FC2ブログ

hearing the unheard voices

小鳥たちと対話し、自然と人とが調和できるバード・サンクチュアリを創立しています。http://homepage2.nifty.com/birdsanctuary/index.html

大切なことをするためのエネルギーに、悲しみも怒りも点火する

ずっとブログに書けずにいたが、この冬つくばで渡り鳥を見かけない。

公務員宿舎の周辺の緑地や駐車場に、毎冬二、三羽はツグミが降りたち、冬の間キャキャッと鳴き声をあげながら、枝にとまったり、落ち葉の下を嘴でひっかいて、虫を探したりしていた。つくばに電車が通った2008年の大規模開発で、野ウサギなどの動物たちはかなり姿を消し、ツグミたちが虫を探す雑木林もほとんど伐採され、シベリアから渡って来ても生きる場所が失われた。

しかし、ほんの僅かの緑地、公園、草の生えた駐車場 … そんなところでさえも、ほんの少しでも生きられるスペースを求めて彼らのうちのごく僅かは飛来して来てくれた。

ショッピングセンターへ向かう道の途中の、昔はウワミズザクラやカツラなどの大きな樹木が空に伸びていたあたり … 今でもケヤキやシイの木が残るあたりに、木の枝に何十羽もが鈴なりのように止まっていた黄色い冬の小鳥、マヒワたちも、やってこない。

冬の間、埃をかぶった植え込みの下で懸命に食べ物を探していたシロハラやウグイスやアオジも、見かけない。

つくばだけではない。

家族の住む三鷹では、毎冬の厳寒期になると、ベランダにヒマワリの種と水を出しておくのだが、今年は減りが少ないという。

毎冬、多数飛来してくるとヒマワリの種をあっという間に食べてしまう大食漢のシメたちが、やってこないのだという。


--なぜ?

*******

自然と共生する生き方や思想という点で、昔から尊敬している星川淳氏のTwitterに「ツグミが飛来しない」という記事が幾度か出ているが、わたし個人が所属しているいくつかの自然保護団体のサイトを見ても、このことについての納得できる情報は何も載っていない。

(今日、問い合わせをやってみた)

*******


ネットに、3.11の大地震で磁場が変わったことが、渡りのルートが変わった、という説が出ていた。

だが、留鳥(季節によって多少の移動はするが渡りをしない鳥)も、がくんと少ないのはなぜ?

被災地がルートとなっているせい?

原発・放射能汚染の影響?

除染作業で、山林やその下地が除去されて木の実や虫がいない(虫も少ない)?

避難地域の変化(人の移動、農作業等の変化)のせい?

これらのうちの幾つかが複合されての結果?


*********

3.11後のニュースメディアやネット上の情報や意見のやりとりは、とにかくこの先どうすれば希望が見出せるかをゆっくりじっくりと考えて見極められるまでは、ひとつひとつに動じるのをやめようと想っていた。わたしたち一人一人の、そして地球上の、生命にとって、その健やかさや調和にとって、ここまで来てしまった現実に対して、「真なる」方向性を見出すためには、ひとつひとつに揺らがずに、「今」を大切にしようと想っている。

ツグミがいない冬を迎えるという現実に、血の気が引くような気がするが、できることをしようと1月を過ごした。

だが、3日の北海道新聞に、ついに怖れていたことが報道されたので、やっぱりこのブログにも書いておこうと想う。

フクシマの現実を見据えずに、人が住めなくなった場所を「聖地になる」と発言したり、人が住めないんだから他の生きものたちの楽園になっている、と発言したりするのをネットで見かけた。

原発事故のかの地から100~110KMの bird sanctuary に集まっていらっしゃる近隣の方々は、動植物や虫の異変を目撃しているんだよ。「聖地」と呼ばれた(?)場所では、花の花弁が全てねじれて咲いたり、花や葉の大きさも二倍に拡大したもの、逆に縮小したものが撮影されているんだよ。

「楽園」なんてとんでもない。小さなもの、弱いもの、保護されないもの、人間の都合だけで利用されていたものから消えていく。そして、鳥が生きられなくなった場所は、次は人間の生きられない場所へとなっていくんだよ。


*******


胸の奥で何かが焦げ付くようだし、このことを想うと涙がボロボロ落ちるのを止められないが、嘆き悲しむよりまずは情報収集して、できることをしようと想う。

植物は、年によって木の実の豊作の年と凶作の年があるし、鳥たちの飛来数も、年によってかなりの変化がある。

震災・原発事故だけの影響で、説明できない環境要因が複合的に働いている可能性もある。

原因が整理できなければ、何が自分ひとりにとってできることかも、整理がつかないから。

天の時


… だが、嘆き悲しむこともしようと想う … 。


こんな事態に、生きている内に遭遇するとは、想っていなかった。

こんな時代に、生きなければならないとは想像していなかった。

(四季折々の生きものたちの移ろい、鳥たちの囀りのコーラス、命が安心して眠れる森や川や海がかなうと、
信じられる世界に、ずっとずっと生きていきたかった)


『沈黙の春(silent spring)』の著者、レイチェル・カーソンを想い出す。

1960年代初頭、アメリカで、農薬の及ぼす生命への危害にいち早く気付き、化学物質による環境汚染の重大性について命を賭して警告を発した科学者だ。その著書の冒頭に、彼女は、

  アメリカの奥深くわけ入ったところに、ある町があった。
  生命あるものはみな、自然と一つだった。町のまわりには、
  豊かな田畑が碁盤の目のようにひろがり、穀物畑の続くその先は
  丘がもりあがり、斜面には果樹がしげっていた。春がくると、
  みどりの野原のかなたに、白い花のかすみがたなびき、
  秋になれば、かしやかえでや樺が燃えるような紅葉のあやを
  織りなし、丘の森からきつねの吠え声がきこえ、
  鹿が野原のもやのなかを見えつかくれつ音もなく駆けぬけた。

  道を歩けば、あめりかしゃくなげ、がまずみ、はんの木、
  大しだがどこまでも続き、野花が咲きみだれ、四季折々、
  道ゆく人の目をたのしませる。冬の雪景色も、すばらしかった。
  ぶどうや、いちごや、枯れ草が、雪のなかから頭を出している。
  ぶどうやいちごを求めて、たくさんの鳥が、やってきた。
  いろんな鳥が、数え切れないほどくるので有名だった。
  春と秋、渡り鳥が洪水のように、あとからあとへと押し寄せては
  飛び去るころになると、遠路もいとわず鳥見に大勢の人たちがやってくる。
  (中略)

  ところが、あるときどういうわけか、暗いかげがあたりにしのびよった。
  いままで見たことも聞いたこともないことが起こり出した。どうしたことか、
  若鶏はわけの分らぬ病気にかかり、牛も羊も病気になって死んだ。
  どこへいっても、死の影。農夫たちは、どこのだれが病気になったという
  はなしでもちきり。町の医者は、見たこともない病気があとから
  あとから出てくるのに、とまどうばかり。そのうち、突然死ぬ人もでてきた。
  なにが原因か、いまもって分からない。大人だけではない。子供も死んだ。
  元気よく遊んでいると思った子供が急に気分が悪くなり、二、三時間後には
  もう冷たくなっていた。

  自然は、沈黙した。うす気味悪い。鳥たちは、どこへ行ってしまったのか。
  みんな不思議に思った。裏庭の餌箱は、からっぽだった。
  ああ鳥がいた、と思っても、死にかけていた。ぶるぶる体をふるわせ、
  飛ぶこともできなかった。春がきたが、沈黙の春だった。
  いつもだったら、こまどり、すぐろまねしつぐみ、鳩、かけす、
  みそさざいの鳴き声で春の夜は明ける。そのほかいろんな鳥の
  鳴き声がひびき渡るのだった。だが、いまはもの音ひとつしない。
  野原、森、沼地--みな黙りこくっている。
           (レイチェル・カーソン 『沈黙の春』)

かつては美しかったが、今は小鳥の歌わない、場所のことを寓話として描いた。だが、それは予告だった。かけがえのない地球をのちの世代に残すための、振り絞るような声だった。


農薬を大量に売り裁こうとする大企業や、政府やお抱えの科学者を向こうに回して、『沈黙の春』を出版し、頭をあげ胸を張って戦った女性科学者、カーソンには頭が上がらないが、わたしは彼女の晩年の著作、『センス・オブ・ワンダー』が最も好きだ。

この本は、自然と人間への祈りと詩に満ちた美しい本だ。

この本で彼女は、命や地球の希望を、未来に、子どもたちに、そしてわたしたち一人一人が自然やその美や不思議さを感じとる、感性や感受性に託した。


-- 自然を感じる、子どものような無垢なこころ。

-- 自然と繋がっている、いえ、もともと自然そのものであり、
   源のところでひとつとなっている、そのことを想い出す時の
   喜び、輝き、安らぎ。


命に賭けて、これだけは手放さずに、守っていこうと想う。


これだけは携えて、悲しみや怒りは、「それでも何かできること」のためのエネルギーに点火していこう。


*******

無味乾燥なコンクリ建ての公務員官舎のちっぽけなベランダに、それでも毎冬の食べ物を頼りにして、(今年は僅か1羽だけ)ヒヨドリがやってくる。

玄関に置いた睡蓮鉢を、遠くからどうやって見つけたのか、森の雑木を好むシジュウカラが一羽、水を飲みに毎日やってくる。


せせこましい、人工的な建物のこんなところまで、水や食べ物を頼りに、森の鳥たちがやってくる。


生きるのが大変だと、伝えているのかもしれない。

人間がこんなにまで生きる場所をなくすなら、僕たちはもう生きられないと言っているのかもしれない。


人間の一人である、わたしにできることは、水を置き、僅かな蜜柑を置くことだけかもしれない。

でも、できることがある限り、やっていく。















このページのトップへ

Search

Information

sumiko

Calendar

01月 « 2012年02月 » 03月
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 - - -

Recent Entries

Recent Comments

Recent Trackbacks

Archives

Categories

Links