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hearing the unheard voices

小鳥たちと対話し、自然と人とが調和できるバード・サンクチュアリを創立しています。http://homepage2.nifty.com/birdsanctuary/index.html

2014年の歩み

皆様、新年をどのようにお過ごしでしょうか?

昨年の新年は bird sanctuary にて迎えましたが、今年わたしは東京で初夢をみることになりました。
そして、今晩遅く、渋滞に加わらないように気を付けて sanctuary に戻ります。

戻るとまた、パソコン通信機器が不安定になるかもしれないので、今日のうちにまた更新です(笑)。



皆様の初夢や、2014年の抱負はいかがでしょうか?


昨年末、sanctuary から東京に車で移動する夜闇の中で、今年のことについてわたしは強く促されました。

深夜(夜中の3:30~5:00)、比較的交通量の少ない高速・常磐道と外環道を走りながら、目に入る光景は、夜闇とお月様、高速道路の照明、車のライト、夜の明ける前の街の光、それに利根川、荒川、都会の灰色の空くらいでしょうか。ぐんぐんと過ぎ去ってゆくそうした景色の中で浮かび上がってきた message は、

 「守りに入りかけていないか」
 
 「扉を開いてゆきなさい」

 「守りに入ることは、(扉の内側にあるものに
 とっても?)良くならない」

でした(驚)!

… う~ん!!!


3.11の一年後、「最長で、1年は後片付けにかかっても仕方ない。3年間は新しい生活基盤が整わなくても仕方ない。モラトリアム期間に焦るのはやめよう」と退職しました。すぐ焦ったり不安になったりするタイプですし、何より2000年、13年かけた学位取得後も、2~3年 yoga 等をしたりしてモラトリアムを取らないと、次の方向転換ができなかったのです。そして今 -- 3月で退職後2年目、今春4月からは最後の3年目に突入です。

う~ん! その後、bird sanctuary の作業は少しずつだけれども歩みを進めていけているし、(現実の基盤面での課題もあるけれど、)草木たちも成長し、鳥たちの憩える場所に変わってゆけそうな気がしています。何よりここ最近ようやく、素晴らしいご縁が広がり、昨年は大切な方々のご来訪が続き、こころから望む活動も形を取り始めています。皆様との貴重な関わりの中で、自分自身が修練として目指したいことも、昨年後半には、とてもはっきりと輪郭を見せてきました。また、新しい生活をするための心身がようやく手に入った感じがします。

‘「答」を生きること’、実践や経験と乖離しない思索や行、都会と sanctuary との往復(同時に、地球の自然と関わることとボディワークを通して自分の内側の自然と関わることとの往復でもあります)、「行動」してゆくことと「存在」を磨いてゆくこと、社会的現実に働きかけてゆく行動と(自らが捉えている)世界についての瞑想、将来は見えないけれど今どっしりと構えてよいエネルギーを回すこと etc. etc.
-- 混乱やら絶望やらの長いトンネルの後で、本当にようやく、少しずつバランスを取って歩けるような気がしていたかもしれません。


が!! きっと、だからこそ … !


ここまでで向き合ってきた活動や修練を深めてゆくのは勿論のこと、それで自己満足して扉を閉めて、そこから外の世界はもう見ない -- では「駄目だぞ」、と前置きの警告をされたのでしょうね。いまのまま、同じ道路で定速では駄目だと、はっきり戒められました。しかも、前に行くこと、扉を開くこと、そこから外の世界へと広がることがなければ、扉の内側(=今の自分が大切にしていること)も守りの体制となり、駄目だとのことでした。


夜の高速の景色が、人工物しかなくて、普段観ている自然の光景から異質で、時たまの飛翔するカラスのシルエット以外、生命の気配もなかったからかもしれません。地球は広大で、たった今も、そこでは想像を絶するほど様々なことが起こっており、扉を閉めてそこだけを安全に、安心に、調和のある自然や生命の場とすることなどできないことが一目でわかる景色だったからかもしれません。

自分の胸の奥であれ、1000坪少しの土地であれ、「まず、そこから」なのですが、(そしてそれだけで途轍もなく難しいのですが)、そこで扉を閉じて、あるいはそれで守れない場合は鉄条網にしたりバリケード張ったりして守るものではなく、いつも柔らかに開かれて風通し良くする必要があるのですね。


そして、2014年、扉の外にも出ていかなければならないようです。


いったい、どこへ -- ?

と元旦から新たに始め、一日1課題ずつと決めているチベット瞑想の入門書を今朝開いたら、ドキッとしました。‘自分の死’についての瞑想でした。

 人の一生は短いもの。一瞬のうちに
 過ぎてしまいます。チベットでは、
 「海の波間に浮かぶ泡のようなもの」
 と言います。いかなる瞬間も無駄には
 できないのです。

 そのため、チベットでは、どのような
 瞬間にも人は死んでしまうということを
 肝に銘じながら瞑想を行います。しかし
 ながら、これは少しも陰鬱なものでは
 ありません。むしろまったく逆です。
 まだ時間があるうちに、真に私たちが
 やりたいと思うことをやるように、自分を
 駆り立てることです。私たちは現在を
 生きています。まだ心も体も動いています。
 今日を生きること。なぜなら、誰も明日
 私たちがどこにいるかなど分からない
 からです。

 (ラマ・クリスティー・マクナリー
 『心が安らぐチベット瞑想入門』 春秋社
 p.36)



今この瞬間に、なりたい自分となり、魂の底からやりたいことをやります。生命は、いつも死、還ってゆくことと向き合っており、だからこそ今この瞬間の生命を輝かそうとしているんだから -- その瞑想の時空間は、多分、朝静かに座っている間のことだけでなく、どんな瞬間もそこにあります。



‘扉の外へ’と感じようとしていましたが、扉自体が草緑の草原に柔らかくパタンと倒れ、溢れるような光の海が揺れながら弧を描きながら遠くへと広がってゆきました。























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