hearing the unheard voices

小鳥たちと対話し、自然と人とが調和できるバード・サンクチュアリを創立しています。http://homepage2.nifty.com/birdsanctuary/index.html

曼珠沙華

白花曼珠沙華



野草コーナーに突然現れた優雅な白いお花の蕾 -- あなたは誰? 植えた覚えもなくて、でも顔見知りの自生の植物にしては飛び切り美しいので、取り急ぎ写真に撮って、図鑑やらインターネットやらで調べていました。

シュッと伸びた濃い緑の葉っぱから、ユリ科だと判断して、秋のこの時期に咲くユリ科の花は ・・・・?? と調べても、答えは出ません。色・形・葉っぱから、ずっと以前にこれとは違う奥の場所に植えたツバメオモト? ・・・・ いえいえ、大きさも葉っぱの形も違います。こことちょっとずれた場所に依然植えたショウジョウバカマ(あれは、濃いピンクのお花だったけれど。それに、ショウジョウバカマって、春咲くのではなかったかしら?)? ・・・・ 分かりません。


でも --




白花曼珠沙華2

お花は見事に、一つずつ開いて、全体の形を成してくれて、思い当りました。

前ブログで、「白(いお花のもの)はうまく行かなかった」と書いたばかりの、白色曼珠沙華です。

駄目だとあきらめていたのに、植木鉢で育ててうまく行かなかったお花の球根を地面に還したのでしょう(忘れていました ・・・・・ 御免なさい!)。うかつなわたしに、思い起こさせるように、こんなに美しい花を咲かせてくれました。

調べてもなかなか分からなかったのは、すぐ近くにシャガの緑の葉っぱが伸びていて、葉っぱをつけずに成長してきたこの子の葉っぱと勘違いしたからでした。


このお花が曼珠沙華だと分かったちょうどその日、研究発表の準備のために昔から持っていた今西錦司先生の本を開くと、本当に偶然、本当に奇跡的に、「曼珠沙華」というエッセイが載せられていました。今西先生は、長らく京都大学で「自然とは何か」「人間とは何か」について徹底的に究明する研究をされ、「棲み分け理論」「今西進化論」を提唱された方です。おサルさん(ニホンザル)の研究でご存知の方も多いかもしれませんね!人をも含む生物の全体像を包み込む自然について、西洋の学者とは一線を画する自然観を展開されています。

その本を開いたのは、事実十年振りで、しかも何気なく開いたページに曼珠沙華のことが!

奇跡としか感じられません。



しかも、なんだかほわっと胸が緩む、素敵な文章でした。

ちょっと長くなりますが、引用させていただきますね。9月18日のこと、庭一面にヒガンバナの花盛りとなり、そこに蝶が蜜を吸いに訪れます。沢山のナミアゲハ、クロアゲハ ・・・・・ その中に、一匹のモンキアゲハがいて、京都では珍しいのですが、今西先生は「心なぐさめられるおもいがした」と述べています。注目していると、モンキアゲハは翌日も訪れます。

(引用)
 ところで考えてみると、ヒガンバナという植物は、花が咲いても実はならない。繁殖はもっぱら地下茎によっているというのである。つまり花は咲いても、昆虫によって受粉作用を助けてもらう必要がないのである。すると、ヒガンバナはいったいなんのために蜜を用意して、アゲハチョウたちの訪れを誘っているのだろうか。あるいはなんの効用があって、ヒガンバナはその花蜜を貯えるようになったのだろうか、とダーヴィン流の進化論者なら首をひねるかもしれない。そしておそらく、ヒガンバナもかつては昆虫による受粉作用をとおして果実をみのらせ、それによって繁殖していたときがあったにちがいない。ヒガンバナの花蜜はその頃の名残を現わしたものであろう、というような推測をたてて、自己満足をはかったかもしれない。
 しかしこれは、なんという了簡のせまい自然観であるだろうか。ということは、こういう自然観のもとに眺められた動物や植物は、みなそれぞれの利益のために汲々としていて、一緒に同じ土地でくらし、一緒になって自然というものをつくっている、他の種類の動物や植物のことを、一切無視して顧みないものである、という前提に立っているから、了簡のせまい自然観だ、といったのである。自然はもっとのびのびとしていて余裕に満ち、その余裕をもって他の種類の生物を、助けていると見られないものだろうか。ヒガンバナの花蜜もその余裕の一つであって、自分たちのためには直接の役に立たなくても、それがアゲハチョウの好きな食物として役立っていたら、それでヒガンバナの花蜜の存在意義を認めたことにならないだろうか。
 このように視点を変えて自然界を眺めると、たとえば植物などというものは、つねに余裕綽々としている。小はダニや昆虫から大は哺乳類に至るまでのあらゆる動物に、食われ放題である。これを植物の立場に立てば、それだけの動物を養っているといえないこともない。
 (中略)
 自然に生活している生物は、つねに余裕を持った生活をしている。そしてその余裕を惜し気もなく利用したいものに利用さしている。われわれはそれをとかく無駄であるとか、浪費であるとかいうように解しがちであるけれども、自然はそんな我利我利亡者の寄り集まりではない。もしそんな我利我利亡者ばかりの寄り集まりだったら、このような美しい自然は、とうてい形成されなかったであろう。ヒガンバナの花蜜は、その持ち主のためには何の役にも立たなくても、その花を訪ねてきたチョウのために役に立っておればそれえよいのだ、といっておいた。すると花蜜だけでなくて、ヒガンバナのあの赤い、美しい花も、自分のために役立つものでなくて、チョウを誘うのに役立つだけのものであるかもしれない。しかし、こういうことができるというのは、生活が保証され、生活に余裕があるからできるのであろう。そうおもってもう一度自然を見直したならば、至るところにこのような自然の過剰エネルギーが、自然の芸術ともいいうるものに姿を借りて、発露しているのでなかろうか。
  (「曼珠沙華」 今西錦司 『自然学の提唱』 講談社 1986, p.168-171.)

(引用終わり)


今西先生がこの文章を書かれた年は、冷夏で日照時間も少なかったそうですが、それでも季節が来ると曼珠沙華はちゃんと花を開かせてくれ、「いみじくもしおらしい」とも書かれています。



曼珠沙華 -- この夏は(夏前から)気象異常が激しくて、植物たちもびっくりしていましたが -- 不思議なことに、今年は sanctuary のあちこち、これまでに芽生えてこなかった地点からも、曼珠沙華が現れて、大当たりの年のようです。

ありがとう、きっと、この文章に出逢えたのは、奇跡と書いたけれど、曼珠沙華のお花の精が仕掛けたことだよね。

今西先生が書いた頃よりも更に、人は何だか、無駄なく合理的にと決められた方向に急き立てられている気がするけれど ・・・・・ しばらく、わたしは植物になっていようか(自然と同化するとき、余裕はきっとあるから)。


そして、美しい花を咲かせよう。














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金色の便り

三日前、配達された郵便をとりに門のポストのところまで歩く途中で、形のない便りを受け取りました。

-- 魂の手をつかんで壮麗な秋のダンスに引っ張り込むような、高揚させる香り ・・・・

この秋を待っていました。

金木犀14


・・・・ でも ・・・・ こんなに早く?

昨年のブログを読むと、10月6日、7日辺りが花の盛りとあるので、やはり早いですね。

しかも花開いたのはごく一部で、後はどうなるのかしら?と心配になって木を調べると、まだまだ花芽らしきものがついていたのでホッとしました。

梅雨の時期に開くのを逸した紫陽花は、真夏に花開いて、一部は蕾のまま枯れたり青い花のまま萎れています。気象異常をものともしない逞しい野草も多いですが、ビックリして当惑しているのは人だけでなく、植物もまた同じなのでしょう。

この土地と出逢ったのは秋で、門のところに大きな金木犀があり、花は終わっていたものの、透明な秋の日差しに凛と濃い緑を茂らせていました。家族は元から金木犀が大好きで、新学期が始まった憂鬱(!)の中、この樹の花の香りを嗅ぐと(それでも?)生きていてよかったと感じる、と言います。ご縁があるかしらと想ったとき、秋の透明感を想起させる薫、金色に染まる木を毎年眺められるのだと想って嬉しくなりました。

金木犀は常緑樹、sanctuary の樹は濃い緑の葉がこんもりとした大きな樹なので、鳥たち、動物たちの隠れ家、休息や憩いの場でもあるようです。小鳥たちは奥に入り込んで外敵から身を守ったり、幾度かは子育てをしていました。その外敵の一人であるはずですが、この春は、二羽の子育て中の烏が、獲物を捕らえてきては、この場所に舞い戻ってきて子供たちにゆっくりと与えたり、遊ばせたりしていました(獲物と言っても、、、 近所の養鶏場?から盗んできたらしき大きな鶏卵や、公園のごみ箱の中に捨てられていたらしき?カップゼリーの残り?でしたが、、、 卵の殻やカップが下に落ちていて、掃除が大変でした。) 真夏に、草刈りにつかれた近所の方が、木の下の日蔭で休んでいらして、ビックリしたこともありました。

木と暮らすということは、こんなに素敵なことなのかしらと想います。


曼珠沙華


曼珠沙華の花も開き始めました。

ヒガンバナ、よく墓地にあるからとか、葉っぱも出ていないのにいきなり茎がにょきにょき出てきて真っ赤な豪華な花が咲くので、不吉とみる方もいらっしゃいますが ・・・・・。よくよく眺めると、ものすごく繊細で精巧にお洒落に形作らている花で、眺めていると飽きません。赤でなく白い花もあり、染色家でいらっしゃる気功の先輩がデッサンされるというので、白い花を購入して増やしてみようと試みましたが、うまく行きませんでした(それに、赤い曼珠沙華があると、白と交配してしまうそうなので、断念しました。)

この曼珠沙華は、わたしがこの土地にお邪魔する以前から生えていて、毎秋必ず決まった場所から現れてきます。

それが、今年は何故か、土地のあちらこちらに新たに花が現れてきました。球根で増えると想っていたので(なので、別の場所に飛んでいくことはないと想っていたので)、とても不思議です。でもそれも、土地の神様のなんらかの采配なのでしょう。


真っ赤に燃える‘浄化の火’があちらこちらで、土地やわたしの中の要らないものを燃やしてくれているようなイメージです。












 
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topocosm

 先の記事で bird sanctuary では大切に守ろうと植えた野草の苗が育たないことを嘆いたりしてしまいましたが(『秋からのお便り -2-』)、昨日物置小屋の裏側にある野草コーナーに行ってみた所、

カリガネソウ

とても素敵な、青紫のカリガネソウの花が今年は群生していました! 

この野草コーナーも、いろいろ試しに植えては見たのですが、繁殖力の強いシャガやシュウカイドウを除き、ほぼ消えてしまったのかしらと落胆していました。その後には、チゴザサ、ドクダミ、ママコノシリヌグイ、ヘビイチゴ、シダなどここでおなじみの下草が取って代わりました。が、捨てたものではありません!! 珍しい美しいカリガネソウが、今年は大群落!!

シュウカイドウ

シュウカイドウ(「秋海棠」)も咲いています。中国原産の帰化植物ですが、近年は日本の秋の田園風景を彩るようになりました。

トチバニンジン

何と! 野草コーナーには薬草コーナーもあって、トチバニンジンが実を結んでいました。解熱・去痰・健胃薬として利用できるといいます。

ツリガネニンジンの花も見つかり、また、曼珠沙華やキバナアキギリも蕾をつけていました。


昨日は、新しい言葉にも出会いました。イギリスの宗教学者ギャスター(Theodore Gaster)が創った「トポコズム(topocosm)」という言葉です。ギリシャ語の、トポ(topo)すなわち「場所」、とコスモス(cosmos)すなわち「秩序ある世界」を合わせ、トポコズムは「ある特定の場所の秩序ある統合体」という意味となります。このトポコズムについて、アメリカの山岳家であり個人研究者でもあるラシャペル(Dolores LaChapelle)は、次のように解説しています。

(引用)
すなわちトポコズムとは、どのようなものであれ、ある場所に固有の生きていると見なされる複合体全体 -- 人間だけではなく、その場の動植物や土壌をも含む全生命の共同社会 -- を意味する。トポコズムはまた、現在目の前にある生命の共同体というだけではない。それはまた時間を超えて連続する存在で、目に見えるのはその現在の姿に過ぎない。
(引用終わり)

bird sanctuary に今、わたしは立ち、ここで生きて、自然が輝き、生きものも人も安らいで調和して暮らしやすい環境となってゆくよう願ってやまないのですが --。土や水の浄化に四苦八苦したり、木を植えたり、この土地にふさわしい日本古来の野草を植えたり、鳥たち動物たち、カエルやメダカ、爬虫類、トンボたちの棲みやすい場所を工夫したいと想ったり、蝶や蜂たちのためのお花を用意したり、いろいろやっては失敗してそこから学んでがあるのですが --。 ここのトポコズムを想うとき、前の地主様やその前の方、、、というだけでなく、歴史上もいろいろ(あまり良い方でない事件などが)あった土地のようで、時々その‘薫りのようなもの’が風に乗ってやってきます。さらに、ずっと昔に遡るなら、表向きに看板に書かれていること、近隣の方に伺ったことを超えて、ここは神社に属する土地であったという気がしています。(そのときの神社と言うのは、表向きに今祀られている神様よりももっと古い、古代この土地の方々の神様であったエネルギー -- 自然神、多分、この山と空とに突き抜けるエネルギーのようなもの -- の宿る場所、ということです。) 
 大事なこと、ここで書きたいことは、ここが神社の麓だからそういうトポコズムを感ずる、ということではありません。人々の社会的な歴史を超えて、そこに土地固有のエネルギーがあり、その土地を分かち合い、共に創り出した自然やそこで命をはぐくんできた生きもの達がずっといて、そうしたエネルギーや、自然や生きもの達とわたしたちとは共にトポコズムを織りなしてきていて、今も織りなしているということです。ここは実際に、今も上に神社をお祀りする土地ではありますが、わたしが敬い、‘聖なるもの’として受けとめ、うたれ、感じ続けているのは、恐らく、東国征伐があったずっと以前から織りなされているここの自然のエネルギーそのものです。そういう意味では、今あなたが座っていらっしゃるその場所も、その大地であれ水脈であれ空の広さであれ地形であれ、固有のエネルギーを醸し、そこに集まり息づいてきた自然や生きもの達が聖なるトポコズムを創り出し続けているのだと思います。

人間が文明を発達させるにつれ、自然は破壊され、生きもの達は追いやられ、一部は絶滅を余儀なくされ、人もまた場のエネルギーや自分の生きる場所での他の生命との全的な繋がりを感じる心を失いかけているかもしれません。ここ50年の間に、日本では環境が修復不能なほど破壊的影響を受けてしまったと言われます。

しかしまた、ラシャペルは、「なくしたものを思い出す」という提案をしています。彼女の提案と言うのが、自らが環境を利用するといった左脳的な頭の使い方ではなく、ちょっと頭の使い方を切り替えること -- 「儀式・祭礼」と呼んできたものを通して土地とのコミュニケーションをはかる、ということだというのがとても面白いと思います。


(引用)
季節の祝祭には、神話、芸術、舞踏、競技などがとり入れられる。これら祭礼のさまざまな要素はすべて、つながりをつくること、わたしたち自身内部の本質的なつながりにさらに新たなつながりをつけ加えていくことに役立つ。祭礼は意識を無意識につなぐ。右脳と左脳をつなぎ、大脳皮質をそれより古い時代に発生した三つの脳(へその下、四本指を並べたところにある東洋でいう丹田も含めて三つである)とつなぐ。人間を人間以外の存在 -- たとえば、大地や天空、動物や植物 -- とつなぐのはもちろんのことである。
(引用終わり      
 ドロレス・ラシャペル 「第10章 儀式の意味」
 アラン・ドレングソン 『ディープ・エコロジー 生き方から考える
 環境の思想』 昭和堂 p.211-219)

祭礼と言うのは、その人がピンとくれば、どんな形でもいいと思います。月を仰ぐ、祈る、ダンスをする、歌う -- 身体や身体エネルギーを通して感性や知性が開かれ、自分が開いていくようなことが起これば、繋がりは起こるのではないでしょうか。(わたし個人は、自然を感じながら、yogaや瞑想をしてきたので、それが自分の祭礼だったかな、と勝手に思うことにしました。) そして、季節の祭礼を取り戻したら、次に行うことは「自分の生活の場で共に生きている人間以外の同居者の存在をはっきり認めること」だとラシャペルは述べます。自分の部屋が、今は都市化されて、コンクリで囲まれていても、きっと少し前にはそこに谷があったり水脈があったりして、お花や蝶が風に舞い、鳥や動物たちがいて、トンボが飛び交っていたり、あるいはもっとすごい獣がいたりしていたはずです。窓からそそぐ太陽の光や、夜の月は、それを観ていたはずです。

そうして、土地との繋がりを呼び戻してどうなるのか。ラシャペルは、「棲むとは、ただ単に住むということではなく、何かが他にはない独自のものとして豊かに生きることのできる場の世話をし、あるいはそのような場を新たに作り出していくことである」というハイデガーの言葉を引用して、自らとの、自らの身体との、人間同士の、人間と外の自然との、人間と他の生きもの達との、そして土地とのコミュニケーションを取り戻す儀式を提案します。究極的にそれは、自然のなかに存在する自分を見出すという体験なのだと伝えます。


かつてのこの土地の生物相を辿る、ということはわたしにはとても力が及びませんが、また、いつの時代かの生物相をそのまま再現することは、今の地球環境においては何人たりともできるわけではありませんが、カリガネソウの花が群生して開いてくれたこと、様々な種類の鳥たち、蝶やトンボや蜂たちがここを見つけて訪れてくれるようになりつつあること、奥の竹林にずっと棲み付いていたであろうタヌちゃん一家がわたしのことを益々わかってくれているであろうことは、確かにとてもとてもこころ豊かになれることでした。そして、こころ豊かになれたのは、自分が命として豊かになれたということだと思い当りました。トポコズムのための儀式が、人間に与えられている細やかだけれど、一方で強力な再生の術であるならば、自然の中でからだやこころを開いていること、季節に寄り添うこと、そうした散策やyogaや瞑想、日々の舞いを怠けずにゆきましょう。


長月は、夜が急ぎ足でやってくるようになり、涼風を感じ、虫の声を聴いて、月を愛でるのにぴったりの月です。

yogaでは、「月の礼拝」の練習をしています。ただアサナ(ポーズ)を繋ぐだけでなく、お月様を感じます。

8日の十五夜は明るく輝き、9日の満月(スーパームーン)は神々しいばかりでした。

今日は下弦の月 -- ここからお月様はみるみる痩せて24日に新月となりますね。
その前日の23日が秋分の日、一年の中でエネルギーの高まる四つの日(春分・秋分、夏至・冬至)の一つですよ~!

自分のいる大地にしっかりと立ち、お月様と寄り添って、その場所の命の一つとして自分を感じて呼吸してみるだけで、何か不思議な奇跡が訪れてきてくれます。















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待つ

ミヤギノハギ
 (ミヤギノハギ。その後ろに実をつけた
 栗の木)

萩の花が、見事に咲いています。

bird sanctuary とご縁を結んですぐに、野鳥を呼ぶ「五本の樹」として勧められていたヤマハギの苗を植えたのですが、この春に原因不明のまま芽吹かずに枯れてしまいました。その代り、ホームセンターに瀕死の状態でいて見かねて手にしたミヤギノハギが、まるでその分頑張ろうとでもいうように大きく枝を張り見事に花をつけてくれています。

ミヤギノハギ2

萩の花は蝶やハナアブを呼び、また(ヤマハギの場合は)その実が冬の間、アオジやカワラヒワの食料となってくれます。このミヤギノハギも、鳥たちに食べ物を残してくれるでしょうか。


ジュズダマ

この秋は、ジュズダマが沢山増えて、その一本一本がしっかり実を結んでいます。イネ科の草で、熱帯アジアの原産で帰化植物です。yoga教室に来てくださっていた方がお引っ越しする際、庭作業の道具一式を貰い受けたついでに、お庭にあった斑入りのツワブキを頂いたら、一緒にくっついてきました。帰化植物ではありますが、近年ほとんど見られなくなって、子どもの頃にこのジュズダマで遊んだ思い出が懐かしく、そのまま育てています。この実は堅くて、食べ手(小鳥、野生動物?)が未だ見つかっていませんが、今年はかなり目立つので、誰かが目にとめて冬にやってきてくれればいいです。


ムラサキシキブ

緑がかった美しい白い実が、少しずつ紫色に色づいています。このムラサキシキブの実と、その向こうに赤く色づいたガマズミの実は、ジョウビタキなどの冬鳥が好んで食べます。今年はどちらも豊作で、準備万端です。

すでに、山から下りてきたヒヨドリ君たちは小さな群れとなって、柿の木やヨウシュヤマゴボウの茂みに入り込んで声を掛け合っています。柿の実もヨウシュヤマゴボウの実もまだまだ緑のものが多いのですが、色づき始めるのを待って、片っ端から勢い込んでついばんでいます。


植物たちは虫たち、鳥や動物たちをあてにして秋の装いや実りを急ぎ、虫たち、鳥や動物たちはその花や実りを頼りに里へおりて冬支度をし始めています(タヌキさんたちも、少しずつ肥えてきた感じです!)。わたしもまた、皆と一緒に豊かに秋冬を紡いでゆけるよう、彼らの関わり合い、命を繋ぐ織物の織られ方を少しでも感じ取って、添えられる手は添えて、できればその織物の中に一緒に溶け込んでゆきたいです。










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秋からのお便り -2-

苗たち2014

秋の七草が近年減少傾向にあり、中でもアサギマダラ(蝶)にとって大事な役割をしていると推定されるフジバカマが減少し続けていることを憂慮して、その保護活動をしているという記事(『自然保護』誌 2014 9・10号)に刺激を受け、久しぶりに苗木・野草の苗を取り寄せました。

フジバカマは、秋の七草のひとつ。キク科ヒヨドリバナ属の野草で、主に河川沿いの草地、低湿地などを生息場所としています。近年の河川敷の埋め立てや護岸工事により生育場所が奪われ、環境省レッドデータブックで準絶滅危惧種に指定されるまでに減少したそうです。このような減少傾向にある草は他にも多くありますが、日本の秋に古くから愛されていた秋草がこんな状況に置かれていることをご存じない方もいらっしゃるのではないでしょうか。そして、長い渡りをして飛来してきたアサギマダラたちは、この花をとても好み、この花の蜜をエネルギー源とし、さらには蜜にある有毒物質によって天敵から身を守っている可能性もある、とのこと -- フジバカマだけでなく他の生きもの達も失われていく連鎖がそこにあります。

bird sanctuary の土地とご縁を結ばせていただいた当初、鳥たちだけでなく、沢山の消えゆく在来の植物たちをここで守り、彼らが世界から失われてゆく歯止めの場所の一つとなれればと、それはもう沢山の、苗木や野草たちを購入しました。その頃は未経験なまま想いだけで突っ走っていたので、鬱蒼とした竹林と、掘ればすぐに水たまりができる、瓦礫やゴミの混ざる粘土質の土壌に育つ植物はごくごく限られていることや、失われつつある在来の植物たちをこの環境の中で地植えして見守り続けるには高度な熟練した知識や技術が必要であることを、あまりにも軽く考えていました。今でも、植えてみなければ適地かどうかは判断できない植物が多いので、ある意味体験から学ぶしか仕方がなかった面もありますが、多くの植物は育つことが出来なかったり、一年限り花開いたり実を結んだりしたものの翌年・翌々年には姿を現さず、代わりにこの土地の周辺に現れる雑草(外来種も多い)に場所を取って代わられてしまいました。秋の七草たちも例外ではありません。

生息地から採取したものでなく、専門家の方が種から増やしたものを購入したので生息地の自然までをも直接奪ったわけではありませんが、それでも希少な野草や苗木たちを失うたびに、こころが痛みました。

野草に関していえば、結局、植えてもこの土地に育って生き残ってくれた野草は、野鳥の森創りの師匠S先生が助言してくださったウツボグサ(夏枯草)、そして近くの土地にも自生している吾亦紅やヤブミョウガや山百合など。それらはほぼ、近隣の土地にも自生が見られる野草たちです。あとは園芸種コーナーに植えたハーブ類(ミント、レモンバーム、日本のものでは明日葉など)がやたら元気に繁茂しました。やはり、生態系を豊かにすると言っても、まずはよくよく環境を観察して、その土地に適した植物を謙虚に植えるしかないことを思い知りました。

それでも、、適した湿地を見つけて大繁茂しているミントやレモンバームなどシソ科ハーブの花たちにはミツバチ、ハナアブ、蝶、蛾などが忙しなく給蜜にやっています。あちらこちらで騒がれているミツバチの減少は言うまでもなく、昆虫や土壌生物の減少、続く野鳥たちの減少に胸を痛めることが多い中、昔ながらの野草でなくてもほんの少しのハーブの花蜜でも彼らのエネルギー源として助けになればと感ずるようになりました。あとは、(人間が拡散し風で飛んでくる有毒化学物質を防ぐ術はありませんが、)この土地の中だけでもなるべく健やかな循環を、そしてできれば少しでも自然の浄化、再生、生命力をあげる流れが生まれることを待つのみです。



今のままでもマイナスではないと信じたいのですが -- もう少し種の多様性が増えれば、もう少しかつてのここの里山環境の豊かさが戻れば、との考えのもとに、苗たちをお迎えしました。今回は方針を少し変えて、育つ力の強い野草たちを鉢植えで育て、少しずつ、種や増えた根・地下茎を鉢植えの環境とできるだけ近い環境に移し植えていこうと思っています。特に、種から蒔いて育てれば、この土地に合わせて育っていってくれる可能性が高いと期待しています(野菜、ハーブの育ち方をみた経験から、そうではないかと想います。) 

この苗たちは、豊かな自然環境で生育している在来の野草・苗木たちの花から種を取り、無農薬で育てて増やしたというお店からの苗です。人間に直接役に立つ野菜や薬用植物だけでなく、役に立つ立たないに関わらず野草そのものの命を絶やさないようにしているお店があることは、心強いです。


人が手を加えるということが自然にとってどれほどのプラスになるかは、人の知識や想像力では及びもつきませんが ・・・・・ 。少なくともそれがはっきりマイナスにならないことをよくよく吟味・反省したうえで、人の手によって失われた/失われつつある自然に少しでもプラスになることがもしできるなら -- そうであるようにと祈るしかありませんが -- 後は植物の精霊、緑の妖精、生命の根源を司る神々たちがわたしに微笑み、苗たちに宿ってここできらりと輝く魔法をかけてくれますように!!

















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場のこころ

気功の先生が筑波山に近い山の中腹に素敵な庵を手にされて、昨日はそこでの初稽古がありました。

広葉樹林と植林された林との混ざる広い敷地に、もとは全く違う目的で建てられたお洒落な建物は、新たな棲み手に生き返ってぐんぐんと変化しているようです。蒼く澄んだ空、ゆったり優しく枝を広げる木々、その向こうに続く森に包まれながらのお稽古は … 最高!! でした。

お稽古の部屋も、集まられた方々も素晴らしかったのですが ・・・・ その素晴らしさは胸の奥に綴っておくとして、気付いた大切なことの一つをここにも綴りたくなりました。

解散後のその場の流れで、ふとした幸いに恵まれて、残った方々とシャバ・アサナ、そして瞑想をする機会に恵まれたのですが --


アスター青
 (アスターの花)

先生や、素晴らしい皆様と一緒にできた、ということも幸いだったのですが、窓硝子の向こうの優しい木々たちや、風や、蝉や小鳥たちの声、蒼く澄んだ初秋の空、太陽が贈ってくれる幾条もの明るい光 ・・・・・ を大地と一体になって受け止めて横たわっているシャバ・アサナ(安らぎのポーズ)は、わたしにとって‘本物の’本当にこれぞ求めていたシャバ・アサナでした。

先生が「ここでは、‘何もしない’ことを体験してほしい」と仰ったのですが、各々がくつろいだ静かな場を共有しながら、それぞれが好きなように、自由にありのままに、瞑想タイムとなりました。各自が自由に自分と向き合い、一方で自然でオープンである一つの場を共有して、その場が澄み切った自然と繋がっているとき、場の空間はとても繊細に大胆に、落ち着いていると同時に高揚し、精妙な美しいエネルギーが上に下にくるくるとダンスを踊っていました。


・・・・・ 大きな衝撃でした。

人々が、各々の本質に安らいで静かに向き合い、なおかつ自由に開かれて、そこに淀みのない澄んだ空間があり、さらに、その空間もそとの自然と交錯し、共振し、もっと大きな美しい空間を紡いでいること ・・・・・ そしてその瞬間、こんなにも場の力が働くなんて! 

勿論、常日頃、庵を掃除し外の道を綺麗にしたり掃き清めてくださっている先生のお仕事があってこその、場の力です。


そのような環境で、静かな自由な開かれた空間と、それを取り囲む美しい自然とがあるとき、人や瞑想の力は半端ではないのですね! 

‘自分自身のyoga’を目指したとき、空や大地や風や太陽、木々や小鳥などの生きもの達といった「外の自然」と、自らのからだ・こころを通して知る「内なる自然」との調和を目指そうと想ってやってきたのですが、何だか昨日はたくさんの宝物を受け取ることができました。

鳥たちが安心して還ることのできる森を創ろうと希求した時、「bird sanctuary」という呼び名となって、鳥たちの「聖地」とは何かを探ろうと ・・・・・ 長年聖地に関する本を読んだりお話を伺ったりしてきましたが、それとも繋がる宝物でした。



本来の姿でいられる静かな安らかな空間、(優しい、あるいは厳しい、あるいは畏怖するような)自然に豊かに包まれてそれを受けとめ融合している空間、その中で奇跡のように‘場のこころ’が命を宿して生き生きと舞い、輝く力を宿すとき、「聖地」は生まれるのかもしれません。













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28年前からの手紙

アマガエル2
 (ベランダの瞑想アマガエル。
 8月1日ブログの写真でご紹介した
 アマガエル君が留守を守ってくれて
 います。)

今日から、長月 --夜長月です。

御礼が遅れましたが、先月末には東京・神奈川でのお稽古等で、再び充実した時間を過ごすことができました。月に一度だけお目にかかれる方が多く、その度に、一瞬一瞬、ひと呼吸ひと呼吸、ご一緒できることを大切に感じます。そうして、sanctuary に戻ってきたら、そこは秋の精霊たちの居場所となっていました。


明日葉の花群
 (明日葉の花群)


お天気は不安定で、時折の地震は怖いですが、時折みられる晴れ間は金色に輝き、雲は優しくたなびいています。

咲き続けてくれている朝顔の花に、姫芙蓉やカッコウアザミの花が色を添え、湿った大地に生い茂るミントやバジルの花に、虫たちが集まってきています。沢山の蜂や虻、蝶や蛾やトンボ、カタツムリにカマキリ ・・・・ 寒くなる前に命を繋ぐために、虫たちは時間に追われています。

退職してここに移り住んで今年度が三年目 ・・・・ わたしもまた、モラトリアム期最後の追い込みに入ってきました。

新しく始めるためにはまずは片付けなければと、奥の方に詰め込まれていた荷物もようやく行先が決まりつつあります(片付けなかった言い訳のようですが、行く先が決まるまではペンディング中、といったものが結構ありました。)今日はその中の、大昔のA6の情報カード(← 「古ッ!」と笑わないでください ・・・・・ というか、ご存じない方も多いかもしれませんね 笑)を繰って、そこに書き込まれていたアイデアを読み返していて、間にあったものにびっくりしました。

「Harvey's favorite song ('86 spring)」と書き込みがあり、しわしわで染みのついた詩のコピーが貼られていました。

-- 目を通して -- 瞬間、1986年のアムステルダム大学(オランダ)の食堂に、タイムスリップしました。

確かにそこで、Harvey というアフリカのどこかから留学していた男の子と、話を交わしたのです。同僚だったり、特に親しかったり、個人的なことを良く知っている友達、というわけではなく、食堂で出逢うと、何かしら話しかけてくる知り合い、だったはずです。その彼が一番好きだという詩を教えてもらって、何か気に留めて、コピーをとったのだと思います。

確か、フロスト(Robert Frost)の詩のはずです。アメリカの詩人で、「The road not taken (選ぶもののない道)」で有名だった ・・・ はずです。かなり季節外れですが、読んでいただけますか。(恥を忍んで、当座間に合わせで訳しておきますが、間違っていたら教えてください。気になる方はプロの方の名訳バージョンで読み直して下さいね。)


STOPPING BY WOODS ON A SNOWY EVENING

Whose woods these are I think I know.
His house is in the village though;
He will not see me stopping here
To watch his woods fill up with snow.

My little horse must think it queer
To stop without a farmhouse near
Between the woods and frozen lake
The darkest evening of the year.

He gives his harness bells a shake
To ask if there is some mistake.
The only other sound’s the sweep
Of easy wind and downy flake.

The woods are lovely, dark and deep,
But I have promises to keep,
And miles to go before I sleep,
And miles to go before I sleep.

(『雪の夕べ、森の傍に立って』

誰の森なのか、心当たりはあるけれど、
その人の家は村の方なんだ。
僕がここで、立ちどまっていることなんて
知る由もないだろう。
森が雪に埋もれてゆくのを
じっと眺めている僕のことなんて。

僕の馬は怪訝に思っているに違いない。
近くに農家もない、こんなところに
森と、凍った湖との間の、こんなところに
立ちどまっているなんて。
一年で、一番暗い夕べに。

馬は、手綱の鈴をひと振り鳴らした。
何か、手違いでもあったんですか、と
問いかけるように。
他には、やさしい風とふわりと雪ひとひらが
そっと撫でてゆく、音が聴こえるだけ。

森は美しく、暗くて深い
でも僕には、守らなければならない約束がある。
そして、眠りにつく前に何マイルもの道があるんだ、
眠りにつく前に、何マイルもの道があるんだ。)


・・・・・ Harvey が大学で何を専攻していたか、どの国の出身だったか、他にどんなことを話していたか、全く思い出せないのですが、今日この詩を読んで、わたしは初めて、この詩が一番好きだと言っていた Harvey の気持ちのごく一部を感じ取ることができ、ほんの数センチは彼の身近に立てたような気がしています。いえ、それでも、何もわかっちゃいないよと、1986年の Harvey がここにいたら、言われてしまうかもしれません。


ただ ・・・・・

28年の時を超えて、Harvey はわたしに、この詩をプレゼントしてくれました(1986年のわたしは、未熟にも -- Harvey の方が年下だった気がしますが -- 詩にあまりピンと来ていなかったのではないかと想います)。

人が、ここで「森」に何を観るか、「雪」を、「暗い夕べ」を、どのように感じ取るか、お供の馬ややさしい風や雪のひとひらはどうか ・・・・・ 様々だと思いますし、暗喩や意味を云々と考えずとも、受け取ったそのままの詩が魅せてくれる光景に佇むだけで、琴線に触れることの方が大きいのかもしれません。


振り返ってのことですが、28年前も、そこから歩いてきた道のどの地点でも、「森」も「雪」もそこから何マイルか先のこともあったのだと想います。が、恐らくは3.11以降、この「森の深さ」をひときわ深く感じられるようになり、「森の美しさ」もまた、からだが打ち震えるほどの美として感じられているような気がします。

だからこそ、まだ残している約束を果たすことや、ここから何マイルも向かってゆく先の道のことも ・・・・・ それを果たし眠らず先を行くことを想い描くとき、どのくらい力が必要か、どんな姿勢をとって、どれほどのまなざしなら、それを成し遂げることができるのか -- ‘生きる’ことができるのか -- ということについても、以前より鮮明に感じ取れるような気がします。その決意にある、輝きと暗い淵も。

この詩が封印されてたA6情報カードの中には、bird sanctuary を創ることを夢見始めていた当時の、希望に満ちたアイデアやインスピレーション、自然と人とが調和する世界を実現するための先駆者の方々の言霊が書き込まれていました。



3.11は暗い衝撃だったけれど、たぶん、
今がそれより、暗い、夕べ ・・・・・ でも、
これ以上立ちどまってはいられない。
さあ、ゆこう。

馬さん、心配かけてごめんね。
方角も、行き方も、もうはっきりわかっています。

ゆこう。









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