hearing the unheard voices

小鳥たちと対話し、自然と人とが調和できるバード・サンクチュアリを創立しています。http://homepage2.nifty.com/birdsanctuary/index.html

鳥の魂

今朝は、平塚の気功のお稽古に伺うつもりでしたが、
早朝、駅の近くの歩道にぽつり落ちていた鳥を
見かけました。

巣立ちしたばかりの野鳥の雛かと想いましたが、
大人のムクドリでした。

すぐ近くをランニングの方が通り過ぎても、
逃げも動きもしないので、そっと近づくと
歩道脇の茂みに入り、じっとしています。

。。。

-- 衰弱しているようです。

外傷もなく、病気らしい病気にかかっている様子も
なく、ただ、翼をはばたかせる力を失って
その運命に身を委ねているようでした。

オートバイで駅まで送ってくれていた家族と
顔を見合わせ、少し迷った挙句、
このまま歩道に居ても、カラスか猫に襲われるか、
あるいは急ぎ歩く人に蹴飛ばされるには忍びなく、
これまで応急処置で回復した鳥たちも多いので、
また獣医さんや役場の保護に頼って復帰するケースも
あるため、それに賭けてみることにしました。

そっと両手でつかまえハンカチでからだを包み込みんでも、
(本当は、軍手やタオルがあったらよかったのですが)
もがきたい意志はあるもののじっと身を委ねています。

そのまま胸に抱いて家に帰る途中、
そこにある命がずっと感じられていました。
みるみる薄くなっていくような、透明になって
ゆくような、頼りない感じがしました。

着いたとき、片目には生気があるものの、
その運搬の、短時間の間に、
もう片方が少し落ち窪んでしまったような気がしました。

玄関口で(家の中にも鳥さんたちがいるので、
全員の安静のため、そして、病気感染を念のため心配して)
両の掌でムクドリを抱いたまま、
家族が、こういうときの応急処置の第一弾、
ポカ○○エットとそれを口に含ませるためのスポイトを
買いに行ってくれている間、
そっと首筋を撫でながら、祈りました。

柔らかい、白い、優しい天の光が降り注ぎます。

細いながらも、鳥たちが生まれてきた命の大元とも
どこかで、繋がっていることを確かめ、切れないよう
にいなければと感じました。
(そうすると、この子が今、真に望んでいることが
少しは感じられるのではないかという気がしました。)


・・・・・


これまで自分で、あるいはどなたかが
(わたしが小鳥好きというだけで)
連れてきてくださった、傷ついたり、命の危機に
瀕した鳥たちに何羽も出逢ってきました。

(野鳥は、勝手に個人が保護できず、傷病鳥獣は
役所や獣医さんを通して保護センターなどに
届けることが市町村によって決められています。
また、巣立ち雛などが落ちている場合は、
親が近くにいる/迎えに来ることが多いため、
安易に保護はしないで、衰弱していないか観察の上、
見るからに危険な目立つ地面に居るなど、
カラスや猫や蛇に襲われそうな場合だけ、近くの安全な
木立などに少し移動してあげるのが適切かと思います。)


一時的な応急処置で仲間のもとに帰って行けたり
息を吹き返して元気に飛び去ったり、
心意義のある獣医さんの適切な指示と協力で、
一歩一歩と回復してから自然に戻って行ったり、

ということもあり、

猛スピードで突っ切った自動車に撥ねられたり、
不用意に捨てられたゴミを食べてしまい、
瀕死になった鳥が、あえぎながら、
生まれてきた源へと還ってゆくのを
看取ったこともあります。

(野鳥ではなく、家族として暮らした)
大切な小鳥たちが、幾度も、幾度も、
想いを伝えてくれ、受けとめてくれた後で、
源へと旅立ってゆき、星や木や風や花、
あるいは新たな鳥のいのち、あらゆるものの
中へと宿ってゆくのを、
悼み、また、腑に落ちたこともあります。




包み込む掌のことりの重さが、
何とはなしにほんの数グラムだけ軽くなり
何かが抜けたような、また
周囲との境界線が薄くなったような気がするとき

つぶらな瞳の輝く生気、その奥にある
疑いも媚びも知らない野生の意志が、
急に窪んで、涙のような水気を帯びるとき

あるいは、逆に、

翼をはばたかせることができない時でも、
何とか自らの足で立ちあがり、
どうにかして嘴をあげて、
自らの尊厳を、「生きようとする」意志を
はっきりと伝えてくるとき

保護されて、どんな状況になろうとも、
柔らかな羽毛に包まれた、からだ全体で呼吸をし
安らげる暗がりや温かさに近寄って、
いのちを委ね、護ろうとしているとき



鳥たちの辿る運命は様々で、
急に変化が訪れることも多く、

そのたびに迷ったり、
反省したり、嬉しかったり、
良かった良かったと喜んだり、
涙したり、と様々ですが、

そのいのち、魂との出逢いは
忘れることができません。



応急処置のドリンクを数滴、数滴とたらすと、
飲んでくれたり、嘴を振るわせたり、
安静のために入れた段ボール箱の中から
一度は飛び出したり、
保温のために入れたペットボトルに身を
摺り寄せて眠ったりと、
ムクドリさんは頑張ってくれたものの、
数滴のドリンク以外受け付けず、
目はみるみる落ち窪んでいって、


疲れて、一時的に(わたしが)眠ったのですが、
不安に駆られて目覚めたとき、
魂はからだから離れて、旅立っていったようでした。



からだや糞の様子から、
病気にかかっているようでもなかったので、
初めての子育てで頑張りすぎて力を使い果たし、
衰弱しすぎてしまったのでしょうか。
(野鳥は、ベストな環境では6~10年生きる場合も
あるそうですが、現代の日本の都市の環境下では、
1~2年が寿命だそうです。)


頑張ったね。

あなたには、その翼があるから、

天の命の水のほとりまで
瞬く間に羽ばたいてゆけるでしょう。

安らかに
穏やかに
ゆっくりと休んだら

また、瞳を輝かせながら、
ここまで飛んで帰って来てね。



「天の使い」と人が信じてきた鳥たち

何一つ蓄えず、所有せず、

それゆえの軽さで、夢を運ぶ命たち




hotokenoza
 (ホトケノザ K氏撮影)






















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蒼が続く空と波 ~大洗磯前神社参拝~

昨年6月10日のブログ『海にかかる虹の先 ~大洗磯前神社へ~』で紹介した大洗磯前神社に、今年もまた行って参りました。

oarai2013May2

9月に大切な方々との気功合宿があり、その宿泊地の下見を兼ねての忙しない行程でしたが、そんな中でも、ただただこの地、この海岸、神社に伺えると、何とも言えないほど気持ちよく、清めていただけるのを感じます。

oarai2013May3.gif
oarai21013May4

緑が急に濃く、眩しくなってきて、雲一つなかったこの日、大海原の上でキラキラと微笑む太陽に全てが照らし出されて、海から吹く風に何もかもが晒されて、新しくなってゆくようでした。

この神社には、bird sanctuary がその懐に位置する神社と所縁の摂社もあり、特別のご縁を感じさせていただいています。その摂社の前の梅の若木が、沢山の実をつけていました。


今回は、9月の合宿がうまくゆくようにと祈願するつもりでしたが、道中からずっと「Phoenix(フェニックス、不死鳥)」のイメージが過(よぎ)っていました。なぜかしら、と問うていたら、社殿で手を合わせながら、今この大変な時代に、

 命がその大元、根源から立ち直ってゆきますように!

と祈っていました。そう、文明の中で人間が誤って起こした火によって燃やし尽くされた灰の中から、それでも尽きることなく湧き起こってくる生命、荒廃した不毛の地や廃墟の中から奇跡の様に建て直されてゆく希望 -- Phoenixの祈りです。どうしてそんな祈願に変わったかは分からないまま、心願成就のお札を書いて神前に託してきました。



… 昨年は、退職して新たな人生を歩み始める決意と共に、ここを参拝したのでした。


それから、一年、この場所は変わらず、空と海と波と太陽と風と浜辺が清らかさ、明るさを保ち続けています。

この一年 … わたしは … 変わったでしょうか?



目には見えないことですが、言葉には表せないことですが、ここに伺うことと bird sanctuary の土地のこととは何故か、何かが繋がっており、ここの清浄なエネルギーに触れることは bird sanctuary のための仕事やそこでの仕事にとって必須なのだという感じがしました。

oarai2013May


いつもと同じように、海岸の鳥居の前で長いこと波しぶきと対話しました。

よせて砕ける真っ白な波が、いつまでも、いつまでもやってきます。

海釣りの方がいて、恥ずかしかったのですが、この日もまた、太陽に向かって yoga の太陽礼拝を捧げました。ちょっと恥ずかしくて最初集中できなかったのですが、三回目にやっと、波や風や浜辺と一体になることができました。

oarai2013May5

若葉と薄緑の花をつけて、眩しいほど輝いている常緑樹のシラカシ。

どれほどの年月を重ねても、どれほどの古木でも、今この瞬間に芽吹いている命の躍動ほど、眩しく輝く生き生きしたものはありません。





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regular maintenace

連休の少し前から、ところ構わずにょきにょきと生えてくる筍の始末に、一週間の多くの時間をとられるようになりました。放っておくと、焦げ茶色の毛むくじゃらの皮に包まれた太い幹を一日30センチ近くも伸ばして成長していきます。特に、雨の降った翌日は、ここにもあそこにも -- あ、こんなところまで竹の地下茎が伸びてきたんだ、とびっくりするようなところまで -- 敷地内にそんな幹がぽこぽこと頭をもたげます。

始末しなければならない筍は一日50個を下りません。

柔らかくて美味しい筍らしいので(… 「らしい」というのは、わたしはどうもここの筍は体質に合わないのか、竹の整理をして恨みを買っているのか<?>、どれだけ灰汁抜きしても食べられないのです …)、近所のご高齢の方たちは「勿体ない」とあちらこちらに声をかけられてもらいに来てくださったり、わたしの留守を見計らって(?)ひそやかな争奪戦があるらしいのですが --。それなら知人、友人に声をかけて、取りに来ていただいたり、お送りしたりしようかしらと考えている矢先、近くの水戸市で「基準値を上回った山菜」が収穫されて、今年も野山のものは控えるようにと通達が入りました。

どうしても、と所望される年配の方を除いて、やっぱり bird sanctuary の将来像を描きつつ、竹林の領域は間引いて若返りを、それ以前からあった大きな樹木の周辺は陽が当たるように、毎日かなりの筍を蹴倒したり切ったりする作業を続けなければなりません。

それが終わらないうちに、連休最後の辺りから、敷地内の野草たちが一気に勢いを増して生えてきました。

昨年の経験、これまでの考え方から、多様な植物が健やかに生き生きと命の営みを展開するために、消えゆきそうなもの、支えが必要なもの -- 日本在来種に多いです -- が生き延びるように手を添える方向で、苗木も野草も植えて、できるだけ草木の命をそのままにしておきたいのですが …。

そして、「雑草」と一口に言われることも多い野草たちの中にも、小さくても美しい花を咲かせたり、実を結ぶと厳寒期に何とか生き延びようとする小鳥たちの食べものとなったり … 何より、どの草もそこにある命のままに育ってゆくのが愛おしく、そこに生を受けたままに根を張って生きていて!、と感ずるのですが …。

近隣の方々に配慮しなければならない場所、家を損ねる場所にある植物、お客様の通り道、守らなければいけない草木が陽を受けるのをふさぐ場所にある草は、とにかくものすごい勢いなので、刈らなければなりません。

延ばし延ばしに、あるいは助けなければならない草木のために少しだけ、草取りをしていたのですが、 yoga にいらしてくださった仲間のお一人が見咎めて(はい … 要するに「草ぼうぼう」で近隣の方の目にもまずい、ということで)、yoga・気功仲間たちが草取りにいらしてくださると申し出てくださいました。


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毎年、毎年のことで … 何と感謝してよいかと思います!


急な日取りだったので、人数は少数精鋭でしたが、こころ強い味方の手によって、sanctuary の敷地はぐんと片付きました。


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近所の土地と接している急斜面にぼうぼうに生えていた草を、草刈り機でIさまが一気に片づけてくださいました。急斜面を機械で刈るのは、体力が要るだけでなく、危険な事故に巻き込まれないよう、技術が必要です。刈った草をビニールシートに乗せて運んだら、小山ほどになりました。

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終わった後は、見るも涼しげに、風が吹き渡ります。

地表に出てきた虫たちを目当てに、雀の家族が沢山舞い降りてきました。

皆様、ありがとうございました!!




少しさっぱりとした敷地ですが、これから秋にかけて、まだまだ草たちは猛威を振るいます。竹の整理も梅雨の後の数週間後までは、手を抜けません。


それでも、秋には、遠く神奈川から気功の大先生や先輩方が訪問して合宿してくださる予定があります。助けて下さった仲間たちも、そのときまでの気合を込めて、よい気をまわして下さっている様子です。一瞬一瞬の、「いま、ここ」を、自然の大元と繋がりながら、大切にしてゆきたいです。










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スナップエンドウ

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とても嬉しいことに、今年は春先に種蒔きして土地のあちこちに植えたスナップエンドウの苗がすくすくと、瑞々しく育ってくれています。

どこも … もとは荒れ土なのですが、落ち葉堆肥を漉き込んで、あとは野草やハーブやお花や他の野菜たちと一緒に(=要するにかなり草ぼうぼうで)自然に任せていたのですが、本当に健やかに、大きく育ってくれて、沢山の白い大きな可愛い花をつけてくれました。

これまで、多様な、沢山の野菜の種を蒔いたり、苗から買ってきて植えたりしましたが、そのほとんどがうまく行きません(以前、土地探しのために借りていた笠間の借家でも、ほんの小さな庭でしたが野菜を植えました。その時よりもさらに、野菜が育つことが少ないです。) 多くの野菜は可哀想に、いつの間にか消えてしまっていました。

それなのに、このスナップエンドウの健やかさ -- しかも、大好きな野菜なので、にこにこです。

可愛い花をつけ始めたのは4月下旬からですが、昨日ようやく、小さな莢を二つ三つ見つけたので、今日は一本一本確かめてみました。すると -- 立派な莢が、あちらこちらで思ったよりも見つかり(!)、大喜びです。

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なあんて、綺麗な緑色!!

大好きなスナップエンドウが採れた最初の晩の、メニューは決まっていました。

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このエンドウだけで、オリーブオイルとハーブソルトで味わう、シンプルパスタ!


スナップエンドウはとても甘くて、最高においしかったです!

ありがとうございます。ご馳走様(合掌)。


このスナップエンドウの種は、無農薬・無化学肥料で栽培され、採種された自家採種可能な種(そうした種を販売してくださるお店は、幾つかあるけれど、これは『たねの森』さんのものです)。野菜を育て始めてから、苗で買うのは(確かに効率はいいし楽ですが)ゴミが出るし、生産性を上げるために不自然な接ぎ木をされていたりするし、地元に普通に売っている種を買うと、F1種や素性の分からない加工のされた種で農薬の危険に晒されていることに気づきました(苗でもそのリスクがあります)。素性の正しい種を入手できたら、大変でも種から発芽させてじっくり育てれば、(相性のいい場合は)強く育つし、翌年また翌年と、種を採種してずっと野菜を育てていけることが分かりました。

このスナップエンドウも、最後の莢まで食べ尽くすのではなく、一部は来年また育てるために、一部は鳥たちのために、莢を残します。

土に還らないゴミは出さないし、効率重視で収穫量だけをあげるお野菜ではなく自然と調和した強いお野菜を頂けるし、そうやって、毎年毎年このスナップエンドウの命と一緒に生きていけるんだ!!というのは、何よりものすごく嬉しいです。そして、このスナップエンドウが、とても愛しいです。


ただ … 自然の命なので、健やかに育つかどうかは、どこまで自然に任せ、どこまでで必要な手を添えるかをどれほど感じ取れるかにかかっているのかもしれません。野菜に関しては初心者もいいところなので、おおらかに、でも繊細に感じ取っていきたいです。

つくばにいた頃に、野菜作りを教えて下さった友人のおばあちゃまが、「(それは、サヤエンドウでしたが)エンドウの花が、ほかほか咲いている」と表現されていました。その「ほかほか」が緑の草の中の蝶々のような豆の花の可愛らしい様子をうまく描いていて、なんてきれいな表現!と感動したものです。



あちらこちらで、緑を吹き渡る風に、大きめの白い「ほかほか」が揺れています。






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新緑を抜けて

東京・三鷹から戻ってきました。

東京と、茨城の bird sanctuary との一か月に一度、車で片道約2時間半の往復をするようになって、ちょうど一年となります。

植物たち、鳥や動物たちと直に触れあう生活から、‘若者が一番住みたい街’という吉祥寺の雑踏に目を白黒する生活へ -- 静かに流れてゆく孤独と親しむ時間から、色んな方と話したりお稽古を受けたりの凝縮した時間へと、東京での数日間は、毎月、あと数日かかって反芻しなければ消化できないほど、色濃いです。


今月も、尊敬する先生方の身体レッスンと、大事な仲間との yoga のレッスンを、受けて主催してきました。気功やボディワークのお稽古をすると、sanctuary で鳥たちと交流したり自然と調和するための新しい感覚や智慧が得られ、sanctuary での樹木や鳥、季節感、水や風や大地と言った自然と共感したり一体になる感覚を yoga のときからだやエネルギーを通して伝えたり分かち合えたらと感じて -- なんだか、面白いですが、sanctuary ではからだの外にある、わたしを取り巻く自然、そして東京・神奈川ではからだのうちにある、身体や生命という自然、がテーマになっています。内なる自然と外にある自然とが姿を替え、光や陰になりながら、共に息づいていくようです -- 意図していなかったのですが、内側と外側がだんだん繋がっていくようです。



今回、こちら(sanctuary)を出たとき新緑がキラキラしていたので、思わず東京・井の頭の yoga では‘樹木のリラクゼーション’や‘ヤシの木のポーズ(Talasana)’を皆で楽しみ、またこちらに戻ってきたら、新緑は眩しいほどとなっていました! それが何だか、yoga で皆様には一人一人(一本一本)、お好きな樹になっていただいたら、本当に豊かに光を受けて空へ伸び大地に根を張ってくださったので、実際に樹々たちが喜びの中で勢いよく成長したような感じなのです!! (どうしても樹木が好きなので、‘立木のポーズ(Vrksasana)’も含め、何だか yoga でも皆様を巻き込んで樹にばかりなっているような … 笑)。


井の頭公園
 (井の頭公園の新緑。
 東京の公園も、新緑がからだに染み入るようです。)




やはり、わたしたちと自然との間には、沢山の通路があり、突き詰めれば‘繋がっている’というよりは‘同根となっている’ようです。


さあ、二年目の春 … 次なる一歩が待っています。 






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