FC2ブログ

hearing the unheard voices

小鳥たちと対話し、自然と人とが調和できるバード・サンクチュアリを創立しています。http://homepage2.nifty.com/birdsanctuary/index.html

光ともして ~2~

震災
 (う、わわわ -- 片づけ中です)

今想えば、こんなにも大きい地震を、つくばよりも震源地に近い my bird sanctuary の大地で、無事に生き延びることができ、当日深夜の命からがらの移動もやり遂げ、つくばの部屋の破損状況にもかかわらず、小鳥たち(文鳥)apas くんと mimir ちゃんも命を繋いでいてくれて … 本当に本当に、ありがとう。

後でTVのニュースで知ることになりましたが、信じられないほど多くの東北の方々が悲惨な形であっという間に亡くなられました。こころよりご冥福をお祈り申し上げます。そして、わたしたちは、地震は大きかったけれど、津波に見舞われなかったために、生きていることができたのだと知りました。そのことの意味も、これから噛みしめていきたいです。

さらに、地震直後から、わたしは非常に力強い守護の祈りとエネルギーを授かっていました。繋がりようのない携帯電話に、メールで、あるいは何度もかけてくださることによって、多くの方が安否を気遣って下さいました。一瞬のうちに倒壊し、不安の暗闇に包まれた街や道路 -- その暗闇に飛び込んで、つくば目指して一般道を抜けるときも、ついた後も、翌朝すぐにも、温かい電話やメール、守護の祈りや愛や温かいエネルギーに包まれていました。ここで、改めて、ありがとう、ありがとう、ありがとう。

sanctuary を出発する時から、 apas くんや mimir ちゃんに「待っててね」と呼びかけて、繋がりを感じていました。「絶対にあきらめないでね」。大地や天にいらっしゃる神様や自然界のスピリットも、そして天国に居る小露鈴やgaeaちゃん(一緒に暮らした文鳥さん達)も apas くんや mimir ちゃんを守っていてくれたと思います。

-- ありがとうございます。

*********

つくばでは電気、ガスは、時々おかしくなりつつも通るものの、水はぱったりと止まっていました。そして、大本で問題が起きていて、復旧の見込みがつかない、と知らされました。

翌朝(数時間休んで)から、片付けを始めましたが、何せ水がありません … ガラスや陶器のかけらが部屋中に散らばってとにかく危ないので、まずそれを拾い集めることにしました。が、ソースやシロップのビンが壊れて中身が流れていて、床も、散乱した何もかもも、ベタベタ。その上、観葉植物もひっくり返っていて、中の土が散乱してモノは土まみれです。少なくとも、雑巾で拭けたら、いえ、手が洗えたら、いいのですが …

いえ、それ以前に、生きるためには飲み水でしょう。ラッキーなことに、普段はエコ派でペットボトル飲料は一切買わないのですが、持病に効くと聞き込んで注文した長良川源流の水のボトル(2L×12本)が届いたばかりでした。「え~! こんな高価で貴重な水で、手を洗っちゃうの?」と躊躇いますが、これがなかったら遠い遠い市の給水所に、決められた時間に通って、並んで、間に合わせの容器を抱えてとぼとぼ歩いて水を求めなければならなかったのです。

二日目には、電車が制限付きで開通したので、家族も救援に来てくれて、倒れた重い家具を起こして、応急処置をしてくれたり、ガソリンが手に入るか給油所まで歩いてパトロールに行ってくれたりしました(すでに二日目には、ペットボトルの水もガソリンも、すっかり売り切れで手に入らなくなっていました)。つくばの職場は、同じく震災にあって、危険な倒壊があり立ち入りを控えるようにという指示が出されていたので、結局ずっと汚れて散乱したモノの中、危険物があるので靴を履いて、モノを拾い、集め、タオルで拭いては、一か所にまとめたり重ねたり -- そんな片づけを続けました。

でも、でも … TVで宮城県沖の津波のこと等を知り、避難所にいらっしゃったり依然として孤立していらっしゃる方々がいる中、「これしきのこと!」と自ら掛け声をかけていました。が、三日目となったとき、とても恥ずかしいのですが、今度は自分のこころとの戦いが始まりました。水がないことで、こころが病みそうになってきたのです -- 「あ~ お風呂に入りたい」「髪の毛を洗いたい」「トイレが流せないなんて」「手も顔も気持ちいいだけ洗いたい(ほんのひと掬いの水で、手の汚れだけ洗い、顔の汚れたところだけ洗い、歯を磨いていました)」。夜ねるとき、手の爪が黒いまま、ガラスで切った傷跡だらけで汚いまま、眠るのが悲しくなりました。2001年から心機一転して、バードサンクチュアリの土地探しまでこぎつけたその道程で、修練もし、結構ど~んと腹が据わってきたと想っていたのに、やっぱり弱いヒトだなあ、と自分を見つめていました。

そして -- 原発事故の報道。

沢山の気が狂いそうになるほど悲しいニュースの上に、昼夜じりじりと不安になっていくような、爆発や危険性の報道は、あんまりです。このままでは、こころが不安定になってしまう … とTVを見ないで、自分は自分、片づけをしよう!と思った矢先、幾つかのメールと電話をいただきました。「ニュースちゃんと見ないと危ないよ」「昨日からの事故で、放射性物質の飛散でつくばにも影響が出る」「風向き次第では、午後は外に出るな!」、そして、すでに避難を始めている方も多く、わたしもできれば三鷹(東京)の家族のところに避難した方がいいよ、という内容でした。

-- 大好きな茨城、福島の人、自然。

つくばより北 -- 福島原発に近い方 -- に、石岡市・小美玉市や笠間市、そして水戸市や常陸大宮市があり、そこでは水どころか電気やガスも通じていないかもしれない中で、自然再生や気功の大先輩・仲間たちが皆、震災の復旧で今もきっと頑張っている。茨城県の海岸沿いの真北、福島県都県境の北茨城市の華川花園では、モノを減らし自然と共生する暮らしを実現している、尊敬するSさんご一家が、きっと淡々と頑張っている(涙が出る)。そして … 常磐道を車で幾度か、野鳥や自然を求めてわたしは北上したことがある。北へ北へと福島まで向かう中、山々は奥深くなり、ブナ林を中心とする植生へと変わっていく。そこで出逢えた高貴な山々、静謐な山々、みずうみ、川、大地、風、木々、野草、渡り鳥たち、山の小鳥たち … すべてのものが一つとなり、永遠に命をつなごうと響きあい、同時にひとつひとつの自然や命は、その一瞬に無心で輝いていた!

つくばは原発から160KMのところにあるが、my bird sanctuary はおよそ110KMに位置する。この二年間、沢山の苗木、在来の野草を植えた。鳥たちの水場を作り、厳寒期には、僅かだがミカンや雑穀、豆やヒマワリの種も食べに来てもらった。昨年と比べ、今年の冬には、訪れると鳥たちが近寄ってくれるかのように想え、鳥たちとの距離が近づいたことにこころ躍らせた。初めて経験するとんでもない苦労も多く、何度も撤退かというところまで追い込まれたが、沢山の親しい、尊敬する方々が訪れて、汗を流して場所を整備してくれたり、苗木を植えたり、祈ったり、美しい光をともしてくれた。サンクチュアリ(聖地)が何であるかはまだこれから掴んでいくのだと感じていたが、さらに、ここだけをサンクチュアリ(聖地)とするのではなく、こうした希求が少しでも世界へと広がっていかなければ地球は癒され回復しないのだと感じていたが、「自然(の力)」と「皆(人)」が協力してやろうとしているのは、“希望”の苗木を植えることなのだと信じられた。

-- 放射性物質の、汚染。

もっと北に、もっと原発事故と近いところにある、これらの場所、人、命たちを残して、木々や鳥たちを残して、わたしはつくばから、もっと安全なところへ避難しようとしているのか。いや、わたしは --

それでも、ようやく少し水が出るようになったその晩遅く、(常磐道閉鎖のため)ガソリンを繋いで一般道を長時間かけて家族が心配して来てくれて、apasくん、mimirちゃんとわたしは、三鷹に避難しました。福島原発では次々と爆発や事故が起こり、ひっきりなしに続く余震は片付けたものをまたふるい落とすほどで、わたしは数日の間に疲れ切っていました。

どうしたらいいのか、良かったのか、もう全く考えられない -- 自分の内側を探しても、答も次に向かう光も見つからなくて、そこに見えたのは突き抜けるような罪悪感と「休みたい」という想いでした。



このページのトップへ

Search

Information

sumiko

Calendar

02月 « 2011年03月 » 04月
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

Recent Entries

Recent Comments

Recent Trackbacks

Archives

Categories

Links