hearing the unheard voices

小鳥たちと対話し、自然と人とが調和できるバード・サンクチュアリを創立しています。http://homepage2.nifty.com/birdsanctuary/index.html

金柑

金柑

2008年10月21日ブログ『秋!』でご報告した金柑の花と実は、今こんな金色です。

金色の実をもいで、どんな味なのか味わいたいような気もするし、ベランダに訪れてくれるヒヨドリさんたちが甘くなるのを待っている気もするし ・・・ (でも、ヒヨドリにとってそんな好物じゃないという噂も)。
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my bird sanctuary 候補地のこと、年明けからまだ、契約上の進展はありません。
(ご心配いただき、ありがとうございます! 一歩一歩クリアしながら、勉強しつつ、進めていこうと思います)

昨日は、候補地と近い地域にお住まいの、氣功の先輩と現地でお会いしました。その先輩は既に氣功の会はやめられているのだけれど、素晴らしいエネルギーの持ち主です。特に〝癒す〟方の氣がすごいです。氣功の会をやめられてから、お目にかかるチャンスがなかったのですが、今みている土地の話が持ち上がったとき、この先輩のお近く ・・・ と思うとご縁を感じて、連絡をとりました。でも、なかなか通じなくて、ようやく連絡先がはっきりして、連絡できた途端、先方からもご親切な電話を頂き、年を越してお目にかかれたのです。

土地の周辺を一緒に歩いて、いろいろとお話できました。風水にお詳しく、木を植える位置とか選定の仕方も教えていただけそうです。お互いに思いを交わして、夢もいっぱい語り合えました。地元の方に信頼されるためには、いろいろと学んでいかなければ --。先輩は農業もやっていらっしゃるので、畑のことも教われそうです(見事な冬野菜、大根・ねぎ・白菜等々、を頂きました!)

契約・引渡し・その後の土地周辺環境・活動への地元のご理解 ・・・ この先輩も含め、わたしがやっていくことに関しては、いろいろとご心配を頂き、事実不安材料を一つ一つクリアする段階です。

それでも、今回〝も〟、高速のインターを降りたら、虹が出ました!

(実は、以前も深い迷いと心配の中でインターを降りたとき、ものすごく綺麗な虹が出たのです)

虹は -- どこから、どこへとかかっているのかな? 虹を超えていった先は、どこにつながるのかな? 

インターを降りた後、幾つもちょっとした池・貯水池があるのですが、そこここで、沢山の白鳥が飛来していました。

白い大きな鳥と虹、かあ ・・・ そこに向かっていく!

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gaea ちゃん (2)

『 gaea ちゃん (1)』で、 いろいろなご心配や暖かいメッセージ、ありがとうございました。

c&gJ09
 (手前が gaea、奥が小露鈴です)

小露鈴と gaea (うちの文鳥さん二羽)は、gaea ちゃんが来てくれた日から、ケンカするほどではなかったけれど特に仲が良いわけではなかった。「うちにいるのは女の子と男の子」と話すと、よく、文鳥さんと暮らしたことの無い方からは、「カップルなの?」と尋ねられる。けれども、文鳥というのは、一度「この人が大事な相手(あるいは恋人)!」と決めると、その人にはとっても忠義を尽くすが、他のいかなる生きものも見向きもしない、というような子が多いらしい。だから、「うちは一人(一羽)だから可哀想。お婿さん(お嫁さん)でも -- あるいは単純にお友だちでも -- 」と人間の方が考えて、二羽目の子をお迎えしても、上手く行かないことが多い、と書いてある指南書もある。一羽目の子は、すでに人間(=飼い主)を大事なお相手と決めていて、二羽目の子をライバルとみなし、ケンカしたり、どちらかがどちらかをいじめたり、人間の方も困ってしまって、両者(プラス人間)がハッピーになるのは難しいらしい。

文鳥同士、ひどいケンカをするケースもあるらしいが、小露鈴と gaea は偶然接近した場合にちょっとした小競り合いをしたり、先輩であり機転が利くことでは数段上の小露鈴がちょっとだけからかい・ちょっかいをする、あるいは男の子の gaea の方がちょっとだけいばってみせたり嫉妬してみたりする程度で、あとは互いが互いの暮らしをマイペースで楽しんできた。ごくたまに、偶然接近したときに、gaea ちゃんは男の子特有の求愛の歌とダンスをするのだが、そうすると小露鈴は「迫られる」と思うのか、〝いや~な顔して〟逃げ去ってしまう。お互いのお家(鳥かご)もその場所も別々、遊び場も遊び方もばらばら。それでも、人間がいないとき、もし人間の帰りが遅かったり窓辺を大きなカラスが通過したりと、何か不安なこと・怖いことがあったときには、お互いがいて、鳴き交わせることは心強いかな、とも思ってみたりした。

そんな風に、お互いがほとんど関わらないようにして、まあまあ認め合うだけでやって来た7年ほどだったが、最近、写真のように、小露鈴が gaea のお家(かご)の開いた入り口で「入る」という意思表示をして、中に入ってしまうことが多くなった。

入ってどうするかというと、ベタッとくっつくでもなく、近くの止まり木にいるだけなのだが --。

以前だったら、ありえないことだ。

gaea の家の上に止まりこそすれ、彼が抗議するほど近付くことなど小露鈴は絶対しなかったし、もししたとしたら、(それは文鳥さんにとっては相手のテリトリー侵犯なので)gaeaちゃんも黙ってはいなかっただろう -- 威嚇するか、あるいは求愛のチャンスだとばかり、求愛の歌とダンスを始めるか・・・。だが今の gaea ちゃんは、一度小露鈴が近い止まり木に止まったときに小声で「トゥルル」と軽い抗議の声を出したが、その後はずっと黙認している。小露鈴は、というと、当初は「そっとのぞいてみる」程度で入ったのかもしれないが(←彼女、好奇心強いので)、さあ出よう、とこちらが手を差伸べても、「ずっといる」と意思表示、今では入り口で「入る」と意思表示し、すっかりくつろいで、止まり木に止まっている。

何が起ったのかな。

二羽で、どんなコミュニケーションが取れているのかな。

目と足が弱って以来、眠りこけていることの多い gaea ちゃんだが、小露鈴が近くで羽繕いしていると、自分も同じように羽繕いを始めたりしている。かと思うと、 gaea ちゃんに合わせて、小露鈴まで眠ってしまっていたりする。

人間の方も、小露鈴が gaea の家に入っても誰もケンカをしないこと、二羽が同じようにゆったりくつろいでいることが確認できると、ほっとするようになってきた。目が見えなくなりつつある今の gaea ちゃんにとって、小露鈴が一緒にそばにいてくれることは、もしかするととっても心強いことなのかもしれない。勝手な推測だが、小露鈴はこれまでも、お留守番するために預けられた若い文鳥さんを見守ったり活を入れたり(9月7日ブログ『お留守番』参照)、そう言えば gaea ちゃんが最初に来たときや東京に家に宿泊したときにあまりに心細い声を上げたときも飛んで見に行ってあげたり、人間にさえ辛いときは慰めに来てくれるので、〝お姉さん〟的な面が強いのかもしれないなどと思えてしまう。

もしかしたら、今も、 gaea のことが何かわかって、何か感じて、こんな風に一緒に傍にいることをしているのかもしれない -- などと感じながら、小露鈴に「よろしくね」と感謝の思いを抱いてしまう。

小露鈴J09
 (小露鈴、うとうと眠ってしまいました)
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太陽の恩恵

干し大根

笠間、福原にある最高に美味しいお蕎麦屋さん『竹下』さんのおかみさんに教わって、北茨城花園のSさんご一家の畑の大根を、一部切干大根にすることにしました。

大根の白い根を気をつけてピールして、ざるに当てて ・・・・ 乾いてほんのり甘くなるまで、太陽のもとで干す。わたしにとっては初めての作業です。

Sさんご一家が丹精込めて育てられた大根。ものすごく穢れの無い土地の、無農薬の実りです。新鮮で白いまま頂かないと勿体無いような気がしましたが、『竹下』さんが「(大根は)干すとあま~くなって、本当に美味しいんだわ」と素敵な笑顔で愛しそうにおっしゃったのが忘れられなくて、ちょっとだけ実験です。『竹下』さんの奥様は、野菜(勿論手作り無農薬)や野草が大好きで、いろいろと食べ方を教えてくださいますが、そのたびいつも野の草たちを愛しそうに、嬉しそうにお話なさるので、見とれてしまうのです。

また、実は、これまでのわたしにとって、残念なことに「切干大根の煮付け」は、何か変な匂いのする甘辛い味の濃すぎる煮物だったのですが、先日Sさんご一家に頂いた「煮付け」は甘ったるくなくて、薄味だけれど大根のうまみが効いて、全然臭くない逸品だったので、考え方を改めました。あんな上品な逸品ができるかな --。

何はともあれ、自然のエキスパートの方々からの恩恵、自然と太陽の恵みに大感謝です。
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gaea ちゃん (1)

gaea ちゃん(うちの文鳥の男の子)がうちに来たのは、2002年。成鳥で荒鳥(=この言い方はあまり好きでないけど、人に慣れていない鳥の意)としてお迎えしたが、その冬からペットショップで見かけていたことや、そのとき羽がツヤピカだったことや、赤いアイリング(目の周りの縁取り)が紅くてからだがしっかりしていたことから、その当時2・3歳になっていたのではないかと思う。(ペットショップでずっと観察していて、他の男の子たちのように攻撃しないし〔むしろ、ずっといじめられていました・・・涙〕、隣のカゴの女の子達に対しても挨拶に答えたりして本当に優しい子だと分かっていたから、絶対この子でした)。

うちに来てくれて7年目、小露鈴(うちの文鳥の女の子)と同じく、10歳近いと思うのだけれど、ここ半年くらい、小露鈴と一緒に飛び立っても、壁にぶつかったり、おかしなところに行ってしまって落っこちてしまう、ということが起るようになった。

うちに来たとき、 gaea ちゃんは、陽の光の当たらないペットショップにずっといたせいか、飛べなかった。また、それまでの境遇のことは悲しくなるから想像したくないけど、非常に人間に怯えていた。それを、3年くらいかけて、挨拶して、話し掛けて、ずっと一緒にいて、人も信頼してもらえるようになり、ついには手に乗ってくれるようになった(そしてベタベタの甘えん坊に・・・^^;)。飛ぶ方も、最初は全く駄目で、注意をしてはいたが、何かのはずみに飛ばせてしまって(翼の力は強いので)壁にぶつかり、危なくてどうなることかと思ったが、小露鈴を真似て、少しずつ上手くなった。そして、どうにか人間(=わたし)が差し出した手や肩に、遠くからでも飛んで来て止まれるようになり、小露鈴よりずっと限られてはいるけれど、幾つかのお気に入りの場所に好きなように飛んでいって遊べるようになった。

どうしちゃったの?飛ぶの上手くなったはずなのに? -- と最初は心配で、幾度か落ちてしまった後でよくよく観察すると、 gaea ちゃんの目 -- もともと小露鈴よりも瞳の中心が赤くて、アルピノが混じっている?と思っていたのだけれど -- がちょっと白っぽくなっているのに気付いた。

白内障だ。

年齢の行った文鳥さんの内には白内障にかかる子がいる、ということは以前から聞いていた。 gaea ちゃんの瞳、特に右の瞳は、白っぽい ・・・・

よく見えないらしい。

その上、以前から傷めているのかうまく止まり木を掴めなかった左足のせいで、飛んでいっても踏ん張りが利かないから、落ちてしまう。止まり木にいても、左足のせいで落っこちてしまうとき、目が見えにくくて体勢の立て直しが出来ない。

(「左足が悪いなら、地面で生活するようにしたら?」と思われるかもしれません。ですが、勿論その方が楽なのではないか、と痛みを持って感じてきましたが、これもムズカシイ問題で ・・・  gaea ちゃんはもともと、相当の怖がりで、特に〝止まる場所〟に関しては、慣れたところしか駄目、パニックになってしまうのです。もともとの止まり木でないものは〝止まる〟どころか、恐怖でバタバタ逃げ回る。落っこちても、慣れた止まり木に戻ろうと、無理に飛び上がってパニックになる可能性があるので、何とか対策を立てねば ・・・ ただ抜本的な「無理やり」環境を変えるのは、今のところ最終手段です。彼が大丈夫なのは、その〝慣れた止まり木〟とわたしの掌・右肩、自分と小露鈴のお家(かご)の上だけなので、難しいところです。因みに、夜中に止まり木から落っこちて「どうしても足が痛いか落ち着かないらしい」ときは、ずっと掌に包み込んでいますが ・・・ わたしが眠ってしまうのもキケン〔爆睡したら、鳥さんつぶしかねないでしょ〕なので、限界があって--)

よく見えてなくて、先が分からなくて、しかも到着した先で足回りの踏ん張りが効き難くなってしまったら、どうする? 

わたしだったら、飛ぶのは嫌だ。

その後、手に乗っていても、足元が不安定で落ちてしまうとき、gaea ちゃんは、羽ばたかないでドスンと落ちてしまうことが二度ほどあった(こちらも大心配、反省反省)。

瞳の奥の白く霞んだものは、段々とはっきりしてきて ・・・ ついに gaea ちゃんは飛ぶのをやめたらしい。

・・・・・・・

でもね、頑張って生きてるよ!

夕方、ちょうど彼らの眠る前というのは、わたしにとっては夕食前のリラックスのひと時。オランダ留学時代に培った、「みんなでワイワイ夕食を作りつつ、ワインを空けて、そこらにあるものをちょいと一つまみしながらワインでほろ酔い、食欲増進!?」というクセが抜けなくて、いつかワインの御供にナッツをつまんでいた(勿論、小鳥さん達に請求された)とき以来、小露鈴とgaeaちゃんはわたしのワインの御供の(?)ナッツをちょっとだけもらう癖がついてしまった(わたしがワインを飲まないときも、ナッツのかけらを食べないと承知しません)。以来、ナッツもジャンキーなものはやめて、飲んでるワインにはふさわしくない(?)オーガニックの一級品となってしまいました。

ナッツのかけらを手の指で渡そうとして指を近づけても、角度によっては、 gaea ちゃんには見えない。
でも、角度によっては見えるらしく、それからナッツのかけらが嘴に入るように頭を傾けなおして、手探り(ならぬ嘴探り)でナッツを口にする。

何をしたいか、どうしてほしいか、どこへ行きたいか、どの止まり木からどの止まり木に行きたいか、止まり木にどっち向きで止まっていたいか、 gaea ちゃんは鳴き声とか、からだの向きとか、アイコンタクトとか、「(わたしの指を)齧る」とかで、八方手を尽くして伝えていて、何とか応えたいとわたしも彼の気持ちがとても良く分かるようになった。差し出した手には、左足を乗せて、右足を乗せて、フラフラしながらも両者で一生懸命バランスをとって、移動する。ご飯を食べたいとき、淋しいとき、踏ん張りの効かない左足で踏ん張って、右足でからだの右側を掻きたいとき(止まり木では駄目で、わたしが掌をうまくまるめてからだでもたれるようにすると上手く行く)、ちゃんと報せてくれる。(だけど、仕事が忙しくなってきて家を空けるときは、大変な工夫が必要だnya-)。

それだけじゃない。ちゃんと氣功だとかレイキをいろいろマスターしておいて、ほんとに良かったんだけど(もともと、小鳥と対話したり少しでも恩返しするために、そっち系いろいろやってきました)、掌に彼が乗っていると、左足がぴりぴりしたり、ジーンとしたり、逆に gaea ちゃんのお腹からアッタカイ安らいだエネルギーがふわっと伝わってきたりして、彼の足の状態や気持ち(情緒)がじんわりと分かるような気がする。対人間で氣功したり、レイキを送ったりするときよりも、ずっとかすかで、繊細で、精妙だけど嬉しいようなくすぐったいような懐かしいような感覚。

一般の用語として、「飛べない小鳥」というと、〝本領が発揮できない〟とか、〝不運〟の象徴みたいな比喩で使われるけれど、 gaea ちゃんは飛ばないけれど、絶対そんなんじゃない。

足が悪くなったとか目が見えにくくなったとかいう制約に押し潰されず、そのとき、そのとき、できることを、一生懸命、やって、一生懸命、ごはんを食べて、一生懸命、眠って、一生懸命、思いを伝えている。

そして、仲間(小露鈴や、うちの人間)と一緒にいるということが、とっても嬉しそう。

だからこちらも一生懸命、一緒にいるようにして、観察して、言葉がけをして、思いを聴いて -- で、うまく応えられると、やっぱり嬉しそう。一時、しょんぼりしていたときもあったが、今はお互い勝手が分かってきたので、ぱっと輝くように、生き生きと元氣になった。

うちに来てくれて、飛べるようになったのも大きかったけれど、それより大事なのは、家族となって、「ここでは誰もいじめない」のが分かって、仲間(小露鈴や、うちの人間)とずっと一緒にいて、毎日穏やかで平和な日々を送ることだったんだよね。淋しくないことが分かったとき、幸せになったんだよね。

頑張って生きていて、幸せだと思う。今の gaea ちゃん。

gaeaJ09
 (水浴び後、遠赤外線ストーブの前で暖を取る gaea ちゃん。
 自分で水浴び容器に入るのが難しくなったので、
 今は小露鈴の水浴び後に水の中に入れられています。
 最初は嫌がりましたが、汚れがひどいので無理やり?! 
 洗われている内、人間ともども勝手がわかり、今では
 なんて事ない日常行事です)
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nature walking

寒の入り。
空が澄んでいるので、朝の薄青い色も、昼間の冷たい青空も美しいですが、夕方の燃えるような緋色をバックアップに、地球の切り絵みたいな姿が浮かび上がるのも、息を飲みますね。

お正月なので、久し振りに仕事とは関係なく、〝自然との調和〟を安らかに静謐に感じられる本を手にとってみました。

 イーディス・ホールデン 『カントリー・ダイアリー』
   岸田衿子・前田豊司訳 (サンリオ 1992)
 ジャネット・マーシュ 『ジャネット・マーシュの水辺の絵日記』
   開高健監修 大庭みな子訳 (TBSブリタニカ 1991)
 
どちらも、ず~と大切に持っている本で、幾度となく読み返しています。普段、枕もとに置いているくらいです。

*******

イーディス・ホールデンは19世紀から20世紀にわたって英国で挿絵画家として生きた女性(1871~1920)。この本を書いたのは、1906年、ウォリックシア州のオルトン村で35歳のとき。この本の裏表紙に彼女の写真があるが、エドワード調の(?)ビロードのようなドレスを着てはいるものの、きりっと瞳の涼しい少年のような顔をしている。

ジャネット・マーシュの方は、1953年生まれで、同じく英国の挿絵画家(1953~)。14歳のときハンプシャー州のイッチェンの谷に移り住み、後にロンドンの Royal College of Art で水彩画を学び、結婚後はロンドンに家庭を持つが、イッチェンに通い続けているという。本が出版されたのは1978年らしいので、本の内容についてもその辺りの年代、25歳くらいのときではないだろうか。

どちらの本も、彼女らが日々、愛するフィールドで、ゆっくりと、息を潜めて、時には歓喜に踊りながら、自然の中で見つけた植物、虫たち、鳥たち、生態系や光景を、繊細に観察した透き通るような美しい水彩画で溢れている。そして、1月から12月までの繊細な自然観察記録・日記が、暦の流れに従って美しい画に織り込まれている。年頭に手にとるのに、これほどふさわしい本は無いだろう。

その穏やかで静謐な自然観察日記を読むと、枯れ葉や湿地を踏みしめる感触、頬をなぜる少し冷たい風、春の息吹、有頂天な鳥たちの声、偶然見つけた小さな虫や苔、鳥や虫の卵の不思議、虫や鳥と植物達の会話が微細だがリアルに感じられてくる。同時にわたしは、何時の間にか手放していた、〝自然を感じる五感〟のようなものが、からだの中で甦ってくるのを感じる。 --「ああ、毎日の職場との行き返り、何も聴かず何も感じず歩いていたな」。あるいは、「せっかく鳥たちと出逢っても、その〝識別〟だけして、生き生きとした彼らの姿、彼らを取り巻く樹々の植物、枝や草の姿や、太陽の匂い、風まで含めて、本当の彼らを見てはいなかったな」。歩くたび、ほんの片隅の自然でも、傍らの木、野の草、虫や鳥、苔、あるいは風や太陽の光でも、生き生きとした姿、変化、不思議、喜びがそこにある。細かに、繊細に、ゆっくりと、穏やかな気持ちで観察すればするほど、発見や喜びは大きいよ!

そんな風にこの二冊は、〝自然と調和する〟ための五感や潤いをわたしに与えてくれるのだが、今回両方の本を同時に手にとって見て、英国女性、美しい水彩画と繊細で精妙な観察日記、という共通のキーワードを超えて、両者の違いも見えてきた。

イーディスの自然観察は、文学少女っぽい。シェークスピア、バイロン、シェリー、ワーズワース等の詩が、自然の中の何かを観察するたび、宝石のように、だがナチュラルに散りばめられている。一月に可憐なヒナギク(デイジー)を見ると、ヒナギクについて歌った沢山の詩人達の詩が響き合い、いっせいにヒナギクへの思いを捧げている。自身の文章も、品位があり、歌うようだ。そして、全体として暖かく、花と虫、樹々と鳥たちが語り合うなモチーフが多く、自然への愛と喜びで包み込まれている。(わたしは、イーディス派!)

一方ジャネットの自然観察は、理科系少女、昆虫少女のそれだ。虫、苔、水生植物等の細密で正確な描写は群を抜いている。水辺の枯草も、水中の小さな虫も、カタツムリも、動物の死骸も、何でも持ち帰って、きちんと捉えるまでは離さない、昆虫少女の眼鏡を持っている。(事実、水中のトビゲラやヨコエビをジャムの空き瓶に入れて水槽で観察し、ロンドンの浴室が植物やカタツムリで一杯になっているとのこと)。もちろん、自然観察の冷徹で客観的な眼鏡と同時に、ジャネットの瞳は自然への熱狂的な愛に溢れて、命たちを見つめている。描かれるものは、飛び切り正確だが、同時に、驚異に充ちた、美しい命の輝きだ。(彼女の描く水辺のタゲリの絵は、その正確さと同時に、その身のこなしや表情の絶妙の〝タゲリらしさ〟タゲリの目の優しさで、それを映し出している)。自然科学系、理系の眼鏡は、自然や命を正確に見つめると、好奇心と感動と愛で一杯になっている。

二冊の本のもう一つの違いは、英国の最高のナチュラリストとして自然観察する時代の違いから来ているかもしれない。

イーディスは、自然を謳歌し、その観察日記は自然を称えると同時に、自然の厳しさ(寒暖、雨の多さ、等)も記して日記を終えた。人間が自然の声を聴き、その厳しさに身を縮めて生き延びる時代であった。1920年、彼女はテムズ川のほとりで栗の木の花芽を採集しているとき、川に溺れてなくなった。一方、ジャネットは、愛するイッチェンの谷を横断することが計画されたハイウェイの建設計画を知り、愛するこの地への想い、この地の生きもの達への愛惜を込めて、文と画を書いた。結果として、ハイウェイはこの谷を迂回して造られたが、彼女の文中のそこここには、人為による生態系や環境、命たちへの影響がそっと織り込まれている。それは正面きって語られることはなく、自然や命を包み込むように綴られる中で、そっと添えられる哀しみとして読み取れるだけなのだが、そうした文体であるが故になぜかとても胸に刺さる。

もし彼女ら第一級のナチュラリストが、2009年の日本、わたしたちの住む場所に降り立ったなら、どんな自然、生きもの達を捉え、何を描くのであろうか。

まずは、日々歩く中で、ゆったりと呼吸し、五感を一杯に広げて、自然を見つけて立ちどまり、からだを楽にして耳を澄ますことにしよう。

もし今日のわたしなら、やっぱりお正月の空気の澄んだ中、陽を浴びる道端の草、鳥たちの群れ、越冬している虫たち、枯葉 ・・・・ 耳を澄まし、小さな、かすかな、儚い、どんなものでもくまなく観察して、一杯の興味と愛に溢れて描きとめようとするだろう。(←わたしは、残念ながら画才がないのですが)。

あなたは、何を見つけたいですか。




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呼吸

お正月の朝は、いつになく澄んでいて、蒼い。

ここつくばからは、毎年お正月にだけ、富士山(西)、日光の方の山々(北西 ・・・ すみません、分かる方教えてください)、筑波山(北東)がくっきりと美しく見える。筑波山は日常的に、富士山もごくたまに、見えはするのだが、その峰に雪があるか、樹々の色合いはどうか、陽光のあたり方、周辺の雲、etc.と識別できるまではっきりとは見えない。

お正月の大氣は、それだけ澄んでいる。

久し振りに、ゆっくりと時間をかけて、朝ヨガをしたら、綺麗なお日様色がからだからふわっと広がるようだった。

お正月は、鳥たちの様子も違う。
 (残念ながら、今年はハシブトガラスの群れが、そこここで挙動不審な
 動きをしているのばかり目立つ。つくばも都市化し、お正月が、ゴミ事情が
 普段と違うからかな?)

凍てつく中、シジュウカラ、エナガ、コゲラたちが群れになり、軽快に飛び回っては枝々を移っていく。
裸になった木の幹や枝にも、人間にはわからない、絶対見えないような、小さな虫の卵が産み付けてあり、エナガなどは上手にこれらを探すそうだ(S先生談)。

エナガJ09
 (エナガ K氏撮影)

冷たいが綺麗な空気の中、呼吸するのが気持ちよい。
 (是非、やってみてください!!)

風と共に息を潜め、風と共に息を吐く。

太陽の光一杯を吸って、おなかから熱い太陽の息を吐く。

小鳥たちと、呼吸を合わせる。

歌うように笑うように輝くように息を吐く。

喜びを吸って、幸せを広げる。

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耳を澄ます ・・・

冷たく綺麗な空気のなか、新年の明るい光を浴びましょう!

耳を澄ますと、新しい息吹きが聴こえます。

比喩的にも、新しい時代の胎動、困難な中でこそ生まれゆく新たな気付きや決意の声が聴こえるけれど、自然の中でリラックスしていると、春に向かう命たちの声が本当に聴こえます。

そしてわたしたちのからだ ・・・ 心臓の音、呼吸の音、生きている音。

*****

昨夜、新しい朝陽がみたくて早く床に着いたけれど、除夜の鐘の終わり頃に突然目覚めた。

このところ、 gaea ちゃんの左足がちょっと踏ん張りが利かなくなって、昨夜二回、止まり木から落ちて、除夜の鐘が終わったら、三回目に落ちた。これは駄目だと思って、このところ時々するように、小鳥をそっと掌で包んで温めて眠った。(← 小鳥と眠るのは、大変キケン、事故になりますので、どんなに可愛くてもやらないで下さい。わたしはもともと非常に眠りが浅いので、小鳥を包んでいるときは寝ないですが、それでも睡魔に引き込まれてはっとすることがあります。昨夜は部屋が余りに寒く、鳥さんの足がもう疲れていたための、応急処置です) そのため殆ど眠らないで、綺麗なエネルギーに包まれて横たわっていた。鳥さんを包んで温めているはずなのに、その気持ちが胸から広がって、反対に、鳥さんに優しく包まれているような素敵な気持ちだった。

今ここにいる小鳥の気持ちに寄り添って、ただじっと包んで温めている。

そんな風に、この1年の一瞬一瞬を送りたい。

せせらぎにも湖にも、冬の空気にも風の音にも、硬い殻の中で小さな卵となっている虫たちにも、凍るような大気の中で食べ物を求め、それでも朗らかに飛んでくる鳥たちにも、少なくなった森や繁みに隠れ住む獣たちにも、解けないほど絡んだり固まったりしていることもある人のこころにも、

耳を澄ます。

ルリビくん
 (ルリビタキ K氏撮影)
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