hearing the unheard voices

小鳥たちと対話し、自然と人とが調和できるバード・サンクチュアリを創立しています。http://homepage2.nifty.com/birdsanctuary/index.html

ひかりの春

土の中に生命が宿り、水は少しずつ動いています。

落葉した木々たちの冬芽は、少しずつ膨らんでいます。

寒さの厳しい頃ですが、自然は着実に春へと向かっています。

今日は朝の光が、しっかりと春色に染まっていました。


ひかりのはる


春の光の感じはまだそこにないけれど、

ひかりの春。

常緑樹も落葉樹も、霜柱に耐えている草たちもひかりの中の春を捉えます。


寒さには慣れてきて冬の味わいが今大好きですが、自然が春へと向かう甘いときめく感じは何とも言えません。

厳寒期、外での作業は(蚊がいなくて)稼ぎ時です。が、家にいるとどうしてもからだを強張らせ縮めてしまい、無意識に力が入っているため yoga も瞑想も今一つ決まりませんでしたが、今日、わたしの胸の扉にかかっていた小さな鍵が、カチリと開く音がしました。

ひかりの春 -- 胸が開いてゆく。

からだの自然も、きっとここから春へと向かいます。



大地に立って、ひかりの中にいる植物たちと共に、深呼吸をしましょう。







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移植SEASON (4)

昨年から念入りに計画を立て、待ち望んでいた苗木たちがやってきてくれました。

移植シーズンとなる12月にお迎えしようと思っていたのですが、あれこれの計画やら、配送の都合(苗木の配送はなかなかきっちり日時の指定ができないのですが、配達の時不在で‘再配達’になるのは、命ある樹の子供たちにとって可哀想で、ずっと在宅できる期間しか頼みません)やらで、年明け一番に、綺麗な植物エネルギーをまとってやってきました。

苗木たち
 (ムクノキ、ハルニレ、
 ヌルデ、ミツバツツジ、
 キハダ、カラスザンショウ、
 ヒイラギ)


どうしても植えたかった樹種が目星をつけていたネットショップで購入可能とならなかったので、ここよりも随分と温かいはずの地域からやってきました(本来は、植樹する苗木はなるべくその土地在来のものが生態系のために良く、また樹も丈夫に育ちます。それが可能でないなら近い環境で育ったものを選びます)。いくら葉を落としているとは言え、生まれ育った場所とあまりに違う気温にびっくりしているかもしれません。いずれ定植、または鉢植えにして大きくなるまで育ててから移植、となりますが、昼でも-4℃~7℃くらいの今は玄関先で適応を待っています。


皆様、数年前から苗木のことをご紹介させて頂いていますが、何かお感じになりますか?

-- わたしが感じているのは、段々ここにお迎えする樹が地味系(? ‘通’系??)になってきたかな、ということです。以前は、図鑑やネット検索するとよく出ているような「野鳥たちの好む樹種」をその通りに選び、また、キレイメの実のなる、あるいはもともと憧れて夢に描いていた樹が多かったです。それに、鳥の好む実のなる落葉広葉樹しか目がいかなかったです。

今回お迎えした子たちは、赤や紫の丸い実をつける子というよりは、割と地味な実だけれどものすごく野鳥が好む実をつける樹(ヌルデやカラスザンショウなど)であり、また、鳥だけでなくチョウやミツバチにも好まれる樹(ハルニレやキハダなど)ということも考えています。さらに、落葉広葉樹が葉っぱを全て落とす厳寒期の今、感じるのですが、野鳥たちにとって裸木ばかりで実を隠すところのない場所は、とても危険な、気持ちの休まらない場所なのです。(たった今、大きく枝を広げた金木犀や白樫の常緑樹、あるいは下草を刈っていない場所など、緑の葉っぱが生い茂る場所が、彼らにとっての居場所であり、どれほど落ち着ける、逃げ込める場所となっていることでしょう!) 常緑樹の低木や高木(ヒイラギなど)も、野鳥のための森には必要だということが身に染みてきました。

以前は、憧れの樹を求めていましたが、今は土地と知り合えたおかげで、この土ならあの樹種、ここにはあの木、この場所はこの樹が育てばよくなる … と、土地に尋ねながら、土地の精が苗木たちを呼んでくれます。土地に自生した草木や生きもの達にも相談しながら …。


さらに、キハダは薬にもなるし、ミツバツツジはそれは美しい色の花を咲かせ山を彩るし、ハルニレは美しい樹形のケルトの樹精、ヒイラギはすぐ来る節分の縁起樹です。苗木たちは、人と豊かに交流していく未来も担っています。




オオイヌフグリ


今日は本当に寒いですね。
寒いというより、冷気で痛いです。

家の中でも息が白く、yoga をやりたくてもからだのこわばりが取れず … でも、霜の付いた枯葉のそばに一輪のオオイヌフグリの花を見つけました。オオイヌフグリと言えば -- 春先に空を見上げてほほ笑む花!! 何らかの理由で春と間違えてしまっただけかもしれませんが、この空色の花は、春がきっと来ることを告げてくれているように感じられました。

















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水泉動

水泉動


寒さが厳しい頃ですが、お元気でお過ごしでしょうか。

やはり … ご無沙汰してしまいました。済みません。

bird sanctuary に戻り、始動しています。

東京を夜11時過ぎに車で後にしたのですが、車には外気温度計があります。三鷹で3℃だったのが、常磐高速のつくば辺りで0℃となり、水戸辺りで-3℃、sanctuary に着いたら―4℃になっていました。同時刻にはかったわけではなく、2時間以上の時間の経過があるので、正確なことは言えませんが、-7℃の気温差を肌身に感じました。手足、顔など、あまり‘着込むことのできない’部分が赤くなり、痛いのです。朝起きたら、「瞬間フリーズ状態」になってしまったように感じて、まる一日、動けませんでした。


今はすっかり慣れて、外作業もどんどんしています。土を綺麗にしたり、枯れた竹を片付けたり -- そして何より3月まで植樹 season です! 直植えは根が凍るので実際に植え付けるには注意が要りますが、場所を片付けたり、土作り、水はけや日当たりなどの環境の改善は、今するしかありません。年末からずっと計画を立てていて、今年植えるかしばらく鉢で大きくしたい苗木たちも追加注文し、週末に届きました!!

外の野鳥たちの様子も、日に日に変化しています。昨年末、柿の実を食べるのに忙しかったヒヨドリ、メジロ、カラスたちは、お正月に戻ると全ての実を食べ尽していました(ここには、もともと柿の木が7~8本は植わっていて、今年は豊作でした)。面白かったのが、次にヒヨドリが食べ始めたのが、地味なイヌツゲの黒い実です。この辺りでは、イヌツゲの樹は庭木として植栽され、大体の場合、‘プードルみたいな刈り込み(トピアリー?)’(← されている方と、あとプードル犬好きの方、失礼だったら御免なさい!)方がなされています。この bird sanctuary の南側の庭にも二本、それがあったのですが、わたしはその刈り込み方が嫌いで、春に自然樹形に近くなるような剪定をし(しないと極端に日当たりが悪くなるので)、あとは皆様の「刈り込んだら?」という強い視線を無視していたら、黒い実をたくさんつけてくれました。その次にヒヨドリが食べたのがが、マユミの実 -- これも丸く刈り込まれていたのを自然な樹形に戻したら、自然に伸びた枝につく実には刈り込まれた枝につく実とは違う形状の実がついたので驚いたのですが、自然に伸びた方の枝の実から食べています。

そうしていたヒヨドリたちも、今はささやかにお出ししているミカン(を半分に切ったもの)が美味しいらしく、玄関を開けると催促されます。ただ、一生懸命植樹し、実りを迎えているガマズミの樹やムラサキシキブの樹の実は、用心しているのか、好みでないのか、美味しさを知らないのか、残念ながら不人気です。実と言えば、今年の冬は南天、ノイバラ、千両、アオハダ、アオキの実も残しているので、まだ食べ物が豊かというだけかもしれません(東京では、考えられなかったですが …)。草の実では、昨年人気だったヤブラン、リュウノヒゲの黒い実が、まだ残っています。

エナガ、シジュウカラ、コゲラ、時にヤマガラの群れも訪れてくれます。アオジ、ウグイス、ツグミ、アカハラ、ジョウビタキ、ルリビタキ、そして時折池のところにカワセミが飛んできます。前の貯水池からは、白鳥の鳴き声が聴こえてきます。



霜柱、池に張る分厚い氷、凍てつく満天の星空 -- 雪はないですが、少し翳ると氷点下になるかなあ、と気になる毎日です -- 氷点下かそうでないかでは、からだの感覚が全然違います。



通信機器、修理を済ませて、昨日家族が持ってきてくれました。

ご心配いただいた方、メール返信遅れている方、申し訳ありませんでした。


このブログも、今後はすぐまた、苗木等のご報告をさせて頂きたく想います。


冬苺
 (フユイチゴの実。鳥さんたちが食べないので、
 パクッと一口 -- 美味しい!!!
 でも今は、すっかり食べられてしまった。)

水泉動(しみずあたたかをふくむ) -- 小寒から大寒に向かう、最も寒い時期ですが、ここにある浅井戸の水に触れながら何とはなしに変化を感じます。霜柱が立ち、池の氷は分厚くても -- 触れる手の方が慣れてきたこともあるのかもしれませんが -- 大地の眠りの中に、新しい何かが始まっています。













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2014年の歩み

皆様、新年をどのようにお過ごしでしょうか?

昨年の新年は bird sanctuary にて迎えましたが、今年わたしは東京で初夢をみることになりました。
そして、今晩遅く、渋滞に加わらないように気を付けて sanctuary に戻ります。

戻るとまた、パソコン通信機器が不安定になるかもしれないので、今日のうちにまた更新です(笑)。



皆様の初夢や、2014年の抱負はいかがでしょうか?


昨年末、sanctuary から東京に車で移動する夜闇の中で、今年のことについてわたしは強く促されました。

深夜(夜中の3:30~5:00)、比較的交通量の少ない高速・常磐道と外環道を走りながら、目に入る光景は、夜闇とお月様、高速道路の照明、車のライト、夜の明ける前の街の光、それに利根川、荒川、都会の灰色の空くらいでしょうか。ぐんぐんと過ぎ去ってゆくそうした景色の中で浮かび上がってきた message は、

 「守りに入りかけていないか」
 
 「扉を開いてゆきなさい」

 「守りに入ることは、(扉の内側にあるものに
 とっても?)良くならない」

でした(驚)!

… う~ん!!!


3.11の一年後、「最長で、1年は後片付けにかかっても仕方ない。3年間は新しい生活基盤が整わなくても仕方ない。モラトリアム期間に焦るのはやめよう」と退職しました。すぐ焦ったり不安になったりするタイプですし、何より2000年、13年かけた学位取得後も、2~3年 yoga 等をしたりしてモラトリアムを取らないと、次の方向転換ができなかったのです。そして今 -- 3月で退職後2年目、今春4月からは最後の3年目に突入です。

う~ん! その後、bird sanctuary の作業は少しずつだけれども歩みを進めていけているし、(現実の基盤面での課題もあるけれど、)草木たちも成長し、鳥たちの憩える場所に変わってゆけそうな気がしています。何よりここ最近ようやく、素晴らしいご縁が広がり、昨年は大切な方々のご来訪が続き、こころから望む活動も形を取り始めています。皆様との貴重な関わりの中で、自分自身が修練として目指したいことも、昨年後半には、とてもはっきりと輪郭を見せてきました。また、新しい生活をするための心身がようやく手に入った感じがします。

‘「答」を生きること’、実践や経験と乖離しない思索や行、都会と sanctuary との往復(同時に、地球の自然と関わることとボディワークを通して自分の内側の自然と関わることとの往復でもあります)、「行動」してゆくことと「存在」を磨いてゆくこと、社会的現実に働きかけてゆく行動と(自らが捉えている)世界についての瞑想、将来は見えないけれど今どっしりと構えてよいエネルギーを回すこと etc. etc.
-- 混乱やら絶望やらの長いトンネルの後で、本当にようやく、少しずつバランスを取って歩けるような気がしていたかもしれません。


が!! きっと、だからこそ … !


ここまでで向き合ってきた活動や修練を深めてゆくのは勿論のこと、それで自己満足して扉を閉めて、そこから外の世界はもう見ない -- では「駄目だぞ」、と前置きの警告をされたのでしょうね。いまのまま、同じ道路で定速では駄目だと、はっきり戒められました。しかも、前に行くこと、扉を開くこと、そこから外の世界へと広がることがなければ、扉の内側(=今の自分が大切にしていること)も守りの体制となり、駄目だとのことでした。


夜の高速の景色が、人工物しかなくて、普段観ている自然の光景から異質で、時たまの飛翔するカラスのシルエット以外、生命の気配もなかったからかもしれません。地球は広大で、たった今も、そこでは想像を絶するほど様々なことが起こっており、扉を閉めてそこだけを安全に、安心に、調和のある自然や生命の場とすることなどできないことが一目でわかる景色だったからかもしれません。

自分の胸の奥であれ、1000坪少しの土地であれ、「まず、そこから」なのですが、(そしてそれだけで途轍もなく難しいのですが)、そこで扉を閉じて、あるいはそれで守れない場合は鉄条網にしたりバリケード張ったりして守るものではなく、いつも柔らかに開かれて風通し良くする必要があるのですね。


そして、2014年、扉の外にも出ていかなければならないようです。


いったい、どこへ -- ?

と元旦から新たに始め、一日1課題ずつと決めているチベット瞑想の入門書を今朝開いたら、ドキッとしました。‘自分の死’についての瞑想でした。

 人の一生は短いもの。一瞬のうちに
 過ぎてしまいます。チベットでは、
 「海の波間に浮かぶ泡のようなもの」
 と言います。いかなる瞬間も無駄には
 できないのです。

 そのため、チベットでは、どのような
 瞬間にも人は死んでしまうということを
 肝に銘じながら瞑想を行います。しかし
 ながら、これは少しも陰鬱なものでは
 ありません。むしろまったく逆です。
 まだ時間があるうちに、真に私たちが
 やりたいと思うことをやるように、自分を
 駆り立てることです。私たちは現在を
 生きています。まだ心も体も動いています。
 今日を生きること。なぜなら、誰も明日
 私たちがどこにいるかなど分からない
 からです。

 (ラマ・クリスティー・マクナリー
 『心が安らぐチベット瞑想入門』 春秋社
 p.36)



今この瞬間に、なりたい自分となり、魂の底からやりたいことをやります。生命は、いつも死、還ってゆくことと向き合っており、だからこそ今この瞬間の生命を輝かそうとしているんだから -- その瞑想の時空間は、多分、朝静かに座っている間のことだけでなく、どんな瞬間もそこにあります。



‘扉の外へ’と感じようとしていましたが、扉自体が草緑の草原に柔らかくパタンと倒れ、溢れるような光の海が揺れながら弧を描きながら遠くへと広がってゆきました。























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a Serene Start 2014

井の頭冬


透き通る、明るい陽がまっすぐに貫いています。

新しい節目を迎え、2014年の歩みが始まりました。


‘21世紀は環境の時代’‘21世紀は命の時代’と、読んでいる幾冊かの環境思想の本に、今世紀への希望がこぞって書かれています。また、‘21世紀は瞑想の時代’と yoga の前田行基先生は仰っています(『瞑想のヨーガ』)。これらの、どちらもが、わたしには益々真理だと感じられてきています -- もしも人が、この一世紀という時空間の中で、前に歩んでゆくなら。


-- ここ13年間のことを考えるなら、まだ、それが想像しにくいかもしれません。

わたしたちは、今年、どこに向かうのでしょう?



少なくとも色んな変化が起こり、その速度が増しているように感じられます。


今ある知識や価値観だけで、歩んでゆけるとは思いません。
多分、新たな知性や感性が必要です。

手放したり、解放する必要の有るものが、まだありそうです。

目に入れられる情報(特に、編集済みのデジタルなもの)だけでなく、五感、身体感覚、身体知、生命智を開いていましょう。自分自身と、自然と、地球と、あらゆる命と、耳を澄ませて対話を続けましょう。

頭だけでなく、胸の奥にある広がりや深さの中で、大事なことを観ていましょう。

-- まだまだ、変われる部分も、できることも、在る!



生きとし生けるもの、あらゆる命に -- 大変な状況にいる生命にも真っ暗闇の中にいる生命にも -- 2014年の陽の光、温かさが、少しでも多く降り注がれますように!



















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