hearing the unheard voices

小鳥たちと対話し、自然と人とが調和できるバード・サンクチュアリを創立しています。http://homepage2.nifty.com/birdsanctuary/index.html

春分のワーク

ちょうど一週間前、春分を迎えました。

新しい季節へと開かれていく中、毎年、春分の日前後には、どこかエネルギーの良い場所に出かけたり、yoga の太陽礼拝をしたりします。が、今年初めて、他ならぬ bird sanctuary にて、新たな季節を迎えるワークをしました。

ワークと言っても、大切な仲間と互いに遠隔で、自然やそのとき感じられるエネルギーを感じて、そのとき必要だと感じたことをしよう、、、とだけ打ち合わせて、静かに穏やかにその時を待ちました。

気持ちだけは鎮めていたかったので、決めた時間まで家の祭壇の近くで静かに yoga や瞑想をします。そうして、穏やかで平和な時間を迎えました。これから巡りくる春 -- 草木が芽吹き、生きものたちが活動を始めます。豊かな大地に陽光が差し込み、水が勢いよく流れ、風が息吹きを運んできます。季節が健やかに巡っていきますように! そんな想いで半時間くらいたったとき、若緑のつる草が伸びてきて、わたしを柔らかく包んでいくようなイメージが沸きました。「何だか自分が気持ち良いばかりではなく、外に出て、緑たちとわたしも何かをしなくちゃ!」という気がしました。(あとで話を伺うと、遠隔をしていた仲間も、同じようなことを感じ、同じようなワークをしてくださっていました。)


・・・・・

家から外へ出たとき、茂みの中でゴソッという大きな音が --。

何か生きものがいます。

それは -- 吉兆です。

大きな、立派な、オスの雉でした。

見事なほど長い、ふさふさした優雅な尾羽、艶やかで鮮やかな緑色のからだ、輝くような緋色の顔 … こんなに立派な成鳥を見たのは初めてです。


「吉兆」と感じたのは、威風堂々とした日本の国鳥だからでもありますが、声こそよく耳にするものの、この鳥が目の前に現れたのは、二年半も前、気功の大先生や大先輩方が bird sanctuary に遠方からいらして下さったとき以来だったからです(その時は、敷地内ではなく、敷地が見えてくるあたりで車上から目撃したのでした)。あのとき、皆様のお力で bird sanctuary に光の柱が建ちました。


いったん身を隠したキジは、わたしがじっとしているのを見届けると、少し場所を移してこちらの様子を伺います。そうして、しばらく互いに見つめ合った後、敷地と隣の公園との境目、竹垣を組んだ辺りを登り、姿を消しました。


枯葉の中に、雪割草の花を見つけます。

yukiwarisou


光を受けて、風にさらさらと流されている竹林を通って、植えつけたばかりの櫻の苗木たちに逢いに行きました。


さらに、この地と出逢えてから植えた沢山の木々、草たちが、思い思いに新芽、若芽をつけているのに挨拶します。まだ固い芯のような芽もあれば、すでに初々しい若葉を燃え立つように開いている草木もあります。春の光を受けて、これからの季節、せいいっぱいの営みをしようというエネルギーに満ちています。


大地を踏みしめ、柔らかい風も強い風も受け止めて持ちこたえ、清い水の巡りと共に、春の光を受けて -- 。


気持ちよく深呼吸する草木や、鳥たちや、冬を越えた動物たち、冬眠から目覚めてゆく動物たちと共に、わたしも呼吸しました。

kusunoki


春分を迎え、つくばの地で退職してこの地に移り住み、沢山の想いや沢山の手をお借りしながら、はや一年となろうとしています。


未だに、見極めたかったこと、実現したかった暮らし、願ってやまない生き方からはほど遠いですが、一年の想いの詰まったあれこれの試みの中で、大切なことや、今この瞬間もっと精進したいこと、研ぎ澄ませる必要のあることは前よりはっきりしてきました。(実際に質問してくださった方がいらっしゃいますが、)これからに対して、不安や心配、(自分を見つめたり試されることが以前より多い気がしますが、その分)自己嫌悪や夜眠れないことは、正直 … もちろん、あります。(ですが、後悔はありません。)これからしていくことや、どのように暮らし、生きたいかについては、一年前より、要らないものだけはごそっと落ちた気がします。どこまで行けるかは分かりませんが、歩いていきます。


原発事故後、直面せざるを得なかったこととして、このまま進めばわたしの愛する自然は加速度化して失われ、多くの命が心痛む姿で犠牲となり、人間と他の命、自然との関係も益々空疎化していく -- これからの未来、人として生きることの希望はあるのだろうか? 人間のしてきたことの帰結としてのそれにまた人間として対峙するために、人間の知性や精神性や愛の中に、行動の中に、暮らしや生き方の中に希望はありうるのだろうか? もう一度、希望を見出すために、ここに移り、竹林や苗木や鳥たちの世話をしながら、一年はモラトリアムと決めたのでした。


希望はあるのでしょうか?

光に向かって新芽を伸ばし始める木々そのものは、希望だと想います。

新たな季節に向かって、迷いもなく命の営みを広げていく生きものたちも、それを支える自然も、希望だと感じます。


同じように、この地に立って深呼吸しているわたしという命そのものも、うまく表現できませんが、どこかしら何かしら、一年前よりも希望に近いところにいるのではないでしょうか。


ただ … ここまでの、これだけのことを帰結させてしまった人間としては、それだけで良いのか、というと、‘何ができるだろうか’‘(人間の一人として)もっとできることはないだろうか’‘この地以外の地、いえ、この地さえも危険に晒す破壊や荒廃、汚染、温暖化、種の絶滅、命の衰弱の加速度化していく現状に対してどう働いていけば有効か’に対して、観ること、模索すること、自分の足元から働きかけ行動していくことが、やっぱり足りないのだと想います。


自然と調和した瑞々しい自らの命を取り戻すとともに、人としての知性や精神性、行動力や判断力、愛や慈悲を活かして、希望の糸を交えた世界を紡いでゆく春が来ました。














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shock!! --大地の悲喜こもごも--

苗木たちの移植はほぼ終わったはずですが、注文から入荷が遅れていた野草の苗が、あと少しすると届くはずです。昔は日本の里山のどこにでも微笑んでいたはずの野の花で、だけど今は開発やら外来種に駆逐されるやらで、絶滅しつつある野草たちです。これらの植え付けが終わると、この作業は一段落して、しばらくはスコップや鋸を手にした作業から一休みのはずが … 

数日前、八郷で野鳥の森をお創りになっているS先生から分けていただいたヤマウコギの苗を定植しようとして、スコップを当てた土地で -- ガーンとなるほどショックな手ごたえが来ました。

そこは、土地を手にしたとき建てた物置小屋の後ろ … 夏でも直射日光がほどよく遮られ、上に書いたような絶滅しつつある野草たちのと幾本かの苗木のあるコーナーなのですが、スコップが地面すぐ下で跳ね返されるような硬いものに、広範囲に当たり、まったく土が掘れないことが分かりました。

う~む。。。

よくよく見ると、その土地の一部(たたみ1.5畳くらい)が不自然に盛り上がっています。

さらにスコップで土を掘り返してみると、ビニール破片がわんさか出てきて、その下にとても固い石(か、コンクリ)があります。ひとまず、苗木を植えるのはあきらめてさらに、その、埋まっているものを探るように土を掘ると -- 

どうやら、かなり大きな石(か、コンクリ)の分厚い板が、何故か透明のビニールシートに覆われて、意図的に埋められているのが分かりました。

一体いつ、誰が、こんなことを … 

・・・・・

そこに物置小屋を建てるのを決めたとき、そのあたりはコンクリの土台が小さな家一軒分くらい残されているのが(半分埋められていたので、不動産屋に紹介された時は全く気付きませんでした)分かり、その土台の半分を残して、その上に物置小屋を建ててもらいました。残り半分は、業者さんにお願いして廃品としてリサイクル法にのっとって処分していただいたはずでしたが …。

う~む、う~む …

今となっては、その土台の下にあったものなのか、それとも土台として処分していただいたはずのものの一部だけが何故か埋められてしまったのか … (問い合わせても、処分していただいたはずのものの下にあったと言われてしまうだけでしょう)。まさか、そのあと誰かがこっそり「不法投棄」したなんてこと、ないよね … それに、何故、単に石(コンクリ)の板を埋めるだけでなく、ご丁寧にビニールシートに包むなんてことをしたのだろう? (そのために、土の中に、どれだけ篩にかけて自然の土だけにしようとしてもすべて回収できないような細かなビニール破片が散らばってしまう結果となっています)。


もしもたまたま何かの理由で埋められたというだけなら、あるいはたまたまこっそりゴミを残してもいいやという人がいた、というだけなら、それは、そういうこともあるさ!で、(以前はわたしも怒っていたけれど)片づければいいだけです。

ですが … これだけではなく、家の裏手、野鳥たちとの遊び場は、今でも、掘っても掘っても、瓦のかけら(これは、ここにあった廃墟を片付けてもらった業者がひそかに大量に埋めたのでしょう)が大量に出てきます。ここ(野草を植えている場所)は、土地を手にしたときから土地に凹凸があり、その上に草が生えていたのですが、少し掘るとすぐに、お茶碗のかけら、ガラス片、大量の黒いビニール辺(分厚いビニールシートが沢山捨ててあったようです)、電柱(!)、古い古い乾電池、家電製品の一部とみられる金属片やコード、金属のチェーン、植木鉢のかけら、等々、大量のごみが出てきました。どうも、ここに住んだ代々の方がゴミ捨て場にしていたようです。

お茶碗のかけらやガラス片、ビニールひもの切れ端と思える石油系のごみは、元の畑地や裏の竹林からも出てきて … 

大地をゴミで埋めるのは、心無い業者だけでなく、土地の持ち主の方も、当たり前にしてきたこと … ??!!



土地探しをしていたころにも、ほとんどの田舎の山地、里山に、ゴミが捨てられている場所が目につき、どうしてこんな美しい自然林の中に、こんな無残に?!と悲しくなることが多かったのを想い出しました。そこに住んでいる友人に伺ったところでは、捨てるのは、多くは、何と地元のお年寄りで -- 推測ですが、ゴミを捨ててもゴミ(=もとは人間が利用したモノ)の多くは、自然に還っていた、そういう昔の風習を未だに引き継いでいるからだろう、ということでした。きっとその上に、一度誰かが捨てた場所は、どんなに美しい自然があろうとも、他の人も、捨てていい、皆で捨てれば怖くない、と勝手な解釈を重ねるのだろうと想います。

しかし、人の暮らして使われるモノが、「土」という自然に還っていった時代は遠く、今は、何を消費するにしてもそこに(包装に、体裁だけでなく「衛生上」「品質管理上」不可欠な形で)、土に還らず、一度きりで捨てるしかないもの、石油系のものも抱き合わせで消費する時代となってしまいました。

捨てる人だけでなく、こういう製品が作られていること、それをわたしも消費せざるを得ないことを、考えさせられます。



けれど、自分で土地と関わってみて、大地、土に触れ、そこで育まれる生命の営みに近寄ってみて、感じるのですが、大地はもがき、淀み、毒素や老廃物を抱えて苦しんでいます。土に還れないものを抱えれば抱えるほど、スコップを当てると、淀んだものが貯めこまれ、臭いにおいが瞬時に立ちのぼります。草木の根は張れず、土の中の様々なものを分解してくれるはずの土中生物も全く見られません。そこにあるのは、わたしたちと繋がる大地の劣化、そして最後は自然や生命も衰えて死に向かっていく姿です。


以前、笠間に借家住まいをしていたときも、程度はずっと楽だったものの、家の庭にこうしたゴミが埋まっていました。最初は、怒り、続いて、嘆くようにゴミを取り除いてきましたが、この土地に来てからは、少しでもゴミを除いて、水はけを良くし、大きな木々たちが落としてくれる葉っぱがいずれはふかふかの土を取り戻してくれると信じて、何より、わたしたちの命の大元のところで、自然が喜んでいるのが感じられて、わたしまで気持ちよくなります。


… ただ、いくらゴミを片付けて、行政の指示にのっとって、適切な形で処分したとしても、そのゴミは、どこか社会が決められた場所に堆積したり埋められたりするという事実も、忘れられません。いえ、石油系のビニールやプラスチックのゴミのように、取り決めに従って今は燃やされるとしても、有害物質のことは無視できません。ここに埋まっていた大量のゴミを取り除いて、ここを自然や命のサンクチュアリにするために、そのゴミをよそに引き受けてもらっている … その事実は、涙が出そうですが、絶対に重く背負わなければならないと想います。


本来なら、地球という星が、まるごと自然や命のサンクチュアリであってほしいのに。


suisen


ゴミを除いた後の土地に、この春は木々が根を張り、溜まった水が循環するようになり、土の下の生きものも上の生きものも元気を取り戻す -- それをイメージして、まずはこの地から、大地を甦らせましょう。その元気な姿を見ながら、それと同時に、今できることとして、ゴミの少なくなる買い物や、ゴミ、有害物質の出るのをできるだけ控える暮らしをもう一歩、進めてみましょう!!



… と、この大きな石の板とビニールの破片を掘り出しますが … 板の上の土(板は地下50センチくらいのところに埋まっています)を取り除くまでは、わたし一人でできますが、多分(いや絶対)、板はわたし一人の力では持ち上がらない -- ということで、誰か(女性でも男性でも)腕っぷしに自信のある方(できれば複数人)、通りかかったら、気合と共に、大地の人助けに加勢してくださ~い! この板は形状と材質を見た上で、可能ならゴミにせずリユースします。
















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移植SEASON (2)

春嵐が暴れています。

昨日は、北茨城のSさんご夫妻が家の裏手の‘鳥たちと対話するspace’創りを手伝うためいらして下さっていたので、働き者のSさんたちに合わせていたらぐったり疲れたのか夜も死んだように眠ったはずでした。が、夜半から、裏手辺りで枯れた竹の倒れる音や、竹たちが強風に遊ばれて乾いたカチンカチンコンコンと音を立て、朝方の地震 … 朝になって、風で濁った空気の中、異次元に迷い込んだような気持ちがしました。

そして … 腐葉土を堆積しているspaceの傍ら、何だか濡れて光るような鮮やかなものが微かな気配と共に目に映ったので … よく目を凝らすと … ぎくり!! 

昨日働いていた辺りのすぐそば、ちょうどピーナッツ・リース(3月14日ブログ)をかけた柿の木の下に、小さくて細い蛇が輪になっていました。

(このブログ … 蛇嫌いの方が幾人か読んでくださっていることを知っているので、書こうかどうしようか躊躇ったのですが、湿原・草原・藪が失われあちこちが道路で分断されつつある今、蛇も希少な大切な生きものだし、とても不思議なことだったので … ごめんなさい! 写真はUPしませんので。)

急いで家に戻って日本自然保護協会『野外における危険な生物』(平凡社 1994 フィールド・ガイド シリーズ ②)やインターネットで確認して -- うん、まあ大丈夫。赤い綺麗な模様のある、ヤマカガシです。ヤマカガシには毒がないと言う人がいますが、奥歯と頸腺は有毒で危険です。ただ、この蛇の性質は臆病で大人しく、無理やり捕まえてひどくいじめて追い詰めたりしなければ(まずは、威嚇したり死んだふりをします)、毒で攻撃されることはありません。

しかし、今はまだ3月。これまで、この土地でも、他の山に入った時でも、蛇は4~5月にならないと冬眠から覚めてこない、と思っていたのに、これは驚きです。ただ、インターネットには、気温が16度以上になると冬眠から起きてくると書いてある記事もあったので、確かに急な温度上昇は目覚めさせるほどの温かさを感じさせたのかもしれません。

それにしても、これまで出会った蛇たちは、即座に逃げたのに、あんな目に付くところでどうしたのかしら? 夜はいったん冷えたので、甲羅干し(←?)かしら? 慌てて逃げ戻ったわりに、興味が出てきて、また様子を見に行きます。少しずつ、少しずつ、近づくと -- 微動だにしません。からだも瞳もキラキラしているのに -- その綺麗なヤマカガシは、亡くなっているようでした。どうして、こんなところで … ?

不思議になって、観察したり、状況を考えてどんなストーリー、事件があったのか考えてみたりしましたが、う~ん、今一つ分かりません。推測ですが、冬眠から覚めたばかりのところを、天敵にやられ、ここでこと切れてしまったばかりのところだった -- のではないでしょうか?  天敵は -- 猛禽類、タヌキ、イタチ、テン、カラス、そして蛇の仲間のシマヘビです -- はい、テンを除いてここには全員、いますね。場所が、ピーナッツ・リースのかけられるような横に張った柿の枝の下、猛禽やカラスがとまれるような場所ですし、腐葉土堆肥の近くなので、普段タヌキをよく見かける場所でもあります。夜闇の中で、何らかの物騒な事件があり、さらに何者かに邪魔されてその天敵がヤマカガシをぽとりと落としたか、そのまま逃げたか … 。


最初見つけたときは身構えましたが、この厳しい冬越えをようやく果たせ春になったというのに … 稲わらや細い枯れ枝の束をそっと上にかけて、「天国に行ってまた生まれ変わって戻っておいで~」と悼み、祈りました。





昼からは、強風を押して、急ぎまた苗木たちに向き合います。

芽吹いている木、そうでない木 … この暖かさとなってしまったので、今春の(懸案事項を除き)大きな移植・定植は打ち止めですが、沢山の苗木たちがまだ、植え替えを待っています。そのほとんどが、これから1年しっかり根を張れるように、鉢植えのクラス替え、席替えです。

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移植SEASON最多忙な中、‘自分で自分の首を絞める’ようですが、先週末、沢山の幼木たちがやってきました。

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全て、将来性の高い子たちです。

ほとんどは、まずは鉢植えで、少し大きくなるまで育ち、その間適地を見つけながら(作りながら)、いずれ定植して、大きく、大きく、育っていく木々たちです。

これまで、‘野鳥の好む実のなる木’を中心にいろいろな広葉樹を空き地や竹を整理した場所に植えてきました。そして、一冬を越した今、気付いたこととして、まず、木の実の当たり年、はずれ年を考えるなら、はずれ年でも一冬の間小鳥が食べられるだけの実が残っているためには、まだ圧倒的に樹木が足りない!ということ。次に、これまでは実のなる落葉広葉樹を中心としてきましたが、天敵の多い鳥たちが安心してやって来られるためには、広葉樹と混ざって常緑樹・針葉樹が重要だということ(その実にも、捨てがたいものが多い)。さらに、樹木の中には、両性花のつくものばかりではなく、雄木、雌木の別があるものがあり、そういう樹種は最低二本は必要となるのでこれまでなるべく避けてしまっていましたが、野鳥の好む木として有名なシロダモのように、やっぱり良い樹は必要だということ。

もとは日本に、この地域に、当たり前に生えていた木々なのですが、それを‘植えよう’となると、まずほとんど売っておらず、また売っていても、ある程度の高さ(1m以上)となると相当高値であることが分かりました。そして、これからのこと、コスト的なこと、希望、あれこれと考えて、行きついた先が多様な幼木を扱っていらっしゃる苗木屋さんで、今の bird sanctuary にはこの子たちを育てるだけの space とエネルギーとはあるので、まずは鉢植えにして、大きく強く育てたいと想います。


ただ、、、大木となったとき -- わたしがこの世に居なくなる未来には -- この木全部を合わせると bird sanctuary の土地面積では足りない可能性もある … いえ、きっとその頃には皆が当たり前に豊かな森を欲し、多様な樹木を植えるようになっている、それにきっと第二、第三の bird sanctuary もできているかもしれない、いやきっとできる!!と信じて、幼木を育てていきましょう。


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箱を開けて、苗木を一つ一つ愛しく取り出します。瑞々しい薄緑の、それは綺麗なエネルギーがふわ~ッ!とあたりいっぱいに広がって、細胞の一つ一つまで気持ちよくリフレッシュするほどで、深呼吸して、なんて気持ちいいの!と感嘆します。‘自分の首を絞める’と書きましたが、固い種から全力で生まれて太陽を浴び水を吸って大樹となっていこうとする幼い木ほど、希望を感じ、気持ちの良い命はありません。苗木たちを迎えて、生きる希望を分けてもらっているようです。

野スミレ

野にはスミレが咲いて、

クロモジ花

移植したばかりのクロモジも小さな薄黄緑の花をつけ、

ウワミズザクラ新芽


先に鉢から植えたばかりのウワミズザクラも、あっという間に芽吹きました。











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幸運の贈り物

リース(wreath)をご存知ですか?

お花の輪っか、あるいはクリスマスに松やヒイラギやその赤い実などでドアに飾るクリスマス・リースは誰もが思い浮かべるリース(=花・葉など木の枝のついた輪、花冠)です。

でも、野鳥たちのためのリースも、あります♪


藤本和典著『庭に鳥を呼ぶ本』(文一総合出版 1995)や泉建司著『小さなビオトープガーデン』(主婦の友社 2005)に、野鳥たちのためのリースとして、ピーナッツを輪っかにしたリースや雑穀の穂で編んだリースが紹介されています。藤本氏は、解説として、

 北欧では古くから、雪の降るクリスマスにえさをとれず
 困っている野生動物のために、秋に収穫しておいた穀類の
 穂を戸口や庭木などに取りつけたり釣り下げたりしたよう
 です。そういえばイギリスのカードに、雪の庭先のムギや
 トウモロコシの穂に集まる野鳥やリスの楽しげな様子を
 描いたものがありました。穀類を野鳥にプレゼントした
 のがクリスマスリースの始まりだったのかもしれません。
                       (p.72)

と書いています。


そういえば bird sanctuary では、冬の間、スウェーデンの骨董品を扱う素敵なネットショップで出会った『優しい家族』という、扉が開く仕掛け絵を、玄関のところに飾っています。これも北欧のクリスマス近い光景を描いたものでした。

優しい家族

わたしはこの絵の題、『優しい家族』というのは、人間が動物に施しをして「優しい」というよりは、厳しい冬の間、命あるものすべてが食べ物を分かち合う喜びを感じ、皆が生きるために助け合っていく優しさの『家族』なんだというような気が(勝手に)しているのですが …


… それはともかく、近所のスーパーに地元の方が作られた‘落花生’が売りに出されていて、最初見たときピンと来ました。が、「高いなあ」と買わず(← ケチ!)、でも飛ぶように売れていくのを目にして、「もしかして美味しいのかも?」と考え直して(← !) -- 

今こそ本に出ていた、ピーナッツ・リースを作ろう!と決めました。(自分ももちろん、頂きますが …)


-- が、ぐずぐずしていたところ、ようやくこの日曜日に、家族が(← !)作ってくれました(! 済みません、わたしは手先が器用ではないので、こういうことは思いつくわりに、とても面倒くさくなります)。


材料は、地元産の落花生と、針金だけ。針金は、去年の大判カレンダーの留め具となっていた、あの、コイルみたいな芯の部分のリユースです。


peanut wreath


作ってもらって早速、嬉しくなって、吊り下げに行きます。

場所は、シジュウカラやエナガ、ヤマガラ、コゲラたちの混群がやってくる大きな木の近くの、これまでも彼らのためにヒマワリの種やマーガリン(油脂)を置いていた、中くらいの柿の木の枝です。(ただし、これまでは、彼らは大きな木を渡り歩くだけで、ここまで来てくれなかったし、人の置いた食べものには手を付けていないようでした)。脚立を出して、彼らが怖がらないように、なるべく高い枝にかけました。

藤本氏の解説を読むと、落花生(ピーナッツ)は、とりわけシジュウカラの大好物だそうで -- 彼らを意識してこの場所です。落花生一つ一つには、針金を通すだけでなく、殻を鋏でちょっと切って、中のピーナッツが取り出しやすいようにしてあります。シジュウカラは嘴が小さくて優しい形なので、こうしないとなかなか中身が取り出せないそうです。


本当は、彼らの好むエゴノキや、松、ハシバミなど、硬くて脂肪分の多い実のなる木が早く大きくなって、人工的でない形で食べものを手に入れてくれれば良いのだけれど、こんな細やかな贈り物でも、喜んでくれれば嬉しいなあ、と感じます。

はい、どうぞ!

もし気が付いたら、良ければ食べに来てね~♪



*********



翌朝、不思議なことが起きました!


朝早く、窓に何かがぶつかる音、驚いてカーテンを開けるとすぐ近くでシジュウカラの鳴き声がしました。間違えてぶつかったのかな?と心配になりましたが、鳥の姿はないのでまた眠っていると、窓のすぐ近くを小さな小鳥が行き来しています。 … シジュウカラたちです。


落花生のリースではないのですが、近くの餌台に置いたヒマワリの種を割る音も聴こえます。


お昼間、シジュウカラとよく混群となるエナガたちの群れがやってきました。家の裏手にある大きなイヌシデの木、シラカシの木、苗木として植えたエノキの木の辺りを行き来して、盛んに「ジュリ ジュリ」と鈴を打ち鳴らすような声で鳴いています。(エナガは、ナッツ類よりも虫を好み、冬は高い木の枝についた虫の卵を見つけているようです。)

それから今日まで、家の周りをシジュウカラが出入りするようになり(すぐ近くで声がし、あちこちの窓に鳥影が見えます)、エナガたちは毎日、家の裏手にいてくれています。


落花生のリースを吊り下げたせい … ?


… いえ、実はリースは未だ、手つかず(苦笑)で … 。

急に暖かになったおかげで、鳥たちの群れに変化が生じ、もしかすると巣作り候補の地を探し始めたのかもしれない、そのために、この家の辺りを巡回しているのかもしれない、という推論の方が、正しい可能性が高いのですが … (厳しい冬の間は大きな群れとなり、混群となりで、食べ物を探したり外敵から身を守ったりに精一杯だった鳥たちが、春はつがいとなって繁殖行動を始めていきます。)


でも、落花生のリースを取り付けた直後から、なぜ急に彼らが距離を縮めてくれた … ?


冷静に見れば、別の理由でしょうと頭では考えるのですが、何だか魔法が起こったように感じます。

やっぱり、どうしても、あのリースのプレゼントで、‘シジュウカラやエナガたちがわかってくれた’ように感じられます。


… ええと … ここは静かに、魔法を信じましょう。

人に無意識や集合意識の働きがあるように、いえ、それよりももっと、動物界にはそうしたものが強い、という説があります。特に、アリやハチなどの昆虫類は、‘群れ全体で一つの意識を持っている’とみなした方が、説明がつけられることも観察されています。ここで暮らすシジュウカラの一羽一羽が、リースを見て‘頭で考えて何かを判断した’という説明はつけ難いかもしれないけれど、もしかすると、落花生のリースという捧げものを通して、シジュウカラたちの意識体と、天空のどこかで微かにカチリと交信した、ということが起こっているかもしれません。


… いえ、それほど難しい説明を無理やり当てはめる必要もないかもしれません。


俊敏に、鳥たちは、鳥好きの人を見分けます。
コンパニオンとしているどの鳥と飼い主さんも、野鳥を温かく見守る庭のどの鳥たちと家主さんも、観察していることです。

わたしたちが、あなたたちに危害を加える存在ではないこと。
あなたたちを大切に想い、限りなく愛していること -- 

そういう存在であることは、きっと伝わっていきます。



落花生のリースを下げた日曜日から今日まで、シジュウカラやエナガたちに囲まれて、何だか彼らの群れと蒼い空のどこかで、細い糸で繋がっているみたい -- 贈り物をしたはずなのに、幸せの贈り物を頂いたのは、わたしたちの方だったようです。




シジュウカラ雛
  (K氏撮影 シジュウカラ雛)

















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MISSION 櫻 (3)

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白梅の花が咲きました。

二日前から一気に春の陽射しが降り注ぎ、春先特有の土埃を舞い上げる強い風が吹いています。

冬も大好きなのですが、今年は初めての bird sanctuary での冬越しに、しもやけで手がグローブの様に腫れたり、一部屋だけに集約して遠赤外線ストーブと1畳のホットカーペットというエコ生活でも光熱費が倍以上に跳ね上がってしまったり … で、温かになるのはほっとすることなのですが … 

正直、焦っています。


植えたい苗木、移植したい苗木、そのための環境や土づくり -- 3月いっぱいと思ってまだまだするつもりなのに、木々の新芽はどんどん膨らんで柔らかくなって、昨日から緑の芽をのぞかせ始めた木々が沢山あります。

春の光が濃くなり、気温も暖かになると、木々は多くの枝葉を伸ばしてできるだけ沢山陽光を受け止めようとし始めます。そのために根に溜めこんだ力を使っていきます。その力がまだ根に宿っているうちに、植え付け・移植してしまわないと、どうしても受けてしまう根のダメージに耐えるだけの力が残りません。

そういうわけで、天気・日程とにらめっこしながら、この春中に世話が必要な木の優先順位を考えに考えたら … 一日晴れて時間の空いた日が、迷うことなく櫻の最後のMISSIONに取り組む日となりました。

今度は、ヤマザクラではなく、野鳥の森をお創りになっているS先生から分けていただいた、野鳥の森生まれのウワミズザクラです。


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今回は、植える場所がここ(上の写真)だというのが、一番の挑戦です。bird sanctuary の土地は、大きく二層に分かれていて、普段苗木を植えているspace(小鳥と人とが対話する場所)や家のある場所から一段高いところに、隣の神社に続く孟宗竹の林があります。一段上がるときだけは、急な険しい山道のようなところを登らなければなりません。その急勾配の斜面は、南からの陽が良く当たる場所ですが、もともとイヌシデやシラカシの大木があったところに孟宗竹が陽射しを求めてどんどん根を張ってきて、木と竹とが陽射しを求めて絡まり合い、互いにやせ細って競い合っている場所でした。

今も斜面の多くは、上の台地に陽を入れられないまま木と竹が競っていますが、今回植える場所は、下まで降りかかっていた孟宗竹を切り払い、斜面から奥に陽射しを入れている場所です。写真のシラカシ(左の背の高い木)も、横枝が張れずに上に伸びた頭の部分だけに緑の葉っぱをつけて光合成をしていましたが、陽を入れてから、すっきりとした姿になってきました。

このシラカシの隣からやや下の辺りなら、自然の状態では日当たりのよい谷間や山の斜面を好むウワミズザクラも気に入ってくれそうだし、何よりあの木のふわりとした、光に溶け込むような白い房状の花とそこから透ける蒼空を下から見上げる嬉しさを楽しめるようになると思っていたところ … 苗木を分けてくださったS先生の口から、「あなたのところだったら … この木はあの斜面辺りが、合いそうですね」と教えていただき、密かに飛び上るほど嬉しかったです。

… ただ、難題は、この急斜面。その上、写真のように2~3年前に切ったものの、まだ土の中は絡み合うように竹の根が這ってカチンカチンに固いことが予測されます。(写真の通り、竹を地上1~1.5mほど残して切ってあります。これは、竹にこれ以上はえてほしくない時にするやり方で、可哀想ですが、地上部を残しておくと、根は水を吸い上げ続けるので、結局いずれは根から枯れてしまいます。地上部を残さないで切ると、根は生き続け、新しい若竹を伸ばしてきます。竹を間引いて美しい竹林に整えていきたい時は、後者のやり方を取ります。)

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植えるのは、定稙を待っている苗木たちの中でも一番大きい、真ん中の白い鉢のこの木。1m以上ありますが、まだひょろひょろと細いです。S先生の森の中では、大きな木々に挟まれてそのままでは大きくなれなかったので … ちょっと(かなり?)条件は悪いですが、うちならのびのび成長していくことができるので、喜んでいただいて参りました。

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上の林に上って、さあ、まず基礎です。1mほど切ってそのままとなっている竹と竹の間、自生しているサワラ、イヌツゲ、アオキなどの木々の間で、正確な位置を決めます。竹の切り株を一本だけ地上近くで切って、足場を作りました(植える場所の直下にある竹は切りません。植えた後の地盤は柔らかくなるので、雨風で緩んでもできるだけ土も苗も留まっていられるように。。。)

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予想通り、かなりの急斜面です。

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植える穴を掘ると言っても、斜面は切り株に足をかけて何とか立っていられる狭い足場 -- 土もカチンコチンでスコップの先が入っていきません。

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スコップで掘るにも、スコップの柄が邪魔になり、突き崩した土も掘り上げられずましてや斜面上のところに盛ることもできないので -- スコップで土を崩し、結局、片膝ついて手掘りです。斜面の勾配がきついので、穴はここまでで片面は50㎝の深さになっているのですが、斜面下方の面はまだ20㎝の深さしかありません。土はいわゆる山土なので、それほど質は悪くありませんが、ここでも何十年も分解されなかったらしいビニールゴミの破片が幾枚も出てきました。

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びっしり生えた固い竹の根を、鋏で一つずつ切っていきます。

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60㎝ほど掘れたところで、ウワミズザクラの鉢を上の林まで連れてきて --

さあ、ここだよ~! 日当たりも見晴らしもいい場所です。

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元の土と自家製腐葉土とを混ぜた土で、しっかりと固定して斜面でも水が流れ出ないように周辺を踏み固め、根から周囲にドーナツ状に水をかけました。ヤマザクラのときと同じように、青竹の支柱を深くうずめて、木を固定します。

固い芽のついているウワミズザクラ … 頑張って根を張って、春夏に枝葉を伸ばし、養分を存分に取り込んで、ここで生きていってくださいね~!



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その夜、根の辺りの急斜面の土が、雨風で流されないか心配になって、翌朝すぐ、根の周りに敷き藁を敷きに行きました。この藁で、急な気温低下が来ても根周囲の水が凍るのも防げます。大雨が来る前に、草の根が張ってこの辺りの土が固定されることを祈ります。







… 「復讐」という言葉は、‘木を植える’という行為にふさわしいと感じられないし、このブログで使うべき言葉でない気がするのですが …

これからの日々、(この下の土地で働いていて、)ふと見上げると、このウワミズザクラの木が枝を広げていて、木漏れ陽から透ける蒼い空を眺めている未来を想い描きます。春になると、ふんわりと大きな動物のしっぽのような白い花の房が幾つも柔らかな風に揺れて、とても、とても幸せな未来を --。


つくばに住んでいた時、そんな大きなウワミズザクラの木がありました。

時々通る、歩道橋の向こうに -- 歩道橋を渡ると、緑の葉っぱを一杯につけたその木の向こうに、青い空が透けて見えました。そこから降り注ぐ木洩れ陽を浴びて、憧れと尊敬の混ざった気持ちでその木に挨拶をしていました。

つくばに住んで間もない春、歩道橋を渡った時に、枝一面に白いふわふわの花の房をつけて光に溶け込まんばかりのその木に釘付になって、植物図鑑を調べて、「ウワミズザクラ」の名を知りました。蒼空の中で柔らかく、優しく花の穂を揺らしていた、大きなウワミズザクラ。

最初に出逢った、大好きなウワミズザクラ …


2003年あたりから、つくばエクスプレス(2005年開通)の開通のための急速な工事が進んだ時、つくば市ではあちこちで急激な山林の更地化が進みましたが(それが … sanctuary 創立へと向かっていく大きな契機となりました)、市内では考えてもいなかったほどの都市化に向けての土木事業が遂げられました。

歩道橋の近くのウワミズザクラは、ある日、突然、失われてしまっていました。

その時は、もう、すぐ引き返して散々哭くだけだったのですが、後で思い返すと、歩道橋が新しくされていて、階段に加えて自転車を牽いて通れるコンクリ斜面の回路ができていましたので、それを増設するために木が切られてしまったのだと想います。


-- 何故、全く気付けなかったのだろう? 道路を自転車が渡るためには、他にも近くに歩道橋も、信号機もあるのに、それでもあの木は切られなければならなかったのかしら? どうして、気づいてわたしは何かできなかったのだろうか? あの木があそこにいてくれることが嬉しかったのは、わたしだけではなくて、きっと歩道橋を渡る多くの人々も、同じだったはずなのに --。ああ、どうして少なくとも、いつも見上げているだけでなく、一度でいいから抱きしめて、あの木に「大好きだよ」と言えなかったのだろう!!



長い間、ウワミズザクラを植えることは、もう一度青空の中、光を浴びている木を見守ることは、その木が無意味に切り倒されることなく、守られ愛されてずっとそこにいてくれることは、夢であるだけでなく、わたしの償いでもありました。あのときの無念、人として残念な気持ち、やり場のない想い … 涙とあの罪悪感に対して … 暗い、暗い落ち込みに対して … 適切ではないかもしれませんが、ほんの少しだけ「復讐」を果たせた、と書かせてください。

そのうえで、それは、自然の草木や動物たちと調和して、何十年と生きてきた大樹に対して静かに敬愛を注ぐことのできる未来を、人として、今この地で、このウワミズザクラと一緒に、新しく出発(スタート)していきましょう!







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MISSION 櫻 (2)

翌朝は、三月初めの光の中へ、植えつけたヤマザクラを見に行きました。

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三月になった途端、一気に光の濃さが変わったような朝でした。

一晩の夜闇を越して、櫻は無事にここで朝を迎えてくれました。

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… ありがとう!!!


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さあ、できるだけ早く、もう一本の植え付けです。


可愛い苗木ですが、今度は場所的に大変な場所で育っていってくれることをお願いしなくてはならないので、朝、覚悟を決めてきました。

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植えるのはここ -- sanctuary の土地では、一段高い奥の土地で、以前は孟宗竹が手入れされないままに蔓延っていた土地でした。孟宗竹が一面に生えてくる前から生えていたらしいシデの木、カシの木、杉の木の大木があるのですが、孟宗竹が蔓延りすぎたために、横枝がはれずに上へ上へと伸びて、僅かてっぺんで陽の光を集め何とか生き延びてきたようでした。竹自体も、枯れ竹を片付けたり適度に間引いたりといった手入れがされていないため、茶色に煤けてひょろひょろに伸びていました。

平地の部分は、sanctuary の土地ですが、斜面からは神社の土地となります。この上に参道から横にそれる脇道があるので、ここにいるとほんの時折、参拝客の声が聴こえたりします。あとは、全く静かな、誰も来ない場所です。

少し陽の光を入れて、昔から立っていたであろう大木を楽にしてあげたいと、土地を手にした年に家族が竹を間引き、次いで昨年、いつも手伝ってくださっているK先生が枯れた竹や倒れた竹をチェンソーで一気に分断して積み上げて下さいました。大きな木数本が生きるスペースができて、今は風が吹きわたり、上から陽が当たる箇所が二か所ほどあります。

実は、竹を切った当初、次世代のための苗木を幾本か植えましたが、支柱を建てて支えていたはずが、昨年見に行くと苗木も支柱も消えてしまっていました。作業の途中でどこかに行ってしまったのか、蔓性の植物などに巻きつかれて駄目になってしまったのか、それとも上を通る誰かにもらわれていったのか … 普段いる場所から、シノダケのある斜面を登り、さらに孟宗竹の竹林を突っ切ってこの場所に出るので、毎日見回りに来られる場所ではないのですが、もっとよく見守っていればよかったと悔やまれます。


-- ここに植えて大丈夫なのだろうか -- という心配も、実は、胸が押されるような気持ちがするほどあります。それでも、この場所(sanctuary の土地の奥の一隅)に光が届いたら、気持ちの良い櫻のエネルギーが満ちてきたら、土地の中心を包み込むように美しい木々が息づいてきたら、という祈りもあり、何よりも今年の年頭からの直観で「ここ!」であったので、それに従うことにしました。

ヤマザクラの木がまっすぐに伸びていくことで、日々それを見守ることで、きっとまた何かが違ってくるでしょう。そして、もう少し大きくなったら、サクラの花はきっと、参道を通る方々にも楽しんでいただけるようになるでしょう。ヤマザクラは、5~6月には小さな実をつけるので、小鳥たちの雛の巣立ちに合わせて、大変な時期の鳥たちの食糧ともなります。大樹となれば、巣をかけるのにも適した樹形となってくれそうです。


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昨日と同じように穴を掘り、続いて腐葉土や落ち葉や土壌改良用の土を入れていきます。

昨日の1本を植えた場所と異なり、こちらは竹と雑木がふかふかの大地を作っているので、土もさらさらした黒い土で、ある程度の栄養分も含んでいます。掘っていくと(土がずっと良いので昨日よりは小さな穴で良さそうです)、何と、ミミズが三匹、コガネムシが三匹、土の中で眠っていて … あららゴメンナサイと植え付けのときまたふかふかの土の中に戻しました。昨日植えた場所は、ぬるぬるの粘土に悪臭、こうした生きものは全くいなかったのに、人がゴミを埋めず木々が葉っぱを落として土を作っている場所は、やっぱり違うなあ … きっと虫さんだけでなく、微生物も元気に働いているに違いありません。


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今回は、腐葉土や土壌改良用の土と元の土を適度に混ぜて、植え付け用の場所が完成です。

苗木を連れてきて、根の周りの地固めをしていきます。

ヤマザクラさん、ここなら土も風もよし -- 太陽は、てっぺんから下りてくる光だけに限られるけれど、少しずつ枯れた竹を片付けて、光を確保するからね。何より、土が良くてよかったね。


ただ ・・・・・
実は ・・・・・

この場所はまだ、限られた方しかお連れしていません。

(ここから先、個人的に感じてきたことを書きます。あくまでも主観で、しかも感じ方に頼りない面も多いです。)

この場所はまだ、ちょっと大変なのです。

自然の中に一人でいることが、わたしは怖くありません。(怖いのは、そこで出くわす人だけ、です、多分。)学生時代は、北海道の根室の原生林を一人で歩き、嵐の中だったことも雪に埋もれそうになったことも「熊が出るから」と宿のご主人が車で拾いに来てくれたこともあります(← これは、馬鹿)。旭川や大雪山の大地に腹ばいになって、ずっと大地を抱きしめていたこともあります。

sanctuary でも、支えて助けてくださる方がいらっしゃらないときは、ほぼ一人なのですが --。

この辺りは、夕暮れ時や悪天候のときは、めったに行かないのです。行くときは、決死の覚悟が必要となることもあります。 ここで作業をしていると、背中が冷たくなる、というか、ぞくっとすることが多く、一人でいるともちろん物音が耳に入ってくるのですが、何も聴こえなくても、何度も後ろを振り返ってしまいます。何だろう … あまり長いこといると、背中が冷えすぎてしまうような気になります。(昨年夏に、この土地に昔御殿があり、事件があった話を聞く以前からそうでした。)

(こういう話が苦手な方、ごめんなさい。)

実は、この日も、そうだったのですが、3月になった途端の春嵐が吹いて、前日までと外気がうって変っていました。何か、自分の心構えが一歩間違うと、ほんの僅かでも不純さや気の緩みがあると、大変なことが起こり、あたりが別世界となって、異次元に連れていかれそうでした。瑞々しい苗木を植える楽しい作業ですが、ここで作業をするのはとても勇気がいりました。修練で教えていただいていることを想い出して、天地を繋いで、自分に太い軸を作って、植物たちや動物たちと繋がれるところに自分をチューニングして作業を進めます。ヤマザクラの苗木を植えて、ずっと見守ります -- ここの自然が本来の姿になりますように! より多くの命を優しく育くみますように! とお正月に感じた、この土地の白い優しいエネルギーに向かって(1月8日ブログ)、祈ります。

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細くて華奢なからだながら、ヤマザクラの木は、土地にしっかりと安定してくれました。

1年後、2年後、3年後 … 10年後、そして、ずっと先に、この木はどのように成長し、辺りはどのようになってゆくのでしょう。


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しっかりと支柱を建てて … リボンで結びます。この赤いリボンは、わたしが普段いるところからはやや距離がありますが、このヤマザクラと繋がっているためのしるしです。


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地面もしっかり固定して、稲わらを敷き詰めて、お水を流して、この苗木を一人でおいておくのに忍びないような気持ちのまま、竹林を出ました。

入口の所には、少し光が入るようになって、植えた訳でもないのに眠っていたヤブコウジが大きく育ったようです。赤い可愛い実をたくさんつけていました。


竹林を出て、ヤマザクラを植えたあたりを仰ぐと -- ハートでしっかり木と繋がっているのを感じることができました。(ちょっと、テレパシーみたいです。)少し安心 -- あの子はあそこで護られているのを感じることができます。






追記 -- ちょっと抽象的ですが、何故か書かずにいられないので … 

「光を入れる」ということを随分書きましたが、あらゆる闇という闇を駆逐して‘すべてを光にしたい’と想っているわけではありません。光があれば影が伴い、光もあり闇もあり、というのが創立している sanctuary の姿となるでしょうし、それこそが希求していることなのだと想います -- ちょうど、生きものたちに触れていれば、鬱蒼とした暗いところや地中を好む生きものも、夜闇の中で活動する生きものも、明るいところや太陽を好むものと同じく、沢山いて、それでこそ豊かであるように。

「光を入れ」たいと感じるのは、ここで書いた例では、「里山」として人が本来手入れして(片づけたり間引いて)いたけれども、放置されたままとなっているために、太陽の光が得られなくなってモガイテイル植物たちを「里山」本来の姿に戻すための試行錯誤や、闇として留まらざるを得ないでいるけれども本当は癒されて天に昇華して光の中に消えていきたいナニモノカに対してのことです。それらさえも、どうすればいいかの答えは一つではありません。そして、実力がなくてできないでいることの方が多いです。

限られた土地ですが、光を嫌う植物が生きられる日陰や、鳥や動物たちが隠れる場所は、常に確保しながら作業します(… というか、手が回らないし … 。)夜行性の生きものたちについては、もっと勉強しなければなりません。

陽の当たらない影の部分も、都会とは違い照明の一切ない暗い夜闇も、かけがえがなく、また美しく感じます。

ここには、そのような夜闇の空に浮かぶ満天の星もあります。










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MISSION 櫻 (1)

ヤマザクラの苗木が、昨日届きました。


関西の、無農薬で大苗を販売している農園に注文していました。日時指定ができないようだったのですが、おりしも一昨日夜から雪の予報が出て、まさか昨日に届くとは思ってもいませんでした。しかも、大きな苗木は運送業者さんの規定で「午前中指定は無理」と書いてあったので、朝8時の到着!に仰天しました。 業者さん曰く「朝早く済みませ~ん! 通りかかったんで … 」 -- でも、苗木本人(=本木)の気持ちになってみれば、掘り上げて梱包して運送されて … できるだけ早くその負担を減らすために早い到着は何よりのことです。

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2M近い大きさで、思ったより大きい苗木たち。2本一緒に丁寧に梱包されているようです。とり急ぎ、陽が当たって水分が蒸発して負担にならない日陰に置きます。う~ん、落ち着いて敏速に移植の段取りを考えねばなりません( … = 本来なら、届く前に、移植する場所に穴を掘って土を漉き込むなどしておくべきでしたが、注文して2週間以上かかると思っていたところ、届くのがほんのすぐだったのです。)

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とりあえず、荷解きして木の状態を確かめます。木に負担が少ないよう、丁寧に梱包されているようです。

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どちらも、すらりと優美な、二本の苗木です。

植える場所の候補は決まっているので(今回は構想として、お互いが離れた場所なので)、どちらがどこに行きたいかを感じ取っています。

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候補となる一本を定めて … まずは … 物置小屋の斜め裏手の場所(訪問してくださる方どなたも、すぐに目に付く場所です)に穴を掘り始めます。実は、この場所すぐのところにクロモジの20センチほどの苗木を植えていたのですが、土と相性が悪いのか日当たりのせいなのか、うまく生育していませんでした。小さな苗木なので、このクロモジが育つ場所は後日見つけることにして堀あげて、植木鉢に移しました(ヤマザクラは大きく育つので、半径2M以上のところに他の木がない場所に植えたいです)。

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穴を掘っていきますが、結構難航しました。少し掘ると、写真の通り、カチンカチンの土の下から粘土質のぬるぬるした土の塊が出てきて、しかも嫌な悪臭がします。この悪臭は、ゴミが埋まっている場所特有のものであることが、経験から察知されます。予想通り、ぼろぼろのビニール破片多数と、陶器のかけら、そして腐らずそのまま残っていた家の基礎に使ったらしき太い木片の塊が下から出てきました。

昨日は暖かく、でも真冬と言っていい季節なのに、悪臭とたまった水の匂いをかぎつけたのか、何と(越冬していた?)やぶ蚊までやってきました!

この土の状態だと -- 考えていた(幅と深さ 50~60センチ×50~60センチ)の倍近くは大きな穴を掘る必要がありそうです。

どんどん、どんどん、掘ります。休み休み土にシャベルを充てないと、あとが大変なので(腰痛と右手のしびれ)他の作業と織り交ぜて進めていきます。


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穴が掘れたら、掘り出した土は使わない方が良いことは明らかなので、ここはまず、新たな土と土壌改良剤を思い切って投入です。この辺り、水はけがとても悪く・土壌の栄養も少ないので、自家製の大量の腐葉土と落ち葉を投入します。続いて、パーライト、ゼオライト、ピートモス、バーク堆肥、鹿沼土を混ぜ込んで、水はけを良くするのと同時に、有用微生物が沢山息づいて周囲の土も活性化させていくのを期待します。少なくとも穴の分だけでも、ふかふかの土にして、根高(=土の高さから高いところに苗木の根が来るようにすること)で植えつける必要がありそうです。

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主幹がまっすぐ天空を刺すような樹形をした子は別地に回し、幾つかの幹がふわっと空間に広がるような形をとったこちらの子が、この地にふさわしいと感じました。綺麗な柔らかい櫻のエネルギーを周囲にふわりと広げてくれそうです。

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信頼している農園だけあって、根の部分がしっかりと麻布で巻かれて保護されていました。麻布で根が守られたまま、土に植え付けます。

穴を掘って良い土をふかふかに入れた上にそっと置いて、苗を持ち上げて何度か置く向きを確かめます。南向き、北向き、等々、全体の向きをどの方角に置いたらいいかの判断もありますが、それよりも、ピタッと決まる位置があり、苗木自身がはっきりと自分の枝をどの向きに延ばし、根をどの向きに張りたいかを決めてくれるように感じます。

根の周辺に良い土を足して、柔らかく踏み固めて、半径20センチくらいのところを溝のようにドーナツ状に踏み固めて、そこに水を流します。天気予報では、近々雨が降るので、この土壌ですもの、水浸しにはせずにバケツ一杯分だけ、そっと水を流します。

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麻布でコンパクトにまとめられた根の場合(しかも根高に植えたので)、風で倒れないように支柱が必要です。

ちょうど、大きなシデの木の周りに絡まっていた真竹を切って分断したばかりなので、これで支柱を作ろうと思います。

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気功の大先生から賜った竹伐り専用の鋸と、大きな鉈で、青竹を適当な長さに分断し、枝を払い、竹の先を土に差し込みやすいよう斜めの切り口にしていきます。もう一本のヤマザクラの分も合わせ、支柱を作っていきますが … ふ~ッ 山仕事になれた先輩の男性の手つきを見るたび、鉈づかいが絶妙!と感動するのですが、力の入れ方や手首の柔らかさ、竹への鉈の打ち込み方など、道具に対しても、竹に対しても、わたしのやり方は、まだまだ全く技になっていません! 枝は綺麗に払えないし、竹の斜め切りなんてもっての外だし、手首は痛くなるし … でも、1年前、2年前と比べて、格段に上手にはなっています。

修練の場では、様々な武道の達人の先輩がいらっしゃり、計り知れない身体技法を感じることもありますが、鉈や鋸がわたしにとっては「真剣」です。

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しっかりと支えてくれるよう、地中深くに差して --

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さあ、この稲藁も解いて -- 
やっと、のびのび枝を伸ばせるからね~!

この藁は、水を流した辺りの土が凍ってしまわないように、根の周辺に敷き詰めましょう。

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藁をほどくと、ヤマザクラの苗木は、外科手術のような根の堀あげ、梱包、運送、etc.と、ずっと、緊張と必死の想いと窮屈な思いに耐えていたところから解放されたかのように、枝をぷるるんと揺すって深呼吸したかに見えました。

すでに、沢山ついた木の芽が瑞々しい成長を始めています。葉と花とが同時に芽吹くヤマザクラですが、根がまだ安定していないこの春、木の成長を慎重に見守っていかなければと想います。




土の状態が悪くて、思ったより手間取ってしまいました。

昨日は、夕方からつくばでヨガ練習のある日で、あとの一本は、翌日に持ち越すことにしました。ここまでで、すでに足腰と右腕がガタガタ、ボロボロです。根元にも十分に水分があるし、芽吹き前の状態なので苗木は明日の植え付けで十分大丈夫ですが、ここで中断することにこころは残ります。でも、急いて疲れたときに行ってよい仕事ではありません。


… MISSIONは、明日へと続きます。










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