hearing the unheard voices

小鳥たちと対話し、自然と人とが調和できるバード・サンクチュアリを創立しています。http://homepage2.nifty.com/birdsanctuary/index.html

新しい仲間たち 

bird sanctuary には、このところ新しい大切な仲間たちが集まってくれています。

先週は、以前から“野鳥の来る森づくり”でずっと師事している八郷のS先生ご夫妻のところに伺って、沢山の新しい仲間(苗木たち)を譲り受けてまいりました。S先生は、bird sanctuary 創立を目指してから少しして(もう、7~8年となるでしょうか)八郷の地で野鳥の飛来する素晴らしい森を育てていらっしゃる先生として、また野鳥の声のエキスパートとして、(勝手に?)師事しています。ここ数年、入院されたり病院通いをなさったりがあり、心配しつつしばらくご無沙汰してしまっていましたが、嬉しいことに緩やかにご回復されて、5月に入ってから久しぶりにお目にかかることができました。そして、早速(ずうずうしいかな?)先週は、わたしはずっと育てたいと願っていたウワミズザクラの苗木があるということで、お嫁に頂きに伺いました! 

iwagarami

先生ご夫妻が育てられている八郷の森は、多様性豊かな広葉樹が一本一本、美しい立ち姿に生い茂って清々しく緑の葉をそよがせています。丹精込めてよく管理され、木々も草もみな幸せそうです。緑豊かなこの季節に、この森に入れていただくだけで、身もこころも静かに潤っていきます。

この日はまず、ずっとお話を伺っていたイワガラミの花を見せていただきました。高木に蔓となって這い登っていくユキノシタ科の樹の純白の花です。何年も前に、工事現場で引き抜かれてうち捨てられそうになっていたのを、先生がレスキューされて、幾度も虫にやられたのを助け起こして、ここまでに育てられたそうです。



すでに幾つかの苗木を探し候補として見当を付けて下さっていました。森を歩きながら、適切な大きさの苗木を思案します。あまり小さいものだと成長して花をつけるまでに何年もかかるそうで、でも、あまり大きいものだと根を掘り起こすのが大変で(移植では、かわいそうですがある程度根を切らないとだめなので、失敗が多いし、掘る作業も大変です)、車に積むこともできません。個人的には、そこでは成長できないような場所に生えているなら罪悪感はないのですが、よい立地に育っている苗木は「こんな美しい森を離れて、うまく根付くかどうかも分からない、ここと比べて遥かに条件の悪い『うち』に来てもらっていいものだろうか?」というのも、非常に気にかかります。

てきぱきと指示してくださるS先生が、うまく見当をつけて下さって、一輪車に移植用の道具を積んでくださいます。スコップ類、根を切る鋏、etc. -- 以前も、移植の仕方を教わったのに、わたしの方はまだ準備が足りないで、おろおろしてばかりです。木の根を包む袋や運ぶための箱なども、もっともっと考えて持ってこればよかったと後悔ばかりのうちに作業が進みます。奥様のKさままで助けに来てくださって、何とか良い苗木たちが選べ、根を保護して、愛車に詰めました。

それにしても … ここの土、森の中の土、の何と気持ちの良いこと! 根を掘っている時に手で触れる土は、どこまで掘っても、ふかふか、さらさら、ほわほわで、何だか温かく優しいのです! 軍手を取って、素手で触れて、頬ずりしたくなるくらい(?!) 何年も大切に守られてきた雑木林の土は、毎年落葉する多様な葉っぱが有機質として分解されて積り、本当に豊かな、良い土になるんだと実感できます。-- 残念だけれど、bird sanctuary の現状の土と比べて、今は、それがいかに豊かなことか、生きものたちにとって、人にとって、大切なことか、実感できます。水はけが悪く、粘土質で、砂利や石がごろごろ埋まっている上に、人間がごみを埋めていった土は、生き物たちが喜ばず、臭い -- S先生の森の土は、ふかふかで、良い匂いです。


なんとまあ、課題は多いことだけれど、少しでも頂いた樹が健やかに幸せに育つように、一歩ずつ進みましょう! 幸いなことに、翌日から雨の日が多く(樹へのダメージが少ない)、先生に指示されたように、大きな苗木を除いて、とりあえず植木鉢で日陰で保護することにします。この時期、まだ根に栄養があるので、少しダメージを受けても、再生していける可能性が高いとのことです。

yamakoubashi

植木鉢に移せなかった大きいヤマコウバシ(クスノキ科)の苗木だけは、地面に大きめの穴を掘って、直植えにしました。大好きなクスノキ科の木だけあって、とても奥ゆかしい、芳香がします。

uwamizuzakura

残りの苗木たちは、植木鉢に一時避難して、日陰で養生します。最も大きいのがウワミズザクラ(バラ科)、その向こうの鉢が、鳥たちの大好きな実をつけるウグイスカグラ(スイカズラ科)、そして二つの青い鉢に入っている三本が山菜として若芽が非常に美味しいという(?!)ヤマウコギたち(ウコギ科)です。


つくばに居た頃、大好きなウワミズザクラの樹がありました。毎春、ひそやかですが春陽を歌うような白い美しい花の房をつけ、その樹のある道を通るたび、振り仰いでは春の空にその樹が光に包まれて神々しく立っているのを憧れと尊敬の気持ちで眺めていました。

つくばエクスプレスの開発とともに、いっぺんに都市化していく街の道路拡張で、その樹はあっと言う間に他の木々とともに切り倒され、舗装道路が広がりました。

-- それ以来、少しでもの罪滅ぼしになるのかどうかも分からないまま、わたしは、どうしてもウワミズザクラの樹を育てたいと想うようになりました。この樹が、春の空に控えめだけれど喜びにあふれた花をつけ、空の光の中で歌っていてほしいから。それをわたしたちが、また見上げていたいから -- S先生の森から頂いた苗木は、わたしが生きている間に、かつて愛したウワミズザクラのような大木にはなりません。でも、この苗木は「代わり」になるのではなく、新しい命として、この地の生命のオーケストラに加わってくれるのだと思います。新しい仲間として、新しい音を奏でてくれるのだと想います。

美しい森から、初々しい苗木の命を預かることは、この地の条件がまだ良くないだけに、「ごめんね」という気持ちがどうしても残りました。でも、ひとりひとり(と1本1本)のハーモニー、一歩一歩の力があれば、きっとここが美しくなります。そして、あの美しい森のS先生ご夫妻が、木々たちの春とともにますますご回復されて、あの美しい森が永遠に守られていきますように! 







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海にかかる虹の先 ~大洗磯前神社へ~

 (ようやく my カメラの写真が編集できるようになったので。。。)

4月15日に bird sanctuary の地に引っ越すこととなり、荷解きよりも掃除よりも何よりも(!)わたしが一等先にしたかった仕事は、大洗磯前神社にお参りすることでした。

何かに導かれたかのようにことが運びます。既に大洗には二度参拝し、海岸の美しさや、何とも言えないあたりの清らかさに包まれた経験があります。大震災の時は、ここもかなりの被害があったそうで、今回は震災後初めての参拝になります。

気功の先輩であり、地元で大洗さまにずっと親しんでこられたAさんに先導をお願いしました。その電話口で、神社のある海岸のすぐ地続きに、原発関連の施設があり、そこだけは道路の道幅も広く今も沢山の方々が行き来しており、地元も潤っている … と聞きました。初めて知る事実に驚きましたが -- ここで引いてはならない、調和の気持ちのもと太い軸を作って自分の「真」をもってお参りさせていただこうと決めました。


先輩とは、水戸にある茨城県近代美術館で待ち合わせました。

美しい晴天に恵まれました。

もちろん、どこにも寄り道するつもりはなかったのですが、やっていたのは地元(茨城県)の画家、『小川芋銭展 -震災後の眼で、いま-』でした。自然と人間との関係を深く厳しく見つめてきた芋銭の絵を通して、震災後どこへ向かって復興していくのかを感じ考えるという趣旨に惹かれました。先輩の判断で、参拝前に立ち寄っていくことにしました。

天地を循環している水のありよう、自然の中に包み込まれ、生かされているという感覚 … 自然を統制したり打ち勝とうとするのではなく、自然の中にある目に見えぬもの・変化の中に立ち現れる、時に恐ろしく時に親しいものが幾重にも描かれていて、自ずと謙虚な(だけど温かい)気持ちとなり -- 立ち寄れてよかったです。

そして、ようやく大洗に着きます。

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海に続き、海から登ってくるような石段をあがると、境内があります。

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ご神木。

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白梅も咲いています。

海を感じ、太陽の光を浴びながら、晴れやかな明るい真っ直ぐな気持ちでお参りしました。

海岸に下ります。

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わ~! もう言葉になりません。

以前と同じように、裸足となって、太陽の金色の光を浴びながら yoga の太陽礼拝を捧げます。

 ガテー (努力精進しましょう)
 ガテー
 パーラガテー (執着のない努力精進をしましょう)
 パーラサンガテー
  (善知識の人たちと共に執着のない努力精進をしましょう)
 ボーディ (必ず正覚成道が達せられます)
 スバァーハー (天は常に祝福を与え給うのです)

            (前田行基先生訳)

を唱えます。

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… 波音のなか、海に、虹が、かかります。

虹は、半分だけかかっています。

まるで、海の向こうの、どこかへ向かおうと、遠くへ伸びていくかのようです。


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先輩のAさんに「昔はね、大洗にお参りする人は、必ずその前に○神社(麓に bird sanctuary を抱いている神社)に行ってからお参りした -- そういう順序で、みんなお参りしてた」と今回初めて伺いました。どうしても大洗様にご挨拶しなければ … と感じていたわたしは、ちょっとどきりとしました。こういうことは、あまり理屈での考えに深入りしないで、(なるべく)純粋に自然に振舞おうと感じているのですが、何かの縁(えにし)があってまた来られたことに感謝です。


つくばで祀っていた大洗磯前神社のお札と、天照皇大神宮のお札をおさめ、新たなお札を頂いてきました。新しいお札を、sanctuary の氏神様のお札と共に、三柱で神棚にお祀りしたとき、不思議と時計の秒針までがカチンとおさまって、ここでの時の刻み方がよりくっきりと息づいてきたように感じました。ちょうど1年半前、気功の大先生、先輩方にこの地の御柱を建てていただいてから、何かがおさまって安息の空気が広がりました。それ以来、わたしはこころ丈夫になれたのですが、それから更に‘気配’が生き生きとしてきました。


引き続き、しっかりやっていこうと想います。





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剪定と伐採 ~樹のきもち~

変わらずお世話になっている方々と言えば、ご多忙な仕事の合間に(仕事先から別の仕事先への通りすがりに)少しでも時間があれば立ち寄ってくださり、「今日は何をしましょうか?」と声をかけてくださるK先生がいらっしゃいます。引き受けてくださるお仕事は -- これは bird sanctuary に限らず、誰とどこにいらしても、なのだが -- 必ず、‘全体の中で、一番ハードなコアな部分’だというのも、どこかK先生らしいです。例えば、手作業であれば誰も手を付けない一番難しい(複雑な/誰でも手にできるというわけではない)部分、お掃除でも誰も手を付けない開かずの(たぶん一番汚れのひどい)部屋、そしてサンクチュアリの地でも、皆が家の前の庭の草むしりを一緒になってしてくださっている時に土地の中でも一番荒れ果ててわたしも一番手ごわいと感じている荒れ竹と湿地帯の場所を片付け、皆が晴れやかに瑞々しい苗木を植えてくださっている間にそのずっと奥の荒れ地で枯れて倒れた厄介な竹の枝を払って積み上げてくださっていたりします。

とにかく、(甘えてはいけないと感じながら、甘えないつもりでいてもいつの間にか)わたしも、わたしがお願いできそうな他の方も、絶対に手に付けられそうもない仕事が、K先生のおかげで解決した例を数えれば、きりがありません。(気功の先輩のAさんの名言で、「水戸(Aさんの住まわれている市)に、K先生がいると思うだけで安心!!」という方なのです。

前回ひょいと現われて下さった折、(しばらく家仕事に追われていたために、「何をしましょうか?」とせっかく言って下さったのにぴたりとはまるお願いができませんでした。が)、しばらくしてお願いしてしまったのが、樹木たちの剪定です。

いくら炎症で右手が使えなくなっているとは言え、ちょっとした庭木の剪定なら、今のわたしでもできます。今の季節、木々たちは枝や葉が伸びすぎ広がりすぎて、かなり鬱陶しくなっているので、当の木や周辺の鳥たち・虫たちと相談しながら、姿良く自然に素直に伸びることのできる枝を残して、不自然・不健康な徒長枝や交差し折り重なった葉のある部分を落としていきます。それは -- 右手と相談してサボってもいいかな、とも考えつつですが -- それほど急ぐには当たりません。

しかし、木々たちはとにかく競って陽の光を受けようと枝を伸ばし葉を広げています。逆に、すくすくと成長しつつある苗木がお日様の光を受けるのを立ち塞ぎ、無理やり枝葉を広げた木々の姿はアンバランスとなってしまい、それが当の本人(本樹?)にもよくない、という点で、とても気になっているところが幾つかありました。

北の方、神社の方に向かって、苗木を植えたあたりから一段高い地点に鬱蒼とした竹林があります。その境界線のあたりは、もとは(竹が蔓延る前は)雑木林だった名残で、イヌシデやシラカシ、カエデなどの大木が茂っています。ただし、そこに竹が蔓延ってきたために、彼らは太陽の光を失い、不自然に枝葉を伸ばして光を求め、しっかりした姿に育てないできています。

彼らが太陽の光を受け止められるのは、竹と競いながら遥か高い頭上の一部。それだけでは十分ではなかったのでしょう -- 竹の太い幹をすり抜けて、地面から1~2mのあたりで四方八方に枝を伸ばして、そこでも他の木々と競いながらありったけの葉を広げています。しかも生育途中でも光を得るために苦労を重ねてきたのでしょう -- 根を張っている部分から前へ前へと(竹林の外へ外へと)斜めに幹を伸ばしています(南側に突き出してくる格好です)。

少しでも伸び伸びしてほしくて、彼ら大きな木の周囲の竹はある程度払い、竹林は少し後退してもらったのですが、その後も彼らの姿、特に枝ぶりは、大変不自然なものでした(= 大きな木なのに、天辺と根元近くにしか枝がなく、ひょろひょろの姿です)。その上、少し離れた隣に成長していってほしい苗木たちも、みな日差しを奪われています。

彼らも、苗木たちも、これから夏に向かって太陽の光を一杯に浴びてほしい -- 大きな樹たちの下の方の枝をK先生にお願いして、少しずつ払っていただくことにしました。(太い枝の上、幹の下の方といっても人間にとっては高い位置にあるため、今のわたしにはできません)。

これからまたお仕事を控えた短時間の間に、見事な早業の重労働で、あっと言う間に、背高のっぽで‘ふくよか’ではないけれども、不自然ではない、美しい樹形に、シラカシの木が整いました。

shirakashi


ひょろひょろとしてはいますが、樹冠にこれだけの緑の葉を蓄えていれば、あとは枝を広げて健康に育ってくれるでしょう。因みに、右下にいるのが自生の杉の木で、そのまた右にかすかに写っているのが sanctuary に入ることを許されて最初に植えたブナの苗木です(もう、苗木というには大きく育っています)。この子たちもみな、太陽の光を受けることができます。


現在の日本で尚、あまりにも沢山の樹木たちが深く思慮することもなく伐採されていく現実があります(深山や特定の開発地だけでなく、身近な公園でも、「大好きな樹が<落ち葉が迷惑という近隣の苦情とか、防犯対策とかで>突然切られてしまった」と悲しみ、悼む声をよく聴きます)。少しでも樹を残したい、特に何十年と生きてきた樹は(わたしには敬慕の対象なので)、何とか残していきたい -- それは、その樹を頼りにしている無数の鳥たち、動物たち、虫たち、微生物たちにとってもかけがえのない存在であるし、その樹と何十年と共に暮らしてきたわたしたち人間にとっても、かけがえがないから -- そう感じたことも、sanctuary を創立しようと夢見た一つの理由です。

それほど伐採は悲しかったのですが、実際にその樹をお世話させていただく立場となって初めて、伐採ではなく、適度に剪定をしていく、全体の調和のもとに剪定をしていく、という形で樹を切ることと向き合うことになりました。〔伐採〕は、(広辞苑 第六版で)「山や森の竹・木を切り取ること」。〔剪定〕は、「①果樹・茶・庭木などの生育や結実を均一にし、樹形を整えるため、枝の一部を切り取ること。②摘芽・摘枝・摘葉などの総称。かりこみ」 -- 「均一に」と言われると、かなり人工的な感じがしますが、全体の調和を考え、木々がより健やかに育つ手伝いができるなら、潔く切っていけるようになりました。それも(何が「全体なのか」「調和なのか」価値判断するのも、そのための技を使うのも)人為であり、限界も失敗もあります。でも、樹の気持ちを考え、経験を重ね、自然にゆだねられる匠の方もいらっしゃり、そういう方々の作業の後、樹たちは本当に嬉しそうです。


短時間の作業で汗だくになられたK先生に「こんな短時間で(重労働なのに15分余りで片づけられてしまった!)すみません!! でも、すっきりしました! あの木、切られたけど大丈夫そうですね」とお茶をお出しすると、「ええ! 大丈夫です! ちゃんと切る前に、『ごめんね、切っていい?』と聞いて、『いいよ』と言ってくれました」とのことでした。


梅雨の始まった今朝のしっとりした雨の中でも、どの樹もみな、静かに幸せそうに天の水を受けています。








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〔よしず〕と〔すだれ〕

bird sanctuary の土地にある古い家は、8年以上人が住まず、その前の10年間もほとんど管理されないままの状態でした。

その家に暮らすことになって -- 一方で古い日本の住まい方を知らないどころか、一軒家にきちんと住んだこともないわたしが、ぽつんと居ることになって -- これまでもお世話になってきた方々が即座にあちら、こちらから手を差し伸べてくださって、どうにかこうにか、少しずつ、‘住む’という営みが形を成していきそうです。今振り返ると、sanctuary へのわたしの想いや夢が、無謀で世間知らずだった時から、限りない包容力で支えてくださった大切な方々が、今度もまた手や言葉を惜しみなく添えてくださって、なんと感謝してよいやらと思います。沢山ご心配おかけしてきたことも、後から思い当ったりで、頭が上がらないです。

ここ数日は、そんな方々の幾人かから、「あの台所には、〔よしず〕を張りなさい」と言われました。

家は、横長の一軒家で、南を向いていますが、台所はその一番西南です。朝は南側から一杯のお日様の光を受けて眩しく、夕方は西陽が長く照りつけています。

西陽は、西向きの窓から長く陽が照り付けるのは、これまでもあまり好きではなかったので、グリーン・カーテンを作ろうと、既にゴーヤの苗を育てていました。

しかし、ゴーヤはまだ大きく育っていないのに(しかもゴーヤの蔓にうまくカーテンとなってもらうノウハウをまだ工夫中だというのに)、ここ数日の暑さ … すでに、夕食の時に作ったお味噌汁が、朝起きるとうっすらと腐敗していく膜を張りそう … というくらい、朝、太陽の光が部屋中を圧倒しています。

… 家事の達人の方々は、そういう状態を、わたしよりも早く見抜かれていました。「グリーン・カーテンもいいけど、〔よしず〕をすると、温度が1~2度違うわよ。我慢とかそういうことではなく、台所の温度が高いと、食品が劣化するだけでなく、冷蔵庫の電力量も上がる」 -- 質素でシンプルだけど良質の素材で「食」を賄い、エネルギーは極力使わないでゆきたいこれからにとって、ゆゆしきことです。

今日も朝からたまらない暑さ -- 「よし! 今日こそは、〔よしず〕だ!!」とこころに決めました。

実は、二日前にもホームセンターに出かけてみたのですが、窓に覆いをする、様々な材質、様々な大きさの〔すだれ〕を見つけて、どうやって取り付けたらよいか、また、覆いを「巻き上げる」設備のようなものはいるのか不要か、第一、どの大きさのものが良いのか、家の窓の採寸さえしていなくって、出直そうと戻ってきました。

まず、とにかく、〔よしず〕って、〔すだれ〕のことなのでしょうか? 違うとしたらどう違うの? -- 何だかこれまで、違うもののことだというイメージがあったけれど、ホームセンターでは〔すだれ〕しか見かけなかった。アドヴァイスをしてくださった方の中には、同じものとして教えてくださった方もいらっしゃったけれど、なんだかどこか違うような … ?? 久しぶりにパソコンに向かって、ちょっと探索です。

ついでに、(違うものだとすると)どちらがエコにいいのか、この家の状態には、どちらが適しているのか、についても勉強しました。

… はい。一般には、〔よしず〕は‘立てかけるもの’で、〔すだれ〕は‘吊るすもの’です。どちらも、日光を遮るためのもので、家を(〔よしず〕の場合は、植物も)日差しから守ります。〔よしず〕は葦、〔すだれ〕は主に細い竹を編んで作られています(葦で編んだ〔すだれ〕もあります)。一部、これらが混同される場合は、葦でできた日よけという意味で、どちらも合わせて呼ぶ場合なのでしょう。


ここまで調べて、今度は再びホームセンターで実地で考えます。再び足を運ぶと、「ハッ、やっぱり『売ってない』なんてことはなかった!」外の敷地に沢山立てかけてある大きなのが〔よしず〕なのでしょう。二日前は店内で探したから、見当たらなかったけれど、そうだよね、外に立てかける大きいものだものね。。。 大きさも6×8寸が「小」で、6×10寸が「中」、わ~「大」や「特大」は途轍もなく大きい(多分、いや絶対、わたしの愛車には入らない)。初めて目が行って、〔よしず〕が見つかりました。

今度は窓を採寸して出かけたので、適した大きさの〔すだれ〕も分かります。引っかければいいと、ご助言いただいた方に聞いたけれど、取り付け方、巻き上げ方など、イメージ湧かないので、今日のところは、無駄をしないよう、最低限必要なものを持って行って試行錯誤してみよう … 

いろいろ迷いましたが、大きさを決めて、「中」の〔よしず〕を何とか愛車sylphに乗せて運びます。家に戻って、早速、久々に金づちやら探してきた古釘やらを手に大工仕事です。


よしずとすだれ


不器用な手つきで、やってみたのがこれ。左側(台所の西の窓と壁)を覆うのが〔よしず〕で、本当に大きく、抱えるとふらふらするくらいですが、立てかけると風格があり空間がなかなかの演出になります。右側(台所の南の窓)にかけたのが〔すだれ〕 -- 葦でできたものです(竹製よりナチュラルで安かったから)。こちら側は、プロパンガスがあるので、窓だけに〔すだれ〕で覆いをしてみました。初めてで勝手がわからず、しかも〔すだれ〕のかけ方などなかなかピシッとはいきませんが、(それより写真もピンボケですが)、まあ、日差しをしのぐにはとても良さそうです。ちなみに、〔よしず〕と〔すだれ〕の間に鉢植えが二つありますが、これがグリーン・カーテン用のゴーヤ苗です。(他に、南窓用にヘチマの苗と、頂きものの種から発芽させた朝顔が沢山育っています ← 植物を育てることに関しては、調子に乗って、やりすぎる傾向にあります??)


街に住んでいて、いくらエコ、エコ、と思っていてもできなかったことが、実現できてとても幸せです。〔よしず〕と〔すだれ〕、どちらがエコか、の答えはまだ出ていないけれど、〔よしず〕はこれに水を打つということもでき、それによって2度くらい温度が下がることもあるそうです。ただ、原材料のことまで想いを馳せるなら、今では原料の葦は、国産のものではほとんど作られず、中国産に頼って輸入されているそうで、それが「残念だ」と幾つかのネット上の記事に書かれていました。

ふ~む、この地には竹材は豊富にあり(というより余っていて)、前の湿地帯には、葦も生えています。ということは、加工は途轍もなく大変だと思いますが、もしももしも原料からここで調達できるなら、きっとそれが最もエコロジカルだということになります。 -- どうやって加工するか、素人でできるのか、課題は大きく、先は長そうですが(でもそこまで極めればすごいでしょうね)。

それはともかく、せっかく明日朝の台所の涼しさを期待したのに、明日から梅雨入りだそうで … あ、〔よしず〕は雨天時は、家にしまっておくのでしょうか? (すぐに調べなきゃ)。



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右手と左手

またご無沙汰してしまい、ごめんなさい!

少しずつ新生活のペースが出来上がってきました。

ノートパソコンで通信とブログ更新をしていたのですが、しばらく使えなくなってしまい … でも、そのおかげで家族の助けを借りてデスクトップのパソコンがようやく利用できるようになりました(新しい勉強部屋がまだ片付いておらず -- 畳に這いつくばっての更新ですが)。

3月からの引っ越し作業のピークで、「明日は倒れる」「明日は倒れる」と実は心配していたのですが、天の助けでそんな事とはならず無事に乗り切れました。ですが、今頃になって、‘右手・右腕が使えなくなる’という事態に遭遇しています。荷物の整理・荷物運び・掃除、、、そしてパソコン、山作業、と利き手を使う作業が多かったせいか、3月頃から一日の終わりには右手がしびれるような状態のまま眠ってしまう … という、今思えば良くない状態を続けていました。それが、今頃となって手と腕の悲鳴として表れてきたようです。

5月末にはようやく東京の家のほうに出向くことができ、そこから足を延ばして平塚のI先生の主催される気功の練習にも伺わせて頂くことができました。そのとき、元極気功法が始まった途端、右腕のだるさが抜けていき、ティーカップでさえ持てなかった右手がまた復活したように感じました。そして、尊敬する先輩に腕の中にたまっていたものを抜いてもいただいたのですが … 

あっと言う間に新緑が濃く深い色となり、木々は枝葉を延ばし、下草は伸び放題と、サンクチュアリの地では緑が鬱蒼としてきました。陽のさえぎられてしまった苗木の日当たりを良くし、風通しを良くしていかないと、夏に向かって大変なことになります。窒息しそうなほど葉っぱの茂った伸び放題の枝には虫も湧いてきました。ということで、草刈りや剪定がどうしても必要なのですが、剪定バサミでやや太めの枝を切ろうとした途端 -- やってしまいました! グキッとという強い痛みが右腕に走りました。何もせずに腕をだらんとしていると、さほどではありませんが、右手の親指と人差し指を使う作業(軽いものを持つことも、、、、)や手首をひねる作業(ぞうきんを絞ることも、、、、)をすると、激しい痛みが走ります。週末の家事労働をこなそうと、腕にある‘手三里’というツボと‘曲池’というツボにお灸をしてみると -- その刺激で激痛が緩んだのはよいのですが、腕全体と肩甲骨にだる重さが広がり、腕がだらんとして、まるで右の翼の折れた鳥のようになってしまいました。

からだのプロである先生や先輩方に相談しても、やっぱりこれはしばらく右手・右腕を休めるしか手立てはないようです。しばらく前から日常生活に必要な所作をなるべく左手でこなすようにしていましたが、これは結構勉強になります。(もともとヨガでも、なるべく左右差をなくそうと、左手で扉を開け閉めする、左手でお箸を持つ、ぞうきんの絞り方を変える、等、練習していました)。また、今回のように右腕がだらんと重たくなってみて初めて、普段の自分は右手と意識が全く繋がったままにしていて、右手の脱力をほとんどやっていなかったのだな、それどころか、右手と頭の働きを分離さえしてこなかったのだな、ということがわかりました。自分が本当にしたいことをシンプルにして、それを一番無駄なく無理なくからだでこなす、ということの良い練習となっています。さらに、ヨガでは右手と左脳、左手と右脳が関わっているとこれまで実感しているので、左手でできることが豊かに広がることによって … これまでの職場では左脳ばかりの仕事でしたので … 少し右脳的な発想ができるようになるかも! なんて、期待もしています。

それでもやっぱり、例えば、お煎茶の葉をお出しする相手を想いながら適量急須に入れるとき、木々の枝ぶりを見ながら剪定後の姿が適切で回復の早いように剪定バサミをふるうとき、その微妙な‘さじ加減’‘鋏加減’は、右手でしか測れないのです(ゆえに、右手を添えて測ってもらっておいて、左手の力に支えてもらいます)。右手に育っている「知」は、やっぱり右手自身のものでしかありません。右手にこれまでの感謝を深く捧げると同時に、これまでからだに対して … どこをとっても、本当に無造作な雑な使い方しかしておらず、愛や優しさをもって豊かに活かせてこなかったことに今更ながら気づいて、深く反省しています。



この季節の爽やかな風に吹かれ、木々や草花たちの間に深く埋もれ、鳥たちの生きる営みに同調し、青空や白や虹色の雲、星たちの浮かぶ闇を映し、自然に溶け込みたいと感じるとき、それはまた、自分自身の“内なる自然”をも深く豊かに息づかせていくことだったのだと、今ここへきて、外の自然に愛されて支えられながら、感じます。



ガマズミ
 (ガマズミ K氏撮影
 苗木として植えた木が今は大きく成長して 
 今年は純白の花々を沢山つけています。
 秋にはこの花が赤い綺麗な実になります。
 鳥たちの大好きだし、人間も薬用酒などで
 楽しむことができます)



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