hearing the unheard voices

小鳥たちと対話し、自然と人とが調和できるバード・サンクチュアリを創立しています。http://homepage2.nifty.com/birdsanctuary/index.html

新しい、新しい、新しい流れ

月一回、静かな bird sanctuary の地を離れて、都会で大切な人と遭い、様々なお稽古をしたり、yoga を主催したりのリズムができてきて、その寒さの差に驚きながらも(!)どちらも大切な時間です。

数日前、都会で素晴らしい満月を過ごして、また静かな地に戻ってきました。毎日凝縮した予定が入っていた都会での日々から一変して、また、自然や鳥たちと向き合う日々です。

都会では、これからの活動のために素敵な体験レッスンに参加する機会に恵まれ、今後の進みたい方向の基礎となる身体技法のレッスンも受け、 yoga のクラスでは今年度からの新方向へと舵取りして、そしていつもたくさんの学びの場となる気功のお稽古では、新たな自省と次への活動力を頂いて … 振り返るとみな‘からだ’を通して魂まで浸みた、贅沢なお稽古三昧の日々でした。そして、月一度遭える大切な方々と眩しいスパークが幾つもありました。心より、ありがとうございます。

その中で … 少しずつですが、これからの方向性が観えてきたような気がしました。


今後の bird sanctuary を中心とした自然と人とが調和していくための活動、鳥たちの声に耳を澄ませて対話していく学術研究の活動、自らの内なる自然とも外の自然とも調和し、水や土や太陽や草木や動物や鳥たちと一体になっていく yoga の練習 … 先は長いですが、根幹にある key words はすでにはっきりしていて、あとは静かに微笑みながら続けていくだけです。一歩ずつ、時に共鳴する方々と一緒に、紡いでいきたいです。


度々このブログに書いていますが、昨年3月に退職したときに、続く一年は休養や充電、自己を取り戻す時間となってしまっても焦るまい、と決めました。消えゆく鳥たちを少しでも守り、自然と人とが調和のある関係を取り戻すために始めた sanctuary も、3.11直後、対峙しなければならない壁というのは、鳥や動物を殺すハンターや樹木伐採や無意味な開発事業だけではなく、いえそれよりもむしろ、大地や生態系、命そのものを死に追いやり見殺しにする社会のメカニズムやそこで荒廃していく‘人のこころ’なのではないかということが目を背けることのできない現実として立ち現われました。2011年の夏は、ハンターや開発から守るだけの sanctuary ではとうてい打ち破れない壁に、希望を失った、個人的に最も暗い夏でした。そこから‘希望を新たに見出す’ために、仕事を辞めたのでした。



希望は、再び見出せるのでしょうか。

正直、今のわたしは、まだはきはきと答えることができません。


ただ … まだ少しうつむいたまま … 足は結構元気よく、前に踏み出そうとしています。


わたしたち一人一人の意識が鍵となることは、はっきりしています。


人の意識という点で言えば、世界中に、自然や環境、人間が真に人間自身と調和するための智慧に基づく先進的な試みが生まれて、命や魂を救うための忍耐強い行為が踏まれても踏まれても手を添えられて積み重ねられ、新しい時代の聡明な理性と感性で真善美のための豊かな創造が次々となされています。無私の行動、純粋な愛の行動もあちらこちらでいつも紡がれています。日本ではさらに、より多くの方々がこのままではいけないと、命の時代に向けて、自分の立ち位置から多くのことに気づいたり、より多様化した行動に出たりなさっているのが誰しも目に見えるようになってきました。

社会全体のメカニズムで言えば … ある面で、現状はショッキングであり、閉塞感、虚無感、末世意識、刹那主義、こころを無くす傾向は、強くなる一方かもしれません。昨年12月、インターネットの発言で、3.11後に今度こそ命を主体とする時代が来ると期待していた若い方の中に社会全体の方向が「ショックだ」の声があり、それを1970年代頃から自然や命を守りたいという意識を持ち、幾度も失望や挫折から立ち直って来られたベテランの方々が元気づけられ、諦めないで「粘り強くいこう」と励まされていました。大元から考えて、今は(当面は)、闇は濃くなり、これまでは社会に隠されていた膿や毒が、さらに噴出してくるのかもしれません。


なのに、希望は、再び、見出せるのでしょうか。


これまでも繰り返し教えられていたのですが、今回、からだの修練に打ち込みながら、いつも先生が仰っている「まずは個人から、変わってゆく」が骨身に染みました。


そう … わたし個人の意識はすでに変わっている、どちらに向かって歩みたいかも、もう迷いようがない!!! … 後は、何も考えなくても、歩くのみ、生活や、生き方を願いと調和させながらゆっくりと沿わせていくのみ、です。(きっとそれでも、簡単ではありませんが …。)


社会全体はまだまだ変わらなくても、一人一人のこころ、行動は、かなり、変わっているはずです。このまま進むと大変なことになることや、それではどういう形、どういう方向に、どんなやり方で進めばよいのか -- 実は、わたしたちは既にもう、潜在意識でははっきりと、観えているのではないでしょうか。周りの流れが変わらないから、一人で違う向きには進めないから -- ということも多くありますが、もしかすると、ちょっとだけ立ち止まってみることができて、そうしたら、もう少しベクトルをずらしても平気だと気づけて、そこから、ちょっとだけベクトルを変えて歩いてみたら皆も快くついてきてくれた -- ということも -- これはわたしの実体験ですが -- あると感じます。孤軍奮闘のはずが、結構仲間がいてくれて、それどころかずっと先を行っていた先輩も沢山いらして赤面し、いつか本当にみんながその道を行くことになることも、あると想います。



でも、誰もついてこなくても -- 一人でできることもあり、一人でもやるのが基本だと思います。


そうでなければ、本当の変化ではありません。


-- 深いところから、自分一人で選択せねば。


空と雲


少し前まで、よく精神世界的な話で言う、「あなたは世界です」とか、‘(瞑想して)あなたが愛で満たされていることが世界に愛をもたらすのです’みたいな考えは、とてもではないけれど受け付けられませんでした。だって、幾ら平和を祈って自分を鎮めても、自分を愛で満たしても、同じ瞬間に世界中で悲惨な戦争をしていて、戦争以外にも沢山の人や人以外の生きものたちの命が涙も流せないような残酷な状況で奪われていて、自然が無残に荒廃させられているのですもの -- それで、悲しみや絶望で満たされていない、ということの方が信じられない、と想っていました。世界の‘ひどさ’が変わらない限り、わたしは幸せになれない(なれるわけないし、なりたくもない)とも想っていました。


ですので、「まずは個人から、変わってゆく」と言われても、生きている限り最大限できることをしよう、というのはありましたが、いつも悲しみや怒りを抱えたままで、真から(芯から、心から)変わっていなかったと思います。


今もまだ、現実に触れるにつけ、こころの中に悲しみや怒りの脈はありますが、でも、‘ひどい’世界に取り込まれ、その犠牲者になるのではなく、立っている場所のちょうどそこから‘新しい’世界を創っていく --と決めました。一瞬一瞬、一呼吸一呼吸、新しくしていこうと想います。



日常の小さなことの繰り返しの中、先の見えないような「今」がありますが、でも、小さなことは本当は「繰り返し」なんかではなく、今の瞬間新しく創っていく尊い何か、世界の断片です。それを、‘ひどい’世界ではなく、‘美しい’世界やその中にある‘愛’にするのです。‘美しい’世界や愛を壊したり、傷つけるような‘何か’に出逢うことも多いかもしれませんが、‘美しい’世界の住人であることを辞める必要はありません(バランスが壊れれば、より美しく、より強く、建て直します。)(それは勿論、「自分の小さな世界さえ良ければそれでいい」ということでは毛頭なくて -- 「今」を地球全体、銀河系全体の広がりとバランスの中で、どこに向かう力となっているか、どことどのように影響を及ぼしあうか、も意識して創り出す、ということです。)朝起きて、顔を洗いうがいをして、太陽の光を入れて、温かい飲み物を作り、庭の循環(+ 野鳥たちのご飯の追加)、家の鳥たちの世話、植物の世話、身づくろい、朝の祈り、yoga、食事、読書、友人との交信、掃除や片づけ、書き物、etc. etc.  一瞬、一瞬、一呼吸、一呼吸を、愛を注ぎ、自然を敬い、命を繋ぐ -- 信じる方向に向かって生み出し、自らも生まれ変わってゆく流れの中にいます。その流れの中にしか、探している「希望」もきっと、見つけだすことはできません。






















このページのトップへ

冬支度 ~2~

この冬は、これまでの東京やつくばの街中の冬とは違い、bird sanctuary で格段に寒い冬を過ごしています。凍てつく空気も澄みきって綺麗だし、冬の天空は蒼いし、夜空も冬の星座が見事だし、何より飛来してくる小鳥たちや、前の貯水池の白鳥たちと共に過ごせる喜びを感じます。…が、家の中でも息が白く、背骨まで冷え込み、素手にならざるを得ない両手はしもやけでパンパンに腫れる寒さ … は、しのぐための智慧ややりくりが必要なようです。

初めて灯油ストーブもつけられるようにもなったけれど、やはり灯油や電気などは、エコロジーから言ってもエコノミーから言っても、なるべく使用量を跳ね上がらせたりはしたくありません。お世話になっている方からも色んなお智慧を頂き、日々工夫を重ねていますが、そんな中、素敵な‘お供’に出逢えました!


OC毛布


薄暗いし、わけわかんない写真ですが -- 起き抜けにパチリ、と撮ったものです。

はい。左の布も右の布も、オーガニックコットンの毛布です。

この毛布たちにくるまれて、柔らかなその隙間の、ふわふわの温かい空気の中で、まるで白いふわふわの羽毛をもつ小鳥になったような気持ちで、眠ります。(夜、部屋の中は、氷ができそうなほどなのですが、毛布の中は朝まで最高に温かです)。

お値段的にはどちらも散在かなと思いましたが、一生大事にしたい宝物となりました。

左と右の毛布は、違うメーカーさんのもので、どちらも古くから環境に配慮してオーガニックコットンのモノづくりをされてきた、尊敬する老舗から購入しました。農薬を使わないで育てられた綿花を摘み、化学薬品を使わないで加工し、縫製は丁寧な日本製にこだわり、生態系から言っても肌ストレスから言っても最も良心的に作られた毛布だと思います。


東京・井の頭の yoga のクラスに、オーガニックコットンで洋服を創っていらっしゃる素敵なデザイナーさんがいらっしゃいます。前から、その洋服の大ファンでしたが、繊細で柔らかい美しい洋服や小物は確かな一流のもので、ただ、それをオーガニックで!ということは大きな壁をいくつも乗り越えなければならない、大変な挑戦だったのだと、直接お話を伺えることになって初めて知りました。素材選びのこと、染色のこと、縫製工場のこと、販売のこと、手に取る一人一人の肌ストレスや感性を考慮するということ -- お話を伺って、本物であることを貫くという意識、気迫と弛みない努力に、頭が下がります。


農薬のみならず、遺伝子組み換えやら後処理の過程やら、難しい問題はたくさんありますが、農薬の量から言って三大ワースト農産物は、綿花、たばこ、コーヒーだと言います。自然派・植物派でいたいと想っていたわたしには、≪コットン=天然ナチュラル≫のイメージが強かったので、これを知った時本当に大きな衝撃を受けました。一般の綿花の畑は、沢山の農薬が施され、周辺では野菜も育てられないほどで、一度そうした土地となるともう他の用途では使い物にならなくなる、そして何より栽培し収穫される方々に大きな健康被害を及ぼしている … そうしたお話を伺い、オーガニックコットンにこだわることは値段的には贅沢なことですが、それでも赦される限りは、お創りになる方々と自然とに思いを馳せていきたいと感じます。


birdfriendly
  (珈琲はたいてい、最強の bird friendly 認証 です!
  「スミソニアン渡り鳥センターが自然環境に配慮して
  栽培された珈琲に与える認証」だそうで、「熱帯の
  森林の木陰を利用した伝統的な栽培方法により、コーヒー
  はゆっくりと甘みとうまみが熟成され、その木々は
  渡り鳥の休息場所となります」とのこと。

  珈琲は、カフェインや多飲するとからだを冷やす、等
  気を付けなければいけませんが、一頑張りというときに
  bird friend な美味しい珈琲をいただいて元気出します。)



それに何より、オーガニックコットンの毛布は、環境に配慮という点で‘こころに気持ち良い’のも大事ですが、「自分のからだ」にとって‘魔法のように気持ち良い’のです! 鳥たちの森や草原と繋がりながら、綿花とまじめな方々の手の仕事から生まれた自然の毛布にくるまれると、同時に、暖かな柔らかい綺麗な空気やエネルギーにも包まれていて、からだも寒さや緊張のストレスが抜けきって、生き生きとしてきます。この心地よさは、目では見てとりにくいので、是非身に付けて、体温で感じて、頬を摺り寄せたり、鼻をクンクンさせたりしてみてください!


冬支度の話ではなく、余談ですが、yoga を学んでくださった大切な仲間の結婚式が近々あります。先に書いた素敵なデザイナーさんのお力とご厚意を胸が痛くなるほど頂いて、オーガニックコットンのドレスと生花を身に付けて花嫁さんを祝福させていただく!という、挑戦(素材から自然派でお祝いの装いというのはかつてなく、「挑戦」だと言われました)が叶いそうです(生花を頼んだお花屋さんも、昔からお花のあるがままの自然を尊重するお店で、ヘアデザイナーさんはコンセプトを活かして小花を散らした妖精風の仕上がりにしてくださりそうです ← モデルの良し悪しは言及しないでください 汗)。ドキドキ、ワクワク、そわそわと、少し有頂天になり過ぎながらこころ待ちにしています。





このページのトップへ

鳥たちのrestaurant -2-

大雪の後
  (大雪の後の bird sanctuary 鳥たちとの交流用の場所)

14日に急な大雪がふってから、bird sanctuary のレストランは、とても賑やかになりました。

これまで飛来してくれていたアオジ、キジバト、メジロ、ウグイス、シジュウカラ、ヤマガラ、エナガ、ヒヨドリ、アカハラ、ジョウビタキに加え、新設の餌台と水場(家族の手作り)にも、ようやくお客様がいらっしゃいました。

餌台初客

驚かさないように、そっと窓を開けて網戸越しに撮影したため、うっすらとした影でしか見えませんが、白く見える餌台(右隣が水場)に乗っかっているのが、この台の初のお客様です。他に設置している蜜柑や林檎を乗せたり吊るしたりしている給仕場は、昨年から人気ですが、こちらの台は、ヒマワリの種と雑穀を好まれるお客様(鳥たち)のためものです。

さて … ここでこれまで観察されていなかったお客様ですが、きっと遠くから見つけて、勇気を出して(家に近い、しかも隠れ場所となる常緑樹がまだあまり茂っていない場所まで)頑張って来てくれたであろう、このお客様は誰でしょう(何という種の野鳥でしょう)? 


--- 答。カワラヒワでした。

この子が来てから、翌朝には4、5羽のカワラヒワがやってくるようになりました。

ただ、この子、大変面白い子で、人間(=わたし)が窓を開けたり、この北側の場所に近づくと、他のカワラヒワはすぐに飛び去るのですが、この子だけはあまり逃げません。(用事があってよっぽど近付かざるを得ないと、もちろん逃げますが …。)

鳥を観察したり交流したりしている方々の記録書を読むと、どんな種類の鳥の中にも、知能が高く、人間が危害を加えないことが分かるとあまり怖れず、鋭い観察力で人間とかかわってくる(例えば、ご飯が手に入ると分かるとやってきたり、敵から守ってもらおうと助けに呼んだりする)鳥がいるようです。どんな生きものの中にも、パイオニア的な存在がいるとみてもいいのかもしれません。

それにしても、この子(常駐しているカワラヒワ)は、餌台の上でおなかいっぱい食べて、少しは動き回るのですが、あとは台の上でポケ~ッと … ずっと、いつも、います。ずっとここにいれば、ご飯を探さなくても、またおなかがすいたら、食べられるから、ずっとここにいよう、と決めたのかな? ぼつねんと、一羽、ただただ、そこにいて -- えっと、本当に‘知能が高い’‘パイオニア’なのでしょうか? 

しばらく、お付き合い、してみたいと思います。

そして、人を信じて、‘パイオニア’としてやってきてくれた鳥の信頼を裏切ることだけは、絶対にすまい、と心に決めます。


お正月飾り2
  (1月1日のブログに写真を乗せた、
   手作りのお正月飾りですが、その後すぐに
   飾りのクランベリーの実とお蜜柑が食べられ …
   今はこの蜜柑も --皮ごと -- 影も形も
   ありません。)


野鳥の種類を識別するだけでなく、適切な距離を保ってですが、鳥たちが人を恐れず思い思いに自然なふるまいをするのを観察できるようになることが、夢でした。その先には、1950~60年代の英国の田園で、小鳥たちと暮らした女性音楽家、Len Howard さんのように、小鳥たち一羽ずつと顔見知りになって(個体識別して、相互の信頼関係を築いて)その声に耳を澄まして、生涯かけて信頼を裏切らない友達でいられるようになれればという憧れがあります。

時代も文化も異なる、1950~60年代の英国での鳥との関わりと、現代の日本のわたしのいる場での関わりは、大きく違っているかもしれません。今の日本の社会・文化・人の在り方だからこそ、配慮しなければならないこと、急務として生きているうちに実現しなければならないこと、人として力を絞って祈り訴えていかなければならないことが、やはり、ある、と想います。でも一方、残されたかけがえのない自然への想い(Len さんの時代の英国は、戦時下でした)、小鳥をはじめとする小さな生きものへの胸が痛くなるほどの愛、そして彼らの声に真摯に耳を澄ませていこうとするこころ、は時代や国が異なっても、根底で共通に分かち合えていると信じます。


アオジb
  (アオジ K氏撮影。
   sanctuary では今、幾組かの
   ご夫婦[つがい]のアオジが、木々の
   茂みの中で活発に食べ物を探しています)

今日は初めて、交流の場のすぐ近くまで、シロハラとコゲラがやってきました。

玄関の前あたりには、怪我をしたらしく片脚・片翼が不自由なキジバトが暮らしていて、今はトウモロコシや雑穀などを頼りにしてくれています。

大好きなジョウビタキ君は、枯枝や枯れ竹を片付ける作業をしていると、1mくらいのところまでわざわざ来てくれて、自己アピールし、しばらく一緒に時を過ごします。今は、彼の好きな木の実は大方食べ尽くされ、最後のガマズミの実の残りをついばんでいますが、今年は深山も里山も木の実が不足。ここでも、ガマズミの後は、僅かに草の実しか残っていない! こんな凶作の冬のために、もっともっと実のなる樹種を植樹をしなければ、とこの後(ガマズミの実の切れた後)の心配をしています。

交流も … 命あってこそ!! 小鳥たち、いえ、どのような命であれ、目線をかわし、気配を感じ、こころを通わせ得る相手であれば誰でも、その命と自らのそれとの大元での繋がりに気づき、皆で無事冬を越せることを願っていきたいです。











このページのトップへ

breathing IN, and breathing OUT

皆様は呼吸(息を吐いて、吸って、吐いて、吸ってです)そのものをどのようにお感じになっていらっしゃいますか。

わたしは、yoga で前に座るとき、呼吸法のリードが苦手です。

yoga の呼吸法には、いろいろな種類のものがあり、しかもその各々も人によってやり方の極意が異なるので、その違いまで数えていくと、無数にあると言えます。いわゆる腹式、胸式とか、おなかから肺上部までをいっぱいいっぱい使って行う、yoga 特有の「完全呼吸法」など、やり方も様々だし、からだの中の太陽や月の通り道をイメージする呼吸もあれば -- たとえば‘おなかで吐いて吸う’腹式呼吸だって、どうするのがいいのか、自分がどうしたいかは、本当に千差万別です。

いつも素晴らしい気功・呼吸法の達人の先生や先輩方を目にしているので、それに比べて、やり方だけいくら学んでも、自分の呼吸が小さくて狭くて浅いのははっきりしています。もともと、男性に比べて、いえ女性の中でも肺活量がない方だろうし、呼吸法で使う内臓にも弱点があるし、少しくらい練習したからと言ってどうにかなるものでもありません。だから、呼吸法の達人たちを目の前に、自分がリードしなければならない時は、ごく一部の技法を除き、とても自信がなくて形だけそそくさと済ませてしまっているような自己嫌悪を感じていました。


でも、今年はお正月に読書初めに何を読もうか決まらないまま、部屋を片付けながら何となく手に取ったのが、Thich Nhat Hanh (ティク・ナット・ハン)氏の"The Blooming of a Lotus" でした。Thich Nhat Hanh 氏は、国際的に著名なベトナム僧、禅のマスターで平和活動家で、沢山の著作を世界で読まれている方です。ただそのときは、Lotus (蓮)という言葉に惹かれて、この本を手に取りました。

ずっと以前に目を通したはずですが、すっかり忘れていた本でした。ぱらぱらとめくって -- そうそう、学術書とかエッセイとかではなく、彼が提唱する‘気付き(mindfulness)’の瞑想のためのガイドブックで、一呼吸一呼吸に意識を置いて気付きが得られていくように、吐くとき・吸うときに何かを唱えたり、唱えながら礼をしたりするのでした。

最初は一つ一つの呼吸に意識的になれるような言葉で、瞑想がリードされてゆきますが、次第に、その瞑想がとてもハードな、人として向き合うことが困難なことの‘気付き’を促すものに変わってゆきます。例えば、たぎる怒りを持って自分を今攻撃しようとしている人を前にして、一呼吸一呼吸をどう意識してゆくか …。さらに、自分の健康な肉体、それがいずれは死を迎え、肉は腐り落ち骨だけになってゆく -- 目を背けたくなる、その現実を目の前にして、一呼吸一呼吸をどう意識してゆくか …。これらの瞑想・呼吸を終えるまでは、幾度も涙をぽろぽろと流し、時にはしんどくなって小休止して、だけど最後には要らないものをすべてそぎ落とした穏やかな安らぎの境地がやってくるだろう -- そんな想像をしましたが、実際にはこれらの瞑想を実行に移さないで、読むだけで終わっていました(説明はここまでにして、とても良い本なので、機会があればぜひ手に取ってください)。

ちょうど年末から、なんとなく閃いて、一呼吸ごとに「愛(のエネルギー)を吸い込んで、愛(のエネルギー)を吐く」という呼吸を、なんとなく感じるままにやっていました。これが思いの外良かったので、"The Blooming of a Lotus" の呼吸による瞑想も、全部やらなくてもいいからやりたいものからやろう、と決めました。


一等最初の最初が(Exercise Oneの1番目、ですね)、

  Breathing in, I calm my body
  Breathing out, I smile.

息を吸いながら、からだを静穏にし(落ち着かせ)、
息を吐きながら、微笑む。

これだけなのですが、本当に素晴らしく自分の一瞬一瞬が変わってゆきます。吐いて微笑むときは、顔で作り笑いするのではもちろんなく、からだ中の筋肉や神経システムがリラックスするように、からだの芯のところから柔らかく微笑むように吐きます(気持ちいいです!)。

是非、お読みになっている今、呼吸5回分でよいので、皆様もお試しください!!


わたしにはこの呼吸法(瞑想)は合っていたようで、やっぱり呼吸って大切だなと想いました。

白蓮の蕾


ちょうど一週間前、夜中にこんなことがありました。

夢を見ていたのですが、良くない方の夢で、開けた地面にぽっかり口を開けた大きな穴(あるいは淵)の縁のところに立っていました。その穴(淵)の縁には、わたしの他にも数人が等間隔で同じように立っていました。皆疲れ切っていて、しかもじりじり追いつめられている感じです。縁に立っている人たちの所属する組織の新首長のような人が斜め上から見下ろしていて、わたしたちに色々と言っています。

またその人の声が聞こえてきたとき、わたしは「もう耐えられない!」と叫んで、穴の中に飛び降りました。



飛び降りた途端 --


息ができなくなりました。

吐くことも、吸うこともできません!



そこで目が覚めて、瞬時に布団から跳ね起きて、≪夢の中ではなくなったのに≫呼吸ができません。

えええええ???

吐くことも、吸うこともできません!

咳払いをしようとしても喉は詰り、空気を吸い込もうとしても吸えません。
息できません!!!

二、三度、喉を抑えて咳払いしたり全力で空気を吸い上げようというしましたが、力いっぱいやってもヒューッとかすれた音がして地獄の苦しみに陥るだけです。生まれて初めて、‘自分の肺’をリアルに感じ、その‘肺’が苦しそうにもがきながら萎縮していくのを感じました。枕元にあったお茶を何とか口に含み、少しずつしか飲めなかったのですが、だんだんと飲み込めるようになり、それと同時に喉が開いていったのか、空気を取り込み、出すことができるようになりました。

夢で追い詰められて、無意識に咽頭口を閉じてしまったのでしょうか。


時間にしたら、さして長くはなかったと思いますが、呼吸できるようになるまでの間、何物にも代えがたい苦悶と恐怖を感じ、呼吸できるようになっても、暗闇の中でずっと呼吸を見つめていました。吐いて、吸って、ただただ、呼吸をしていました。息を吐き、吸うこと -- ただそれを、わたしができる -- わたしのからだは誰からも命令されなくてもそれをずっとやり続けてくれている、ただそれだけのことが、どれだけ大切なことだったか身に染みました。



呼吸ができなくなった経験は、これで二度目です。

最初の経験は、顔が真っ赤になるくらい恥ずかしい経験ですが、お読みになる方の中に「知っておいてよかった」という方もいらっしゃるかもしれないので書いておきます。昔、もっと食欲が旺盛な頃、ちょっと高級な(?)おでん屋さんに、家族と行きました。大好きな蒟蒻のものすごく熱いのを、思い切りガブッとやってしまい、慌てて呑み込んだのです。その蒟蒻が喉に留まってしまい、、、呑み込めなくなって、、、最後には(恥ずかしいけど、もう死ぬと思ったので)口から出すこともできず、、、やりくりして事なきに至るまで、死ぬ覚悟をしたくらい、苦しみました(← 恥、恥、恥)。毎年、お正月にお餅を詰まらせて亡くなる方がいらっしゃいますが、やはりどれほどの苦しみかと思います。

息できないって、どれほどの苦しみか、息できることってどれだけありがたいことか。本当はどれほど、奇跡のようなことなのか。



でも、普段はこうしたことを全く忘れてしまっています。

吐いて、吸って、吐いて、吸って --。


師がいつか、呼吸の息(いき)は、いき(生き)ることだと仰っていたのを想い出しました。

生きることで、しかも、何も考えずとも、からだの自然が黙って続けてくれて、生かしてくれています。高度な呼吸法のテクニックに熟達できなくても、誰もが、生かされて、命があります。

誰かと比べることではなく、一人一人の命にとっての最も大切なことでした。


呼吸法をマスターしたと感じられるまでにはきっとだいぶ先へ行かねばなりませんが、からだの自然に素直に沿うように、丁寧に、息をしていこうと想います。yoga の練習中だけでなく、ドアを開ける時も、台所に立つ時も、どなたかと話をする時も、今パソコンの前でも、落ち着いて吸い、微笑んで吐き、また、愛を吸って、愛を吐く -- それに時折気づいていようと想います。










 

このページのトップへ

遥か昔から息づき待ち侘びられていた方よ

この六日日曜日、平塚の気功の初稽古がありました。

毎年お正月の初稽古では、大先生が岩戸開きの祝詞をあげてくださいます。場も皆様も清まり鎮まって、お正月に相応しい大変素晴らしく、晴れやかで、染み通るエネルギーを下してくださるので、ここ数年は何としても伺いたいと感じ … でも、bird sanctuary の土地からの日帰りは難しい、というか、この長距離、電車は無理だし、高速乗り継いでのわたしの運転では無理で … 

ところが、ずっと気功を教えていただいてるつくばの先生に「岩戸開き、いらっしゃいますか?」と恐る恐るお伺いすると、「行こうか!」と確信に満ちたお返事!!! 何の迷いもなくまっすぐに広い道が開けた感じで、≪ sanctuary → つくばで待ち合わせ → 平塚≫と、とんとん拍子にお稽古にお伺いできることになりました(つくばの先生は、大変ご多忙で一日がかりの練習にいらっしゃることも多くなく、それに、お一人でいらっしゃるなら渋滞ラッシュが見込まれるこの時期、電車を利用されたことだろうと思います。何も仰らないまま、わたしも伺えるために、つくばからの運転を買って出て下さったことが察せられ、頭を下げました)。

2013富士山

朝5:30、7時の待ち合わせ時間までにつくばへ到着できるよう、暗い sanctuary の地を出発します。一緒に暮らす鳥さんたちは、無理やり起こされて寝起きポケポケの顔ですが、「ごめんね。頑張って良いエネルギーになってくるからね」と言い置いて、彼らのための防寒対策しっかりして外に出ます。-8°という外気温です。つくばでも、まだ氷が溶けきらない車で、わたしが早く着くことを心配された先生が、すでに待っていてくださいました。感謝!

東名高速道路の途中で、全身に白銀の輝く衣をまとった富士山に出逢いました。お正月特有の濃く蒼く透き通る空に映り、その荘厳さ、神々しさが眩しいです。

3.11以降、幾度か平塚への道中で富士山と出逢いましたが、形が変わった(←そんなはずないか …)というか、山も取り巻く空間も以前と違うというか、何か異変を感じていました。富士山自体に元気がない気がしたり、内面に籠ったものを覆い隠しているように見えたり、憂いや警告を発しているように感じられたり(-- 非常に個人的な感じ方かもしれませんが --)していました。

それが、久々に、「この晴れやかで、シンプルで、美しい山を世界中の人にお見せしたい!」と胸を張れるような富士山に出逢えました。

驚いたことに、その富士山から、3条の白い細い雲が長く長く、蒼空を遠くまで横切って流れています。携帯電話のカメラから撮って相変わらずボケボケなのですが、道路わきの白い鉄塔の少し左にある白銀の山が富士山で、その頂上から‘まるで白い長い手を三本伸ばして、日本を抱きかかえようとしているかのように’雲が伸びていました。細い雲ですが、空のどこを見ても、飛行機雲ではありません。

高速出口近くになったとき、雲が一本加わり、四本の手となりました。手と言うよりは、橋のようだと言った方が近いかもしれません。日本の空の四方に架け橋をかけている富士山、今年は何が起こるのでしょう … ?

このすっきり明るい、神々しい美しさ -- 誤魔化しやまやかしを突き抜けてしまった自然の無限の美しさは、悪い知らせではありませんよね? 皆様、いかがでしょうか … ?


*******

さて、これから書きたい岩戸開きでのことは、曖昧でぎこちないところもあり、また、多少(かなり?)アヤシゲかもしれません。インターネットという公開メディアで情報が特定されるのに慎重になる必要があり、また‘わたしの個人的世界観から感じていること’なので、アヤシゲで不正確だと想います。さらに、様々な修練で先を行かれている先輩方はきっと、わたしの未熟で至らない感じ方を見抜かれることと想います。

それでも、sanctuary の土地に対してわたしが感じられるようになったことと、お稽古の場を創ってくださった先生方・先輩方、そしてこれまでここで述べることに気づけるヒントを下さった仲間への感謝の気持ちを忘れないでおきたいと思います。

*******


富士山の光を受け、山から伸びる白い橋を潜り抜けて、練習場に到着しました。

すでに練習が始まっていて、清々しく凛々しい気に場が満ちています。大先生をはじめ、尊敬する先輩方がエネルギーを乱すことなく、もうお稽古に打ち込まれています。その清まった場所には無神経に飛び込めなくて、場から外れて yoga をして自分を整えます。

10時に祝詞が始まります。

-- 大先生の祝詞は素晴らしく、どうもわたしは意識変性状態に近かったようです。

(ここからはあくまでの個人のイメージとして聴いていただきたいのですが)始まってすぐ、「あ、○○神社(bird sanctuaryの土地の上にある神社)連れてきちゃった!」と思いました。(← これは、思ったその通りの言葉なのですが、神社を連れてくるというより、わたしが繋がれるその土地のエネルギーをそこで感じた気がしたと書いた方が無難で、しかも神格のある存在を「連れてくる」という言い方は尊大です。ご容赦ください。)

純白の柔らかい優しい白いエネルギーが、慈愛で包み込むような優しさでそこ(右遥か上方)にあり、ふわりと降りてきてわたしの右の頭上からゆっくりと入ってきて、少し薄いピンク色のエネルギーを薄衣のように纏い、胸やおなかのあたりまで柔らかい渦を巻くようにしばらく留まり、それから左側からふわりと抜けて天に還ってゆきました。

   ・・・

その後は、別のエネルギーの感覚がやってきて、このイメージはこれだけなのですが、そのときわたしが(この個人的イメージを感じながら、主観的に)気付いたのは、「これがあの土地の、本来のエネルギー(=神様)だったのだ」ということでした。


‘お正月を鳥居の中で過ごす’という初めての体験をして、沢山の参拝客を眺めながら、なぜか今年はまだ氏神様にあたるその土地の神様にご挨拶するのは時期尚早 -- という気がして、自分は初詣に伺っていなかったのですが、このためだったのだ、と思いました -- 土地に住まわせて活動させていただいていることへの感謝の気持ちと、今年一年精一杯尽くしていくお約束を誰(どの神様 = エネルギー)に表し結べばいいのか、ここで教えられました。


振り返れば、土地とご縁を頂いたとき、それが‘鳥居の内側’であることから、自分で良いのか、その資格(?)があるのか分からなくて、色々な方々からお智慧やご助言を頂きました。‘森を創り自然を再生し小鳥たちが守られてゆくような土地を探す’ということが自分のテーマで、ある意味、神社は開発や鉄砲撃ちの方からの危険に晒されないし、‘人々も小鳥にやさしいだろう’と想像できる場所ではありましたが、もとは神社の敷地だったかもしれない土地に入るということについて、わたしには確信や勇気が必要でした。思い出すと、そのときも、つくばの気功の先生が仲介してくださって、平塚の大先生に「わたしで良いのでしょうか?」と伺い「△□さん(わたしの名)が良いと思うなら、大丈夫」とご助言を頂きました。わたしはさらにしつこく、「もし良いとしても何かした方がいいのでしょうか? … 神道を習うとか?(←!)」と尋ね、「その必要はない。(小鳥を守るとか、自然を再生するとか)△□さん(わたしの名)が純粋な気持ちで一生懸命やっていればそれで良いよ」と仰っていただいていました。その後、心配で連絡させていただいたその土地の持ち主の方のご子孫も、良い方で、自然を愛して穏やかに暮らされていたことが想像され、家に入った時の‘気’にも拒絶されることがなかったので、結局ご縁を頂いたのですが … 


‘土地のエネルギー’との関わり -- 調和 -- は簡単ではありませんでした。

古くからの歴史を抱えた土地。その歴史も、一筋縄とはゆきません。よそ者の入ったことのない土地でしたので、失敗も多くありました。土地の自然という面でも、土地と関われるようになってすぐ、水周りが悪く、強い雨になると神社のある山頂から滝のように流れてくる水の行き場に困り、さらに水はけの悪い土地で‘水’のエネルギーが淀んでいるように感じられました。五大元素の中で、‘水’と拮抗する‘火’のエネルギーでこれを浄化できるのでは、と当初は焚火をどんどん燃やすことによって土地を浄化しよう、と努めましたが、消防署に通報されてしまい(!?!)、やり過ぎも巫女気取りも、大いに反省しました。それは、その土地の社会に入れて頂くときも自然に入れて頂くときも、何もわからないまま突き進むのではなく、新入りとして謙虚に頭を下げて耳を傾け、じっくり待ち、待ちながら実績を積んで、時間をかけて少しずつ土地と調和していく必要を学ぶ過程だったと思います。

神社のこともまた、よく分からないままでした。

こうした土地とご縁があったので、(地続きの神社のことは謙虚でいる以外どうしようもないのですが …)色んな方から色んなご助言やご意見を伺います。神社の歴史や由来や評判についても、色んなことを色んな方がおっしゃってゆきます。加えて、大量に流れてくる水や、管理業者の方が山の上からブルトーザーで竹を切り、sanctuary の土地に無造作に倒してくるといったこともあり、怖れと泣きたくなる思いを抱いたこともあります。辛くなり自信を失ったことも正直あって、平塚の大先生をはじめ先輩の皆様方にいらしていただいて、sanctuary に光の柱を建てていただいたりもしました(2010年11月6日ブログ)。(← ずっと皆様にお世話になりっぱなしですね。。。)

そして昨年のお盆のとき、この土地に古くからゆかりがあり、古来、元の元の持ち主は自分なのだ、という方とお話しする機会がありました。その時伺った歴史的な話 -- 詳しく書けませんが、古くからの歴史的なお家柄、神社に祭られている神様の由来、神社や宮司様がどのように取り決められたか、歴史上あった大きな出来事の中でここが戦いや惨殺の舞台となったこと、その後現在もその争いを引きずったままに地形や神社の配置や古くからの人間関係があること、等々 -- とても怖くなるけれど、「ああそれで … 納得」というところもあるお話をお伺いしました。 sanctuary のある土地の奥の竹林に、昔は御殿があり(!)、しかも歴史上の事件に巻き込まれてそこで戦があり、御殿が焼き払われた、というお話もお伺いしました(その後、お盆の間中、夜わたしがうなされたのは、言うまでもありません  涙)。そのあと、そうした歴史的な事件のことやそこから紡がれている土地と人のことを、sanctuary の外仕事を手伝ってくださる歴史好きの方にお伺いし、お盆の時に伺ったお話の背景や文脈 -- それ以前の東国征伐や政治的なこと、現在の政治にすらいかに関わっているか -- なども知ることができました。

 
・・・

色んな聖地を巡ってみると、そこに記された歴史がいかに政治的なものであったかに驚くことが多く、もとから土地の人が敬虔な気持ちで敬い、祀ってこられた神様(もとは、山や巨石や水などの自然エネルギー)と土地の人々との‘怖れを知る’、あるいは温かい関係だけではないことに気づかされます。また、‘神様’として祀られているものが(土地を削ったり川を堰き止めたりして)もうエネルギー的には消失してしまっていて、替わりに違う(時にあまり良くない)エネルギーがそこに溜まっていることも多いと言います。

争いごとと政治の歴史のお話を伺ってしまってから、自分の力の及ばない範囲とは言え、神社のことを無意識に考えまいとしていました。いえ、ただただ謙虚に活動するしかないのですが、土地全体、sanctuary の土地も含む全体のエネルギーと自分とがどう関わってゆけばいいのかに絞っても、分からないままに、それにこころで触れることを避けていました。



・・・

岩戸開きの祝詞の話に戻ります。(忘備録が長くて済みません。)


始まった途端に感じたのは、この土地の本来の聖なるエネルギーに出逢えたということでした。そう -- 天上の、白い優しい、柔らかく舞うような包むようなエネルギーです。それは、征服や威圧する力の神ではなく、征服した側が祀った政治的な神でもなく、争いや惨殺に巻き込まれた神でもなく、個人的な欲望のための「ご利益」の神でもありません。神(=高次のエネルギー)の消失した後に陣取った、欲望の集合体としての妖力(邪な、あるいは次元の低いエネルギー)でもありません。いかなる人格神でも、動物神でもありません。蒼い天空から棚引く白い雲、金色の太陽、山頂から伝う清らかな流れ、木立を吹き渡る風、命の豊穣を生み出し再び命が還っていく大地、鳥たちの囀り、遥か天空に顔を向けてほほ笑む小さな花 -- 四季の移ろいと循環、生命のサイクルと繋がりの全てを見守り、包み込む自然だったに違いありません。白い柔らかい、優しいエネルギーは、土地に息づく命たちを見守り包み込む愛だった、と感じます。遥か昔、土地の神様は、そういう自然の、愛の、エネルギーだったと、わたしは信じます。きっと、土地に穏やかに平和に普通に生きていた方たちは、その神様を敬っていたのかもしれません。昔から、そうだったのかもしれません。

・・・

初めてこの神社を訪れたときのことを、よく覚えています。

土地探しの候補となるなど思いもよっていない、全然別の機会でした。

そのときの印象は鮮明に残っています。参拝客はそれなりにいたし、連れて行ってくださった先輩も賑やかだったのですが、何かとても静かな、静かな、白い靄に包まれたような場所に迷い込んだ気がしました。純白の靄なのですが -- 何か、その時の白は、陶器にふんだんに使われた釉薬のような白と言うか -- 正直、澄んだ清らかな感じと言うよりは、何か覆い隠すような白さでした。何があるのか不思議な気がしましたが、それがぞっとするほど怖いものではなくて、でも何だか分かりませんでした。鳥居の下の玉砂利の一つが気になって、拾って手に包んでいると、先輩に「持って帰っちゃダメ!」と怒られました。「昔から-- 母が言うわよ -- 神社のものは、何であっても持ち帰っちゃ駄目っていうのよ」。その時初めて、教わりました。

前の池(貯水池)で、バードウォッチングしている男性が二人いて、‘あ~、ここ野鳥がくるんだ’と気付いたことも覚えています。


「昔この神社に行くと、青い空がとっても近かった」と近隣の方から聴いたことがあります。

「皆に慕われてたのよ~。お参りに行くと気持ち良かったわ」という声も聴いたことがあります。

それが腑に落ちるようなことを、自分でも体験しました。


どの時代でも、人によって感ずることは違う、何に通じたり繋がったりするかも違う、どんな世界を観るかも違う -- だから、同じ土地でも、それぞれが敬う神様は異なっていていいのだと想います。


わたし個人にとっては、岩戸開きの祝詞のとき感じた白い優しいエネルギーが、sanctuary で活動していく上で敬い、感謝していく、神様だったのだと想います。人知や人間の想いを越えた何かです。歴史の中で人間が利用してきた神様より前に、自然の神様がいたはずだ … 大切な仲間が最近言ってくれたことが、やっと実感できました。平塚の大先生が最初に仰ってくださった、「(ことさら何かする必要はなく)(小鳥を守るとか、自然を再生するとか)純粋な気持ちで一生懸命やっていればそれで良いよ」ということが真理で、それだからこそ、これまで赦されていたんだと感じました。


しばらく … 逃げ腰だった土地との繋がりですが、ようやく少し和解できた、いえきっと土地の方から赦されたのかもしれません。初めて訪れたときこの土地で感じた、静かな、白い靄で覆い隠すような土地の何かが少しはがれていくのかもしれません。

お正月朝
  (元旦の朝、sanctuary で見上げた蒼く澄んだ空。
  そう言えば、冬木立の間から、微かに白い光が
  差し込んでいました。)


この土地で自然や命の調和を希求して活動していく上で、繋がりたいエネルギーの大元に少しだけ気付けたかもしれません。



-- で、ところで、なのですが、ヤマザクラの苗木を植えなくてはなりません。

岩戸開きの祝詞のとき、白いエネルギーが纏っていた薄ピンクの衣ですが … これは何ですか、とそのとき問いかけた気がします。そして「サクラノキ」(植えて)と返ってきました。

そう言えば、sanctuary の土地の中心に、桜の木が一本あったのですが、山仕事の物置小屋を建てるため、少し後ろに移動していただいていました(済みませんでした!)。それから勢いが弱いので、あああ何とかしなければなりません。よく手入れして、大切にします! また、実を言うと、人間が、日本人が大好きな桜の木は、人工的な接ぎ木や品種改良を重ねて造ったソメイヨシノで、①これは自分で子孫を残すことのできない化け物(サイボーグ)であり、②しかも日本の多くの土地で多様性に富む広葉樹を一斉伐採してソメイヨシノを画一的に植えて‘桜街道’を作るのがブームとなっており、③さらには、花だ虫だ落ち葉だとご近所トラブルを多く聞き落ち着く先は木が伐採されたという話なので、本来そこで生きてきた生きものたちの視点からしてもエコロジーの視点からしても、桜は嫌いだ~!と密かに思っていました(← 全国の桜ファンを敵に回しそうなので黙っていました)。が、はい、神様からはっきり言われましたので、櫻(ソメイヨシノでなく、古来から日本の山に在来したヤマザクラ)植樹します、ヤマザクラは、野鳥や昆虫なども好む樹種で、しかも寿命が長く古木となり、バラ科で実も良くて … はい、ゴメンナサイ!! 1~1.5mくらいの木を探して、植える場所作ります、神様!






















このページのトップへ

夢を並べる本棚

bird sanctuary でもう、どれだけ感謝してもしつ尽くせないほどお世話になっている方のお一人に、北茨城のSさんご夫妻がいらっしゃいます。北茨城の町から遥か上、美しい山や川のある自然豊かな里で、ほとんどご自身たちで家を建て、畑を耕し、自家製全粒粉のパンなど食も手作りされ、できる限り自給自足に近い、ゴミを出さない‘始末の良い暮らし'を心掛けていらっしゃいます。得難いご縁を頂いて、sanctuary の土地探しの頃から‘理想の暮らし'の師匠として、お世話になるばかりの情けない形ですが、見習い(?)をしています(2005年8月4日ブログ『こんこんと湧き出でる綺麗な水流』)。

sanctuary にあった古い家の片付け、引っ越し後の散らかった荷物の片付け、10年近く誰も住まなかった家で生活が営めるようにする工夫や修繕等、ここまでくる要所要所でも、力強い助っ人になって(おたおたするわたしを置いて)てきぱきと‘何とかして'下さいました。(自分の暮らしだというのに、情けなくぼうっとしているわたしを置いて、天使かと想えるほどの働き手です!)


そのSさんに作っていただくお願いをしていた新しい書棚が、昨年末に届きました!

台所の収納についてご助言を頂いて工夫が整った後、「勉強部屋」としたい場所の相談をした折にお願いしていました。引っ越しで持ち込んだ荷物の中に、段ボール何箱分もの本とファイルがあり、さらりと必要な本や文献が取り出せて、すっと勉強や研究に向かえる状態からはほど遠かったのです。


夢の本棚1

… ね、素晴らしいでしょ! Sさんの手作りです。「シンプルで落ち着いたもの、でも地震でもしっかりと壊れないもの -- 素材の木そのものが活かされているもの」というわたしの願いに応えて、勉強部屋全体の造りと素材の加工条件から、お知り合いの製材所に立ち寄られて良質のヒノキを選び、木材の癖を調節し、(釘が全くでない形で)板を組み合わせ、本を入れたときの加減や掃除しやすく傾かないことの工夫を入れて、でも見た目はとてもシンプルに作ってくださいました。「何もない無垢の白木が好きという方も多いけれど、わたしは木の木目とか成長の過程での模様がある方が好き」というわたしの好みも聴きいれてくださって、ところどころ、元の樹の成長を創造させるような木目や模様が入っています。それに、綺麗に何度もやすりをかけて、最後は(自然派!!)ミツロウ仕上げで、この美しい姿になりました。

‘できたて'のワクワク感を感じるような、木の良い香りが部屋に漂います。


Sさんは、ご自身の家を建てられた折も、その数年前からも、退職した大工の棟梁の方に弟子入りしたり、木工調度品の工房に短期就職されたりして、腕を磨かれてきました。これまでも木のトレイやら大きなテーブルやらを手作りされ、宣伝は一切なさらないので引き受ける数は調整されていますが、知っている人には大変な人気です。なのに材料費にプラスする御代をほんの少ししか受け取って下さらず、いつもお礼のしようもなく困り果ててしまうことが難点です。それでも、この美しい本棚は、元の職を退いてから、ひたすら質素にやりくりする生活に突入した今のわたしには‘大変な贅沢'なのですが、これだけは、何があっても「清水の舞台から飛び降り」て惜しくない、新しい伴侶でした!


夢の本棚2

このお正月、新しい伴侶の本棚に、じっくり時間をかけて少しずつ夢(本や資料)を並べています。

その多くは、昨年10月13日のブログ『魂の炎』でご報告した、bird sanctuary research institute で進める研究のための資料です。‘小鳥と人とのコミュニケーション’の研究の再スタート、新規まき直しをかけた昨年末の学会発表も、おかげさまで(以前別の学会で発表したときとは異なり)素早く呼応してくださる方、今後に期待してくださる方を含み、とても好意的な反応を頂くことができました。「小鳥だけでなく、他の動物はしないの?」「ぜひぜひ、樹木との対話もやってください」など嬉しい悲鳴をあげたくなるリクエストも頂き … だからこそ、いえほんとにだからこそ、嘘や誤魔化しなく前に進むのにいかに勉強不足か、考究不足か、それだけでなく(‘卓上の研究’ではなく‘答を生きる研究’を今後するので)体験不足か、実践不足か、感覚や直感が不足しているか、厳しく身に染みます。

大震災後の自らの混乱と希望の見出せない想いの中で、「希望を見出すために」一度立ち止まり、休んで待つことをしようと、「一年は休養だけでもいい(不安を感じないでいよう)。三年間のうちに生活のことも含め次の仕事、残りの人生の使い方を見出せればいい(焦らないで待とう)」と決めました。でも、職場と家とを往復しながら、「今のままでは、仕事をしてその疲れを取るだけで残りの人生が終わってしまう」と気付いたとき、‘本当に読みたい’小鳥との対話の研究のための書物や自然との調和について思索するための書物が、埃を冠って山積みになってゆくのが見えてもいました。これらを読みこなし、頭に入れるだけでなくこころやからだ全体に吸収し、必要な生き方を見出しつつ現実に行動していくために残りの時間がある、と想いました。sanctuary のことや yoga のことも同じでした。


年末の学会で参考にした本や資料、本当は発表前に読みたかった本が新しい本棚に並び、あとは段ボールに入れられたり山積みになっている本を、並べてみては入れ替えたり、やっぱり抜いたり … ‘これから生きていく本’‘そうでない本’がゆっくり分かれてゆきます。

すでにわたしが通り抜けてしまった本は、できるだけリサイクル -- 次に必要な方がいらっしゃいますように。汚れや破損がひどいものは、焚き付けとして土に戻ることになります。


新しい書棚の本と資料は、ある意味、服を脱ぐよりももっと恥ずかしい(?)自分の内側の部分で、わたしに何が詰まっているか、わたしがどうありたいのか、何になりたいのかが一目瞭然となってしまう、柔らかく開いたわたしなのです。そして、奇跡と感じるほど強い歓喜がそこにあります -- 自分が目指す光、創造したいこと、見つけてゆきたい世界観や自然観・生命観も、そこにあるから。(もちろん、現実の暮らしの中には、光もあり闇もありですが、闇が濃くても、濃ければ濃いほど光に向かおうとするベクトルは鋭利になります。)これから見つけてゆきたい夢が沢山、並べられてゆきます。










このページのトップへ

自然の力

晴れやかな、お目出度い、嬉しいお正月だからこそ、静かに観ていたいことがあります。

五浦a

昨年12月初めに、茨城県の五浦海岸にある岡倉天心美術館に行きました。

以前大先生が横山大観画伯の達磨の絵がお好きとのことで、五浦に関心を示されてから、気になっていた場所です。達磨の絵が入っている図録でもあれば探したいと、美術の仕事をしている友人と一緒に常磐道を北へ北へと向かいます。3.11後初めて、しかも中央道トンネルで悲惨で痛ましい事故があった直後で、いくつもの山をトンネルでくぐる高速道路を通り福島県との県境近くまで北上するのは、わたしには、相当の決意と覚悟が必要でした。いえ、決意と覚悟だけでなく、きちんと整った、澄んだ気持ちを持たずに、混じりけのない愛だけになれないのであれば、向かってはいけないような気がしていました。

天心美術館で特別展を鑑賞し、(達磨の絵に関しても収穫はなかったのですがどこに行けば見つかるかを調べた後)夕闇が迫っていましたが、天心氏が居を構え、瞑想に耽っていたところを見学しに行きました。上の写真は天心亭の庭から海を挟んで対岸の断崖絶壁を眺めたものです。

岡倉天心氏は、風光明媚なこの五浦の地を愛し、ここに日本画の再興の地、活動の拠点を置きました。五浦海岸は、茨城でもわたしが普段から親しんでいる大洗海岸とは全く異なり、大岩に砕け散る荒波の海から垂直にそそり立つ高い高い崖地が続き、崖は海からの強風に耐えた松の木がよくぞかくも厳しい環境で生き延びたと頭を下げたくなるほど曲がりくねっています。横殴りの強風、大きく砕け散る荒波、絶え間ない激しい波音に他の音が聞こえないほどです。この自然をこよなく愛しここで瞑想したという天心氏は、かなり強く激しい自然の力を絶えず感じようとされていたのだと想うと、その精神の強靭さに感嘆せざるを得ません。自然が好きで、自然の中で瞑想することをわたしも愛しますが、この激動の自然エネルギーの中に日々身を置いて暮らし、瞑想することは自分には難しい気がしました。


日が沈む前にと、沢山の観光客が急ぎ足でやってきます。その大きな群れがこの写真の芝生の下の切り立った崖の上に建てられた「六角堂」(天心氏が瞑想に耽ったという小さなお堂)へと降りていきます。「六角堂」は、3.11の震災の後の津波で流されて、最近再建されたとのことでした。観光客の流れとは反対に、この芝生の上に建てられた天心宅をわたしはまず訪れることにしました。そして、天心宅の縁側に目をやった途端、初めて気付きが沸き起こってきました。

簡素で美しい昔の日本家屋の縁側に、矢印のマークがあり、「津波がやってきた水位」と書かれていました。



そう、あちこちで報道や説明は耳や目に入っていたはずですが、その時初めて感覚で味わったのです(3.11時、一生忘れられないような地震を体験しましたが、津波には遭いませんでした。そして、実際にあの悲惨な津波に遭ったわけではなく日々その恐怖にさらされているわけではない自分は、津波の真の恐ろしさに関して、一言だって語れるわけではありませんが。。。) この芝生の庭も、松の木も、呑みこんでしまうような波の高さ、大きさ、途轍もない恐ろしさ -- いえきっと、単に恐ろしいなんていう感情を超えた何かを味わうということが、どれほどのことだったのでしょうか。

今、この庭の遥か下、切り立った高い崖の大地に護られているけれども、その遥か下に、荒れ狂う大波が見えます。それを絶対に安全なはずの上から眺めるだけでも、とても、とても恐ろしい、巻き込まれたら二度と帰れない、荒波のうねる海があります。その海や波でさえ、自分には恐ろしいのに、それを越えて信じられないほど高く、何とこの庭まで、波が上がってきた!!


下の六角堂に降りていた観光客が三々五々に戻ってきました。行きたくはないけれど、行かなければなりません。気を付けてすれ違いながら、ジグザグに崖を降りる細い道を下りました。六角堂 -- ここで瞑想した天心氏のこころはやはり、何と強いものだったのでしょう! -- 上の芝の庭よりさらにまた強い風、ひっきりなしの激しい波音を間近に感じます。むしろ、荒波の渦に取り囲まれているかのような、波音です。ここで、こころを鎮めたなんて、何という修行をしていたのでしょう! 

何故か、わたしがお堂まで辿り着くと、残っていた数人の観光客も、一人、また一人とすぐに上に上がっていきました。今思い返しても不思議なのですが、これほどの数の観光客が次々訪れているのに、誰しもが訪れる六角堂に、たった一人になってしまいました。


打ち砕ける激しい波、ぱっくりと口を開けたり、底なしの場所に引き込むかのように渦巻く、途方もなく大きな海しか、ありません。その激しい音しか、聴こえません。


小我としてのわたし自身は、怖いからもう上がりたい、と言っていて(足もそちらに向かっていて)、でもわたしのどこかはもう、そうしないために今、ここにいることを知っていました。

何かに命じられて、波と接する手すりを握りしめ、暗い大海と向き合いました。


五浦b
五浦c
五浦d


水平線からやってくる計り知れないうねり。高く大きな、勢いよく岩にぶつかる波。飛び散り、叫ぶ、飛沫と音。圧倒されると言うより、威圧されそうになる海の大きさ、底力、エネルギー -- 踏ん張ったとしても、比喩ではなく、わたしという人間一人は、砂粒よりも小さい、何もないかのごとくの小さな命です。


逃げ出さないで、ちゃんと見て! 感じることを避けてぼうっと鈍くならないで、ちゃんと聴いて! ひるむ構えを突き抜けて、ちゃんと対峙して!!

・・・・・


震えてくるほど高く大きな波の動き。底知れない、計り知れない海の大きさと力 ・・・・・

この波よりもずっと高い波が、ずっと激しい波が、崖の上まで押し寄せました。お堂をさらい、呑みこんだ -- 高く激しいだけでなく、今蠢いている巨大な海の水の量を遥かに凌ぐ、何百倍もの海水が、押し寄せてきたのです。強い勢いで追い進み、突進し、激しくぶつかりなぎ倒し、巻き込んで呑みこみ、さらってゆく波が、やってきました。


目を閉じたとき、恐ろしいと感じる瞬間もなく、逃げようとした自分は呑みこまれ、その勢いのまま激しくぶつかったりもんどりうったりしながら、あっと言う間もなく海水の勢いの中で(他に何がいたのか)もみくちゃになり、一瞬のうちに生きる世界をひっくり返した混沌の渦に落ち、海の暗さの中に消えました。怖いとか、助かりたいとか、何も考える間もなかったのが、むしろ救いでした。

目を開けたとき、半分は両手で手すりをぎゅっとつかみ生きようとしている自分、半分はまだ暗い海の威力の中で儚く消えた自分がいました。本当の津波を知る由もありませんが、今向き合っている海がわたしに見せてくれたことに感謝し、合掌と礼をしました。


圧倒的な海、自然のエネルギーに対して、あまりにもちっぽけ、というかほとんど無に等しい命だからこそ、今生きていることは大切だと想いました。その大切な命があっけなく奪われてしまったことに、改めてその数々の命に心からのご冥福を祈りました。

五浦e
 (津波を受けとめながら生き延びた松が、それでも、
  いや多分それ故やさしく、天上のエネルギーを放って
  いました。神のようでした)


bird sanctuary では、鳥をはじめとする生きものたちを豊かに包み込む自然を再生し、また、訪れてくださる方が自然から優しさや安らぎ、調和を感じてくださるようになっていければと願っています。雨風や寒暖が厳しかったりもしますが、人が(人もまた自然であり、自然の命ですが)自然のエネルギーと調和し、憩い、癒されることが、テーマのひとつです。

その自然のエネルギーは、本来は同時に、途轍もない力を持ちます。到底打ち勝つことができない激しさや強さ、有無を言わさず瞬間で個々の命をないものにするほどのエネルギーも持っています。

最近の自然のありようを観ると、そうした強い力や、あるいは逆に、目に見えず科学的測定で検証するのも難しいような微細なレベルで、わたしたち個々の命に甚大な影響を与えることが起きつつあるように感じられてなりません。

全てが繋がっていること忘れずに、bird sanctuary のテーマを紡いでゆこうと感じます。























このページのトップへ

Happy New Year 2013 !

ジョウビタキ

ジョウビタキ2013-2
 (ジョウビタキ K氏撮影 元旦朝2013)

明けましておめでとうございます。

晴れやかな中にも、澄んで透明な、お正月の大気のなか、濃い蒼い天空の遥か上から金色の初陽が降り注いできます。要らないことは脱ぎ捨てたので、シンプルな基本だけに還って、生まれたての気持ちで新しいことを創造していきましょう!

初めて、街中で過ごすお正月と違い、bird sanctuary で初陽を迎えました。同時に、生まれて初めて‘鳥居の内側'で迎えることにもなったので(bird sanctuary の地は、神社の麓に位置しています)、ちょっとどうなるんだろうと身構えてもいました。二日前から参道脇に出店のテントが立ち並び、大晦日の深夜あたりから、初詣の参拝客で賑わうのではと覚悟も決めていました(以前は、無理やり車を止めさせてくれと参拝の自家用車が敷地の庭まで入り込んできたとか)。が、深夜に前の道や駐車場で自家用車の出入りの音が絶え間なく続き、二、三度、‘暴走オートバイ'(?)の爆音がした他、さして混乱はありませんでした。このブログを書き始めたのが正午すこし前で、前の池をぐるりと遠くまで車が路駐し、前の道は渋滞しています。この地は昨夜、かなり冷え込んだので、近くの街の方々の多くは、日の出ではなく昼に初詣と決めたのでしょうね。

いずれにせよ、早朝の敷地内はしいんと静かで、お正月の澄んだ空気の中、沢山の鳥たちと共に初陽を浴びてお正月を迎えることができました。きりりと冷えた空気、素手がすぐに凍りつきそうになります。

この地に来てから植えて立派に育ってくれている木々、育ちつつある苗木たち、移植を待つ苗木たち、昔から立っている広葉樹の日当たりだけは確保して、あとは共生して他の生きものたちの住処を守ってゆきたい竹林、まだまだゴミを取り除き豊かにしたい土・大地、手入れしなけりゃと思ったままの草木、どうなるのだろうかと試行錯誤の畑、手入れの行き届かない場所、どうしたらいいか分からず手つかずの場所、今年こそ何とかしなければ!という課題の場所、そして常連の鳥さんたち -- その中には、怪我をしたのかからだが効かず半分人頼り(? 全く慣れてはいませんが)のキジバトさんや、野バラの樹の茂みの中が大好きな、人懐っこいジョウビタキのお嬢さん(上の写真)もいます。


2013の空

2003年あたりから、ほんのささやかなハートの sanctuary を守ろうという夢が、尊敬する師や先輩、仲間たちの励ましで3000坪を目指すこととなり(実際には、現状1400坪ですが) … これまで力を注いだ限りでは当時「理想とした」サンクチュアリからまだ遥か遠く … しかも、現時点での地球上の大規模な自然荒廃の速度からすれば、‘たかが1400坪は焼け石に水'に過ぎない … のが事実でもあり …。

しかし、‘たかが何千坪'は、同時に、‘されど何千坪'になりえる、と師が諭してくださいました。事実、今も、過去にも未来にも、遥かに先を行かれる方々の活動がありますので、‘スタートの何千坪'‘(他と繋がっての)拠点の何千坪'‘歯止めの何千坪'にもなりえます。

-- ‘たかが'となるか、‘1400坪、されど--'となるかは、人間の意識のベクトル次第です。つまり、わたしたち一人一人が今どこを向くか、です。自分自身を、自分の立つ場所を、広がりとしての時空間を、どうするかによって決まってきます。どのように感覚を開き、力を湛え、行動し、繋がり、価値観や世界観、生命観を磨いてゆくか、において、残りの人生、一歩たりとも譲ったり鈍らせたり妥協したりはしたくありません。ベクトルが豊かに美しい調和に向かっているかどうか、研ぎ澄ませてゆきましょう。

わたし自身にとっては、まずはかけがえのない繋がりを保ちながら、この地(1400坪) -- そして自分のいる場所、自分自身、から、始めましょう。


これが bird sanctuary の創立を目指した時の、最初の想いでした。2003年からでしたから、これで10年です。初心を確かめたら、新しい流れを感じて、今、新しいものを築いてゆきましょう!



お正月飾り
 (近くのホームセンター等を廻りましたが、
 自然素材だけのシンプルなお正月飾りがなく、
 どうしても気に入らなかったので、今朝即席で
 創ってみました。草刈りで手に入ったススキを
 曲げて、三つ編みにして … すぐ庭先で手に
 入った赤松の小枝・ツルコケモモの実・小さな
 お蜜柑を結わえただけ … bird sanctuary
のプレートが新年の祝いの装いになりました。)















このページのトップへ

Search

Information

sumiko

Calendar

12月 « 2013年01月 » 02月
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

Recent Entries

Recent Comments

Recent Trackbacks

Archives

Categories

Links