hearing the unheard voices

小鳥たちと対話し、自然と人とが調和できるバード・サンクチュアリを創立しています。http://homepage2.nifty.com/birdsanctuary/index.html

finding each one' s own lotus

もう先々週末となりますが、東京の井の頭にて yoga の練習をしてきました。

この春、bird sanctuary でのまったく新しい生活が始まって七か月、ようやく月1回(+α)のペースで東京との往復生活が安定し、支えてくださる方々とご一緒に、井の頭での月1回の練習が形になっていきそうです。

最初は、親しい友達と「東京に出る月1のペース」を安定させようと始めてみた練習ですが、これから少しでも自分にできることをしたい、とこれまで練習でお世話になった方々に少しずつ声をかけさせていただいたり素敵なご縁があったりで、満面に笑みがあふれてしまいそうな気持で練習しています。(←いや、yoga としては今のところちょっとハイテンション過ぎるかな?)感謝!!!です。

とてもやりたくて続けていた練習会ですが、前回あたりから、いらしてくださる方々のお顔を思い浮かべて、こんなことがしたいな、とか、もっといろんな気づきが得られるチャンスを呼びたいな、とか、もっともっとからだや健康のことで良い流れができないかな、と感じるようになりました。‘場を創る’からには、責任も出てきます。

東京で練習会場を取るのはなかなか大変なので、会場探しをしながら悩んでいました。月1できちんと練習会が開けるために、どうすればいいか …。いえそれより、きちんと続けていくとはどんなことなのか。

オサレなヨガ教室やスポーツジムでのヨガクラスが連立する東京で、今わたしがしていることに価値があるのだろうか …? いえいえ、いつでも、どこでも、練習後にお一人お一人が「ニコッと微笑んで」「優しさや調和のエネルギーでいっぱいになって」あるいは天地につながる太い軸や健康に対する新たな気付きを持って、帰って行ってくださるのを見てきて、そんな場がみんなで創れるならという気持ちは変わりません。でも、なんとなく気後れがありました。ここ何年かのうちに、アメリカ式のスクール認定制度が浸透して、認定ティーチャーの方が yoga を教えられることが増え、それに伴って日本で培われてきたヨガ教室も多くが講師認定制となっています。これまでわたしが学んできた流派や師範講座を取った教室、師と仰ぐ方々の現在をたどったり、相談させていただいたりもし、ルーツとなる流派の(今は講師認定制となっているので)免状的な認定もとっておくべきかなと調べてみたりもしました。

そうして、悩んで、観えてきたこととして -- 日々良質の研鑽を積みたいのは山々だし、まだまだ学ぶべきことばかりなのも修行が足りない(!)のも、明らかなのですが -- どんな yoga をしたいか、どんな場を創っていきたいか、その方向性はもう、‘自分の中にある’ということでした。

‘自分の中に自分の yoga がある’-- 特定のスクールの認定を受けた形で、特定の流派の支店教室として、その流れに従う練習をする、という yoga もいいけれど、今わたしのしたいことは、わたしの中で眠っている蓮の根の生長を促し、その花を開かせるということです。もちろん、それが自己流、自己満足、狭い自分の中だけの空想の世界、ではだめです。一瞬一瞬に気づきや学びをしながら、穏やかに、人に、命に、自然に、開かれた場を創造して、その場がそこにいるそれぞれの方々にもまた、各々の‘蓮の花を開かせていく’ような場でなければ、きっと自分勝手な満足に終わってしまうだけだと想います。そう感じると、日々の意識のあり方も、身体技法も、呼吸も、いえ生き方も、まだまだ情けないほどです。が、いつも、練習会となるといらしてくださった方々のそれらに支えられて、あるいは特定の環境の中で‘ともに在る’ことから生まれた守護と奇跡によって、調和の場が立ち昇ってきてくれていたのだと改めて気づきました。

具体的に、練習の一瞬一瞬で‘何を目指したいか’がはっきりしてきたら、一つの動き、一回の呼吸も新たな息吹をもって感じられてきました。実際の練習会で、‘自分の中にある’ yoga はこうです、と表現できるなら、これまで歩んできたこと(小鳥や樹木たちとの対話、‘聞こえない声を聴く’研究、sanctuary 創立の活動、等)もすべて繋がり、綺麗にまとまってきました。あとは歩んでいくのみ!



今年いっぱい、これまでの形で井の頭での yoga 練習をし、来年はこうした想いの場を創造していこうと想います。


Each one has her/his own lotus

Let it bless and bloom in time

Finding out our true nature in and out

our space is bliss, a harmonious sanctuary

white lotus















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波と風と浜辺と

土曜日の大安の日に、つくばで長年 yoga をご一緒に練習していただいていた方々が bird sanctuary まで遊びにいらしてくださいました。

birthday1
 (誕生日間近なので頂いたバースディ・ブーケ。
 翌日の水戸の方々との yoga の会にいらしてくださった
 Aさまが見事に活けてくださいました。
 とても、とても気高い芳香を放っています)

東京や千葉から遥々いらして下さった嬉しさにハイテンション。まずは家の鳥さんたちと遊んで、 yoga をして美味しいお料理を食べました。それから --

どのように過ごすかのいろんな選択肢があったのですけれども、想いを総括して、休日の混雑・渋滞のリスクも考えあわせた上で、それでも皆で大洗神社に行こう!と決意しました。

観光シーズン、特に今は紅葉を見る人々の長い車の列が近くの道路をストップさせています。それでも、「○○人集まれば文殊の智慧」(?)ではないですが、普段のわたしの数倍、いえ十数倍は … 行動力があります。大洗海岸が真っ暗ではわざわざ行く意味はないと、敏速に日の入り時間を調べてくださり -- 16:35でした。それまでに行き着く抜け道ルートを地図から拾ってくださり … 一度は渋滞で諦めかけた運転手のわたしも、言われるままに運転していくうち、ナビでどんどん到着時間が早くなり、見事に参拝に間に合いました!

黄昏の大洗海岸

そう … このときの大洗磯前神社に来られたことは、わたしたちにとってとても意味があったに違いありません。


これまで、昼間の眩しい太陽の照らす中で神社にお参りし、海岸に立っていました。そして、海岸で太陽神と交信し、一体化しながらの太陽礼拝をしていました。

yoga の大切な仲間たちと土曜日に降り立ったときは、太陽はほぼ沈み、その光の波が空に海に残っていました。そして、海には荒れ狂う波が激しく舞い立ち、わたしたちを吹き飛ばしそうなほどの強風が吹いていました。いつもは温かい浜辺の丸い石たちも、冷たく濡れていました。

佇む自然、声をかけてくる、あるいはからだごとぶつかってくる自然がいつもと違っていて、それでも(いえ多分、それだからこそ更に)神社に入った途端、やっぱり清らかな何かにからだの芯が震えます。

いつもの、太陽を一杯に浴びる感じではないので、しかも yoga の大切な仲間たちがいるので、ちょっと迷いましたが、何かいつもと違ったものに乗っていきたい感覚がして、やっぱり太陽礼拝をしました(実は、 bird sanctuary で予習までしてきていたのです)。

荒波に、呑まれそう -- 風に、倒されそう -- 裸足で踏みしめる砂や石の冷たさに引き込まれそう -- なのに、礼拝に入った途端、それに「抵抗する」自分はいなくなって、からだは自然に動かされ、波に風に大地に一体となり、たまらなく気持ちの良い流れの渦が生まれていました。「いつもの太陽を浴びる感じではないので、強制しないけど」と皆に言い置いて始めたのですが、全員がぴったりと自然と一体になって動いていました! すごい!! 自然の力って、その力が合わさった時って。その曼荼羅の中でわたしたちのからだも自然なんだ!

太陽をふり仰ぐ動きをすると、太陽は去っているのに、天空に太陽が残していった光がやっぱりからだに浸透します。打ち砕ける波がからだまで砕いてしまいそうですが、怖くはありません。こうなると、風がどれだけ吹いても、ぐらつくことも怖くはありません。足で踏みしめると冷たい石の下へ下へと軸が伸び、地球の中心と繋がります。

終わったとき、自分の中の何もかもが抜け去っているような気がしました。いえ、それは正確ではなくて、天地と繋がる軸となって、自然に溶け込めた無上の感覚がそこにありました。そして、頭の中でいろいろ考え悩んでいた‘要らないもの’がすべて抜けて、清まっていました。≪感謝!≫ -- 合掌です。



その後、すっかり日が暮れてきた中、今はご自身でも yoga を教えらている若くて気鋭の仲間のリクエストで、一緒に立木のポーズや三角のポーズもして、強風の中、砂利の転がる上での片足立ちで木になって大騒ぎして -- 何とも楽しかったです! 今日まで皆様と yoga を練習してきて本当に良かったと思いました。

ケーキとシャンパン
 (浜辺で、「3分間波を見ていてください」と
 リクエストされて3分後に振り返ったら、こんな
 豪華なバースディーケーキのサプライズ! 
 ノンアルコールのシャンパン付で、
 夕陽を見ながらお祝いしてくださる計画だったと
 知り … 涙が出そうでした。
 ありがとうございます!!!

 暗くなり、あまりの突風、冷たさに
 場所は高速のSAに変更 笑)


2012大洗2


夜闇の中にも、太陽の力は宿っている

荒波に砕かれそうになり、
突風になぎ倒されそうになっても、
ぐらつくままの自分のからだを受け入れるなら、
そのとき、真の中心軸を手に入れることができる

闇があってこそ、陽の光を待つことができる














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だいこんの神様

味覚で感じた季節感を、このブログに載せたくてもなかなか載せられないのは、わたしの周辺には‘料亭の味を越えた'お料理をなさる達人が数名いらして、その方たちの作品に触れるたび、自分の料理・盛り付けの情けなさ・センスのなさを普段から思い知らされているからかもしれません。

でも、そうした達人たちと知り合いでいられるのはとても恵まれたことです。昨日は、そうしたお一人、気功の先輩Aさんのおうちでお昼ご飯をご一緒させていただきました。

阿久津さんごはん1

ご親族が野菜作りをされている畑で、食用菊が沢山採れたからと、この日は菊花づくし -- 食卓に高貴な雅な菊の薫りが漂います。Aさんの92歳になるお母様が、「何もなかったから」(←こういう言葉が、またいいのです!)と、甘辛く煮た人参や蒟蒻と共に浅葱・菊花・お豆腐と白ごまが和えられた「白和え」と、油を使わず煮含ませるだけでしっとり豊かに仕上げられた「おから」を作って待っていてくださいました。それに、昨日から仕込まれた白菜のお漬物、菊花のお浸し、なめこと茄子のお味噌汁に菊の花びらを散らしたもの、炊いたおこわ(お赤飯の素材を柔らかめに炊飯器で炊いたもの。あっさり頂けます)、そして洋梨のデザートです(わたしがベジタリアンなので、いつもお野菜だけで身もこころも豊かになるようなお料理を美しく設えてくださいます)。

Aさんは芸術家なので、器や盛り付け、いえ、お野菜の切り方・和え方の一つ一つが細かいところまで、見事に美しい!

阿久津さんごはん2


見事な「作品」を、いつも最敬礼して頂きます。

・・・・・

とうてい真似はできないけれど、良い刺激を受けて、今日はずっと気になっていた bird sanctuary の大根畑に挨拶に行きました。

大根畑

生まれて初めて、大根を育てています。

「あんなに大きな野菜、とても無理」と思っていたのですが、やはり気功でお世話になっている方が送ってくださった自然農の本を読むと、荒れ地で草ぼうぼうでも育てていらっしゃる方がいるとのこと。野菜作り初心者で怖いもの知らずですが --荒れ地ならたくさんあるので-- ためしに種を蒔いてみました。その方が送ってくださった本の中にあった「コンパニオンプランツ」(=共生させて混植することにより、虫を防いだり土壌をよくするような植物)として、一緒に韮と浅葱、それに何だかわからないイネ科らしき草も育っています。

種を蒔いたものの、ここはじめじめして湿地に強い桑の木や、自生のママコノシリヌグイなどの草しか育たない場所。まさかみんな真面目に発芽するとは思わなくて(←ダイコンさん、失礼しました!)沢山の芽が伸びてきているので、間引きをしなければなと思っていたところでした。

大きな竹ざるを持っていって、成長の大きな大根を残して、わきに生えている大根をそっと摘みます。大きく育つためには必要 … と思っていても、すでにどの子も可愛くて、摘みにくくなっているのですけれども、今日のおかずの分だけ、頂きました。

泥や虫のついた葉や根をまずは外の井戸水で洗って(今頃って、外の温度やうちの中の水の温度よりも、もう井戸水ってとても暖かいんですよ!)、家の中に持ってきてもう一度よく洗って …。

無鉛陶器のお鍋の中に、丁寧に刻んで入れて、途中で自然食品店で買っておいたお揚げを同じように刻んで入れて、また大根の葉を刻んで入れて、だし醤油ほんの少しだけで、無水調理しました。どう逆立ちしたって、わたしのは、‘料亭からほど遠いどころか、なんでもない'んですが …。昨日、Aさんから頂いた柚子を少し散らして、いつもよりはほんの少し‘ヨソイキ'です。

大根葉の煮物

お い し い!!


ずっと憧れだった、でも遠くて近づけなかった -- 近づくことは一生ないかもしれないと感じていた、アニミズムの聖性や神性に溢れた山尾三省氏の詩の世界(以下)に、ほんの、ほんの少しだけ近づいた -- というと、まだおこがましくて、ほんの、ほんの少しだけそれが分かるような気になった、のあたりでしょうか。少なくとも、 bird sanctuary でも、だいこんの神様が微笑んでくれたような気がしました。

****************

 雨水(うすい)節    山尾三省

 畑では 大根が
 にょっき にょっきと 太っている
 
 それを見ること
 それを引き抜いて 食べることは
 一流高校を出て 一流大学に入ることよりも
 ずっと しあわせなことだ

 ぼくたちは ここらでもう一度
 本当のしあわせ というものをしっかりと
 考え直さなくてはならない
 自分というものを 見直さなくてはならない

 畑では
 雨水(うすい)節の薄い陽を浴びて
 大根が にょっき にょっきと 太っている

          (山尾三省 『親和力 
           暮らしの中で学ぶ真実』
           くだかけ社 2000 より引用)

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ツワブキの開花

Aさんが作品の題材にされているツワブキの花も、光をともすように、ゆっくりと美しく、開花し始めました。












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