hearing the unheard voices

小鳥たちと対話し、自然と人とが調和できるバード・サンクチュアリを創立しています。http://homepage2.nifty.com/birdsanctuary/index.html

「希望」という key word

輝く未来が観えるなら、全力疾走ができます。

クサボケ
 (クサボケの花 K氏撮影)


4月22日はアースデイでした。

わたしたち皆が暮らしている地球の日。

大震災に遭遇し、自然災害や社会機構に強い危機を感じ息を潜めていた二年前からここまでで、身近なところ、報道や個人メディアでクローズアップされることを振り返っても、歩みは人それぞれとなってきました。

環境に思いを寄せる方々の、その寄せ方も、今は人それぞれです。

震災直後に、ここから生命を優先する時代が来なければと意志を固め期待を膨らませ、けれどもその後の社会状況を目にして -- それでも揺るぎなく不屈の活動を続ける方々、あるいは、失望や絶望 … そこまでではなくとも閉塞感や圧迫感を感じ、そこから模索する方、新たな活動を始められた方々 … 目指す目標や方向は様々で、そこからどう歩むかも、人それぞれかもしれません。


-- まずは、自分から。
 自分から変わっていこう、答えを生きよう、今できることをやっていこう、と自分から始めることに集中する歩み方。

-- やはり他者や現状の社会に手を差し伸べたり変えたりしなければ。
 社会機構の変革を目指そう、社会の問題点をより鋭くえぐって伝えていこう、大切なことを呼び掛け仲間と共に集まり共有していこう、手を差し伸べられる他者(人であれ、その他の生物であれ)に少しでもできることをしよう、等々と、社会や他者に可能な働きかけをするのに力を注ぐ歩み方。

とても荒いですが、一見すると、その両方を選択する方やヴァリエーションも含め、自分からか、他や社会からか、という違いのように観えます。




ここのところ、自分自身に関しては、こうしたことの根底に、また別の大事な違いが潜んでいるのではないかと、気付きました。大震災が直接の契機となって退職して1年、もうモラトリアムは許されないぞと再出発を目指しつつ、スタートエンジンがかかりにく自分を問い詰めてみてのことです。


杏花
 (杏の花 K氏撮影)

こころの底で結晶化していたのは、やっぱり、「希望」という key word でした。


鳥たちはいつか、森や草原や海といった生きる場を奪われるのを止めてもらえるのだろうか。巨樹や大きな木々が切り倒され、森が失われるのが止まる日が来るのだろうか。大地や水や空気の汚染が進むのをやめることができるだろうか。命が、自然に沿う、という姿ではなく、無意味に、無駄に、目に触れるところ、触れないところで失われる、ということがない方向に軌道が変わることがあるのだろうか。

地球環境がこれ以上危機的にならない、希望があるのだろうか。失われつつある自然や奪われつつある生命が真の意味で再生されていく、希望があるのだろうか。これまでの人間のしてきたことによる影響下、再び生態系のバランスが取り戻される、希望があるのだろうか。

地球に、他の生命と共存できる、人の未来があるのだろうか。人間自身に、その頭脳を自らの環境やずっと先の世代や共に生きる生きものたちのために有効に使える可能性が残されているのだろうか。人間の‘進歩’と、人の精神性や人間性の豊かさや深さ、多様性とが、手に手を取り合っていける日がくるのだろうか。



奇しくも20日、東京農大森林総合科学科の研究者の方が、福島の森林の放射能を独自に調査され、除染されても二か月で濃度が戻ってしまう、場所によっては林野庁の安全基準だが、数万から数十万ベクレルに汚染されている表土もあるという結果を講演されています。今後の除染方法や対応を考えなければならないのは勿論のこと、ここまでの結果が出ても、これが連関する生態系や周辺の自然に与える影響、動植物に経年的に与える影響は見守っていくしかありません。(後処理の問題と、それが与える影響については尚のことです。)

    *日をおかず、4月30日、生態系の異変調査結果が出ましたね。

(事故地から100~110KMのこの bird sanctuary の土地では、現科学が提示してくれることを越え、直観に従ってローズマリーの木々を植えたり、これという石や土を配置する、菌類・酵母類の助けを借りる、祈る、等々、直観やご縁で得たことを試み、経験を積み重ねていくしかありません。後悔がないように行動して、結果はずっと後 -- もしかすると死後 -- しか見えないので、引き継ぐ命たちのためにでrきる行動をするだけです。)


さらに --。先のブログに書いた、環境に良い暮らしを探る上での大先輩、北茨城のSさんからの手紙に「今の話題は、政治、経済、原発に限られるようになってしまったが、それで、地球温暖化や、異常気象・災害が多発する現象やその原因を誰も顧みなくなってしまった」という嘆きがありました。Sさんご夫妻は、お若い頃、何年も南洋諸島に農業指導のお仕事に行っていらっしゃり、まさに「北でやっていることのせいで、沈んでいく南の島々」にたくさんのご友人を持っていらっしゃり、それが現在の暮らしの一つの動機ともなっているようにお見受けしています。蒸し風呂状態の南極、溶ける北極の氷、世界各地の旱魃、砂漠化、ハリケーン、台風、地震、雨や風や海流の汚染や異常 … 生態系の異常、それと並行しての人為的な陸と海の乱獲、種の混入、多様性の減少と絶滅、遺伝子操作 … 人為的な乱開発や汚染 …。環境問題が原発だけだったら、代替エネルギーの育エネに賛同する方向があるのですが、本当の意味の省エネ、エネルギーを使わない暮らしは、経済効果を生まず「昔の暮らしに戻るなんて!」という反応にもアピールできず、声はかき消されているのかもしれません。

ヒヤシンス
 (ヒヤシンス K氏撮影)


「希望」はあるのか、と問うとき、古いと言われそうですが、1970年代の環境運動 -- 高度成長期の後に叫ばれ始めた「公害」やそれに抗する市民運動、その思想的背景の一端を担った‘宇宙船地球号’や‘gaea思想’という、地球という限られた資源を持つ星に同胞として住んでいる人間たち、そして他の生命たちに向けての意識が促され、新しい社会を求めて行動することが促されていたムーブメントを想います。と言っても、わたしが環境に目覚めたのはミレニアムを過ぎたころですが、それでも、確か大学の授業なんかではそのことがリアルに語られていたし、勉強する中で興味があった自然食などを食べに立ち寄った東京の下北沢とか西荻なんかではその残り香がしていたのかしら、と今になって思います。あの頃活躍した方々には、真の意味での知的エリートと呼べる方や、現代の文化にはいないような幾つもの領域を横断する知的活動のできる巨匠がいらしたと想います。

そして、bird watching に打ち込む中で当時の‘公害’によって、浜辺でゴミや油にまみれる鳥たち、森林伐採で行き場を無くし減少しつつある鳥たちのことを知らないわけではなかったけれど、20代前半まで内面の解決に精一杯で「悲しいもの、傷つくことは見たくない」と見過ごしてきたわたしが、目を開いたとき、70年代に活躍された先輩方のお話を伺う機会を持っていたならどんなに良かっただろう、後に続くのに無駄がなかっただろう、と繰り返し思ったものです。そのとき活動していた方々に関して本格的に調査したわけではない、いい加減で主観的な把握ですが、ゆるぎなく活動・表現されている稀有な精神力を持つ方がいらっしゃる一方、多くの方は、地球の持続的未来のための活動が‘たとえ正しいことであっても’、社会は、多くの人は、それを理解し選択せず、経済発展と消費の豊かさ、暮らしの便利さを選択することを目の当たりにし(これがバブル時代ですね)、活動から徐々に引退されてゆきました。諦念から、山奥に籠られたり、ご自身の表現活動に戻られたり、人に半ば失望しつつ静かに暮らすことを望み、原野であろうと都会であろうと、様々な形の遁世に入った方のことも文献では知ることができます。無意味な巨大ダム建設に反対して、その運動に敗れたときに、自殺された方のことも知っています。

(70年~80年代に活躍された、エネルギーに満ち溢れた、人間的にも大きかった方々が、精一杯やって、失望や絶望のうちに挫折したなら、それよりも環境破壊が進みそれを打ち破る手だてが少ない現在、わたしたちにどうしろって言うの?とも、言いたいですが、逆に、わたしたちが諦めたら、後の世代が、今よりひどい目に合うのも、観えていますよね? そして、この50年の環境破壊の進度は、それ以前のものの何倍も大きいので、責任は重大だと言わねばなりません。)


震災後、「新しい未来を創っていく」という想いで、多くの方が軌道修正したり、活動を立ち上げたり、交流・コミュニケーションによって想いを共有することがあったと想います。環境、自然、人道、社会、動物愛護、精神的な救済、等々、に関して、頭が下がる目覚ましい活動をされている方がいらっしゃり、また、それに何らかの形で共感し活動参加していく方々も、増えたのではないかと思います。

ただ …

社会全体を見たとき、「一見して、(茨城県の震災被害を受けたこの辺りの話ですが)人々は立ち直りかけているのだけれど、少し明るさを取り戻しかけているのだけれど、見たいものしか見ないという傾向や、どうすればいいのかに対する混迷や、不安や行き詰まり感・閉塞感を抱えたまま、多分もう今世では消せない‘底のない暗さ’を抱えたまま、とりあえず何かをしなければと感じてはいるよね」 -- というのが、最近先輩と一致した見方なのですが、わたしたちは未だ、より深く、混迷の中から出ていないのではないでしょうか。


希望は、ありますか?



… これまで大切にしてきた、指標があります。

まず、国際的なチンパンジー研究者で環境保護活動家である Jane Godall 博士が述べている、四通りの地球の未来への希望です。今後の地球のエコシステムや野生生物、そして人間の未来の予測をするなら、次の1000年間に希望はないと思われるようなデータばかりでありながら、彼女は希望を持つと言っています。その理由として、①ヒトの脳、②自然の回復力、③世界の若者に見られるエネルギーと意気ごみ、④人の不屈の精神、が挙げられています。①として、環境が悪化し、ますます多くの人が問題の核心に気づき、理解すればするほど、「地球サミット」などの国際的活動や「グリーン化」をはじめる企業や組織など、責任を感じて多くの活動が生まれており、また、②として、チャンスさえあれば、また必要に応じて手を貸せば、驚くほど自然は、回復する力を持っていることを示す事例が幾つもあることです。さらに、③として、世界の若者たちの自覚と関与とエネルギーがあり、Godall 博士はその支援としての運動に活動家としての多くの時間を割いています。最後に、Godall博士は世界中を旅行して、「不屈の精神を持った奇跡のような人たちにたくさん出会ってきた」ことを④番目の希望として挙げています。不可能と思われた課題に挑んで、夢を現実のものとした人びと … 重い障害を抱えながら他者を鼓舞するほどの生き方をする人々、静かに、しかし断固として他者(人であれ動物であれ)のためにいのちを投げだした人々、そういう人々が現に身近にいて、沢山のエネルギーを分け与えてくれていると、彼女は言っています。(参考: ジェーン・グドール 『森の旅人』 角川書店 2000年 原題はまさに‘Reason for Hope’-- 希望を持つ理由、です。)



一方、希望があってもなくても、マルティン・ルターの名言のように「たとえ明日世界が滅亡しようとも、私は今日、リンゴの木を植える」(自分は自分の生き方、信条、命、を貫く)ということも、わたしには真実です。苗木を植えているので、この名言と似ていますが、「たとえ山の反対側でブルトーザーが木々をなぎ倒していても、わたしは今ここで一本の苗木を植える」ということは、 bird sanctuary 創立を始めたときから指標でした。


・・・・・・・

そんなことをさらいながら、「希望」という key word について、自らの内面の光の当たっていなかった面に気づいたのです。


震災後の方向性として、自分からか、他や社会からか、と書きましたが、それよりも今、ここにきて、わたしにとって深いのは -- 「希望」に対する次の二つの方向性です。

 「(はっきり言って)地球や人類の未来としては今は、
 希望が見つからないけれど、自分が生きている間だけは
 後悔しないように、恥ずかしくないように、できる限りの
 ことをしよう(頂いた自らの命を活かすために)」
 という意識の方向

 「まだ、地球や自然や命の再生を信じる。そのための
 人の力や愛を信じる。自分も一緒にそのために精一杯の
 ことをする」という意識の方向。


要するに、諦念して進む方向と、信じて進む方向です。恥ずかしいですが、震災・原発事故からここまでの間、わたしは、表面的には後者でしたが(自分でもそう思っておりましたが)、深層意識では前者でした。「ここで」一本の林檎の木を植えつつ、「山の向こうで」ブルトーザが木々をなぎ倒していく勢いや止めようのなさ、止められない無力感に、恐れ戦(おのの)いていました。看板に掲げた「希望」を、本心の底の底から、信じているとは言えませんでした。それで前に進むエンジンがかからなかったんだと想います。


bird sanctuary で、森を再生する仕事、鳥たちや訪れてくださる方々にとっての sanctuary といえる空間を創る仕事に従事しながら、一方では、生きている間はできるだけのことをしよう、でも、辛いものや悲しい事象はもう見たり知りたくない、できるならば静かに穏やかに引き籠りたい、という想いと、少しでも聞こえない声、見過ごされている命を聴きとり、感じ、できるだけ繊細に寄り添いたい、という想いと、が両方混ざっていました。多分、実際には、身近な鳥たちと対話したり、苗木を植えたり、傷ついたり飢えたり行き場のない鳥たちの助けになることを工夫したり、そのための勉強や聴き取れたことを伝える努力をしたりと、することは同じなのですが、諦めや怖れのうちにするのと、希望をもってするのでは、大違いでした。


山の向こうから、ブルトーザーがやってきて、この苗木も潰れてしまうかもしれない … と怖れながら、木を植えることは

空に向かって、これから百年以上の年月に向かって、巨樹となることを目指している苗木に対して

可哀想だし、失礼だし、真なる行為、聖なる仕事ではありません。


また、それでは、誰一人、一緒に植えたいとは感じてくれないでしょう -- 木を植えることは、本当は誰にとっても素晴らしい、聖なる仕事なのに。



希望は、こころになくてはならないものです。


もっと軽やかに真剣に繊細にシャープに、ここで、自分の一本の苗木を植えることに全身全霊を傾ける必要があります -- 山全体が森となり、森が続き、風が渡って、川が歌い、海へと流れていくことは、一本の苗木の未来を信じ生き生きと想い描けていてこそ、現実化します。


信ずることは、どれだけ信じるための証拠が目の前に積み重ねられていても、そこからどう感じるか、自分のこころの力が十分働かなければ、信じることはできません。だいたいの場合、信じるための証拠も、諦めるための証拠も、目の前にあります。逆に、諦めるための証拠が、たとえ山積みされていたとしても、こころの力が働けば、信じることはできます。それは、妄想ではなくて、多分強靭で豊かな想像力、そして、そこから実際に現実を描いていこうとするエネルギーがあるから、信じるのだと想います。


「希望」は --


過去に起きた現象の中から、誰かが取り出して、与えてくれるものではありませんでした。

むしろ、ここから創り出すもの、しっかりした直観力と洞察力で想像して、今この瞬間の行動で表すのでなければ、実際に、希望なんてないのだと想います -- 生まれたての純粋さと、最も円熟した知性と品格で、未来を信じるのでなければ。


21世紀のこの混迷の時代、ものすごい、甚大な、強力なこころで、描いていく必要があるのかもしれません。(え? どうしたら、そんなこころが持てるかって--? う~ん多分、まだ掴みかけですが、そちらの key word は、愛です!! ‘愛を想い出す’ことです。)


希望は、自分で生み出すものでした。

それだけのエネルギー、パワー、ライフ・フォースを沸き立たせて、未来を紡いでいきましょう。





タチツボスミレ
 (タチツボスミレ K氏撮影)

 
 植えて見よ
 
 花のそだたぬ里はなし

 心からこそ

 身は癒(いや)しけれ

        (良寛)









 







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あなたと table で。

MISSION 櫻(3月1日、2日、9日ブログ)のご褒美なのか、北茨城のSさんから、お願いしていた table が届きました。

何年も前になりますが、北茨城の山里で、ご自身で家を建てられ、ゴミを出さず電化製品を極力置かず、暮らしのものをご自身で作られ‘家にあるものがいずれ土に還’る‘始末の良い暮らし’を営まれているSさんご一家をお訪ねして、それ以来、ずっと生活の師匠としてお世話になっています。お邪魔した折に、家の真ん中に薪ストーブとどっしりとした手作りのテーブルがあって、そこで色んなことが営まれていて … その暮らしに(とても追いつかないながら)憧れました。樹木の精が生き生きと感じられる、輝いて息づくようなテーブルを囲んで、それがご主人の手作りだと知り、息をのんだものです。

ご主人は、時折訪れる海外のお客人が「生粋のナチュラリスト」だと太鼓判を押される方で、土(野菜や小麦づくり)や木(ご自身の家から家具、トレイなどの木工製品づくり)にいつも静かに向かわれているのですが、bird sanctuary を創立する土地を探して、笠間に一年間仮住まいをしたとき、思い切って似たような table を作っていただけないか、お願いしてありました。

それが … 笠間の土地探しを諦めたころに見つかったこの土地で、9年も誰も住まなかった古い家は全くの日本家屋、どの部屋も昭和初期風の和室・日本式住まいで … なので、table のある暮らしなど忘れかけていたところ、table がそろそろ出来そう、というお知らせを頂きました。

わ、どうしよう、襖で区切られた狭い部屋の古い畳の上に、大きな木の table ? に、椅子? 洋の暮らし?? 解決案を求めて頭の中がぐるぐる回転しましたが、ここに来てくださる大勢のお客様も家族もわたしも、table をゆったりと囲んで脚を伸ばせるに越したことはありません。仲間たちと一緒に yoga のスペースとしてここと使うときは、畳の部屋が広がっていた方がいいのですが、研究や勉強の作業に打ち込むためには、table は強い、強い味方で -- この4月から新たにした決意の、渡りに船のようです。



Sさんご夫妻とあれこれ相談して、はっきり言って未だ仮住まいのままだった家の使い方を改め、わくわくと準備をして --。当日は(もう二週間以上前ですが)、ここでの暮らしの細々でお世話になっている気功の先輩のAさんも同席されて、‘一世一代の table’が届きました。


table1

どっしり大きく、堂々とした table です。

材はヤマザクラ -- 以前お願いしたときに、木の命を頂いて使わせていただくなら絶対同じ種類の木の苗木を植えよう!と決めていたのですが(そのときは、ハナノキ --メープル系-- をSさんが候補に挙げられていたので、ハナノキの苗木も探したのですが)、そんなことも忘れていて -- 結局、MISSIONで苗木を植えた、そのヤマザクラの材で作られた table がやってきてくれました。


椅子を引くと畳を傷つけるからと奮発したお洒落なラグも準備できて、古い日本家屋のひと部屋が全く変わってしまいました。

この部屋は、気功の大先生と大先輩たちが以前御柱を建ててくださった、家の中心となる部屋です。

table2


table3


“'simple' is the best”の良い意味の'simple'と形容するのがぴったりな造りですが、実は非常に精巧で緻密で繊細な計算と論理と、“時間を読んで待つ”ことを経ています。

Sさんが運んでいらした時、普段は無口なご主人が「これから面白いものを見せますよ」と珍しくユーモアたっぷりに仰ったのですが、テーブル板を支える台は、片側を設置すると片側が斜めに跳ね上がるほど、捻じれていました。その上に、重たいテーブル板を置き、二か所を楔で固定して、ちゃんとしたテーブルとなりました。


実は、お願いしたとき、とてもシンプルなものを望んでいることと、「(わたしは)木が大好きだから、なるべくそのまま … 自然のまま、その木を感じるような、その木の特性が活かされて、木が木らしくあるような感じがいいです(だから、まっすぐでキレイナ無垢材を好む方もいらっしゃるけれど、節目とか、年輪とか、その木が生きてきた証を想えるような木の癖はわたしは好きです)」とお伝えさせていただいていました。Sさんも、共鳴してくださり …


table づくりに三年もかかったのは、ご縁のあったサクラ材が、予想したよりも癖が強くて、‘暴れる’材だった、曲がったり撓んだりするだけでなく、捻じれるような癖があったため … いったんテーブルとして組んだけれども、テーブル板(三つの材を並べて出来ています)がどんどん捻じれていってしまい、それを馴らすのに三年かかった、下の台を大きく捻じらせることで、上の板がまっすぐになるように強制されるまで待った、台を繋ぐ一枚板がしっかり両者を支えているので、もう大丈夫 … と説明してくださいました。「こんな作り方は、(職業にしている)専門家は、しないだろうと思う (笑)」。


その、Sさんの仕事 -- もう、頭を下げたまま上がらないのですが -- と、ヤマザクラの木の「気高い」としか表現しようのない風格、エネルギーに、まだ気持ちをどう表せるのか分からないのですが …。木の命が新たな命としてここに来てくれて、この場所は圧倒されるほど変わりました。(正直、もう二週間ですが、ようやく、ほんの少し、慣れた、と言えるかな、という感じです。) 木にも、Sさんにも、深く感謝しつつ、それが活かせるかな、という重い責任を背負った気持ちです。


いえ、本当に、どうしよう?!という感じだったのですが、訪れる方、訪れる方、絶賛してくださってアドヴァイスを下さって -- 一つ気付いたのは、何かをこぼしたりシミになったりもそれも味わいと考える主義をとろうと決めていたのですが、「自然な仕上げということで、うっすらと蜜蝋ワックスを塗っただけですから」「あとは、お好きに、手入れを楽しんでください」「これから長いことかけてこのうちのテーブルとなっていくのが楽しみね」とSさんご夫妻が仰った table は、長い間、捻じれがおさまるのを待っていたために、木材としてかなり乾燥しているらしいのです(皆様、‘自然派’で、蜜蝋塗布を進めてくださいました)。


無垢材は好きで、(高額なので)小さな食器などで手にしたことはあるのですが、改めて調べると、塗装にもいろいろあります。まだ勉強中ですが、木材は水分を吸い込んだり溜めたりで劣化する可能性があり、そのため塗料が使われますが、ウレタンなどの石油系の塗料のほか、日本で古典的な漆を塗ることやオイルを染ませること、そして蜜蝋を塗ることがなされているようです。これまで手にした食器類は、最初知らなくてウレタン塗装のものも買ったことがありますが(それはそれで、利点はあります)、のちに‘木の自然’(そして、使って使って‘健康な土に還ってゆく’ことともっと向き合いたくなってからは、オリーブオイルを塗って手入れするオリーブ材のサラダボウルを一生ものとしてもっています。



今回は、家具なので -- 初めての蜜蝋にチャレンジです。

が、これが … はまってしまいそうなんですよね~!

テーブルのこの表面が、

mokume1

蜜蝋でそっと撫でると、

mokume2

ね?!? 年輪のような木目が美しく際立ってくるでしょう?

そして、手触りもつやつや滑らかに変わります。

… もう、暇さえあれば(暇がなくても?!)、蜜蝋を手に木の肌にそっと柔らかく撫でてしまいます。何だかそうして、この木と交流できて、木を感じることができて、ほんの少しずつ少しずつ、table と繋がっていけて、そうして、table を使うことを許してもらえそうな気がします。





自家製の全粒粉(精製していない小麦の粉)で、美味しいパンやお菓子を焼き、環境に配慮して身近な食材で健康的なお料理やお菓子づくりの先生や、暮らしについての講習会をされているSさん(奥様の方)に、「さあ、テーブルが入ったから、これで(わたしたちの出番も)ひと段落ね」(← そんなこと言わないで、もっと助けてください~とは、さすがに言えませんでしたが …。)、「今度は、このテーブルさえあれば、7~8人の方に参加していただいて、sumiko さんは鳥とか自然環境の話、わたしも分担しますから、わたしは環境と暮らしの話で、講習会もできるわね」と半分冗談?(でも、半分は本気?)と、別れ際に仰っていらっしゃいました。

ううう、それは遥か高い理想ですが、まずはわたし自身がもっともっと自然と人との調和や、暮らしのこと、地球の未来のことについて、勉強しなければなりません。(そして、いらしていただいたとき今ほど恥ずかしくないような、ちゃんとした暮らしを営まねば!! 汗。)

ですがですが、長い工夫を重ねて、指南書もなかった時代からお豆腐さえ手作りされてしまうSさんのお豆腐の作り方講習会は(ベジタリアンで、お豆腐が大好きで貴重な栄養源であるわたしは、あのプラスチックパック‘込みで買う’のを何とかできないか、自然食品店の良心的なベテランの店員さんに相談し、「ボールに水入れて買う方法に戻したいけれど、食品衛生法上今はできないから」と嘆き合い、ならばいつかは手作りするしかないと決めているので)、是非、何とか、近々開きたいと、時を待っています。 


-- この table の助けを借りて。






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Tree of Pureness 2

今日は温かでしたね。

crab apple (山リンゴ)の花が開いて、うっとりした気持ちになっています。
蕾のときは冴えた紅の濃いめの色合いでしたが、花が開き始めると微笑むような薄いピンクに、そして満開になると花びらの色は白く変わります。

crab-apple2

随分昔になりますが、2007年6月28日ブログ『Tree of Pureness』でこの木のことを書いています。その頃は、宿舎の窓際を飾る小さな鉢に入った苗木でしたが、それでも素晴らしく清浄な香気を放ってくれていました(西陽のあたる雑然とした宿舎の部屋で、この木のエネルギーにどれだけ安らぎ、自分を取り戻せたかしれません。)


bird sanctuary の土地を手にしてすぐ、鳥たちと交流する space から後ろの竹林へと向かうあたりに、すでに大きくなっていたこの木を植えました。これよりも大きなミニ国光(やはり林檎の木)と一緒に … 今では、国光の背丈を抜いて、crab apple は大きく成長しています。



この春は沢山の花をつけてくれて -- あの、綺麗なエネルギーのまんま -- まるで妖精の王女さまのようです。

crab-apple3







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ウグイスカグラ

今年の移植SEASON中、野鳥たちのレストランのすぐ近くにウグイスカグラの苗木を植えました。

uguisukagura3

八郷で野鳥の森を創っていらっしゃるS先生ご夫妻のところから頂いた苗木です。シノダケの生い茂った藪の中、ひょろひょろと枝が二手に割れて芽生えて居ました -- 土の質は良くないかもしれないけれど、これは改良を重ねるし、うち(bird sanctuary)でなら立派に陽の当たるスペースもあると、大喜びで貰い受けてきました。

ウグイスカグラはスイカズラ科の小低木で、山野の日当たりの良い場所に自生し、庭木ともされています。「鶯神楽」という面白い名前ですが、ウグイスが鳴き始めるころに花が咲くからなど、由来には諸説あります。花は薄紅色の可愛いベルのような形で、紅い果実は甘く、食用にもなります。そして、野鳥さんたちの大好きな食糧でもあります! S先生に野鳥の好む木のご指導を頂いてから、ずっとずっと sanctuary にお招きし、冬になって野鳥が頼りにしてくれるのが夢でした。



ところが、この春、荒れた竹を片付けて明るくした竹藪のわきに、同様の小さ目の丸みを帯びた葉っぱが茂り、同様の可愛いベル型の花を開かせた小さな木を二本、見つけました!



uguisukagura1



-- あらら … ウグイスカグラの若木です。

しかも二本!!


なあんだ~! sanctuary に自生していたんなら、わざわざS先生にご苦労かけて頂きに上がらなくても良かったのに~!! 自分が気付かなかっただけなんじゃ、、、。

まあ、確かに、そういう面もありますが …

でも、そういう側面ばかりではありません。

以前も、ヤブミョウガという純白の花、黒い実をつける野草を沢山頂いた秋に、sanctuary 内で沢山その花が開き始めるのを目撃し、「なんだああ!」ということがありましたが、自然のものは移ろいその姿を刻々と変えるので、特徴的な花や実をつけたときだけ識別できても、あとは -- 草も木も -- 藪の中で生い茂っていたり、冬に葉を落としていたりすると、慣れた目を持っていないと、見つけるのは本当に難しいのです。

ウグイスカグラのこの薄紅の花も、丸い可愛い葉も、S先生が分けてくださって大切に大切に移植したからこそ、観察眼ができて、はっきりしたイメージをもてて、藪の中に芽吹いた葉や咲いた花と一致させることができました。ヤブミョウガのときも、ここで暮らす大切な仲間としてはっきり描けるようになってすぐの秋だったからこそ、見つけられたのです。

まして、、、、 昨年までは自生のウグイスカグラが花開いた場所は薄暗い竹藪でしたから、もしかするとこんなに見事に花をつけるということは -- はっきり覚えてはいませんが -- なかったように思います。林が明るくすっきりしてきたからこそ、移植したウグイスカグラと互いに交信し合うかのように、元からあった若木たちも花を咲かせて自分の居場所を伝えてくれたのかもしれません。



「鬱蒼とした荒れた竹藪でも、少し手入れすると、土の中で何十年も眠っていた植物が生き返ってくる」「昔そうであったような森の姿が蘇ってくる」 -- 最初に土地を手にしたとき、S先生がここの竹林を観察しながら、そう仰ってくださいましたが、こころを込めて土地と接するなら、この自生のウグイスカグラとの出逢いの様に、嬉しい発見が訪れるかもしれません。いつも通り過ぎていた、何ということはない竹藪。当たり前に見ていた、ほんの隅のコーナーも、陽を当てたり、そこの生きものたちにとって居心地の良いように工夫したり、エネルギーの流れを良くするように手を添えたりすると、自然や生きものが思いがけない素晴らしいプレゼントをしてくれることもあるかもしれません。

何より、現実に何かが姿を現してくれるだけでなく、彼らを映しとったり感動したりする人間の感覚も豊かになってきて … その相乗効果が起こるような気がします。




uguisukagura2
 (枯れた竹が倒れ掛かったり二つに折れて重なっていた土地。
  大地は湿地のような場所で、廃墟の土台のコンクリだけが
  残されていた土地でした。竹を片付けて、コンクリやゴミを
  取り除きつつある今春、ウグイスカグラの若木二本と出逢え
  ました。手前にピンと伸びている枝は、多分タラノキです。)




 
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清明

昨日は温かな雨が降りましたが、時折強く風が吹き、また、まる一日薄暗い、とても不思議な一日でした。

何か、ちょっと怖いようなものが通り過ぎてゆく感じがして、一日家におりましたが、夕方になって、それがもう通り過ぎた気がして、外に出てみました。


seimei1

seimei3


薄青い空の上、鴇色やら薔薇色やらの輝く光が刷毛で描いたように乗っかっていて、息をのみました。



何かが去って、華やかな春がやってきたようです。

明日は「清明」 -- 二十四節気の中で、大地に陽の光が差し込んでくるのを最も感じるときではないでしょうか。個人的には、言葉として一番か二番くらいに美しい季節の名前だとも想います。「清浄明潔」の略と言われ、昔からすべてが明るく清らかで、すがすがしいころだと考えられていたようです。

「清明」は、眉頭の下のツボの名前でもあり(yoga のとき、皆でよく押しています)、眼が映し出すものを明るくさせてくれますね。


seimei4
 (門のところに咲くのは雪柳と山吹。道路を隔てた
  向こうの池の周りでは、桜の花が満開です)


皆様も、気持ちの良い光を受けとめてくださいね。
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移植SEASON (3)

naegi-final



最後の苗木たち、野草たちも先週末にようやく届き-- 

この週末で、無事に移植、定稙を終えることができました。

まだまだ固い芽のままの木々もいますが、多くの木々は芽吹きを済ませ、春の柔らかい雨の中、若緑の新芽を広げています。毎朝、見回りに行くたび、前日の夕方よりも、≪ぐうんっ!≫と新芽や若葉が伸びているのにびっくりします。一呼吸一呼吸、生命のエネルギーと共に成長しているのが、目で見てとれる気がしてくるほどです。



さあ、四月です。

作業はひとしきり済んだとは言え、これから進めるprojectsやMISSIONが目白押しです。


雨の中、今日は鶯が竹藪の中で休みなく囀っていました。雨と竹のカーテンがその美声を響かせて、奥行きのある素敵な歌のステージがあちこちに出来上がっていました。









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