。

可哀想なことに、チッチはペットショップで羽を切られていて、飛行の上手な小露鈴が飛び立つと一緒に羽をバタバタさせ、ドスンと落ちる。じきに羽は生えてくると思うけど、早く翼を切って飛べるようになればいい。飛べはしないけれど、生まれて初めて出されたサツマイモの蒸したものやパパイヤの切れ端も、隣でgaeaちゃんが食べているのを真似して、初めて口にした。

仲良くなれる、までには至らなかったけれど、辛いお留守番も、鳥のお兄さん・お姉さんのおかげで何とか無事に(同じ白文鳥さんがいるっていうのは断然安心感が違うよね)終えることが出来た。チッチもよく頑張って適応してくれた。

三羽の関係を見ていると、もう9歳となる小露鈴と同じくらいであろうと推定できるgaeaちゃんは、若いチッチと比べてやっぱり落ち着いていて、そういう関係もいいなあ、と思えた数日だった(三羽の違いは、卒業生が一般の飼育書通り、「ペットショップでは他の子を押して一番に来る子が元気がいいので、そういう元気な子を選びましょう」に従ったのに対し、わたしの方がペットショップで他の文鳥さん達に踏みつけられていたり(小露鈴)、いじめられていたり(gaeaちゃん)した文鳥さん達をお迎えしていることにも由来するかもしれない)。

土曜になって、チッチの不在にペットロス状態(?)の飼い主さんがチッチを連れ帰ってしまうと、gaeaちゃんは淋しそう。小露鈴も、チッチを見守ってあげていた場所まで止まりに来て、いなくなった場所をじっと見つめている。

鳥さん達は何を想っているのだろう。

こころの中で、何を感じていたのだろう。

*****
名古屋に行く、という卒業生に、文鳥さんがいなくて淋しくならないよう、せっかくだから文鳥の里、弥富町(文鳥の生産地で全国の文鳥好きの観光スポットとなっている町)に行ってみたら?と提案したら、本当に訪ねていってくれた。弥富町は今では、文鳥だけでなく金魚の生産に力を入れているらしい。チッチとのお留守番のお土産は、文鳥の里ならではのふっくら美味しそうなお菓子。

文鳥の里のお菓子

紙に描かれている二羽の白文鳥さんも可愛いし(白文鳥は、弥富町で誕生した)、お菓子の袋には鳥かごが描かれていて、それをはがすとお菓子には二羽の文鳥さんが焼き型で押してあるんだよ。
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