hearing the unheard voices

小鳥たちと対話し、自然と人とが調和できるバード・サンクチュアリを創立しています。http://homepage2.nifty.com/birdsanctuary/index.html

光の方へ

大変ご無沙汰してしまい、申し訳ありません。

退職に当たっての職場での大片づけや清掃、そしてとても懐かしい方々が訪問して下さったりメールを下さったりと、からだが幾つあっても足りない状況でした。ここ(つくば)でお世話になったり親しくして下さった方々が、様々な想いやこころを伝えて下さったり、言葉をかけたり会を開いて下さったり、ひとつひとつを丁寧に噛みしめゆっくりとしか感謝の気持ちやこれまでの想い、これからの希望や祈りを伝えられないわたしには、もどかしい限りです。20年近くここで仕事してきたので、その間の様々な出来事、そして思い出深い時間がふと鮮やかに蘇り、情景や音がはっきりと観え聴こえてきたりします。

-- なんて、そんな余裕のあることを言っていられないくらい、片づけ、片づけの日々で、体育会系の疲労でへろへろの状態ですが。。。。しかも、これで一息どころか、続いて退職後の大仕事と期限の迫っている引っ越しの仕事が残っています。これまた、大変だ~~

肉体的には限界状態ですが、一握りの大切な想い、時間、繋がりは胸深く収め、あとは大量に過去を解放したせいか、驚くほど清々しい空気を吸っています。エネルギーが激しく動き、攪乱して、その台風の目の中にいるのかしら。。。。



これから、職場のパソコンのデータ消去作業に入ります。しばらくネットやメール通信ができなくなります。申し訳ありませんが、皆さまもお健やかに良い春をお迎えくださいね。

niwatoko

 (bird sanctuary のニワトコの芽吹き。
  元気に春へと進んでいますよ)

これからは、さらに本気で大切なことを実行していきたいと想います。これまでよりもホームページやこのブログにも力を入れます。どうぞよろしくお願いいたします。





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手を合わせる

春が近づいてきたせいか、天気が急激に変化していますね。

先の土曜日に、bird sanctuary の地にて、集まってくださった方々と再びyogaの修練をしました。その一週間前に東京で「花の舞い:蓮の花のヨガと一人一人の花の舞い」のワークショップ -- そのとき皆さまとご一緒にできた「蓮の花のヨガ」のyogaが気持ちよく、その流れで今回は、大地や水や蓮の花を感じて祈りをしようと想っていました。‘春陽’を期待したのですが、ようやく雨が上がった薄曇りの日。それでも、優しく素敵な顔ぶれが集まってくださいました。

3.11から一年という区切りのために、いつもの瞑想の前に「蓮の花の祈り」をしましょう、とお声をかけて始めたのですが、何だかyogaの集中力が違いました。そして、「祈り」の前に、「これから蓮の花になります」と言葉をかけた途端、いつも澄んだ植物のエネルギーを称えていらっしゃるKさんが、得も言われぬ美しい花になってしまいました … あらら、これから動きを誘導してお花を咲かせるつもりだったのに、すでにお花としてうっとりと咲いてしまった! この方々は本当に … かなわない。

「祈り」そしてそのあとの瞑想が、かつてないほど優しく澄んだ広がりとなりました。

そして、そのあとのお茶の時間、皆さまにそのエネルギーを翌日(3月11日)の祈りに繋げさせていただくことをお願いしました。11日午後、ヒーリングの学校の先生、Iris天音さんが呼びかけられ、皆さんで祈りましょうという「3月11日愛と光の祈り」がありました。yogaにいらしてくださった方々も、メールで流すなどして、祈ってくださることになりました。


・・・・・・・

皆さんがお帰りになった後、夕闇が沈むまで、サンクチュアリの地の後片付けをして植物たちと話をしていると、枯れ葉の間に、可愛らしい、薄緑の美しい、蕗の薹を見つけました。


fukinotou

ああ、春なんですね。


生まれたての、綺麗な春が、あなたの元にも訪れていますように!





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春の一条の光

午前中にようやく雨の上がった昨日、お昼休みに買い物に出て宿舎に戻る。すっかり春らしい香を帯びた空気の中、冬芽を付けた裸の木々も、冬枯れの草地も、今にも緑がふき出してきそうな、むずがゆい感じがする。草地と言っても、官舎と官舎の間の僅かの隙間だが -- その草地に一羽の鳥を見つけた。

アッ!

2月5日のブログから、今年の冬の渡り鳥の不在をずっと嘆いてきた。その中で、毎年数羽は見かけるが、今年は一羽も見かけない、ツグミのことも書いた。そして、この地だけでなく、全国的にほんの僅かしか訪れてくれていないことも。

そのツグミが、一羽、いたのだ。

・・・・・

来てくれた ・・・

胸が、高鳴った。
そして、きゅっと疼いた。

ツグミ1羽
 (驚かせないように、携帯でそっと撮ったため、ほとんど
  写っていませんが、この写真のちょうど真ん中、
  枝にとまっています)

生きててくれた、1羽。

ありがとう。春の光のように、何かのメッセージのように、北へ帰る前に、希望を灯しにやってきてくれた。

・・・・・


精一杯、祈り、ありったけのエネルギーを送った。


これからは、あなた方がずっと生きていけるような世界を創ってゆきます。

わたし一人は、砂浜の砂粒一つですが、きっと手を繋いでくださる方が沢山います。
精一杯の力で手を伸ばして、繋げるだけの手を繋いでゆきます。
沢山の手が繋がれれば、きっと希望はあります。







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花の舞い

3月3日の「花の舞い」のワークショップ、無事に終わりました。

春の柔らかい風が通り過ぎて、幾枚もの薄桃色や白の花びらの残像が漂っている感じです。


花となってyogaをし、花となって舞うヒトのエネルギーが、こんなにも明るく、しなやかで、綺麗なエネルギーだとは想わなかった!(想像できても、想像以上だった) しかも、沢山の明るい、優しい、温かい、楽しいエネルギーが集まり、交錯し、融合すると、人数を加算した以上の何か豊かなものが創造されてゆくのが、信じられないほどだった。

参加して下さった皆さま、ありがとうございました。

長年根気強く、支え、励まし、機会を与えてくださったIris天音先生、ありがとうございました。

yamarurisou
 (昨年早春、bird sanctuary で咲いたヤマルリソウの花)






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花の精に出逢う

この3月でhealingの学校も3年目卒業となり、その最後の授業として、先生とのワークショップの開催が明日(3月3日)となった。お話を頂いてから幾つかの案が浮かんだが、いつものように(?)不思議なくらいすいすいと「花」をテーマとしたワークの案が輝きだしてきた。3月3日は桃の節句、春早い時期だからということもあるかもしれないが(とは言え、案を考えたのは凍てつく寒さの中)、「舞い」を考えるとき、自然の中にある親しみやすい命となって舞いたいということが強く感じられ、また、yogaの仲間たちとはずっと「蓮の花」をテーマにした一連の流れを練習してきたことも影響していたかもしれない。

yogaにおける蓮の花をテーマとした一連の行法は、尊敬する堀之内博子氏がお創りになった「蓮の花のムドラー」等で、練習して来ていた。とは言うものの、何かまだ、“蓮の花の真髄”といったものが掴めた、というところまで行っていないような気がしていた。

蓮の花のイメージをからだで描いたり、「泥より出でて泥に染まらず」、そして2000~3000年間生き続けた種が発芽する生命力、水にたゆたいながらも水中を登り水面に青々とした葉を広げるしなやかさ、そして清浄とも高貴とも神聖とも言われる花を咲かせるその姿、蓮華座に座る釈尊をイメージさせるそのエネルギーを、こころに描くこともしてみるのだが、まだその奥に“何か”があるという気がしてならなかった。


lotus3

自分の修練の中で、そしてyogaの仲間たちとこれまで何十回も、蓮の花のyogaをしてみてはいたのだが、明日がワークショップというどたんばの今日となって、ようやくほんの少しだけ、その何かに近づけたような瞬間が訪れた。

それは、花をイメージするとか、(植物学的な、あるいは文化的な)花の意味や象徴を理解するとか体現するとか、そういうことではない。


そのお花のありのままの姿のところに何とか歩み寄っていって、そのお花そのものに限りなく近づいて、そのお花と運よく共鳴・共振できたとき、花の真髄に少しだけ触れる、ということかもしれない。花の精というか、そのお花の真の姿と、とても言葉にできない形で出逢う、ということかもしれない。

… ただ、出逢えても、言葉にできないのと同様、その花の精の一部と繋がり、あるいは一部と共鳴し、その声音、リズム、エネルギーの≪花のからだ≫≪花の動き≫となることは難しい。歯がゆくて、もどかしい。

正直、もっともっと、直観力、相手を感じとる力、共感力、からだの繊細さと柔軟さ、イマジネーション、クリエイティビティがあれば、と思ってしまう。


でも、今日、蓮の花の精に出逢えた時の感じは、確かなものだった、と想う。


lavender
 (ベランダで長年咲いてくれているラベンダーの花)

想えば、イメージや文化的なiconとしてのお花ではなく、お花の真の姿に出逢うためには、やっぱり徹底的にその植物とお付き合いすることが、わたし自身にとっては必要な気がする。根を触り、根についた土に触れ、枯れた葉を落とし、お水のことや太陽の浴び方を相談する。成長過程での変化、季節ごとの変化、年によっての変化、植物と関わり合う虫や鳥、微生物 … yogaをしているときのゆったりした呼吸、静かな意識で、穏やかに接していると、その植物の妖精と対話しているような気がしてくる。その子の発する、綺麗なエネルギーも分かるので、今日はどんな気持ちでいるのかも、何となく分かるような気がしてくる。

植物の中には、「どうもう」とも言えるほど猛々しいものもあり(例えば、植物と対話する「プラントロン」を開発した銅金祐司氏の実験では、艶やかな蘭の花は見かけによらず?「どうもう」なエネルギーであったと言われているが、そういえばわたしの実感としても蘭の花のエネルギーは苦手かも?)、また日照権?を求めての植物同士のせめぎ合いや生態系の中での生き残りの戦略など、植物界も本当は「綺麗ごと」ばかりでないのかもしれない。だが一方、植物と長いこと肌で付き合ってみて、そして植物のエネルギーと親和し彼らに本当に「好かれている」と思える方々が一様に人間としては本当に澄んだ、気持ちの良いエネルギーに満ち満ちているのを見るにつけ、植物のエネルギーの透明感、清澄さ、気持ち良さにもっと触れていたくなる。癒されるだけでなく、植物と本当に仲良くなりたい、からだで触れ合いながら真髄のところで理解し合いたい、という憧れが強くなる。


花の真の姿と出逢えるために、根気強くやっていこう。

rosemary
 (ベランダのrosemaryの花: 3.11の原発事故の知らせを受けた後、
 東京に避難していた折、なぜか花屋さんに毎日通い--日常感覚がなく、
 他の店で生活用品を買う感覚になじめなかった--ハーブ、特に
 rosemaryを沢山植えたいと直観した。当時、放射能被爆地に良いとされた
 ヒマワリでも麻でもなく … なぜ自分がrosemaryを植えたいと強く
 動かされたかは分からない。だが、現に、玄関にもベランダにも
 どうしても沢山のrosemaryが必要だと感じた。そして、これまで
 ハーブの中でもrosemaryを育てるのには失敗したことがないのに、
 昨年一年で植えたrosemaryはこの一年で枯れてしまった。勝手な
 感覚なのかもしれないが、わたしは、この子たちは皆、守ってくれたの
 だと想う。大切にしていたのに犠牲にしてしまったのだろうかと
 胸がきゅんと痛くなるが、またこの冬からrosemaryを育てている。
 今度は、差し芽をして、沢山沢山、子孫を増やしていくつもりだ)


明日のワークショップが無事に終わったら、この夏は、蓮のお花とゆったりと対話してみよう。




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