hearing the unheard voices

小鳥たちと対話し、自然と人とが調和できるバード・サンクチュアリを創立しています。http://homepage2.nifty.com/birdsanctuary/index.html

鳥たちよ ~3~

稲田からの荷物の引越しが迫ってきているが、当日傷つけることがないように、その前に植物達の一部を新天地へと連れて行った。

これまで関係者の方や助けに駆けつけてきてくれたみんなは、現地に車で乗り付けていたのだが、わたしはまだそうしてはいけないような気がして、今回初めて〝所有者として〟(という気持ちで)車でアプローチから入ってみた。植物達をそれぞれの状態や特性に応じて、鉢物は鉢物で、すでに芽を出し始めている球根や掘り起こしてきたものたちは、すぐに大地へと運んだ。それから大急ぎで片付けをして ・・・・・

-- 初めて、たったひとりで、土地の真中に立った。

-- 天の光と、大地の奥深くと、つながってみた。

そう、言葉が自然に出てきた ・・・・ 
自然と、跪いて。

   地球よ
   自然よ
   生きものたちよ
   この土地を
   あなたたちに還します

   (あなたたちから再び誰かが
    奪い去ることがないように
    ヒト社会の取り決めに従った権利書は
    仮にわたしが預かることになるだろうけど、
    それは ほんとは
    ヒトと大地の関係が変わったら
    なくなった方が良いもの)

   (そして 改めて)
   太陽よ
   風よ
   水よ
   土よ
   この土地に 一人の生きものとして
   わたしにも いさせてください
   一羽の鳥のように
   一本の木のように
   調和の中に 人として
  
・・・・・・・

この土地で、初めて、大地深くとつながれたような気がした。

何か、輝くものが、涙をこぼしたような気がした。
   
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引き渡し・総清算

オオタカ若1
オオタカ若2
 (オオタカの若鳥 K氏撮影)

my bird sanctuary 第一号と考えている土地の引渡しと総清算が終わった。
今は、司法書士さんにお願いした登記簿登録完了の通知を待っている。

前日夜から、食べものを受け付けられなくなり、夜は殆ど眠れず、当日朝ともなると、〝息をする〟のに努力がいる。あれ、気が付くと呼吸してないよ -- これまで修練してきた呼吸法が役に立った。ひとつひとつ、片付けなければならないことを黙々とやっているのに、冷静に流れている川のような装いは表面だけで、川底には硬直・行動不能のわたしがいる感じ -- 何だろうねこのわたし。

小学生までの時代を想い出した -- 本当は気の弱い、「神経過敏」と言われた、こころの弱いヒトだったのよね、わたし。ヤッパリナニモカモホントウハムリナンジャナイカシラトテモジャナイケドウツワジャナイノヨワタシ ・・・ なんていうフレーズが、これまでどこを浮遊してたのか知らないが、望んでもいないのにやってきたりして。(いえ、半分冗談です。というか、笑うしかない、もう)

笠間で数年間続けた地元の方を介しての土地探しでは結果を生むことが出来ず、結局氣功のE先生に仲介業者さんのサイトを紹介していただいて、そのご縁からここまで辿り着けた。ひとつひとつを納得して進む、自分らしいゆっくりした歩幅の進め方ではなく、こうした土地取引の現実にはどうしてもなれることが出来ず、サンクチュアリの活動でずっとお世話になってきた氣功のK先生の御同僚で、様々なプロジェクト支援の大ベテランのI先生に顧問をお願いして、当日に臨んだ(大変お世話になりました)。しかし土地区分や土地の種目、特約事項などの取り決めが複雑な上、複数の仲介業者さんが入っており、そこでは〝今この時代に、鳥たちを初めとする自然や生き物を守り、美しい自然を再生し、調和や共生について個人の人間として出来る限りのことをしたい。そのための起点となる土地を確保したい〟という個人の想いの呼吸できる場はなかった。ご縁を信じてここまで来たが、今後のことも含め、折衝では二重にも三重にも話がみえないことが多く、話違い・「やられた!」・「理解してもらえるどころか耳さえ傾けてもらえない」その他、日本の社会状況に極めて寄り添うかのような土地区分・転用と登記・支払いのやりとりの中身に、砂をかむような思いが残る。もの知らずのわたしには、それもまた重要な経験であり、教訓であり、今後は地元に謙虚な姿勢で入っていきたいのだが --。

三年前、全てのスピリチュアルな啓示が直下するように飛来し、笠間の北西の土地を入手することを目指していたとき、自分の周りに広がる光は眩しいほどであり、出逢うもの全てから祝福と支援を得ていることが確信できた。いったんその土地に決意した後に迷いは微塵もなく、ただただ感謝して努力まい進する、極めてピュアな自分がいた。ある意味、光の戦士に付き添われているように、何か不思議な次元にいたかも? -- 当日、契約が半分まで行った所で、「話が違う」のが分かり、結局こじれや損失を残して破綻したときまでは。

今回は、総清算が終わり登記を待つ段階まで漸く来たというのに、恥ずべきことかもしれないが、溢れるような光やありったけの純粋な想いで一杯というわけではない。それよりも、今後のことも含め心配や気がかりな点、解決しなければならないこと、解決できるかわからないこと、本当にやっていけるのかということ、等々、「何か、大変なことに手を染めてしまったかもしれない(本当に、これで良かったのか)?」という思い半分、「これから本当に大変だぞ~」という思い半分。お世話になっている皆さまには「ごめんなさい」なのですが、光や喜びが湧き上がるような状態ではない。

しかし、確かに恥ずべきことかも知れないが、それはそれで現実を認めるということなのかもしれない、とも思う。前回契約に大失敗した笠間北西の土地は、「ただ座って、その静けさの中でずっと瞑想していたくなる」ような土地、やや荒れてはいるし、購入することによって生き物たちを守れるようにはなるが、人が入ることによってかえって生態系が荒れる結果を招く可能性もありえない訳ではない、本当に静かで美しい場所にあった。それと比べて、今回の土地は、努力とエネルギーのありったけをかけて、少なくとも鳥たちが住み心地良くなるように、訪れ来る人々が癒され美しいと感じるようにするために、課題は、「到るところに転がっている」。だから、大変なんだし ・・・・・ 「いかにしてサンクチュアリを広げるか」の宿題に適しているのかもしれない。神さまがどこかにいたとしたら見ていて、今の自分の力で背伸びしてもうちょっと頑張れよ、という範囲の宿題(練習問題)なのかもしれない、とも思う。

昨日はわたしの心配と硬直に、家族もあきれて、「もしも、ここがどうしても上手くいかなかった場合」のことを、再び話し合った。これまでも実は、契約前、契約段階から今まで、何度も「上手く行かなかった場合」や「撤退」の可能性が持ち上がっていたのだ。が、今のところの結論は、「どうしても住めなくなったら、人間だけ撤退して、ここは全面的に鳥さんの森にする。樹木や鳥さん、地球に、この土地は還して、わたしたちは管理だけをして、神社を訪れる方々にも自然や可愛い野鳥の姿を楽しんでいただく。わたしたちが死んだら、『土地を地球に還す。自然や命を守る』という意思をなるべく汲んでくださるところ(自然保護団体?)に寄付する」というもの。また、この土地でそこそこやっていけた場合にも、絶対に次がある。この土地で、想いが終わるわけではない -- 地球と地球上の全ての自然や生き物たちが課題だから。だから、どこから始めたって、残りの人生、やれることをやるだけだから、たまたまこの土地とのご縁が進んだのだから、まずここで頑張ってみるしかない。

これから笠間・稲田の片付け・掃除、荷物の引越しといった作業が将棋倒しでやってきます。こんどのところには、まず電気を引いて、井戸水を汲み上げられるようにし、水質を調査し(場合によっては水道を引き)、かなり大変になりそうな大掃除・片付け、そしてお風呂(現在使えず)と下水の点検・整備(応急)・合併浄化槽の導入、等々進めます。取り急ぎ、三月初旬までには、皆様が立ち寄ってくださったら手も洗えてお茶がお出しできる、というのを目指します。荒れた竹林の手入れ、及び土地の生態系に適した、鳥たちの好む様々な木の配置決めと植樹は -- たった今から開始!(これが一番元気出るんだよね!) 野鳥の大先生やプロの方の視点もお借りしながら、ずっと長い目で見て、じっくり作業を続けます。


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鳥たちよ ~2~

ルリビタキくん
 (ルリビタキ K氏撮影
 サンクチュアリ候補地に確認に行った際
 庭で撮影されたもの)

my bird sanctuary 第一号の土地の引渡しまで、秒読みとなってしまった ・ ・ ・ 

ここまで来て分かったのは、(これは goal なんかじゃなく)〝道はずっと先まで遠く続いている〟ってこと。

ここからの道の方が、きっとずっと険しい。
地に足をつけてやらなければならないことが山積みだ。
こころの中に灯る sanctuary の光も、新たな次元で表現されていかなければならない。

ナニガアッテモ、力は続くし、光の質感は変わってゆくだろう。

地球が、自然が、生きもの達が、安らいで調和してずっと生きていけるように守られてゆくこと。

そうした土地が広がり、人の想いが広がり、地球上に広がってゆくこと。


祓い賜え清め賜え 守り賜え幸い賜え

動物界 植物界 虫たち 海の生きものたち 世界中の命たちが
清らかに純粋に 安らいで調和して 幸せに
毎日を 送れますように

・・・・・・
皆さま(読んでくださった方、ご支援続けてくださっている方、今は遠くにいらっしゃる方も、天国で支援してくださっているI子さん、Sさま、Y先生も)、ありがとうございます。たくさんの鳥たちよ、ありがとう。




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鳥たちよ

ジョウビタキ君

 (ジョウビタキ K氏撮影
 サンクチュアリ候補地に確認に行った際
 庭で撮影されたもの)

八郷にお住まいのS先生よりお電話を頂いた。

八郷に素晴らしい〝野鳥の森〟をお創りになって、日々彼らを見守っていらっしゃる。それから、近くの特別養護老人ホームの建物の横にも、野鳥の訪れる森をお創りになり、そこはお年よりたちの〝癒しの森〟となった -- わたしの師匠だ。

土地の引渡しが済んだら、野鳥達の好む苗木を10本ほど用意してくださるという(嬉しい! 嬉しい! 嬉しい!)。そして、一度検分に来てくださり、そこで見当をつけて、更に必要な木を考えてくださるそうだ。

「まあ、長期計画で、ゆっくりやりましょう!」

お元気なその声が、ひときわ嬉しいお電話だった。
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「焼け石に水」ではありません

北茨城花園渓谷近くにお住まいのSさんからの手紙に「『焼け石に水』などという事にはならないと、私は思います」とあった。my bird sanctuary の第一号となる土地入手の引渡しが間近であることをご報告した手紙にいただいたお返事だ。

「焼け石に水」とはならない ・・・ はっとした。

Sさんへの手紙の中で、さして意識せずにわたしはこう書いていた -- 住んでいる公務員宿舎の7階から毎日見る眺めは、かつて殆ど緑であったところが、巨大開発のうねりによって削り取られていく姿だ。つくば中心にある宿舎から西は、ちょうどTX(つくばエクスプレス)開通に伴う、沿線の巨大開発地帯となっている。つくばから東京へと1時間ほどで通える電車の開通は、それなりに良い面もあるのだろうが、茨城の土建業のやり方は、別の土地から訪れてくれる方々みんなびっくりしてわたしに問いかけてくるようなものだ。駅周辺の広大な土地を何もかも根こそぎなぎ払い、木も草も田んぼも何もかもを抹消して、雨が降ると水のたまるような赤土の更地にしてしまう。そこから、駅ビル、巨大ショッピングモール、巨大駐車場、庭も公園もないようなマンション群と分譲住宅地を造っていこうとする。(これは、わたしの知る限り、東京とも神奈川とも、山梨県や長野県とも、関西地方とも一線を画している)。さらに不気味なことに、昨年後半の不景気で、建設途中のマンションやビル、明かりのつかないマンションやモールがそのまま残っている。「俺、お金ないけど、頼まれても絶対あそこ住みたくないっすよね。住みたいなんて誰も思わないんじゃないかと思う」 -- その姿に呆然として、ある青年がわたしに言った。

かつてはそんなことがなかったが、ここ二年間、西の空の際が(かつて森だったところから)煤けた黄土色の砂塵が舞い上がり、部屋にまで砂埃が舞い上がってくるようになった。くしゃみや咳をすることも多くなった。西の空の際辺りは、常に大気が濁っていて、空の色も変わったものだなと感ずる。

Sさんへの手紙の中で、こうした7階からの眺めを目にし、かつて森だったところに冬の棲み家を求めて渡ってきたツグミたちが行き場を無くして固まっているのを目にして、今わたしがやろうとしていることは「焼け石に水かもしれないが」、「それでもできる限りのことをしていきたいと思う」、と書いた。

つくばから逃げ、開発の少ない地域へと北上し、1400坪程度の土地を何とか手にしようとしている。仕事に忙殺される中、週末に通って、少しでも木の苗を植え、少しでも場所を美しくし ・・・ それは、つくば一帯に広がる巨大開発のうねりを前に、事実「焼け石に水かもしれない」。

わたしはずっと前から、「山の向こう側がブルトーザーでなぎ倒されていたとしても、わたしはここで木の苗を植える」と思ってきた。「例え3千坪の土地を手に入れられたとして、その土地で美しい自然を再生し鳥たちを守れたとしても、今地球で起っていることを前にしたら、それは砂浜の一粒の砂の話でしかない。希望は、その土地から(人間達の意識へと)どれだけ光を広げられるかなんだ」とも、ずっと思ってきた。

「焼け石に水かもしれない」 -- 痛いところをつかれたな。

今の環境学者や環境活動家、自然保護団体の殆どの人々は、自然の荒廃、生物種の絶滅、今の地球の終焉がすでに後戻りできないものであると考えている。1970年代は、地球環境危機が大手メディアでも叫ばれ、「今回復に向かわないと取り返しがつかない」というメッセージが、心有る人々や先駆的な人々によって伝えられた。しかし、こうした人々の多くも、今では一線から退いてしまった(活動の挫折や、危機の現実性・人々の意識改革の必要性を巡る論争が無益化したことの空しさもあるが、現実的に「地球が助かるかもしれない」という希望を諦めてしまったことが、その根底にあるのではないかと思う)。my bird sanctuary のあり方を模索するうちに、わたしは、各種の自然保護団体の理念や意思表明、具体的な行動・活動を結構良く眺めたり知らず知らず分析してみたりするのだけれど、ここでも人々はすでに多くを諦めてしまっているような気がする(「今、出会えるうちに、この珍しい動物に会いにいこう!(←わたし:会いに行くより、彼らの生息域に分け入って残り少ない彼らにどれほどのダメージがあるか考えて、絶滅させない方に動けよ!)」「○○は、地球最後の日まで闘います!(←わたし:最後にならないために活動していたんじゃなかったのか?自然保護団体なら、自然と人とのあるべき姿、やるべきことをみんなにビジョンとして見せなきゃ駄目でしょ!みんなこれじゃ裏切られた気分になっちゃうよ)」)。

専門家だけじゃなくて、身近な暮らしの中で、ほんの些細なこと、細々としたことのなかに、すでに自然の荒廃、生物種の絶滅、今の地球の終焉へのあきらめは、潜在しているような気がする。生活のこと、ゴミのこと、CO2排出のこと、水のこと、身近な自然のこと、口に入れる食べ物のこと、グローバリズムに乗っかって手に入る商品、自分以外の他者のこと(他者は、身近な人から、地球の裏側の人、ツバルの人やパレスチナ人・イラク人・・・ 遠いところの様々な人々まで広がっている)、等々、「無理はできない」し「今で精一杯」だし、「難しいことはわからない」「あまり、知りたくない」「考えないようにしている」。それは、良くも悪くも、人にできることは限られているし、人は「出来ことはできるし、できないことはできない」から。「今は、精一杯」「とにかく仕事(家族)のことで手一杯」。多忙で余裕がなかったり、何かに囚われていたり、心身や生活面で不安定だったりするほど、さらに一杯一杯になってしまう。 ・・・ でも、不安感や不全感、閉塞感は、みんな持っているでしょう? 「地球は滅びるの?」と子どもに聞かれたら、言葉に詰まってしまうでしょう?

無意識化されている(または、意識の中から追い出している)絶望。

人間としての、命としての、絶望。

集合意識化されている、諦めと諦めの共謀。

知らず知らずにペンが滑ってしまった「焼け石に水かもしれない」という言葉も、そうしたものにつかまってしまった証拠なんだ。

my bird sanctuary は、常に希望に向かって、純粋な希望の光でありたいから、わたしは希望だけを思い描き、希望だけを語ろうと努めて来た。だが、時には、希望を描きつつ、正直「無理をしているな」「背伸びしているな」ということだらけだったりする。それでも、希望を語りたいのは、一つには「希望が見えなければ、遠くても一歩ずつ歩めば近付いていける道のように見えていなければ、自分も含め、人はそちらに向かって歩こうとはしないから(そして、人がそのように希望を抱いて一歩を踏み出すことによってのみ、地球は本当に救われるだろうから)」 (-- だが、これはやや戦略的ですね)。もう一つは、純粋な希望の光を灯すという、そのことそれ自体が、希望であり、地球を癒す大きなエネルギーだから。やや無理をしてでも、いや実はボロボロであっても、純粋であればあるほど、地球がその愛を受けとめてくれて、微笑み返してくれるような実感があるから。

my bird sanctuary を創立するという想いは、かつて巨大開発による絶望と人間社会に対する厭世観に長い間囚われていたところから生まれてきたものであり、正直今だって、絶望の闇は、背中合わせのところに蠢いているような気がする。でも、だからこそ、「焼け石に水かもしれない」という思いに微塵も誘い込まれることなく、光を純粋に ・・・ 


子どもは、純粋に地球を救いたいと思うでしょう。
道端に咲く花や、小鳥に対して、美しいと、出逢えて嬉しいと、また出逢いたいと感じるでしょう。

子供でなくなったとき、どのような意識を選択するかに、わたしたちは責任があり自由がある。
ここに、人間としての誇りもあるはずだ。

子どもは、安らかに幸せに生きていくことを願うでしょう。
鳥たちも、日々、懸命に生きていこうとしているでしょう。
そして、来年の春も、この森に帰ってこようとしているでしょう。
草は、その森の麓に花を開こうとして種をこぼしているでしょう。
命は、地球が続いていくことを信じて、その営みをやめないでしょう。

Sさんの手紙の最後の文章はこうだ。

 地球上の命在るものの全てが、
 共によりよく生きていられるように
 地球環境が守られることを祈って。

 お元気でおすごし下さい。










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歩く

コサギ
 (コサギ K氏撮影)

あと1週間で my bird sanctuary 創立のための第一号の土地の最終確認・総清算・引渡しです。

自分の周りの空気(aura)がひしゃげるほどショックなことがあると、本当に「世界に色がなくなる」んだと気付いたのはもう何年も前のことですが、今は、「世界が白一色に見え」ます。白一色の中をゆっくり浮遊するみたいに歩いているようです ・・・ 時々立ちどまって、しっかり呼吸しようと思います ・・・

仕事の合間の切り詰めた時間に色々とクリアしなければならないことがあって、現実面ではとっても頼りな気ですが--。周囲の適切な助けや励ましに感謝しています。そして、愛と祈りだけは絶やさずに胸のうちに燃やしていよう。
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oasis

豊かな森という棲み家を失いつつある鳥たちを守り、自然と人が調和するスペースを広げ、日本のその土地にもとからあった緑や命を少しでも再生していきたいという想いから始めた my bird sanctuary 創立計画の土地入手がかなり大詰めに入っています。

ここまで来て、からだの芯のところで、「あの土地は、oasis になるけれど sanctuary ではない」という声が時折かすれるように聴こえてくるようになった。

おッ・・・

神社の麓にみつけて気に入ったその土地と、今のわたしの力とを合わせて、最大限がんばって、「oasis になるけれど、まだ sanctuary にはならない」と。

樹々を豊かに植えて、手をかけ愛をかけて、鳥たちの休む場を、季節ごとに必要なものを、冬の寒さが厳しいときには助けとなる食べ物を、隠れる場所を、用意して、少しずつ信頼してもらって、鳥たちの声を聴いて、自然が生き生きとするようにして ・・・  訪れてくださるこころある方々にも「すっと自然で楽な呼吸ができる」スペースとしたい。

だけど、「それは、(命を奪われそうになっていたり命のどこかが損なわれそうになっている者たちには、)oasis だけれど、 sanctuary はまた別」と。

・・・・・・・・

何が、足らないのかな?

まだ、力不足なのかな?

でも、やっぱり何か足りない。

これだけでは、未だ駄目な気がする。

     oasis      ①砂漠の中で水・緑地のある沃地
              ②憩いの場所(時)
     sanctuary   神聖な場所、聖所、安らいの場所

・・・・・

そうだよ、他の場所へと、その場所の周辺へと、「光を広げていける」ほどの強さはまだない。
訪れる誰もが、そこにふれると意識の中に聖なるものを感じるほどの真理や秩序や癒しの力や浄化力や清廉さはまだない。

小鳥たちは1400坪ほどの土地で、羽を休め、疲れを癒し、生き延びるためのひと時を過ごせるようになるかもしれないが、再び荒れ果てた世界へと飛び立っていかねばならない。

あ~あ、まだまだだ。

わたしはどうすればいいの? 

それは、訊ねるまでもなく、全力でまず oasis を創ることでしょ! 

でも、それから先、生きている間、この世界に sanctuary を創り、広げていくために、何を磨いていけばいいの? 

誰か、ヒントを下さい。

コゲラ
 (コゲラ K氏撮影)


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