hearing the unheard voices

小鳥たちと対話し、自然と人とが調和できるバード・サンクチュアリを創立しています。http://homepage2.nifty.com/birdsanctuary/index.html

gift

梅の実

二本ある梅の古木に、たわわに青い実が実っている。

今年、水戸やつくば辺りでは、気象以上のせいか、「はずれ年」のせいか、梅の実りが少ないそうで、訪れてくださった方々は喜んで実を袋に詰めていかれた。それでも、黄色く色づいた実が沢山下に落ち、静けさの中に時折、高いところから実が落ちる音がリズムになって聴こえる。梅の木たちが沢山与えてくれる恵みを無駄にしないよう、痛んでいないものを袋に詰めると、かなりの量となった(今年は梅を干す時間がどうしても取れなくて、梅酒と梅ジャムに・・・・ どちらも、訪れてくださる方々やお世話になっている方々に、味わっていただこう)

桑の実

井戸や池の工事のため、条件の悪い時期に、条件の悪い土壌へと、強制移植をさせられた桑の木が、一杯実をつけてくれていた。まだ1mにも満たなくて、しかも大変な思いをしたのに、なんて優しいの! ちいさいけれどちゃんとした実で、そのうち五つほどが真っ黒に熟している。この時期、鳥さんたちが食べるものは豊富にあるので、人間(わたし)が頂いた。甘酸っぱい。

ホタルブクロ(自生)

日本に古くからあるれけども、消えてなくなりそうな山野草を少しずつ植えている。ホタルブクロは畑付近に幾つか植えたのだけれども、竹林の入り口に、自生のホタルブクロがあるのを見つけた。露に濡れて、繊細で優しい色の花をつけていた。

ヤブランの花

野鳥の好む実のなる木だけではなく、野鳥の好む実のなる草として、リュウノヒゲやヤブランを植えた。それとは別に、うつむいて咲くヤブランの花を見つけた。

6月の畑

畑も豊作。氣功の先輩のAさんが植えてくれたサニーレタスが、毎回サラダ2食分くらいの葉っぱをくれている。バジルも、バジリコスパゲティ1回分(1週間に一度、このメニューとなってしまった)。その他、サラダにはルッコラやチコリ、イタリアンパセリが加えられる。カレーにはコリアンダー、和風料理には青じそが定番。今日はミニトマトも三つで、胡瓜ももうすぐ。苗のまま買ったけれど、芽が出てこなくて心配していたウコンも芽吹き、二週間ほど前に撒いたマスタード・グリーンも芽を出した。

筍

畑にひょっこり出てくる筍(真竹)。竹林とは棲み分けをすることにして、この分は頂く。真竹(日本在来種)の筍は、孟宗竹(中国原産の竹)の立派なそれとは違い、あくがなく、味が繊細で筍ご飯にすると美味しい。わたしはこの方がずっと好き。


土地の管理、様々な工事とその確認やトラブル解決、職場の仕事の忙しさの合間を縫っての通い・・・ 失敗や大変なことに圧倒されて、〝からだがきつい〟〝ちょっと大変すぎるかな〟〝続けられるかしら〟〝踏みこたえられるかしら〟等々、が「ない」と言えば嘘になる(でも、土地を見つけられなかった去年やおととしに比べたら、頑張れることがあるのは断然違うのだけれど。だから、こんなこと言いたくないけど、言うのは)。そんなとき、sanctuary 第一号地に行くと、何故か、殊のほか、自然が優しくて --。

-- 自然や命のために何かしたい、何かできないか、と模索し失敗するわたしが、殆どまだ何も出来ないうちに、《聴こえてるから》、と沢山の gift をくれているみたいだ。

*********

追記 -- これを書いてからまた、池の工事の関係で、わたしの知らないうちに、北側の庭のまん中に植えた大切な苗木や山野草たちが強制移植されて(山野草たちは無視されてなくなった)、大好きな苗木たちの一部がなくなったりダメージを受けたりしてしまった。ショックで口も聞けず、でも尊敬する方に強く言われて、業者の方に確認をとった ・・・ が、植物達は戻ってこなくて、夜も眠れず、もっと強く、念入りに、執拗なくらいに、工事の人たちにわたしがいかにそれらの草木を愛しているかを伝えておかなかったのを悔やんだ(次回からは、もう二度とこんなことは招かない)。
 そんなことがあって、帰りがとても遅くなってしまった日、帰りがけに戸締りを確認しに、家の南側の庭に出たら、ふわりとかすかに -- 目を凝らさなければはっきりと見えないくらいかすかに -- 小さな小さな光が漂ったような気がした。「あれ、焚火(その日も枯れ枝を燃やしていた)の火の粉?」と思い、それにしては青白く、小さく、小さいけれども芯があるような、少し離れると見失ってしまいそうな、その光をしばらく見つめていて -- ようやく分かったのだけれども、

-- 蛍が、飛んでいた。

以前つくばで、農薬の空中散布を免れて、厚く繁った葛の葉の葉陰に消えそうな光を放ってはやめる、蛍の光の儚い瞬きは見せてもらったことがある。そのとき、昔はあたり一体に蛍が飛び交い、光で明るかったほどだと聞いたのだが、そのときの、隠れるようにして生きていた蛍はあまりにも儚くて切なくて哀しくて、そんな思い出だけが残っていた。

蛍が飛ぶのをみたのは初めてだ。

炎を吹き消すようにふっと息を吐いたら、ふっと光が揺らぎそうな、ささやかな光の流れ。

こちらへ飛んで来ては、すぐ近くで、(わたしの存在に気付いて)迂回する、頼りなげな光のうごき。

闇が深くなって、でも、だからこそ、その1匹の蛍の光は、ささやかでも、頼りなげでも、限りなく大切で、守っていきたい何かをくれた。
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巣立ちツバメ

巣立ちツバメ

昼過ぎになると、東の空の辺りがいつも騒がしくて--。

何のお喋りをしているのかな?と見上げたら、梅の木と柿の木の枝近くの電線に君たちが止まっていた。

-- あれれ、お喋りをしていないで、みんなぼ~っと丸く小さくなっているよ。

巣立ちツバメ2

 、、、と思った途端、ごはんをもって親ツバメがひらりと飛んで来てくれて、大騒ぎ!

巣立ちツバメ3

 、、、だけど、兄弟の口に入れてくれたら、すぐにまた飛んでっちゃった !!


今度は僕の番かな。また、ぼ~っと丸く小さくなって、待つ。
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takibi0

最近、my bird sanctuary 第一号地の真中辺りで、可能な限り焚火をすることにしている。

立ったまま枯れた竹が倒れたり重なったりして、荒れ放題に見える森林で、そうした竹を切ったり整理したりしても、倒れかかったり積み重なっている枯れ竹の山となっていくだけだ。現在はまだ、それらが敷地内のあちらこちらを無秩序に占拠している。正直、〝美しい森〟にするはずが(いや、その過程であるとは信じたいが)、逆に、どこもかしこも荒涼としてしまった。これらの竹、そしてその他の木が落とした枯れ枝等をどうするか?

様々な竹の利用を考えたが、当面のところ、排水を悪くさせている池周辺の地盤改良に「埋めて(大丈夫かな?)」使う以外は、燃やすしかない。燃やせば、途方もないこの〝かさ〟は減り、結果生まれる竹炭や木炭は、土質をよくするのに有効だ。

しかし、倒れかかりそうな竹を切る以上に、切った竹を1~2Mくらいの扱いやすい長さに分断して、更に横枝を払い、扱いやすい形で重ねて、焚火・竹炭作りをするという作業は生易しいものではない。竹を切るだけなら、のこぎりでやっていても、わたしでも何とかなるが、分断するとなると、のこぎりを扱う作業量がぐんと増え、おまけに横枝払いも容易でないので、右手首が壊れかけた(チェンソーの出番かな?)。これまで手伝いを申し出てくださった方の中で、屈強な方々に、とりあえず切った竹の整理をお手伝いいただけて、そうしてまとまった枯れ竹は、スペースが一杯にならないうちに、焚火で燃やしていこうと思う。

先日、ずっとご支援くださっている北茨城のSさんご夫妻がいらしてくださったときも、この問題をいち早く予測してくださり、屋外用の薪ストーブを持ち込んでくださった。朝早くから、大変に段取り良く、奥様のほうは、とりあえず畑一面にほったらかしになっている枯れ竹を、どんどん、どんどん、燃やしてくださった (ついでに、お昼用にと作ってきたカレーとナンも温めたよ)。

昼間は、大工さんや基礎屋さんたちの仕事が入っているので、煙が邪魔にならないよう、焚火はしない。燃やし始めるのは、夕方5時過ぎから--。わたしも、小露鈴&gaeaちゃんのためには、あまり夜遅くまで頑張れないので、5時過ぎから、用心しつつも、ぼんぼん、ぼんぼん、燃やしていく。

takibi1

できるだけ地元の自然の中で生まれたものを有効利用して建てるというコンセプトをお持ちの大工さんに、そうした考えに共鳴して、取り急ぎ物置小屋を建てていただいている。その物置小屋を建てる過程で出た木材のあまりの部分(杉板)を、「これも燃やさないか?」と大工さんに持ちかけられた。何袋にもなる杉板のかけらは、自然に帰るものだし、何らかの有効利用が出来そうなものだが、現在の法律の規定では、大工さんは、持ち帰り「産業廃棄物として処理」せねばならず、大工さんご自身が燃やすことは禁じられているという。ありゃりゃ、石油系の資材や化学物質が入っているゴミならばそうだろうけれど、こんな良い杉の板、何かおかしいな~。

さらに「焚火をしなければならない」作業量が増えてしまうことになるけれど、切られてしまった杉は、最後の最後まで、有効に使って欲しい、そしてできるだけ自然に帰りたい、と思っているだろう。その炭や灰がこの土地に帰っていくほうが、きっと良いに違いない。そう考えて、あまった杉板も頂くことにした。これらを燃やすと、とっても良い香がする。

takibi2

炎の中から、白い鳥が舞い上がった--。

あ、フェニックスだ。

そう、もう一つの ・・・ 焚火をする多分本当の理由は、もっと深いところにあるような気がする。

この土地と3ヵ月半必死で向き合ってみて、慣れない全て、大変な肉体労働の作業量(結果、筋肉ががっしりし、力こぶが出来た)、登記上の未解決の問題や心配事、近隣・土地周辺への配慮やトラブル回避、等々、どれも、自分のこれまでの力では及びもつかないほど頑張れるのだが、フル回転で続けても終わりがないどころか超えなくてはならないことが段々倍加していくような気がするときがある。温かくご支援しつづけて下さっている方々に頂いたご助言やご助力をできるだけ吸収し活かしていきたいと感じても、吸収しきれず、隅々まで瑞々しくこころが行き届かず、「とりあえずごめんね」の状態になっていることばかりだ。何より、ゆっくりやっていこうと決めていたのに、工事が入り、人の手が入ると、一つ一つを〝静かに感じて〟、見極め、天の声を聴いたり自然と対話したりするより前に、自然がどんどん改変されてゆく。少しマイペースを取りもどし、自分の歩幅で、一つずつゆっくりと、時には立ち止まり、一歩ずつ歩いていかなければ、そして何より静かに穏やかになって自然や命たちに〝耳を澄ます〟ことを忘れないようにしなければ、と痛切に感じるようになった。(それで、現実、なかなかそう行かないことも多いが--)

そして、そうやって抱えている問題とちょっと違う、だけど並行しながら密接に影響を与えているレベルに、「水」の問題があるような気がする。

土地全体の排水の悪さ、じめじめして、匂いも臭い、湿地状態となっている場所、この時期やぶ蚊や蚋が沢山涌き出しつつある「扱いきれない」二つの池の問題、井戸の問題、雨の後ずっと、あちこちに沢山の水溜りをつくり、しかも掘ると水が染み出てくるような土壌 ・・・・・ そうした「現実的な」水の問題は、最も頭が痛い問題の一つだ。

そして、それだけではない。「水」は、四大元素、五大元素のひとつとして、もっとずっと象徴的な意味の広がりがありますよね。例えば、水「龍」との関わりとか、浄化作用とか、水の性質が人間に取り込まれたときには「癒し」とか「治癒」とか、「感情面」をつかさどるとか・・・・ 。さらに、わたしの実感として、それは実は象徴レベルに留まらず、現実面の問題(排水の問題だけじゃないよ、土地が「聖地」とはならない理由になっている、もっと深くて大きい問題)に密接に関わっているように思う。

うん、難しいことはともかく、事実、わたしは -- もともとは「水」の星座生まれで、四大元素の中でももっとも親近感が持てて、特にクリスタルの「アクアマリン」のような清冽な水の色は一番魂が落ち着く感じがして、「水」が大好きだったのだけれど -- あの土地に関して、「水を何とかしなきゃ」と悩まされるようになって、ある明け方、どうしても眠れなくなって、ヨガや瞑想をやりながら閃いたのが、

-- あの土地には、「火」が必要だ。

ということだった。

「火」の元素は、四大元素、五大元素の中でも、わたし個人は「水」とは逆に最も苦手。「火」の元素の性質と言われること、その性質をもつ人は、正直「怖い」のだ。「怖かった」。そして、エコロジーから言っても、「水」が地球を癒し、育むのに対して、「火」は人間の力を想像させ、この元素は鉄を作り道具を作り、工業化・産業化へと突き進み、ついには技術と経済だけが先導する人間社会を作り上げて、地球崩壊・自然崩壊・人間性崩壊へと向かわせるというイメージがあった。工業化だけでなく、戦争やテロのときの戦「火」という言葉も、「火」だしね。

-- 火をおこし、鉄を作り道具を作ったことから展開した人間の力(技術力、そして何より智慧や精神性)は、今となっては、それなくしては、地球や自然、命の加速化しつつある崩壊も、食い止められないけどね。だから、「火」については、とても複雑な思いがして、苦手だった。

でも、あの土地では、流れずに溜まって、淀んで、汚濁を引き込んでいる「水」を浄化する必要があって(「水」にもネガティブな要素は沢山ありますね)、それには「火」を燃やし続けなければならない -- と、突然、圧倒的な強さで、何かが呼びかけた。

ぽかぽかと光を注いで、植物達の生長を促し、動物たちの活動を促す、温かな太陽も大事だけれど、もっと激しい、浄化の炎。淀んだ何もかもをスキッと燃やしきって、新たな再生を促す、浄化の炎 -- 多くの文化で神さまの形で崇められている「破壊と再生」のエネルギーのために、火をおこさなければならない。じめじめとした湿気を帯びて、過去の長い年月、特に誰にも手を入れてもらわず、住んで貰えなかった過去10年間が残っている、古い小さな家では、家が宿した過去に澄んだ敬意を払いつつ、新たなものに生まれ変わるように、ずっとお香(=「火」)を炊きつづけよう。これまでも、小鳥たちと暮らせるようにするために、「蛇除け」に(蛇は、煙を嫌うので)、蛇が棲んでいるらしいこの家で、キャンドルやお香を焚くことはあった。だけどもう少し、きっちりと澄んだ意図と敬意を持って、祈りのために、火を燃やさねばならない。その祈りで、自然と人、生きもの達の暮らしと人の暮らし、水(と龍)と水のない場所との境界線を、どちらにも敬意を払いつつ、どちらにも調和を導きつつ、引かなければならない。そうやって、浄化しなければならない。家の外、土地の中でも、朽ち果てて荒れたもの、溜まって淀んで無用となったもの、そのためにエネルギーが乱れたり浄化が必要なものは、焚火をすることによって、生まれ変わらなければならない--

-- 何だか分からないけれど、強くそう感じて、とにかく焚火。

takibi2.5

最初に焚火をしたとき、激しく燃える炎から出る煙は、一番浄化が必要そうな南側のどぶ池のほうへ真っ直ぐにたなびいていって、わたしは何となく、自分の直観は間違っていなかったことを確信した。

大きな枯れ枝、野放図に伸びた竹の枝や葉、杉板のかけら、そして家の片付けから出た(化学物質や石油系のものを含まない)不要物、要らないもの、自然に帰ろうとするもの、生まれ変わろうとするもの、山のようにあったものが、どんどん、どんどん、小さくなっていく・・・・・

takibi3

いつの間にか辺りが暗くなって、それから闇が濃くなっていって、闇の静けさの中にカエルや鳥(フクロウがいるみたい)の声が響くだけになっても、埋み火はちろちろと、なかなか消えなくて--。燃える必要のあったものが燃えても、まだ、火の神はそこにいる。この場で、「バケツの水をかけて火を消す」のは、何だかとても間違っているような気がして、わたしは結局、火の神にずっと祈りを捧げている。




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みんなの sanctuary

ヤグルマソウ

昨日は、水戸の氣功の会の方々が sanctuary 第一号に力を貸しにいらして下さった。氣功の先輩Aさんや会の幹事さん(どちらも大先輩で、素晴らしいエネルギーの持ち主)から連絡を頂いて、心積もりはしていたのだけれど、前日の電話で、「総勢8人もの方々(!)」と伺って、しかもAさんに「何をすればいいか、あなた指揮して!」とご指示を受けて、こういうことはとてもぎこちない(し、指揮できるほど立派であったためしのない)わたしのこころは、小パニック。

これまでも、今も、Aさんを含め、ご自身が素晴らしい活動をされていて、それで充分お忙しく、大変な毎日を送られている数人の方々が、それぞれの形で、無償で、無条件のやさしさで、手を添えてくださっている。その手が添えられていなかったら、わたしは最初の一歩を踏み出すところで、ぬかるみに足をとられたり、ふらふらと行く手を模索し続けるばかりだったかもしれない。ただただ感謝するしかなかったけれど -- 

そうした方たちは、この土地とご縁があるずっと以前からわたしが尊敬し続けてきた方で、殆どの方が親しくお世話になっている方々、わたしの駄目なところもまるごと受け入れてくださっている方々だ。

でも、今の状態は、会として全員の皆さまにきちんとした姿を見せられるような状態ではない -- それでも、皆さまは、やっと水が出るようになりトイレも使えるようになったばかりだけれど、お茶さえきちんと出せないその場に、いらして手助けをしてくださるという。 -- それは、サンクチュアリの仕事、志を分かちもって下さるということだから、わたし個人があたふたしたり、しり込みしたりしている場合ではない。

有形、無形のサンクチュアリ -- その片鱗はわたしの内部にもなくてはならないはず、焦ったりせず、駄目なことは駄目で、でも分かち合って下さることの嬉しさを清々しく抱えていよう -- そう決心して、本当にそれだけを抱えて、一日を過ごした。

心配はしたけれど、素晴らしい一日となった!

荒れた竹の片付け、木の剪定、草取り、苗木や草の苗の植付け、等々、今必要な仕事をお伝えすると、それぞれがみんな、自分の仕事をみつけ、自分のやり方で、時には黙々と、時には仲良くおしゃべりをしながら、時には皆で盛り上がって、どんどん、どんどん、必要なことを進めてくださった。大勢でするって、こんなに一気に場の「氣」が変わるんだ。みんなで考え、思い、感じて、〝みんなのサンクチュアリ〟になっていくのを、まるごとからだで感じることが出来た。

一緒に仕事をする楽しさ、そして「労働」だけじゃなくて、筍とりや梅の実をもいだり、車座でお茶を飲んで、おしゃべりしたり(美味しいお茶、飲み物、お饅頭、ケーキ、おせんべい、胡瓜、持ちよってくださって、皆さまありがとう!)

お茶を飲んで微笑んでいると、キジバトの夫婦が、恐れることもなく、すぐ近くまで様子を見にきた。(やった! この調子で行けば、まだまだ荒地だけれど〝鳥にも人にもサンクチュアリ〟も、間近かも !!)

どれほどの大きなことだったか、変化だったか、言葉では言い尽くせない。

こうでなくっちゃ、と教えられた面が、抱えるほどあった。

沢山のことを学べました。そして、沢山の嬉しさを感じました。

ありがとうございます。

少しずつ、〝訪れるたび憩える場所〟〝自然と接して感性が開いてくる場所〟〝発見のある場所〟となっていきますように -- 〝みんなのサンクチュアリ〟となっていきますように!
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希望と再生 ~2~

きっと、やっぱり、本当に神さまはいる。

「希望と再生の樹」(6月5日ブログ)のすぐ隣で、再び奇跡は起こった。

希望と再生の樹2

ガーデンセンターで匂い立つような香氣を発していた苗木 -- ほんの少しこすっただけで壊れそうな紅色の若葉を開き始めた、瑞々しいその苗木が「クスノキ」の苗木だなんて、わたしは知らなかった。

神社ではご神木となり、暖かいエネルギーに満ちた木。大きくなると、柔らかい形で枝を伸ばして金色の光を一杯に受ける。抱きしめても、もたれても、これほど心底優しく、しかも品格に満ちている木ってない! どんなときでも、クスノキは大きく受けとめてくれて、傍にいるわたしを天の光で充たしてくれる。

あちこちの公園やら街角に、傍にいけば必ず立ち寄り、挨拶をする、大好きなクスノキがいる。それらを合わせれば、クスノキの近くにいる時間は、きっととても長いのだけれど、そうして長いこと一緒にいて、絶対に確信したこととしてね、鳥たちも絶対にクスノキが大好きなんだ。特にある程度大きくなったクスノキは、枝を広げ沢山の葉で、鳥たちに隠れ家を作り、秋には黒い小さな実をみのらせて、小鳥たちを養う。 -- クスノキの下にいると、鳥たちとも近づけて、仲良くなれる気がする。

そんなクスノキも、苗の頃には、茎(幹)は緑色で(幹でも呼吸しているらしい)新芽は紅色 ・・・ クスノキ(の大木)っぽい風格はなくて、代わりに匂い立つように瑞々しい〝草っぽい〟苗木だったので ・・・ 驚いた。そうすると、今、つくばのベランダに〝鳥たち(多分ヒヨドリ)の落とし物から芽生えた苗〟があるんだけれど、あれもクスノキかな??? 何だか分からなかったけど?・・・・ などと思いながら、ベランダの苗はまだ小さいし、確かではなかったので、迷いに迷って、でもどうしても惚れたその苗をまずは my bird sanctuary 第一号候補地に植えようと決めた。

-- だけどね、そのときもわたしは大失敗をしてしまって --

これほど瑞々しい新芽を芽吹かせているのだから、暑い日に車の中に長時間入れてしまうのはどれほどご法度だか、もっとちゃんと気遣っていれば当然分かったはずだ。嬉しくって、大事に思って、植えるのにワクワクしていたのに、わたしには気遣いが足りず、いや、その点全く無神経だった。5月の本当に暑い日で、この苗木は沢山の葉を広げていたから、高速を走る辺りでリア・ウィンドーが「じゅっと熱い」くらいになってしまった。そのとき連れていたのは、このクスノキの苗とアケビの苗 -- 両方ともみるみる葉っぱが黒ずんできて -- 瑞々しい若葉が黒く変色していくのを感じながら、急いで運転して、でも、どうにもならなくて、辛かった。アケビの方は、背が低い分、ウィンドーやその他の車体と接触する部分が少なくて、上半分ぐったりしたけれどすぐに持ち直してくれた。でも、クスノキの苗は -- 最初は、接触面だけ黒ずんで「でも全体は大丈夫・・・だよね?」と思っていたのに、1週間、2週間 ・・・ とたつうち、黒ずみが広がっていってしまった。

駄目になった部分を少しずつ切っていって、最初は一部分だったのに、段々と切ることになって、そこから芽吹いて!と祈りながら様子を見たけれど、幹に当たるか細い茎まで黒ずみ始めて -- このときも、わたしはかなり泣いた。自分の無神経を悔やみ、のろった。

ナナカマドの苗木と同じで、その後、ベランダから育ったクスノキの苗を近くに植えたのだけれど・・・。

梅雨少し前、ふと気が付くと -- 黒ずんで「死んだ」と思っていた青い幹から、触れれば傷付きそうな瑞々しい新芽を芽吹かせてくれていた。

本当にごめんなさい。

なんてお詫びしてよいのかずっと分からなかったし、生き返ってくれたことを、何と感謝してよいか、今分からない。

でも、絶対もう酷いことをしないから。いつも耳を澄ませてあなたの声を聴き、感じ取り、すみずみまで配慮していくから。ナニガアッテモ絶対守るから。
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希望と再生

こころの底から嬉しいことは、まだあって ・・・・・

二週間ほど前、my bird sanctuary 第一号を訪ねたときのことだ。

植えた苗木たちの様子を見て回っていたら --

希望と再生の樹1

あれ?! ちいさな家の北側の土地は更地で、ここは鳥さんの好む樹木で(人間も)一等好きな樹木たちを植えたのだが、そこで目を疑った。それから、何度も見間違いだと思って、目を凝らした。最後に -- さわってみた!

-- 枯れたと思っていたナナカマドの苗木。ナナカマドは大好きで、まだ四月初め、立派な苗木を見つけて(4月2日ブログ『木を植えよう 番外編』)、大喜びで、一等地 -- 〝小鳥たちと遊ぶ〟庭となるであろう家の北側の土地の真ん中、窓から見える真正面 -- に、高木となる立派なこの苗木を〝ず~ん〟と植えて、「さあ~ ここから小鳥たちのパラダイスが始まるわよ~」と爽やかに宣言したつもりだった、その苗木。

本当に本当に、ナナカマドは大好きで、北国の木、北海道のイメージが強いし、確かに「暖地では紅葉の色が冴えない」等、樹木図鑑や園芸図鑑に書かれていて、今回の土地には、樹木分布から言えば間違いはないけれど、温暖化が迫る中、暖かすぎるかな、可哀想かな、と心配しつつ、〝どうしても植えたい木ベストスリー〟に入っていた。「野鳥の好む庭」や「バード・ガーデンの5本の樹」に選ばれているように、紅葉が美しいだけでなく、真っ赤に実るナナカマドの実は、沢山の種類の野鳥に好まれ、野鳥を呼ぶ。それに -- まさにその北国や北海道で学生時代をバードウォッチング三昧ですごしたときからの、憧れの木なのだ -- やんちゃな鳥見修行をこなした後の疲れを癒しに必ず立ち寄った、旭川の公園のナナカマドやナナカマド並木。背の高いその樹々たちが、すべての葉を緋色に染めた光景に息を飲んだ十和田湖湖畔 ・・・ 沢山の思い出がある。それにね、イギリスで「soul sister」とまでわたしのことを呼んでくれたケルトの血が混じるKatieは、やっぱりナナカマドが大好きで、娘に「Rowan(ナナカマド)」と名づけてまでいるんだよ(注:これは、イギリスやケルトの女性の名前としても、異例といえる変わった名前らしい)

ナナカマドの後から植えたガマズミは、花までつけてくれたのに、植えてから2週間たっても(「寒いところが好きな木だから発育が遅いのかな?」)、1ヶ月たっても(「あれれれ・・・・」)、苗木は芽吹かなかった。それどころか、最初からついていた硬い木の芽が次第にしぼんできて、芽も枝も弾力がなくなってきた。

-- どうしたの? 

-- もしかすると、何か悪かったの? (事実、その頃のわたしの移植の仕方は、知識も経験もなく、今振返ると、幾つかのまずいことをやっていた)

-- ここでは、駄目だったの? (もともとの土地は、広葉樹たちが健康に育つには、程遠い土地だ) 

-- やっぱり、何か、ひどいことをしてしまったの?

植え替えも治療も考えたし、「ごめんね。できるだけのことは何でもするから、もう二度と苦しめないようにするから、どうすればいいか教えて!」と祈ったし、エネルギーも送った。でも、苗木には生気がなく、初めて「駄目かな・・・」と感じたとき、わたしは泣いた。大好きな、一等大切にしたい樹に、何てことをしてしまったのだろう。どうしても、ブログでも報告できなかった。

何度も、何度も、この土地のことで瞑想して、苗木に謝って、その木のすぐ後ろに、新たなナナカマドの苗木を植えた。今度は、もっとずっと小さいけれども、葉っぱの出ている苗木を--。だって、そこはもう、絶対に〝ナナカマドがなければならない〟場所になっていたから。

そして、芽吹いてこない、生気のない、最初に植えたその苗木は、そのままにしておいた。動かしたり抜いたりするのはまだ哀しすぎたし、そこまでのプロセスの中で、わたしはあきらめたのだけれど、きっとどこかに一縷の何かが残っていたんだね。

でも、「あきらめた」わたしは、再び心底からのごめんなさいを言わねばならない。

ナナカマドの苗木は、芽がしぼんで、全身黒っぽくなっても、生きていてくれた --。

芽吹こうというその大切なとき、力を蓄えた全身にひどい扱いを受けたにもかかわらず、根に残っていた生命力が、もう一度最後の力を振り絞ってくれたんだね。

こころから、わたしのすべてから、ありがとうございます。

わたしは、多分一生、あなたには頭が上がらない。

樹木の勉強を一杯して、ここの土壌や環境を良くすることともじっくりと取り組んで、もうあなたを二度と苦しめたくないと思う。それには一杯勉強しなければならないし、経験も積み重ねていく必要があるけれど、あなたが健やかに生きていくのに間に合うようにするから、だから、生きてってください。地球の温暖化にプラスになることも、できるだけしない。あなたが再生してくれたのだから、わたしも何があってもへこたれない。

このナナカマドを、「希望と再生の樹」と呼ぶことにしよう。

後から植えた苗木の方を、ほんの1mほど東へ移動して(将来的にこの高木となるナナカマドが二本くっついているのは風通しも枝張りも問題だし、この子の方が南からの光を受けられなくなる)、ここの樹木群は、ナナカマド(バラ科 高木)二本(!)、ガマズミ(スイカヅラ科 低木)二本、コマユミ(ニシキギ科 もう少し低い低木)一本、となった。この後、アカモノ(ツツジ科 さらに低い低木)を植えるつもり。どの樹にも、鳥さんの大好きな赤い実がなり、最後のアカモノ以外は落葉樹で、アカモノは背の低い常緑樹なので、鳥さんの隠れるスポットを形成するはずである。

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May Garden

もう水無月になっちゃったので、ちょっと前の話だけれど、五月半ばの週末、北茨城にお住まいのSさんご夫妻が my bird sanctuary 第一号にいらしてくださいました。「ゴミを出さない、ものの少ない、無理なく手づくりの、始末のいい(初めと終わりがちゃんとしていてみんな土に還る)暮らし」をなさっていて、自然と触れ合う中で、穏やかに静かに時を過ごされている -- 最初にそんな暮らしに憧れを持って、こころある方に誘われてちいさなツアーで訪れてその暮らし振りを拝見させて頂いて、感激してからこれまでの数年間、わたしがずっと様々なことの指針としてきたお二人だ。お二人とも素晴らしいキャリア、知性の持ち主だが、物静かで優しくて謙虚で、どこにいらしてもすっとその空気に馴染む。

実はこの土地にもう一つあった廃墟同然の家の解体直前に、業者さんから「欲しいものは残すから ・・・こちらとしては解体撤去費用がかかるので、できるだけ残しておきたい」と言われ、

 ・使えるものをゴミにせず、できるだけ再利用するというエコはしたい

 ・(でも本音を言えば)できるだけシンプルに暮らしたいので、ごちゃごちゃしたものは要らない。

という方針は立てたものの、あまりにも沢山の「ごちゃごちゃ」が山積みされている状態だったので、Sさんご夫妻に相談すると、何と1時間半以上もかかる北茨城から手伝いにいらしてくれたんだよ。

それが2月のこと -- 今回は、最初は大工の棟梁を引退された方のところに見習いに行ったけれど、そこからは自力でご自分の家を建てられてしまったという実力の持ち主であるS氏に、一点豪華主義で、みんなが集うときのテーブル(普段は作業机となる予定)を作っていただけるという約束を取り付けることが出来たので、その打ち合わせだ(でも、本当のことを言うと、多分わたしが土地や家で悪戦苦闘しているのが簡単に想像ついて、心配して様子見にいらしてくださったのだと思う)。

話も尽きなくて、いろんな方向に話題が飛んで、わたしは興奮状態。途中から、いつも支えてくださっている氣功の先輩Aさんも加わって -- ああ、いろんなことを喋りたい、やらなきゃ、感じたい、時間がもったいない! 

佐々木さん・畑

S氏が耕してくださって、もとは畑地だったらしいけれど(地目も畑)、硬くて石混じりで、しかも20cm下は粘土質のボロボロの土という土地が甦った! Aさんがもってきてくださったサニーレタスの芽生えたばかりの苗を皆で植えて、生まれて初めて、〝畑らしい畑〟ができたよ! (--まあ、わたしは苗を植えただけだけど)。笠間・稲田で野菜を育てたときも、「あ~、まあ~東京(出身)の人っていうのは! (笑) (←これで畑のつもりかしら?)」と笑われたけれど、うん、これからは地元に恥じないよう(?)立派な野菜の育て方をするぞ。

ルッコラとセージ

とは言え、普段のわたしのやり方は変(?だよね)。手前は、ルッコラとセージを混植してみたもの -- 野菜とハーブと雑草(「雑草」という言葉で呼びたくないけれど、手っ取り早いので。つまり、植えたのではなく自然に生えてきたカラスノエンドウとかナズナとかスギナとかヨモギとか)を色々と取り合わせ混植実験をしちゃっている -- 混植すると、相性のいいものは良く育つとか、虫がつきにくいとか、大事な野菜から虫をガードしてくれるとか、いろいろあると本で読んで、それに土中のいろんな成分をみんな違う風に吸い上げて、還していくから、何か良いみたいな気がして。

それだけならまだ良いんだけれど、この取り合わせ -- セージの高貴な紫の花とルッコラの白に紅茶色のラインの入った可愛い花! 嬉しくなっちゃう(食べるの忘れちゃいそう ・・・ 〝そのまま、咲いていてもらいたいだけ〟とつい思っちゃう)

ヤロウ

ヤロウも植えた。葉っぱは傷を癒すので、誰かが怪我したとき用? 胃腸にも良いし、元気になれそう。銀色がかった緑の葉っぱは、素敵な動物の尾っぽのように、ふわふわ -- 触覚をくすぐるよね。

ビックリグミ

畑の際には、ずっと鉢で育っていたビックリグミの苗木も植えた。果樹用の園芸種なんだけれど、畑だから良いでしょう。その奥には、アキグミとナワシログミの苗(この二つは野生種)。グミ三兄弟だ ・・・ どのグミも、それぞれの季節に、紅くて綺麗な実をつけてくれる。人間が食べるのかな、野鳥さんが食べるのかな?

ヤマノイモ1
ヤマノイモ2

実は畑の奥(北西側)、鬱蒼とした竹とイヌシデとカエデとカキの木の林のほうにも、もう一つ、〝畑となりそうな〟区画がある。こちらは、山菜や薬草にもなる山野草のコーナー。カキの木の根元に、ヤマノイモの苗を植えてみた。アケビのときと同じように、1本だけじゃ実つきが悪かったり元気なくなりそうだから、奮発して2本! さあ、瑞々しい蔓を伸ばして、とんがったハート型の綺麗な葉っぱを広げて、ムカゴを作ってくれるかな?

Sさんご夫妻、Aさんにも、ちょっと笑われそうだけれど -- 鳥さんだけでなく、木や草などの植物界も、虫さん達の世界も、みんなのハーモニーも、何だか豊かに広がっていったら良くて、楽しみながら少しずつ、尊敬する方々に近づければと思います。

この土地で作業をしていると ・・・ 鋤をふるって畑を耕しているのに、すぐ傍らでキジバトの夫婦が地面をついばんでいたり、苗木を植えているすぐ上の枝からスズメの子どもに興味津々にのぞきこまれたり、雨が降ってきて家の中にいるとあまりにもハクセキレイたちの声がうるさくて「あれれ?」と覗くと親鳥と子ども達がいて親鳥に「ジャッ!!!」と怒られたり ・・・ 人間慣れしていないのか、鳥さんたちはすでに人間のすぐ近くで、思い思いのことをしてくれています。(日本の町でも村でも、追われたりいじめられたり殺されたりの歴史が蓄積して、一般には、鳥は人を見れば遠くからでも逃げるよね。外国に行ったりすると、そうではない国や場所もあるので、これは鳥と人との関係の歴史の中で生じたことの結果なのだと思う)

しめしめ ・・・・ 自然の中で働けば働くほど、そして愛情かければかけるほど、きっと彼らはすぐに分かってくれる。安心してくれる ・・・・・ そんな信頼を得られるよう、日々かんばろう!


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樹木の女神さま

あのね、あのね、ものすご~く嬉しい話なんだけど ・・・・

3月28日ブログ『木を植えよう ~3~』にて、ずっと大切に想ってきたピンク紗羅の木、女神様のような気高い苗木を、my bird sanctuary 第一号候補地に恐る恐る地植えしたことを、書いた。今振返ると、あれから2ヶ月しかたっていないけど、あの頃は土地と向き合い始めて日も浅く、樹木の移植の知識も技術も殆どないままに、ただただ一生懸命植えたんだよね。そして、いつか女王様のようなこのピンク紗羅の木が、この土地を充分に〝聖なるもの〟と感じてくれるなら、そうしたならば、薄桃色のちいさな綺麗な花をつけてほしい -- そんな祈りを捧げた。

この前の週末、土地を訪れると ・・・・

女神様1

何と、たくさんの花を咲かせてくれていた。

ああ、--感動 ・・・! 胸の置くまでズキンとする。

そう言えば、ここ何回か訪れるたび、以前とは違う芽吹きのし方をしていて、「芽吹きのときの葉っぱはほんのり赤いのだけれど、ほんのり赤い何かが伸びて入るけれど、葉っぱではないような ・・・・ 何かな?」と、想っていた。この木はずっと、つくばの西日の当たる7階建ての宿舎の最上階のベランダにいて、そのときには、身長を伸ばすことも、新たな芽を吹かせることも、あまりせず、ましてやこんな姿を見せてくれることはなかったから、分からなかった。

ちいさな、うつくしい、花の蕾だったんだね! 

紗羅の木の花は、朝、露の降りるなかで開いて、夕方にはぽとんと落ちる。儚くて、それ故に、美しさを感じるわたしたちの心はさらに揺さぶられる。

女神様の木は、わたしがいない間に、すでにたくさんの花を開き、花を終えていた -- 地面には、露に濡れたまま咲き終えた花が透き通って落ちていた。

-- 〝聖なる場所〟と感じられるなら咲いてね、ってお願いしたよね?

-- 〝聖なるとき〟が来たら、咲いてくれる、って想ってた。


目を閉じたら、木と共に立っている地点の時間と空間から、まっすぐな光が四方八方に広がった。

-- 本当に、いいの? 

-- 充分に、良かったの?


確かに、人間の目は、いや、五感は、とっても限られている。そんなわたしから見たら、この土地は、まだ荒れ果てていて、素晴らしい協力者・支援者の方に恵まれてはいるけれど、わたしに進められることは本当にぎこちなく、未熟で、未経験で、遅々としており、失敗ばかりだ。わたし自身がまず、その見本だ -- 「聖地」とは、ほど遠いのだ。

なのに、あなたは、始めてくれている。

小さく、美しく、儚い花を、ここ数日開かせて、聖なるところ、聖なるときの切り口を、きっとこの空間・時間のどこかに開いてくれているんだね。

とっても高貴だから、十分にお膳立てが出来てからしか頷いてはくれないだろう、と考えていた女神様の木は、一番最初に「聖なるもの」を体現してくれた。ありがとうございます。

女神様2

でも、人間(=わたし)の計り知れないところで、「それこそが女神様の証なのよ」とあなたは微笑んでいるかもしれない。
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