hearing the unheard voices

小鳥たちと対話し、自然と人とが調和できるバード・サンクチュアリを創立しています。http://homepage2.nifty.com/birdsanctuary/index.html

再生

3.11前まで、今年は bird sanctuary を拠点として、様々なことを展開したいと夢見ていた。豊かな森を創っていくこと、消えゆく野鳥、動物たち、虫たち、野草や樹木を少しでも残し守っていくこと、訪れてくださった方たちに、自然の恵みや癒しを感じていただくこと … 。安心してゆっくり空や土や風や星々を感じていただき、緑の中でからだと目を潤し、ここに棲む自然の精霊たち(spirits)や妖精たちと対話していただき、四季折々の野鳥の生きる姿に間近で親しんでいただくこと … 。自然観察や、人が恩恵を受けてきた自然やそこに息づく命に祈りや感謝を還していくことも、共感して下さる方々と、していきたいと想っていた。
 今年は、これまでお世話になってきた方々はもちろん、四季折々、遊んだり、散策などの集まりを通して、いろいろな方々に来て頂けると想っていた。この地だけではなく、ここを拠点にもっと北へ、聖地を巡ったり、自然と調和した暮らしや農業に従事されている方々のところに見学に行ったりの催しも、できると考えていた。また、室内の閉じたスペースではなく、自然を感じながら対話しながらのボディワーク、ヨガや瞑想や呼吸法などもみんなと一緒にできると計画していた。

しかし、原発事故地から100~110kmのこの地、雨水を貯め込み水はけの悪い荒れた竹林を抱えるこの地で、それまでのわたしの夢、希望、祈りは、全て止まったままだ。

多分そんなに放射能汚染はひどくないよ、何よりあなたの夢だったんじゃない、何なら、もっと現実的になって、ガイガーカウンターを購入して、日々一定時間ごとに土地のあちこちで計測してみればいい。そう助言して下さる方もいる。そうしたことも考えた(今も、考えている)。

でも、ここより安全な場所にいる方々に、いらしてくださいと自信を持って言えるようになるのは、いつになるだろうと想う。(先鋭隊の方々はともかく)多くの方が、安らいだ穏やかな気持ちで自然に溶け込み、土地と人が調和して癒されていくような聖地 … そうなるためには、環境や生態系はもとより、わたし自身が、自分の芯のところから、安心して穏やかに豊かな時を過ごしていただけることに、絶対の自信と強さと明るさをもっている必要があるだろう -- 夢や希望や … 愛や祈りと共に。

-- まだ、その時ではない。

-- それどころか、まずは自分の建て直しから。

そういう春と夏だった。

今も、それは残念ながら変わらない。

そんな中、それでも昨日、bird sanctuary にて、集まってくださった方々とyogaや瞑想をすることができ、ささやかだが温かい時間が誕生した。

秋も深まり、冷たい雨に震えていた一昨日から一転して、陽光の明るい秋晴れの一日だった。

mayumi-shizu

かねてからサンクチュアリ創立の作業で大変にお世話になっていた方々だ。皆さま、震災で大きな被害を受けていた。ここ茨城県中央部は、地震の被害は大変に大きく、一方で津波の被害は、宮城県ほどではなかった。そのため当時の報道が、当初宮城県の被害、その後は福島県の原発事故に集中し、国のサポートからも人々の応援からもはずれていた。その上、放射能汚染地域として(福島県と宮城県は測定値が公表されないことが多い)ずば抜けて高い値の測定される県として、基盤となる農業・漁業の行き場がなくなった。そのため、被害のときの「理解されていなかったこと」も含め、ほぼ誰しもが被害から立ち直るのに苦しみ、気持ちに傷をもっている。

9月になって、サンクチュアリの地の作業の手伝いを申し出てくださった皆さまから、3.11以後、ぼうっとして何も手に付かなかったこと、半年の間どうしても元気が出なかったこと、また現実に何かからだを動かしたりみんなと会いたいと想っても(多くの方が、気功の練習でご一緒している方々だ)実際に公民館が復旧しないため練習ができないでいたことを伺った。

それでも、何かしようと考えて、草取りを申し出てくださった皆さまに、こころの中でお詫びしてもお詫びしきれない気持ちで何も言えなかった。

-- この半年、気になりながらも、わたし自身、自分の立ち直りだけでもがいていた。

会場だけでも、と、bird sanctuary の場を提供したいと想い、尊敬する気功の大先生も気持ちの後押しをして下さった。

そうしてようやく、昨日が、この地の … この地を訪れて下さる人々の … わたしの … 夢の … 
再生の記念日となった。

いらしてくださったのは全員がもの静かで優しい、人がらの美しい方々だった。ふすまをとっても狭い部屋の冷たい古い畳の上のヨガや瞑想は、いろいろ工夫がいることが分かったけれど、何とかなった。
 振り返れば、昨年11月1日に気功の大先生(I先生)がこの地の御柱を建てて下さって以来、この地でからだを開いても、恐ろしい感じや不安な感じはしなくなり、他の方とヨガをするのにわたしが守りきれないという心配はなくなった。昨日は、わたしの力量不足で、白い翼を広げたヨガの女神さまが舞い降りてきてくれるということはまだなかったけれど、皆さまの柔らかな善意に助けられて、何とかなったのだと想う。そして、この土地にも --

土地にも、助けられたと分かる。

わたし一人ではどうにもならなかったけれど、皆さまの力、そしてこの3年間、サポートしてくれた様々な自然と人の力、注がれたエネルギーで、土地が、ようやく、こういう集まりを許してくれるようになったのだと分かる。サンクチュアリの土地自身が、温かさ、励まし、みんなの笑顔や笑いが嬉しいことを、伝えてくれていた。

夜になって、改めて、土地と土地の神様に感謝を捧げた。

nakagawa

それにしても--

ヨガを終えてお茶を飲みながら皆さまと話していて、植物たちの異変の話となった。

普段はつくばの研究室と官舎を往復するだけのわたしには気付けなかった、異変があちこちで姿を現している。農業をしている方・庭で沢山の植物を育てていらっしゃる方も含め、地元の様々な異変をみんなが目撃し、教えてくださるのだが、その不安の持って行きようがなかった。

銀杏の葉の色づきの異変、実つきの異変、草花の花の色や形の異変、桜の花の咲き方や色の異変、季節を間違えたかのようなさま … 。何が起こっているのだろう。植物たちは、どうなっていくのだろう。“ニンゲンがしたこと”の責務を負って、彼らにわたしは何と言って接すればいいのだろう? いやそれより、微力であっても何かできることは何だろう?

原発事故50Km圏内の生態系の、非常時とも言える、植物や昆虫の全面的な異常・異変の目撃情報を目にするたびに、血の気が引くような気がする。それは植物や昆虫だけではないのだ。また、異常さも、蓄積していく段階を考えるなら、この程度にとどまらないのだ。

自然や、人間を含む地球上の全ての命に対して、人間は少しでも贖罪できるのだろうか。



… 昨日、一番沢山植物の異変に気付いていらした、美味しいお野菜や綺麗な花を育てていらっしゃる女性は、「(茨城中央では)みんな元気がないと聴いたけれど、わたしは土をいじったり緑に囲まれていたので、あまり気付かなかった」と微笑まれていた。彼女は、お花を愛していらして、日々植物と対話し、共に暮らしていらっしゃる。おつくりになる野菜も、とびきり優しいお味で、ご自身も植物のように繊細で透き通った優しいエネルギーをもっていらっしゃる。何より、樹木や草花に、“彼女自身が”愛されている。(かつて一緒に神社をめぐったとき、いきなり御神木に抱きつかれていたが、そのとき御神木の方が彼女を慈しむように包み込むのが、わたしには観えた)



このような関係、植物を愛し愛される関係、自然を愛し愛される関係を、想い出す時ではないのでしょうか。

愛することはもちろんですが、今、何よりも「わたしたちが自然に愛されていること」を自分たちの本質のところで再び息づかせなければ、わたしたちはもう駄目になってしまうのではないでしょうか。

十分な恵み、愛を受け取っていることを想い出せば --



まだ、希望はあるかもしれません。



*******

今日はわたしの誕生日です。

地球に、自然に、わたしたちに、再生していく道が開けていきますように。








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森の秋の香 ~シラネセンキュウ~

  山の空気はすっかりひんやりしてきている。
  おなじみのノコンギクやシロヨメナやツリフネソウ
  もあるし、カメバヒキオコシやセキヤノアキチョウ
  ウジの青紫色の花を見つけるかもしれない。
   いや、それよりもなによりも、この澄んだ冷涼な
  空気の中で味わう、シラネセンキュウやヤマゼリの
  清々しい香りのこころよさ。わざわざそのために出
  かけて行っても悔いはしないだろうと思う。
   猫も杓子もみんながみんな紅葉の名所に殺到する
  というのは、あまりにつまらないし、もったいない
  話だ。
  (長谷川哲雄 『野の花さんぽ図鑑』築地書館より)

この『野の花さんぽ図鑑』(愛読書)にある秋の山の、シラネセンキュウやヤマゼリの香をどうしても、一度でいいから、嗅いでみたいと感じた。

秋に山に出ても、出逢った覚えもなくて … そんなとき、シラネセンキュウ(白根川芎)なら、沢筋林縁などに生えるとあって、もしかしたら my bird sanctuary でも育つのではないかしらと閃いた。山ではないけれど、じめじめした林ならあるから。

日本古来のゆかしい野草、絶滅の危機にさらされかけている在来種の植物を少しでも残そうと沢山植えたけれど(その中には、上の文章なら、ノコンギクやツリフネソウ、セキヤノアキチョウジなどもあったけれど)、荒れた竹林、水はけの悪い土壌では、消えてしまう野草も多い。それも何とも可哀想で、最近では土地に合う植物、何とか耐えて森を豊かにしてくれそうな植物とわかるまでは、かなり慎重になっていたけれど、シラネセンキュウはピンときた。

セリ科の優雅な植物。先の長谷川先生の本には、「レースのような白い花も優美だし、なによりもその香りは気分をリラックスさせ、リフレッシュさせる」とある。

この香に対する憧れ、夢が大きく膨らんだ。

思い切って、いつもお願いしている日本古来の数少なくなっている野草を(暴力的に採取するのではなく)、種の保存・栽培されている方のお店にそっと問い合わせると、しばらくしてから苗が入荷できる旨を伝えてくれた。

それが昨年のことで、そっと大切に苗を植えたまま見守っていたが、夏の間は草木がジャングルのように生い茂り、消えてしまうのではないかとはらはらしていた。けれど--

shiranesenkyu1

秋も深くなった今、植えたあたりにそっと分け入ると、すっくと立ったこの草の見事な白い花々がすぐに居場所を教えてくれた。

森の中での恋人との逢瀬 -- そんな感じで急いで、でも気を付けて、駆け寄った。

そして早速、香を確かめた。

真夏に開く大輪のヤマユリのように、甘く濃厚な香が辺りに広がっているわけではない。

そうではなくて、秋の森の香 -- 濡れた落ち葉や土の香、前日降った雨の香 --のなか、嗅覚を研ぎ澄まして、探し分け、感じなくてはならない。

近くまで来て、そっと跪いたとき、感じた(出逢った)。
空気の精に出逢うような感じだった。

その秋の香は … 無理に考えれば「清々しい」「爽やか」「ゆかしい」「フレッシュ」「澄んだ」「透き通った」といった言葉が浮かぶが、とても表現できない。よくあるアロマやワインの芳香とは、とても比べようもない。ましてや、香のスプレーなどで使われている表現は、とても使えない。
 森の、植物の香なのだから、と言えばその通りであるが、その中でも、また、夏の花にありがちな、生命力溢れるエネルギッシュな香ともまた違う。外側に放出する、植物の命の香とは、ちょっと言い難いところがある。

森の、秋の、香。内側に染み入る香。わたしのハートの内側、奥の方、芯のところを透き通らせる香。

… 森も、森の命も、秋はありようが全く違うんだ。


shiranesenkyu2



森のなかの、鏡の反射のような光。

夕闇が、急ぎ足で光を追いかけてくる。

静かに、ひっそりと、ものみな澄んでいく。




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