hearing the unheard voices

小鳥たちと対話し、自然と人とが調和できるバード・サンクチュアリを創立しています。http://homepage2.nifty.com/birdsanctuary/index.html

生きものたちよ … 命たちよ … 

日がな、そして夜通し、鳥たちの声、カエルたちの声で賑やかです。

餌台

北側の窓から脅かさないようにそっと撮った写真で、分かりにくいですが、左奥の餌台にスズメの家族がやってきて子雀が親雀から忙しなくゴハン(雑穀類)をもらっています。子雀は、色は成鳥よりも多少薄くてオレンジ味を帯びて綺麗ですが、親雀とほぼ同じ大きさなのに、それでも自分ではまだ食べられないのか、あどけない仕草でねだっています。

日本野鳥の会のサイトなどを見ると、野鳥のための餌台は、原則として食べ物の枯渇する冬(10~3月)の間だけで、後は野山に食べ物が豊富にあるので自然の採餌を促した方がいいとありますが、一方、『野鳥を呼ぶ庭づくり』(新潮社)等の著者、藤本和典氏の著書などには、野鳥たちが子育てに忙しい5月こそ最も餌が枯渇するといったことも触れられていて、状況を見て、安定して(頼りにしているところをストップしても大丈夫か確認しながら)、この時期だと虫などの自然な採餌を優先する形で、彼らにとって一番良いサポートを続けたいです。(しかし、今のところはほんとにもう、待ちかねたように沢山召し上がっていらっしゃいます。去年もそうですが、冬ではなく、この時期だけ、彼らはやってきます。)

野鳥の会の報告では、燕たちもそうですが、日本の雀たちもこの十数年で激減しています。水戸の気功の先輩A様のご一家のところにお邪魔する度、「雀を見かけなくなった。前は電線に横並びに沢山止まって、チュンチュン鳴いていたのに。どうしたのだろう」と言われます。この子達のうちのどの子も、無事に健康に育って、群れの数も増えていってほしいと願ってやみません。


昨日は、bird sanctuary の作業を最初から変わらずずっと助けてくださり、しかも一番大変な荒仕事を買って出てくださっているK先生がお忙しい合間を縫って訪れてくださいました。

-- そして、天井裏に上ってくださいました(!!!)。(わたしも、本当にこわごわ、初めて天井裏に頭を出して、くまなく
のぞく経験をしました!)。

何故って … ここのところ、いろんな生きもの達が、家の中でも気配を見せているのです。毎日きまって二匹ずつ、あしなが蜂が入ってきたり、(ここからは多分、「キャーッ」という方もいらっしゃるかもしれないので具体的に書くのはやめます)ほんのちょっとしたジョークのようなホラー的なことやボルダーガイスト?的なことが … 多分屋根裏?に入り込んだ誰かのせいで起こっていたからです。

どのみち隙間だらけの家の上、緑に取り囲まれているので、何が出てもおかしくはないのですが、この辺りでよくあるのは(そして、実際一、二回そんなこともあったのですが)、屋根裏に上がり込んだのがハクビシン君、というケースです。もしも屋根裏が気に入って住居としてしまうと、寝床とトイレが同じ場所、というヒトなので(多くの動物はトイレは別)、家のダメージが大きいため、出入りの穴は塞がなければなりません。

-- 疑いのある個所をくまなく点検して写真を撮ってくださったK先生は、証拠品をもって無事に戻られました。ナニモノカが侵入した形跡はありますが、通り穴はほとんどなく、大きい動物ではありませんでした。荒らされ具合も、心配していたほどでは全くなく、ホッとしました。(有能なK先生に大感謝!!)



筍シーズンにやってきたイノシシ君(若 二頭)は、筍がお目手だったらしく、シーズンが下火になると姿を見せなくなりました。(でも、ついで食べていったカサブランカやカノコユリ、掘り返されて駄目になった忘れな草や都忘れやデルフィニュームやレナンキュラス … 涙)。 沢山土を掘り返していきました。

冬の間、毎夕ご夫婦で来ていたタヌちゃん(タヌキ)たちは、しばらく前にお母さんと二匹の子供たちでやってくるようになりました。ご夫婦の時は、作業しているわたしと出くわすと、こちらがしっかりと見たり、からだを彼らに向けると、藪の中にザザッと逃げていきました。でも、目を向けないで作業を続けていたり、ぼうっと優しい目で見るだけだと、逃げませんでした。夕刻に、生ごみやら家で暮らしてる鳥さんたちの食べ残りを堆肥のある場所へと還します。暮らし始めた当初から、それを待っていたようです。今は、ほんのちょっと‘おやつ’も出します。

(野生の命は、本来、もともと生息していた自然環境を豊かに再生してそこで自活できるように、人間が破壊した分、少しでも自然再生していきたいです。また、こころない人間に出逢うこともあると思うので、人との距離を近づけすぎないように … と想います。ただ、ここのタヌキ君たちのトイレ(彼らは「ため糞場」を持っています)を覗くと、人間が捨てたとんでもないゴミを未消化のままで出していたりするのが分かります。それよりは … もっと土地自体の生物相が豊かになるまでは … 生き延びて、と想います。また、人との距離のことですが、野鳥もそうですが、彼らの大半はそんなにバカじゃなく、人それぞれを良く良く観察して見分けているようです。
 人との距離、と言えば … 「野生のものとは(人は)距離を置くべき」とよく言いますが、昔のガラパゴス諸島とか今でも生物多様性の高い離島では、時に人以外の生きものと人との距離がとても近く、大きな海鳥が平気で人の肩に止まったりということが起こったりします。人間が長い歴史の中で、追いやりいじめ殺しさえしてこなければ、元来他の生きもの達は人を信じていたんだ!とわたしは信じています。)


お母さんと二匹の子供になってからは、お母さんはちょっと用心して、わたしが眺めると、自分だけ踏みとどまり、子供たちをザザッと奥の竹藪の方に逃がしていました。子供たちが隠れたのを確認して、(わたしの出方次第で)のそりのそりと動き出しました。このときも、わたしの方は、気功修練で培ったエネルギーの技法をフル稼働して「大丈夫だから!心配しないで」と意念を送っていたのですが、タヌキのお母さんはやっぱりさすがですよね。


そして!

今は、夕方になると、子供たち二匹がやってきます。
一匹はお父さん似(愛嬌ある丸顔)、もう一匹はお母さん似(白い部分の多い細面)です。(本当は、どっちがお父さんでどっちがお母さんだったか、確かめたわけでなく、もう直観で勝手に決め込んでいますが。)

最初は本当に、おっかなびっくりの丸い目が草むらに二つ、そのまた向こうの草むらに二つ、のぞいていました。

おやつを出して、そうっとその場を去る、という二日間の後、わたしが近くに居ても姿を見せるようになりました。

ある日、夕刻になっても現れないので、「タヌ! タヌちゃん!」と呼んだら、現れました(「キャー!」)。 

毎日おやつを出していたわけではなく、毎日出逢えたわけでもないのですが ・・・。

週末は、いつも逢う場所近くに家族の車が停まっていたためか、夕方になっても現れませんでした。



そして、今日のことです。

おやつ(今日は、おせんべい)と作業用の鎌や軍手など、そして携帯をもって、外に出て、物置小屋の扉を閉めるためちょっと地面に置いたら -- 。

バサバサッ!  「ワ~!」

-- 黒い大きなものが、空中を素早く突っ切った --

烏(ハシブトガラス)です。

‘おせんべい’を銜えてもうアプローチ向こうの電線の方へ飛んでいます。

ワ~! 

ほんの一瞬だったので、どこの高みで見ていたのか、一瞬のうちにおせんべいを見分け、一瞬のうちに地面のおせんべいとわたしとの距離を測り、カッサラッタ! 

確かに、人間よりも素早く、人間よりも鋭く、賢いです。

・・・・・・・

あっけにとられていたわたしは、あの鳴き声そのもののように「アホー アホー」な感じでしたが、相手は大した盗人です。
(でも、同じようにして携帯も持ち去られたら大変なことになっていたのだから、そうでなくてよしとしましょう。)

おやつは、別のものを考えて、作業が終わるまで家から持ってくるのをやめましょう。

そうして作業をしていて、ふと見上げたとき、しゃがんでいたすぐ向こうの草むらに丸い目が四つあって、タヌちゃんたちがわたしを見ているのに気付きました。(こちらが気づいて見さえしなければ、どこまで寄ってくる気だったのでしょう。)

とてもとても、、、、とても可愛いです。メンコイ。

おせんべいの代わりに、自分が食べる予定だったケーキを切りました。




サクランボ
 (日曜日にD様が、お家で実った小さなサクランボを、
 「小鳥さんたちに」ともってきてくださいました。
 可愛くて、鳥たちも大好きで、自然な味で、人が
 頂いても美味しい! 早速、種を取り、挿し木も
 挑戦してみます)

ワイルドストロベリー
 (こちらは、ワイルドストロベリー。
 小さなポット苗からスタートしましたが、大き目の
 プランター一杯に増え、今では伸ばした根が地上に
 降りて、玄関先に広がっています。これも
 鳥さんたちの好物で、自然な味で美味しい。)






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green trataka

緑や風や光が晴れやかで爽やかですが、繊細に天候や気圧が変動し、わたしたちのからだも微調整が必要な時機ですね。

GWもあっと言う間に終わってしまいました。

「bird sanctuary はさぞや緑が綺麗でしょう」「○○(ここの地名)のお庭はお花が一杯で楽しめるでしょう」と想像してくださる方がいらして、光栄なのですが、本当のところは草ぼうぼう、葉の生い茂ってきた木々の剪定もままならずで、はち切れそう、溢れそうに、緑てんこ盛り(!笑!)です。ただし、日々夏の渡り鳥が立ちより、ハクセキレイ、スズメ、キジバトが第一回目のヒナたちを巣立たせ、シジュウカラのご家族も営巣している模様。冬の間はご夫婦で来ていたタヌキさんたちが今はお母さんと3匹の子供でやってきています。ご近所から見たら‘荒れている?’状況なのかもしれませんが、生物多様性や生きもの達が命を繋いでゆくことへの貢献度(?)が急速に高くなった(虫もいるし、、、) sanctuary です。(そして、てんこ盛りの緑から透ける太陽は実に綺麗です。)


だいぶ前のこととなってしまいましたが、先月末に東京に行った折に出逢えた嬉しいことを書きます。


-- 井の頭の、ことりyogaでのことです。
(山や川や太陽、水や光や土や風、そして多くの生きもの達といった‘外の’自然と、わたしたちの‘内側の’自然との関わり、繋がり、一体感を感じる yoga を目指しているので、その代表格??としての小鳥たちのことり yoga です。)



ようやく整えた会場に、一人、二人、と素敵な仲間が集まって下さいました。場がキラキラ輝いたり、しっとりしたり、潤ったり … という感じになってゆきます。

各々部屋のこれと感じる場所を決めて支度を整えていらっしゃいます。そうした始まり前の時間は、空間に良い気が満ちてくる時間で、いつもワクワク、ドキドキするのですが -- 今回は驚きました! しっとりと、薫り高く、麗しいお花のエネルギーを辺りに匂い零しながら、大輪の牡丹の花が -- その場に現れたのです(嘘でも誇張でもなく、現にそう観えました。) 色は高貴な紫味を帯びた濃いピンク -- 色見本で調べたそのままの「牡丹色」の、大輪の牡丹の花です。お稽古前で、わたしは全員を感じる位置にいなければならないのに、その牡丹にぐいっと惹きつけられてしまいました。本当に、その方からときめくように花が開いているのです。

皆様が場所を詰め合うなか、牡丹さんに真ん中にいらしていただきました。大輪のお花のエネルギーを中心に -- 皆様にも感じてほしいと想いました。光輝くような、高貴で芳しい、生命エネルギーです。



お稽古の最中、皆様それぞれが瑞々しく、ふんわりと柔らかく、あるいは静謐な神殿のように、輝く光の矢のように感じられて、驚くことがよくあります。そして、小鳥たちの声が聴こえ、新鮮な風がそよぎ、力強い大地が脈動し、清澄な水が流れ、遠い星々を抱く夜の空を上り、何一つない空の中で時間を超えたり、、、いろんな感覚が過ります。感ずるままに、皆様それぞれがそれぞれのままに、だけど各々が緑さざめく木々になったり、天上の蓮の花となったり、陽だまりで伸びをする猫となったり、、、という空間を共有できるのは、何と素晴らしいことでしょう!


でも、お稽古の前から、溢れるような香気のする牡丹の花が開いている -- そのことは、驚きでした。


・・・ 練習の後のお茶会で、得心が行ったというかさらに驚いたというか … 。牡丹さんは、画家でいらっしゃいます。そして、つい最近、植物園で本当に牡丹のお花をずっとスケッチなさっていたということです。しかも、まさに、紫味を帯びた濃いピンクの色の -- その日会場に現れてくれた、そのお花そのもののエネルギーの --。

「牡丹の咲いているすぐその場に、ずっと立って描いていた」「大地そのものから咲かせてゆく、そのお花の力は、切り花ではわからない」 … 牡丹さんの言葉に耳を傾けながら、牡丹のそのお花の、そのエネルギーを、牡丹さんは yoga 会場まで連れてきてくださったのだと想いました。いえもしかすると、そのことをもっと深めるなら、そこに咲いていた、そのお花自身が、わたしたちのところまでやってきてくれたのかもしれません -- 対象とそれを観る自分との区別は、観る自分の側にしかない。観られるものと観るものとを区別するのは人間の観念でしかない -- yoga のお稽古の場では、言葉やからだやエネルギーや間身体性の力を借りて、その感覚が呼び込めればと願ってきたけれど、さらに推し進めるなら、そんなことをせずとも、わたしたちの日々の一瞬一瞬に、もっと(最も)素晴らしいことが詰まっている -- からだや意識を通して、世界との、‘外なる’自然との、真の繋がりの中に! -- わたしたち一人一人が、牡丹の花であり、忘れな草の花であり、百合の花であって、そよ風でも緑の木陰でも金色の光でも温かい大地でもあるのです。



新緑の眩しい、その日の yoga の‘宿題’は「グリーン・トラータカ(green trataka)」でした。(宿題だなんて、何だかおこがましい言い方ではありましたが、室内でのお稽古でなく‘外yoga’でないとできないことを、是非お願いしたかったのです -- 新緑と木漏れ陽が、あまりに綺麗なので。) トラータカ = 目の浄化法です。目で直接対象を見る技法で、自然界の要素やロウソクの炎などを≪何も考えず≫≪ただありのままに≫≪ひたすら(リラックスしてしかも集中して)≫見つめます。グリーン・トラータカは、自分でふと惹かれる植物、例えば新緑の葉や木々の梢など、をこころ静かに見つめる行法です。一般には、眼精疲労の回復や、植物の生命エネルギーから癒しを受けることや、愛や慈悲の感性を養うことがその目的としてうたわれていますが、多分 … それ以上のことが生まれ出てくるでしょう。


長い間、生きている牡丹の花自身とただひたすら向き合っていて -- 「もうこの宿題は終えてしまっています」と牡丹さんは仰っていました。多分、宿題以上の、いえそれを遥かに超えたところにある大切な何かを掴みとられようとしているのだと感じます。



グリーントラータカ、今日のお散歩の途中で … 惹かれる何か、お気に入りの何かを見つけて、皆様も試みて御覧になりませんか?


greentrataka
 (sanctuary 葉を一杯に茂らせたシデの樹)






















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