hearing the unheard voices

小鳥たちと対話し、自然と人とが調和できるバード・サンクチュアリを創立しています。http://homepage2.nifty.com/birdsanctuary/index.html

森の子ども達 ~1~

これからすくすく成長し、全員で美しい森のハーモニーを奏でてくれる「森の子ども達」第一弾が到着しました!

日本に古来からある樹木で、野鳥やその他の生きもの達に優しい樹木、しかも現在の地の生態系に調和しより豊かにできるような樹木というと、大手量販店のガーデニングセンターのみでは、どうにも限界があります。(園芸種が中心なので、日本の森や里山在来の木は種類も少なく、「これ!」と思っても、微妙に品種改良がなされている園芸種だったりする)。ということで、インターネットで良さそうな苗木屋さんを探し、日本在来種だし、山から取ってきたりするのではなく実生や挿し木で生まれた子(苗木)で、その他環境や命にも配慮している(農薬は極力使わない、虫や動物達にも優しい)お店を探し、そうするとどうしても遠い地域のお店が多くなってしまい、遠来で育った子を茨城のこの地にお迎えするのは環境的にも、そして何よりその子の負担と言う面で、大丈夫かな・・・・ 郵送されてくる間だって可哀想だし、などと心配しつつ、「どうしても欲しい」子を思い切って、頼んでみました!

森の子どもたち1

 ・・・ ツルウメモドキ 女の子(メス木)、男の子(オス木)、エノキ、ナワシログミ、ナツヅタ、ヤマハギ。 木には雌雄異株 -- 女の子と男の子があって、両方いないと実がならないもの -- や、1本だけだと実つきが悪くなる性質のものがあって、野鳥さんに実を食べてもらうために実をみのらせることまで考えると、いろいろ勉強大変です。

どの子ども達も、ずっと憧れていた森の子ども。大きくなって、皆で手を繋いで、美しい森を創れ! がんばれ !!
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魔法のめがね ~1~

職場の仕事で忙しかったりちょっとダウンしたりで、なかなかゆっくりブログを書くことが出来ませんが、先週S先生(八郷で野鳥の森をお創りになられた先生)に my bird sanctuary 第一号候補地を歩いていただいたときの発見は、とってもキラキラしているので、予告編だけ。

自然の中を、S先生と一緒に歩くと、〝魔法のめがね〟をかけているようです。それは、これまで、「暗くて荒れた竹林」と「廃墟のようだった古家を撤去した後の空地」と「〝昔風のお庭〟(趣味に合わない)ちょっと」と「畑の跡地ちょっと」だけだったように感じていたこの土地でもそう。今回は、ここに生きている〝見ていたはずだったのに観ていなかった〟植物達が、全く違う風に見えるようになりました。

竹林の中

これが竹林の中。 -- 確かに、色んな草や樹木の子供が、いっぱいいる~

ウラシマソウ1

今日はウラシマソウだけご紹介します。S先生に教えていただきました。上の方についているのが葉っぱで、写真右下の方のが花(肉穂花序)です。サトイモ科テンナンショウ属の多年草です。

ウラシマソウ2

ほら、見て! 花に細く長い紐みたいなものがついてるよ~。これを浦島太郎の釣りざおに見立てたのだと教えていただきました。

冬は「竹以外何も無い」と思っていた土地に、こんな野草がいたなんて! もう夢中です。

それだけじゃない。「枯れた竹を整理して、一部切り開いて日の当たる場所を作ったら、鳥の落としていった種、これまで眠っていた種 ・・・ 昔からのものも(大賀ハスの例もあるでしょう?)、とにかく色々なものが、芽生え始める」とのことです。それってすごい! 〝今見えていないけれど〟沢山の命がここに息づいているってことだよね? 特に、竹がやってくる前からここで眠っていた(いつ頃からだろう?)種が〝今、太陽を浴びて〟芽吹き始める・・・ってものすごいロマンじゃない? 

竹ばかりの荒れた林も「少しずつ、様子を見ながら、(よりよい方向に)変えていくのが良い」そうです。

沢山の、自然観察、生きものと向き合う智慧、生きものと調和する智慧のための勉強が出来そうです。
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光の意志

夜桜

もう10日も前になるが、my bird sanctuary のことで最初から微塵も変わらず支援して下さっている氣功の大先生(ホームページのhealing the unhealed voices に出てくるI先生)の練習の場を訪れた。そこでは、先生が育まれてきた会の方々(わたしには大先輩方ばかり)が長年修練を続けていらっしゃり、いつ伺っても爽やかで清め抜いたようなエネルギーが充ちている。

笠間で一端は心を決めた土地が、結局手に入らないことが契約日に分かって、その直前に、この修練の場で夢をかなえたような偉そうなことを宣言してしまったいたわたしは、失敗したとき消え入りたいほど申し訳なくて、そのことのご報告さえ直接きちんとしていなかった。当時は「絶対諦めない」と力んでいたから、ゆったり修練するよりも、まずは土地探しをしようと、練習に行く足も遠のいて、最近は「良いご報告をするまでは」となかなか練習に伺えることが無かった。

今回のサンクチュアリ第一号候補地についても、神社の麓だと言うこともあり、つくばの氣功のE先生が仲介となってくださって、決断に当たっても電話で I 先生にもご助言を頂き、加えて、I 先生にしろそのお弟子様方にしろ、わたしがどんな失敗をしても、どんなに要領が悪く、未熟で愚かでも、変わらず揺らぐことなく見守ってくださっていることも感じていたが、やっぱりいずれかの節目に、こころの中だけでもご挨拶しないと -- いや、以前のお詫びだけでもきちんとしないと -- と土地のことが具体化してから、ずっと気になっていた。

以前、笠間で「ここに聖地を創ろう」とこころを決めたときほど、偉そうなことは、もう、毛頭言えない -- あのときのわたしは、確かあのときは ・・・ 全てのことがまるで〝光の方向〟へと繋がる道を指し示してでもいるかのように、土地にご縁があり、鳥たちの導きがあり、理解して支えてくださる多くの親切な方々の助けがあって、土地を買うことの決断をした。迷いも無くは無かったが、真っ直ぐに進む〝光の道〟しか、目の中に入っていなかった。

今は違う。あの後がむしゃらに努力しても上手くいかない焦りの時期があり、(今では笑える話だが)人間ドッグで発覚した症状から「生きられる時間」の限界を感じる体験をした時期があり、笠間に家まで借りたのにどこにも進めない中でこころの底から闇が湧き出てきた時期があり、その家での田舎で生活する修行の時期があり、そして今向き合っているサンクチュアリ第一号候補地にしろ、〝光しか見えない〟なんてい状況では全く無い。土地を買う経緯を通して、苦手な状況やノイローゼになりそうな不安、心配、諦めを抱え、ようやく登記がかなったものの、その状況や購入に当たって生じたり見えてきたりした不動産としての、また周辺環境についての、幾つかの課題には、同じような不安や心配が残っている。〝地球に、自然に、土地を還す〟祈りはしたものの、現実にあれこれやってみても、未だこの土地は -- 「自然がキラキラと豊かに命溢れて輝きだす。生きもの達全てが調和の中で響き合う」までには、未だ沢山の愛や癒しが必要で、そのためには長い年月かけて、失敗や挫折も重ねて、その一つ一つがいい経験となって、一歩一歩近付いていく過程が、きっと続いていくのだ。

正直、ようやく4月になってから、「光のスイッチ」(4月8日ブログ)が入ったと、初めて感じたところなのだ。

その場に〝光しか見えない〟どころか、本当のところ、〝闇の中に一条の光〟がやっと立った、と言うのに近いだろう。

-- でも、その〝一条の光〟はとっても尊くて、わたしは喜びで一杯になれる。

そして、「光のスイッチ」が入るまでは、未だご挨拶に伺えるどころではない気がしていた練習の場へ、ようやく「伺わせていただけるかな」「いや、早くご挨拶しなければ -- 大切なけじめなのだから」と感じるようになった。

それで、伺ったのだが--。

その日に限って、I 先生は「こころを澄ませて」「澄んだ心で」という言葉を何度も仰り、わたしはドキッ。
-- 「自分を天と地とつないで、こころを澄ませて、何も考えず空になって、立つ」 -- それって、わたしがあの土地で、今一生懸命やろうとしていることじゃない? (でも、それが上手く出来ないんだよな。) 何だか何もかも悟られている気がする~

*****

最後に、今回はできるだけ謙虚に、簡潔に(の、つもりで)、お詫びと、それでもずっと温かいご支援を頂き、こころから支えてくださったお礼と、「こちらで苗木は用意しますので、(以前からサンクチュアリのために苗木を育ててくださっていた方の苗木は勿論大歓迎して)皆さん一本ずつ木を植えてください(良いエネルギーの方に木を植えていただくことは、本当に土地が喜ぶから)」とお願いしてきた。

拙いご挨拶だったのに、後でとっても驚いた。暖かく力強い笑顔の I 先生 -- 「木を植えにいきましょう。話をまとめておいて下さい」。そして、「木、◎○ならあるけど?」「苗木~~なら手に入るけど、それでいいなら」、さらに何と「木を植える前に、竹やぶ整理しなきゃなんないんだろ。みんなが木を植える前に、俺、木を植える場所つくりに竹やぶ整理しに行ってやるよ!」 何で何で皆すぐに、そんなまっすぐで暖かい反応をしてくれるの~ しかも殆どの方は、茨城県から相当遠い、神奈川県にお住まいの方々! なのに、誰よりも早く、何にも飾りをつけずに、「木を植える」って意志を伝えてくださって ・・・  涙が出てくる。何年も前にお話した夢で、なかなか果たせなくて普通なら忘れられちゃっているような話で、しかも偉そうに宣言して失敗して情けなくて、練習にも行ってなくて -- 。みんな緑や花や動物たちや、何より人に対して、日々わたしよりずっと良いことを沢山しているのに --。

〝たった一筋〟でも、その光の根っこは、輝く光の意志に支えられている。
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木を植えよう ~5~

八郷で見事な野鳥達の森をお創りになった自然の先生、S先生に、my bird sanctuary 第一号現地にいらして頂いて、色んなことが見えてきた(この話はすごく色々あるので後ほど)。さらに、笠間でご縁があり、家の補修のことや上下水道のことなどを相談させて頂いている大工さんが、同日、「基礎屋さん(家の基礎や外のインフラ整備担当)」を連れてきて下さって、色んな問題点も明確になってきた -- この大工さんは、無口な職人さん風だけど、なんか頼りになり信頼できる。

その問題点の一つが、家の北側にある〝溜池のようなもの〟。この土地を最初に訪れたときから、沢山の人に「何か湿っているね」「北にあるあの暗い池は良くないね」と言われてきた。この池があるのは、この土地が神社の麓にあり、神社は小高い山の上にあるので、山を伝って降りてきた雨水が家を直撃することを避けて、一端水を溜めて流すためであり、また、無尽蔵に伸びてくる竹の根を一端ここで断ち切るためだと聞いていた。「家の北側に池があるのは風水では良いんだよ」という方もあり、水が溜まっているということは、色んな生きものがいるということで、野鳥達の水浴び場が欲しかったわたしには、ある意味、水場は歓迎なのだが、このままでは夏になると、蚊やぶよが五万と涌いて、大変なことになりそうだと思っていた。

さらに現状の池は、ゴミが沈み、枯れた竹の茎が倒れこみ、水もよどんで汚い。誰かが落ちたり、事故になったりするのも困る。

ただし水が溜まっているからカエルや蛇など、沢山の生きものがいる。早く池のゴミの掃除をして、池から繋がっているU字坑を掃除して、淀んだ水を流し、何とかしなければ ・・・ と思っていた。さらに、自然観察の本を読むとU字坑というのは、生きものが落ち込んで出られなくなる「生きものの牢屋」みたいなものだとあり、自分でも稲田でウナギやザリガニらが落ち込んでもがいていてこのままでは死んでしまうのを見て助けたことがあるので、何とか対策を練らなければと思っていた。

今回分かったのは、それだけではなく、こういった形で水がたまっていること(実は、西側の竹やぶにも変な水がたまっている)が、土地全体の水周りを悪くする要因となっているということだった。実は、土地の西側の地面は、どこを掘っても水が溜まるような状態で、池の水(元は雨水)が流れないことが、土地の湿り気、家の湿り気、井戸の汚さ(蓋を開けてみたら池と同じ水位で「ギャー!」というほど濁っていた)に影響していることが分かった。

さらに、池と家との間の土の状態も、水を溜め込む粗悪なものだと分かった。今回、土地の取引に当たり、元にあった廃墟のようになっている家屋一棟を撤去していただいたのだが、その撤去作業の工事が、粗悪なものだったとしか考えようが無い。家の北側のその部分の地面は、苗木を植えようと土を掘ると、元あった廃墟の基礎の石がまだ残っており、しかも大きな瓦の砕けたものがそのまま沢山埋っていて、その中に時々ガラス瓶や陶器のかけらも 入っていて、土を掘る作業は必ず軍手をしないと生傷が絶えない。さらに困ったことに、家の基礎を撤去した分に埋め込んだ土は、土とは言えない代物 -- 水を溜め込む粘土状のどろどろと、色んな砂を混合した山砂らしきもの -- で、現状で苗木を植えても健康に育ってくれるかかなり心配な状態だ。

土、土地の浄化、について、稲田で若干修行をしておいて良かった。これをやって表面だけ綺麗に繕った業者の方にはがっかりするけど、土地を良くしていく作業は嫌いじゃない。

だって、〝地球(の女神?)が喜んでいる〟のを、一番直接的に感じるものね。

苗木には早く育ってもらいたいと気を揉むが、土を育てることの方が先だ -- 大変だけれど、ゴミや瓦やガラスのかけらを片付けて、木も草も鳥たちも喜ぶ、森を育むふかふかの優しく暖かい土に変えていこう! 

S先生にも相談させて頂いて、腐葉土・赤玉土・木炭(広葉樹のもの)を使って、土地の改良に励むことにした。全部買っていたのでは予算が持たないので、この秋冬はつくばでは置き場に困るゴミとなっている枯葉・落ち葉を集めて、腐葉土作りに励むぞ~。(S先生は今回、ニワトコ《!大好き!ナナカマドと同じく、妖精が宿るとされる木で、鳥たちも大好き!》の苗木とヤマボウシの苗木《こちらも鳥たちが大好き》を持ってきてくださったのが、その苗木についてた土は、沢山の腐葉土から出来ているので、ふかふか、さらさらで、暖かかった)

ということで、植樹するときには、

植樹1 

穴を掘って、

ゴミの片付け 

ガラスのかけら、瓦の一部、古い金属片、プラスチックゴミ、タバコ吸殻、お茶碗の一部などが出て来て、「どこから来たんだろう?」と思いを馳せる。一回に何袋分も、燃えるゴミと燃えないゴミが出て、危険物の袋が一袋分できる。

竹の根 

掘っていると、竹の根っこが出てくる。境界用に作られた池を越えて、どこから伸びてきたのだろう。

植樹2 

土に木炭(広葉樹のもの)を入れてみる。ちょっと高価なのだが、腐葉土だけよりも、浄化効果がぐんと高いような気がする。今回植えるのは、大切な大切な、大好きな苗木だもの。

植樹3 

その後、腐葉土を入れて、赤玉土を入れて、元からあった土とまぜまぜして、そっと苗木を置いて、周りをこれらの土と周辺の枯葉で固めた。

今回植えたのは、クスノキの苗木。クスノキって、大好きな木で、あちこちにあるから、良く行く場所には必ず「友だちのクスノキ」がいる(誰も見ていないときは、抱きついたり、背中でもたれたり ・・・ してしまう)。老木・古木・ご神木のイメージでは想像できないけれど、苗木は全体の緑が瑞々しく、しかも新芽や若葉は綺麗な紅色だよ。そして、大きな木と同じくらい、いやそれ以上に、近寄るとふうわりといい香がする(うっとり)!

この子は大好きで植えてみたのだけれど、S先生に伺ったら、鳥たちにも良いとのこと -- 嬉しくなった(でも、実はクスノキは植樹が難しいらしく、暑い日に運んだのと勉強不足・未経験なのがたたって、1週間後に葉枯れが始まって大ショック! 「ごめんね、ごめんね。立ち直ってね」・・・。今は回復のエネルギーを一生懸命送っている。 )

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竹と向き合う

前回(『森の御使い』)で気付いたところから --。お隣の土地の持ち主の方が竹林を好み、植えたところからめきめきと繁茂してついには元にあった雑木を覆うようになってしまった孟宗竹については、「ここまでで、生きてね」と境界線を設けて、全体の生態系の豊かさを問いながら、共生していくことにした。

〝やっつける〟〝闘う〟ではなく、対話すること。この土地には、他に真竹とシノダケがあるが、孟宗竹・真竹は中国原産で、人工的に植えられ、元からあったわけではない。シノダケと比べて、節が立派も立派! 両手の指で包み込めないくらいの直径のものもあり、パカッと割るなら「かぐや姫が出てきそう」。筍は美味しいらしいが、その勢いは、どこまでも広がり、森を暗くして、在来の森の他の樹々を駆逐してしまう(シノダケも森の下草を駆逐する)。とにかく地下茎からの勢いがすごいのだ。どこまでも伸びてきて、日当たりが無くなり、1本の命が尽きても、他に倒れかかったままで、林は暗い暗い。

ただし、この竹林も歴史が新しいわけではなく(隣の土地から進入してきて15Mくらいのも多いので)、すでに竹の精霊(スピリット)たちもずっと息づいている感じ。そして、彼らと共生する形で、日が殆ど当たらないながら、様々な植物達(鳥たちが落としていった種から育ったもの)や、動物たちも息づいている。彼らに挨拶しながら、どうするのが一番良いのかを感じ、考えていく必要があるだろう。(八郷で美しい野鳥の森を創られた尊敬するS先生と今日電話でお話させていただいたが、「竹林は、杉檜の人工林よりも、よっぽど野鳥がいる」と仰っていた ・・・・ そうか、一気に切らないでよかった)

でもでも、現在孟宗竹は、入られては困ると人工的に造られている池を越えて(地下茎よりも深く作られた溝や池からは、やってこないと聞いたのに・・・)、「もとあった家」の基礎の石組の間を伝って、地下に根を張り巡らせ -- このままだと「家の床を突き破る」。

そこで、「ごめんね」ととりあえず池から先は入ってきてもらわないことにした。
竹伐採

最初に「途方も無いことだ」と身構えてしまったので、草刈り機もチェンソーも、「竹伐採用の刃」も含めて思い切って購入したが、今回はそれらを使わず、切ったのは -- のこぎりで。自分の腕(あんまり太くないです)と、小さなのこぎりを見て、信じられないくらいだが、思ったよりもやすやすと切り倒すことが出来た。最初は細めの竹を切ってみて、様子がわかってから、「かぐや姫の入っていそうな太さのもの」にも挑戦してみたけど、時間はかかったけど何とかなったよ。ただし、倒れるときは相当な重さなので、どの辺りに倒れるか、他の木の枝や家のひさし(!)を傷つけないか、かなり注意してやらなければならなかった。

それでも、まだまだ池のこちら側に竹は一杯立っている。地下茎で全て繋がっているので、1本倒れても竹は死ぬことは無く、「ここまで」と決めたところから先もまだまだぐんぐん出てくるだろう。だけど逆に、わたしが「竹を殺そう」「全滅させよう」と思っているのではなくて、「境界を決めて棲み分けよう」としていることも、あなた方(竹の精)に徐々に分かってもらいたい(きっと、多くの植物は -- 多分、ある意味、蟻や蜂など集団でひとつの生の営みをする昆虫も -- 一つ一つも命だけれども、もっと集合(無)意識的な生き方をしていて、だからわたしのやっていることは手ひどい殺生ではなくて、共生する・調和する、ということなのだと信じたい -- お隣の土地は、孟宗竹天国になっているのだし、ここに古来からあったムクノキやカエデ、アカシデ達らにも、太陽を浴びる、生き生きとする権利はあるのだから。)

竹林に生息していた、他の植物達・虫や鳥、動物たちも、一度に行き場がなくなることは無く、逆にもっともっと豊かに命を抱えられるような森へと、ゆっくりと変化していければ良い(そのためには、十分な注意をしなければ)。

竹の倒れている辺りは、古い小さな家の北側の空地(もとあった廃墟を撤去した)で、ここに鳥たちの好む樹木や鳥たちが逃げ隠れしたり、遊んだりできる樹木を植えて、〝鳥と対話するスペース〟にする予定だ。

人間の勝手な思いでやっている、というだけでないように!
この土地全体の命が、真に繋がり合いながら、美しい秩序の中で生きられるように!



-- ところで、立派な竹がご入用の方がいらしたら、メールにて御連絡ください。竹細工 ・・・ 野鳥達の餌台やぐいのみ、おもちゃ、生垣の飾り、等々。竹墨作りも、竹酢液作りもいいし、竹をチップ化すると、とっても良い畑の肥料になるそうですよ! 皆でそこまでやれれば、とっても嬉しいです。今すぐと言わず、ゆっくりやっていくので、必要なときお声をかけてください(希望の太さ・高さ?・乾燥具合?のをとっておきます)。
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森の御使い

前回、my bird sanctuary 第一号候補地に赴いて、荒れた竹林へと入る入り口、先日ブナの苗木を植えた辺りから、「奥の森とどう向き合っていけば良いか」「この竹たちをどうすれば良いんだろう」「あ、竹ばかりだと想っていたのに、色んな木(日当たりが悪くて、成長できないけれども)が頑張って芽吹いている」などと考えながら竹林を眺めていたら、何かの気配を感じた。

何の声も音もせず、何も動いたり、見えたりしないのだが、とっても強く、「何か居る!」という感覚。

-- と同時に、自分の皮膚が毛羽立った(「キ・ケ・ン」という生理的反応)。

何だろう? 生きもの?の気配 -- とにかくすぐこの林から出なければ。少し距離を置かなければ。

竹の立っている辺り、芽吹き始めた小さな潅木と、無秩序に茎を伸ばすシノダケと、つる性の植物と、朽ち果ててぼろぼろになった太い竹の折り重なって倒れているものとが絡み合って、何が何だかわからなくなっている辺りを静かに見つめて、しばらくじっとしていると--。あ、居ましたね。黒茶色に朽ち果ててボロボロになって割れている竹の上に、まだ4月だというのに、蛇さん。結構成長した(長い)シマヘビの黒い縞がはっきり見えた。またしばらくすると、するすると動いて、小さな黒目が円らな、小さな(かなり可愛い)顔が見えた。

4月も前半だというのに、このところの陽気でもう目覚めたのかな。温暖化の影響かな。でも、まだ眠そうで、動きが鈍い ・・・ のかどうか、向こうもわたしの気配に気付いて、身を潜めて、それで静かに実を隠そうとしてゆっくり動いているのか。

何かの気配を感じたときの、からだの生理的な警報の感覚が引くと、わたしはとってもはっとした。

これまで、奥の荒れた竹林は、会う人・話す人毎に「こりゃ~な~」「竹は大変だよ~」と言われ続けてきた。どうして「荒れた」と言うのかというと、朽ち果てた竹が他の竹に幾本も倒れかかっており、もともとあった(背だけは高く成長している)ムクノキやアカシデ、コナラなどの木々に日照も栄養分も行き渡らせず、ひょろひょろと勢い無く上に伸びさせるだけで、ここから(竹よけのために作られたであろう)溝や池を越えて家の裏の土地から家まで根を伸ばしつづけていて、「荒れた」に加え「このままではまずい」ことが判明したからだ。とにかく、もともとの木たちは可哀想で救いたいし、日本古来の美しい森にしていきたいのだし、憧れていた苗木たちも共感してくださる方々とたくさん植えていきたい。これまで暖かく支援しつづけて下さった氣功の先輩K先生が、有志学生さんたちにお願いして、学生さんたちも楽しく有益になるような形のイベントとして、一気に竹の整理をしましょう、と申し出てくださって、皆がハッピーになるイベントにできるかな、などと考えていたりもした。竹も需要は高いので、有効利用してくださる方を探そうかな、と考えたりもした。不動産屋さんのお一人に、「地元に一日3千円で一気に作業してくれる人を何人か頼んであげるから。この池も安い山砂で埋めちゃって、早くさっぱりさせちゃいなさいよ」などといきなり言われて、「ん?(ちょっと待って。それはどうかな・・・)」などと想っているところだった。

だけどね、やっぱりまずはちょっと落ち着く必要がある。森全体、そこにある命、水や土、空気の循環、これまでこの場所が経てきた自然の、そして人間との関わりの歴史をきちんと見据えなきゃ。そして、森と対話しながら、ゆっくりじっくり静かに考えて、ここで暮らし、ここを美しい森にしたい一人の人間として、何か手を加えさせていただくときは、きちんとお話して、きちんとお願いしなきゃ --  そんなことに改めて気付いた。

この土地の上にある神社の神さまの御使いは、「白蛇」だとされている。それに纏わる色んな逸話があるようだが、わたしにはその謎は未だ解けていない。蛇を奉ってもいるのに、不思議なことに、「蛇除け」のお守りも、神社では売られていて、わたしは小露鈴とgaeaちゃんのために(蛇は小鳥を食べるので)すぐに購入させていただいて、小鳥のカゴを乗せるテーブル付近に置く予定だ。森の入り口にじっと静かに居てくれた蛇は、そのとき森に入り作業をしようとしていたわたしのために、何かを報せてくれようとしているのかもしれない。そして、わたしが無遠慮に、やすやすと、鈍感に入ろうとしたために、気配を発して、からだに危険信号を送ってくれたのかもしれない。その証拠に、それに気付けて、森から距離を置いて、きちんと向き合おう、謙虚に感じようとしたときに、蛇はするすると退散した・・・。

少し思い込みが強いかもしれないが、これまで学んできたことからしても、もう少し落ち着いて考えた方がいい。石岡市八郷に、素晴らしく豊かな「野鳥の森」を創り上げた先生 -- 自然のことで沢山学ばせて頂いてきた、ずっとお世話になりっぱなしのS先生にも、近々森の状況、自然の様子を見極めにきて頂けることになっているが(めちゃめちゃ楽しみ!!!)、「それは落ち着いて、じっくり観察すると、『竹ばっかり』と思っていても、もともとあったもの(植物や動物)、鳥たちが落としていったもの(実生の草木)がきっとあるはずだから」と御助言をいただいたばかりだった。不出来な弟子のわたしは、それでも、「そうかな~。隣の土地に人工的に植えられた孟宗竹がはびこって、それを人間が何年も間引いてきて、その後放置したんだから、何も見当たらない」と思っていた。だが、現に今日、春の芽吹きが始まると、そこここで竹以外の植物の芽吹き始めた若葉が現れて、竹の裏、竹の陰に、色んな植物達が生きてきたことを知らされた。そして、これだけ多様な植物達が居れば -- そうだよね、動物達や虫たちだって居る! これまでだって、鳥の声をいろいろ耳にして、「あれ、竹林なのに、結構鳥が来るな・・・」と感じていたじゃない。

ウグイスの潤いのある芳しい歌声。メジロやヒヨドリ、カワラヒワ、キジバト。土地の上空を巡り、神社の鳥居の方角の杉の木を止まり木としているトビの夫婦。もう北へ渡っていってしまったツグミたち、ジョウビタキたち。家族が目撃したというルリビタキ。絶対すぐに友達になって会話してくれそうな、人懐こいシジュウカラたち。そして、竹林の藪の中で、最近に聴こえてきたキジとコジュケイまでも!

竹も生きもの、命である -- そのことは分かっていた。でも、森を豊かにする、生態系の調和を図る、そして人間も共生する、そのためには(人工的に植えられた)竹とちゃんと向き合わなければならないことも事実だ。

わたしは、現在の日本で生活する上で無理の無い範囲で、ずっとヨガの戒律(不殺生、非暴力)を守ろうとしているが、ヨガやお釈迦様のルーツを辿っても、野菜についた虫も殺さず野菜であっても実(命)や種(命)は食べないらしいジャイナ教の信徒の方であっても、人間である限り、「全く殺さずに生きていくことは出来ない」という原罪を背負いつつ生きているのではないかと感じている。そして、人間が〝人工の〟手を加えることを重ねてきた今の日本の自然や生きものの命は、きっと〝人工的に〟手を加え直さないと回復・再生しない面があり、かつてしたことの〝責任〟を背負いつつ人間はその都度、そのときできる最善の判断していかなければならないと感じている。だけど何にせよ、手を加えるときに、そのやり方は、やっつけ仕事、無知な思い込み、戦い、エゴや人間本意、上滑りなご都合主義から来るものではないはずだ。

蛇も、人間には時として嫌われものだし、わたしの場合、大好きな小鳥やカエルたちを捕食するため、「特に嫌いではないが」「(気持ちの上での)天敵だ」。しかし、自然の残る地方で土地を探してきて、昨年は稲田での仮住まいを経験して、野鳥達と同じく、いや人間との関係から言えば時にはずっと徹底的に、かつてどこにでも見かけるほど数多く生きていた蛇たちが、消えゆきつつあることも知っている。稲田で蛇を見かけたとき、隣のおじさんがすぐにした行動は、鋤を振り上げて力いっぱい振り下ろすことだった(いきなりのあの一撃に、目を閉じながらもわたしは懸命に祈り、蛇は逃げてくれたのだが・・)。去年の5月頃から候補地として検討していた山林の近くの道路では、沢山のシマヘビたちが引かれて転がっていたが、この蛇は地表を這い回るため、交通事故に遭いやすく、生息域が道路や塀などで分断されてしまうとそれを超えることができずに、かつてよく居たが今は見かけなくなってきているという。大好きな鳥が食べられるのは嫌だし、この日の暮れになって、黒っぽいカエルを見かけて(前の田んぼに居るカエルではなく、見かけないカエルだったので調べてみなければ)、「あ、食べられるよ、危ないよ・・・・」とフリーズしたが、蛇は大切な命ある生きものだ。シマヘビにもこの世界にずっと居て欲しい。あなたを失うことは、自然を失うこと・とっても哀しいことだから。

シマヘビは毒はもたないが、いじめれば噛むことはある。まして、反射的に殺そうとする場合は、蛇も必死だろう。これからは、訪ねてきてくださる方々・木を植えに来て下さる方々が、春に山に入る場合は、十分に注意して、蛇が苦手そうな方がいらっしゃる折には、春は避け、下草刈りなど下準備をして、蛇に「ちょっと離れていてね」とお願いしよう。(あ、勿論、特にリクエストが無い限り、絶対に安全なお庭の方にご案内いたしますので、引かないで下さいね)

そうですね、自然と対話しないまま、一気に竹を切ったり、いきなり大幅な人工的な手を加えることで、ここで生きている命(特に実生の植物)を失ったり、追い払ったりしてしまうことになるかもしれない。もしかすると、生息地を追われつつある誰かの残された場を更に奪ってしまうことになるかもしれないし、誰かの棲み家を追い出して行き場や生きる場を無くさせてしまうことになるかもしれない。そして、目には見えない〝聖なるもの〟、自然の侵し難い気配、古来には人にも見えていたという自然霊や森の精霊(スピリット)たちに、してはならない、とんでもない侵犯をおかしてしまうことになるかもしれない。

あ~ 「sanctuary を創ろう」としているんですよね。ここは肝心で、細心の注意を払って、森と関わらなければ。

わたしは何を観て、何をしようとしていたのか、自然や命の「声が聴けて」いない ・・・ 反省、反省。


-- 姿勢を正して竹林と蛇に一礼して、意識を改めました(でも、全体の調和のために、しなきゃいけないことがあるのも、事実だよね)


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木を植えよう ~4~

柘榴の苗木

柘榴の苗木。土地の西側、日当たりの良い(シノダケの林を少し何とかしたら・・・だが)ところは、野鳥達の来る無農薬の果樹園、ジャパニーズ・ハーヴ園、畑、山林(としたい、ですね、将来的に、ですが)。柘榴は、日本原産ではなく、中国から来た樹木なので、「豊かで美しい日本の森」にはちょっとはずれる -- とも想うが、昔に好きで手にした小さな苗がひょろひょろとがんばって育ってくれているので、「果樹園なら良いでしょう」と土に。太く育ってね。

ローズマリー

その近く、土に山からの雨が篭ってやや湿気の在る場所に、風で鉢が倒れてしまうほど良く伸びたローズマリーを植樹(これも常緑小低木)。竹の根が地下を一杯に覆い尽くしていたので、土をならすのに苦労した。ローズマリーは、水辺を好むハーヴで、「浄化」のハーヴだよね 西洋のハーヴも大好きなんだけど、これからはなるべくジャパニーズ・ハーブを植えていきたい。わたしはヨガをしたり、アーユルヴェーダにも興味があって、ヒマラヤのハーヴとかハーヴを使った御香、というと目がなかったのだけれど、今ヒマラヤの産地では、地球温暖化や大気層の汚れ、そしてインドやネパールの工業化に伴って、山の野生ハーヴが全然取れなくなってきている、と最近記事で読んだ。日本に居るわたしにとりあえずできることは、ヒマラヤ・ハーヴが神聖な山の奥地でいつまでの生き残りつづけてくれることを祈り、もう野生ハーヴ採取の製品には手をつけないこと(お香もだぞ ・・・ 大好きな白檀や伽羅の自然木は絶滅危機だそう)。日本の土地や水、空気を浄化して、澄み切った大地にジャパニーズ・ハーヴを育てて、植物との調和の中でその恵みを少しだけ頂くことだろう。土地が澄んで行けばいくほど、ハーヴは一級品に育ち、少しであっても、人間の健やかさを大いに助けてくれるような気がしている。

ブナの若木2

竹林の入り口に、先週植えたブナの苗木は、新緑の若葉を一杯に開いていた。どうですこの緑?! 植える場所が決まっていなくて、まだ鉢植えの状態の同じブナの苗木は、硬い茶色の芽のままなのに・・・・。土地に根付くってすごい! -- そしてこのブナは50Mの高さにだってなるんだ(土地と気候に合えばですが)。(人間が)死ぬときに、自分の死後もこの木が天高く大きくなっていってくれるんだと感じて死ねるって、良くない?

   植えて見よ
   花のそだたぬ里はなし
   心からこそ
   身は癒(いや)しけれ
                 (良寛和尚)
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光のスイッチ

「清明」(天地万物の気が満ち、森羅万象が清く明らかになる)を過ぎて、新しい風が吹いている。my bird sanctuary にも光のスイッチが入った感じ。

ブナの苗木

暗い竹林の入り口の土を何とかならして、ブナの苗木を植えた。新芽から瑞々しい新緑の葉が伸びていこうとしている。風が渡ってきて、その芽を揺らす。何て爽やかなんだろう。ブナは水を蓄えて浄化する。美しい森がここから始まる ・・・・ ブナの若い木を植えることが、こんなにも爽やかで嬉しいことだとは想ってもいなかった。

柚子の苗木

つくばのベランダを訪れてくれるヒヨドリ君たちが落っことしていった種から育った(多分)柚子の木。チョウチョたち(正確には、この葉を食べるその幼虫たち)と上手く共生して育ってね! この木には棘々があるので、ちょっと暗い土地の奥の際に植えた(日当たりはまあまあある)。一人でいるときは怖いので、悪い人が入ってこないよう、ガードしてね。

ピンク紗羅2

ピンク紗羅も根付いたみたい --。新芽が膨らんできた。ありがとう、ここを気に入ってくれて。

*********

インフラ整備、掃除、全体計画、荒れた竹林からどこまでも伸びてくる竹の根 -- どうしようかと大変なこと続きですが、何だか光のスイッチが入ったら、皆さまにいらしていただきたくなりました。「お茶が出せるまでは・・・」と考えて、心配してきてくださる方はいても、こちらからは決して御呼び出来なかったのですが -- 何だか、まだ御呼びできるような気配がこの場所になかったのです。コンロ設置はもう少しですが(笑)、皆さま遊びにいらしてください。

場の氣(エネルギー)が変わったら、胸を張ってこうお願いできるようになりました。(おいおい、しかし、ちゃんと準備を頑張れよ)
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木を植えよう ~番外編~

小露鈴とgaeaちゃん(うちの文鳥さん達)のごはんが切れそうになったので、朝方、つくばから30分くらいの荒川沖にある大きなホームセンターまで出かけた。

今わたしが、ホームセンターに行くのは、〝必要で有効なことではあるが〟〝大変にキケンなこと〟だと分かっていた。

-- ほら、大好きな植物達、憧れの木へと育っていく苗木たちが、ガーデンセンターにひしめいている。地球の緑化にとてつもなく大切な苗木たち。生息地を追われゆく野鳥達が生き続けるのになくてはならない木へと育つ苗木たち。今までは欲しくても、育てたくても、見守りたくても、「そんな場所がなかった」。

今、ほら、1300坪という、広大な場所だけは待っている(あの、しかしながら、もしも~し、まず、荒れた竹林の片付けや整理をしなければならないはずでは?)

ずっとずっと、苗木に憧れては、欲しくても、育てたくても、見守りたくても、できなかったわたしの欲望は、きっとからだの奥深くに強力にうごめいている -- きっとそれは、あっけないほど速やかにめらめらと全身から燃え立つことだろう?

しかも季節は春。咲き開こうとする草花達、新芽をつけて新緑に芽吹こうとする苗木達で、お店はいっぱい。この時期出回る苗木たちは種類が多いから、「見逃してはならない」という強力な言い訳の種が「計画性をもって」という自制心を軽く吹き飛ばしてしまう。

苗木カート1

で、やっぱり、ありましたね。キャー!! 「里山くらぶ」とかいう特集コーナーがあって、雑木林になる苗木たちがいっぱいいるよ!!! いつもは園芸種が多いのに、今日は里山の木がいろいろいるよ!!! あ、アオダモなんかがある~~! カエデもいるよ! (もしも~し、全体計画、荒れた竹林の整理、それにそもそも家の掃除が先では?)(「計画性」という念は駐車場の辺りで落っことしている) 

選びに選んで、絶対まず一等先にどうしても欲しいし、いずれ別のところで手に入るチャンスが最も少なそうな苗木、その上、何となくエネルギー的にいいものを放っていそうな苗木、そしてとりあえず南側の小さなお庭に咲かせたい草花を「愛車Toraちゃんに詰めるだけ(まあ、何て贅沢なの!)」選んだ。

大収穫のナナカマドの大きな苗木、ブナの苗木(2本)、ヤマモモの苗木、杏の苗木(2本)、ハスカップの苗木、鉄砲百合、勿忘草、ヒソップ(白 -- 青はすでにうちにいる) ・・・ 有機肥料入りの土や腐葉土、等々。本当はエゴノキとか、ヤマボウシとか、これとか、あれとか、もっともっと欲しかった(何て欲張りで、計画性がないの!) 

今週末の掃除に行くのが、うきうき気分となった。

苗木カート2





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鳥たちよ ~5~

一日一部屋 !! とこころに決めてまたまた掃除に挑んだのですが、ここのお家の掃除は、想像以上に大変だった! 天井のハタキがけ -- それでは足りずにダイ◎ンの掃除機を天井に向けてウィ~ンと振り回して、黒い塊になっているほこりを落とすと、あれ?! 巨大な神棚を据え付けてあるためか、ふすまの上に板張りがあって、そこに埃やゴミ(!)が落ち込んでいて、取れないよ ・・・ そんなことやっていたら、背の高いスツールの上から落っこちて、床に落ちただけでなく、床にあった掘りごたつの中にまで落下してしまって、あやうく怪我するところだった。でも、この造り、これじゃハウスダスト問題が生じちゃう(まだ解決策が見つかっていない)。何だか数限りなくある納戸や押し入れを雑巾がけすると、雑巾ひと拭きでべとべと黒茶色の汚れがこびりつき(またまたこんな話ですみません・・・)、雑巾を何度取り替えても、綺麗にならないよ ・・・ そんなこと悩んでいたら、押入れの中でついていた手がベゴッ! あれ、床が抜けちゃうよ! 

結局一日一部屋は無理で、一日で「部屋の上半分」ほどの掃除がやっとで、しかも筋肉痛、ぐったりの疲労感、べとべとの汚れで日が暮れたのでした。

思ったより手強い。


気を取り直して、気分転換に、野鳥達のご機嫌を取ってみようという、ささやかな試みをしてみた。

バードフィーダー
 
バードフィーダーです。差したお蜜柑や林檎を、メジロなどがちょいちょいとつつく姿を憧れながら、使わずに(というか、つくばでは使えずに無用の長物でしたが)、この日のためにずっと取っておいた。野鳥に給餌するのは、冬の厳しさのために彼らのえさが少ない10~3月くらい、と言われているのだが、この地はまだ寒く、野鳥達は飢えているようで、稲田から連れて行った鉢植えについていた虫の卵も根こそぎ食べてある。だから、一回だけこの試みを赦してください。

向日葵の種

ついでに、向日葵の種も置いてみた。シジュウカラたちが、一羽一羽嘴にくわえて飛んでいって、各々気に入った小枝で、コンコンと向日葵の種の殻を割る、かわいい姿に憧れて。←ちょっと季節はずれだってば! でもまあ、一回だけ赦してください。
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