hearing the unheard voices

小鳥たちと対話し、自然と人とが調和できるバード・サンクチュアリを創立しています。http://homepage2.nifty.com/birdsanctuary/index.html

蓮 そのまま -4-

やっと

やっと

逢えました。


白蓮蕾

純白の蓮の蕾


先輩のA様に案内していただいて、古代蓮が自然のままに咲く池を訪れることができて、蓮の生命の様々な姿を感じ取ることができたのですが ・・・・・

全身で蓮のプラーナを感じとりながら、

頭のてっぺん、百会、頭頂のCakra(Sahasrara Cakra :「千」=Sahasrara、千の蓮の花弁からなるチャクラ。宇宙の根本原理=ブラフマン、と通じる場所に開くお花でもありますね)でだけは、純白の蓮のお花のエネルギーのありようを感じたいと直観していました。

蓮のお花の咲く時期は文月から葉月のはじめまで。お花に詳しい方々に尋ねたりインターネットで散々検索かけても、bird sanctuary から訪れられそうな蓮池は皆、古代蓮、桃色の蓮の咲くお池で、白蓮の咲く場所は見つけられませんでした。あとは何かのご縁が飛び込んできて、それがたまたま白蓮の咲く時期にシンクロしていなければ、今年、頭頂で白いお花を感じることはまだわたしには早いということかもしれない、と諦めかけていました。

それが、今朝になって、家族がかけてくれたネット検索で白蓮の咲くという情報のある公園が sanctuary のある市に位置すると分かり、「(もう時期が)間に合わないかもしれないけれども --」、居てもたってもいられずに夕方車で出かけてみました。迷い迷い公園についたのは5時過ぎでしたが、斜めにさす陽光の中で、大きな蓮池が遠くに見つかり、そこに白蓮の群生する一か所がありました(桃色の蓮の方が勢いが強いのか、白蓮のところだけ、護られるように小さな別のお池となっていました。)




那珂市蓮池


薄桃色の蓮の方は、とても大きな規模での群生で、地元の方々のゆったりした散策の場所となっていました。

炎天下の中を散々歩いた疲れが一気に吹き飛ぶような、気持ちの良い風に吹かれながら、お池を一周してきました。蓮池の多くは観光地化されていたり、カメラを構える人々で賑わっているのですが、ここは並木と地元の住宅地に囲まれて、自然の勢いの強く感じられるお池となっています。静かななかで、蓮たちも、ただただ素直に開いています。

風下を歩くとき、生まれて初めて、風の中に強い甘い蓮花の薫りを嗅ぎました。

古代蓮のお池でも、蓮花の台(うてな)に鼻を近づけてクンクンとやって、薫りは知っていたのですが、それほど強くはありませんでした。

ですが今日、生まれて初めて、風が強く甘く感じるられほどに、蓮花の薫りを浴びました。

本当に何とも言えない、からだの奥が溶けそうな、深いところが潤い癒えてゆくような香でした。

地上にいるはずなのに、天界ににいるのかしらと錯覚しかねないような、うっとりする感覚でした。

… これが、蓮の花が授けてくれる秘薬なのかもしれません。


白蓮の池では、蕾が二輪だけ残っていました。

明日の朝、開くのでしょうか。

明日朝は、四時起きして、もう一度出かけてみます。












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蓮 そのまま -3-

lotus-flower4







lotus-flower5
lotus-flower6



太陽


ありがとうございます。

lotus-flower7





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蓮 そのまま -2-

lotus-flower1

その 色

その 形

lotus-flower2

その 香

その 触感


lotus-flower3


そして 瞑想の中で通う 蓮花のプラーナ



蓮はやはり、特別な花なのかもしれません。

賑やかな花盛りの朝

見た目の華やかさ 麗しさ に似つかわしくないほどの

静謐な静けさがあります。

今 ここで ただ咲いている

そのままの 蓮は

静けさの中に 生命の全ての姿や
全ての力を包み込んで

地上の世界も 天上の世界も 
そして 暗い地下の世界さえも
一つにしてしまうような 一瞬を


射抜いているようです。













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蓮 そのまま  -1-

蓮池1

念願かなって、気功の先輩A様に導いていただいて、自然に近い状態で古代蓮が生息しているお池へ、行ってまいりました。蓮の開花の加減も、A様がしっかり調べてくださっていて、沢山のお花が開きつつ、まだまだ葉月初めまで咲き続けようという、最も生命力の高い今日の蓮池でした。

八時少しすぎに伺ったのに、既に20名以上の写真撮影のグループで賑わっていました。太陽は高く上り、地面が煮えるのではと思うほど暑かったです! それでもお池に近づくほどに、わたしは無口になって集中していきます(笑)。蓮たちに近づくにつれて、別世界のような空気感が濃くなってきました。

カメラの方々は光線の加減を気にしながらすぐに移動される中、A様は蕾のスケッチ、わたしは芝生に座って瞑想と、池の淵でしばしの時が過ぎます。


蓮のお花の一生を問いかけながら、感じながら、対話しながらの、瞑想です。

大地の力と安定感、水の循環、根っこの張る感じ、そして太陽へ、太陽へ、光へ、光へというその成長。青々とした葉っぱの茂り、お花の蕾、各々の姿・各々の段階で開くお花 ・・・ 散るさまやその花弁の一つ一つ、しべや花芯、実を結ぶまで ・・・ そして、それから --。蓮の命のエッセンス(精)を感じさせて、お花のエッセンスや本質を教えて、と胸を開き、からだで対話してゆきます。


随分、時が経ったらしく、時折、A様が撮影の方々と歓談される声が耳に入り、またしばらくして「あら、背中(汗で)びっしょりよ」と言われるまで、ぼうっとしておりました。

例年に比べ、今年は葉っぱがとても大きく、勢いよく、茂っているようです。
その葉っぱの間から息づいてくる、お花の蕾のストーリーが聴こえてきました。


蓮蕾1

池の底の土からようやく伸びた花芽は、やっとの思いで水をくぐり、水面に出ます。

そこまはだ、葉っぱや大きなお花たちの影となる場所です。


花蕾2

陽の光の方へ、陽の光の方へ。


花蕾3

ようやく、陽を浴びるところまで。

他のお花ならうな垂れるような、燃やし尽くしそうな炎天の太陽の光も、蓮のお花は大好きです。

ただ、ひたすら無心に、その太陽に向かって身をかざします。

恐れることも怖気づくこともなく、ただ、太陽の光だけに向かって --。

花蕾4

こんなにも太陽を愛しています。

太陽もまた、これに応えます。



太陽の贈りものを受けて、蕾は膨らみます。











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朔を過ぎて ~『蓮三夜』 附記~

sora2015july

この朔(16日)を過ぎてから、世界がまた大幅に変わった気がしています。

全くもって身勝手な、直観とすら言えない、(けど鮮烈な)主観として、「世界が白と黒に分かれた -- !!」という印象です。光も闇も濃くなって、胸を打つような出来事も大切な人々に良い変化が訪れることも起きました。一方で、近い未来を考えてもとんでもないことが起きています。ニュースを見れば胸がえぐられる様だったり暗くなるよりもできることを少しでもするために身を落ち着けなければならないこともしばしば …。身の回りでも、亀裂や別れがあったり、がっかりせずに見守っていようと思ったり、温かいお気持ちをいただいたり、澄んだ心の祈りの強さを感じさせていただいたり … がありました。

色々なのに、一つの層では語れないことなのに、どうして「白と黒」なんだろう ・・・ ?
でも、決定的に「白と黒に分かれた」ので、それは白の方のベクトルと、黒の方のベクトルが、はっきりと突出した、ということなんですよね。世界は今、白い方の帯と、黒い方の帯の、平行線 -- (← 済みません。またまた、自分でも何を言っているかよく分かりません。)

ちょっとマテ、白い帯と黒い帯 … ?

… ああ、アレダ。

アレデス、アレ。
ちょうど二年前の、蓮の瞑想で出てきた、あの光景です(『蓮三夜 第三夜』 2013年8月21日ブログ)。

気持ち悪いくらい、ヴィジョンが符合します。

世界には今、白い方の帯も、黒い方の帯も、よりクッキリとしてきてしまっていて、今は平行線なんです。
それはあんまり安定度の高い、居心地の良い状態ではないかもしれません。
調和の、とっかかりさえも、ないから。
その下の地球も、地球上の生命も、癒されないから。

あのとき観た、白い靄の中の美しい蓮の花。

毎夏、yoga の会では、皆様と「蓮の花のyoga」(今年からは「蓮の生命のyoga」)を練習しています。皆様お一人お一人がご自身のイメージの蓮のお花を咲かせてくださるのですが、年頭からわたし自身の胸の中にある蓮花のイメージは、「白」です。

ドキッ。

そして今(唐突ですが)、
芥川龍之介の『蜘蛛の糸』について -- 名作ですが、そして尊敬する方が良く朗読して下さっていますが -- 不謹慎にも、はっきりと想います。

カンダタ(でしたよね? あの地獄の河から一本の蜘蛛の糸で天国に上ろうとする盗賊?)は悪くない。

悪いのは、蜘蛛の糸を垂らしたお釈迦様 (← あ~! 言ってしまった!!罰が当たりませんように!)。

100歩譲って、カンダタのちっぽけな心を試したからではない。
(カンダタじゃなくたって、後から上ってくる悪党たちを見たら、蜘蛛の糸が今にも切れるのが怖くなるでしょ! そしてカンダタの生い立ちを考えるなら ?? [って、わたしが勝手に想像するのだけれど、何となく不幸な境遇で育った気がするので] ?? 人を信じられなくても不思議はないでしょ。さらに、よくよく考えるなら、悪党全員を助けようと思ったって、一人ずつ蜘蛛の糸を上るのが一番安全なんだから、いったんは降りてもらわなきゃいけないでしょ。カンダタが一人で上り切った後、意地悪な気持ちで後から上ってくる人を落とすために蜘蛛の糸を切ったなら、話は別だけど。)

「上から、悲しげに、見下ろしてないで」、お釈迦様なら「下に、慈悲の心で、降りていって」小さな灯をともしてよ。
天上だけに白蓮を咲かせていないで、その汚濁した海の中に、白蓮を咲かせてよ。
お釈迦様ってゆうなら、そのくらいの力を発揮してよ。
蓮のお花だって、カンダタに助けられた蜘蛛さんだって、喜んでないよ。
(⇒ あ~! 言ってスッキリした。)

( … と、今年の初め辺りまで、怒っていたのですが ?笑?)


わたしたちは、この地上に、蓮の花を開かせる力を持っています。

お釈迦様でなくとも、わたしたちにはその力があります。

「蓮の花のyoga」が「蓮の生命のyoga」に進化したのは、ここ数年のうちに様々なことを学ばせていただき、‘花を開かせる’ことの一歩進んだ意味や、そのお花の一生の中での生命の循環の物語が欠かせないものであることを知ったからです。命としての蓮花は、自然のすべての要素、地球上のあらゆる命と関わりながら、今、ここを生きて、変化してゆきます。蓮のお花は、天上界で永遠に美しく留まるものではなく、地上で生まれ、煌めき、大地に還ります。

蓮は、天上界で咲くのではなく、地上で咲くのです(芥川龍之介氏、ゴメンナサイ!)。


(ここから、ちょっと宣伝みたいになってしまいますが ・・・) 今年は「蓮の生命、、、」をまるごと受けとめるワークショップを初めて試みます。ちょっと背伸びで、どうなることかと想っていましたが、いらしてくださる方々お一人お一人にびっくり! (もう、すでに、胸に大きな薫り高いお花を開かせていらっしゃるのですよ^^)  さらに、近くから、遠くから、お花を咲かせる空間を聖なる空間に高めなさいよ、精進しなさいよ、と贈り物を届けてくださる助っ人様が現れました。一人では頼りなかったでしょうが、「地上に、蓮の花を咲かせます」と胸を張っています!


peace-candle1

peace-candle2
 (とっておきの、「Peace」キャンドル。
 このキャンドルを朝の祈りのとき灯そう。
 「平和」のための行動をとってくださっている、
 全ての方々。ありがとうございます。)










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蓮始開(はすはじめてひらく)

先週末は、長年憧れていた整体の講習会に泊りがけで行ってきました。雨続きだった日々が途絶え、雲一つない晴れ空に太陽が眩しい週末でした。

シャキッとした身のこなしに笑顔のチャーミングな先生は、長いこと一貫してからだを通して生命の根源に触れられていらしたからでしょうか、教えてくださる言葉に透徹した明晰さがあります。お弟子さんたちもキビキビした所作で、入門者たちのお世話をして下さいます。御講義の後、技法の実習に入ってすぐ、あっという間にわたしはからだの反応が出てしまい衝撃が走りました(わたしは、からだやサトルボディの一部に、超敏感というか、過敏なところがあるので、学びが多くて頑張ったけれど、相当頑張らなければならないというか、きつい面もありました)。

からだを通して‘生命の原初的な力を取り戻す’‘自らの野生を呼び戻す’といったことが全体として起こっていたと感じます。これは、今のわたしたちが自らにとって本質的な大切なものを想い出すということなのかもしれません。特に、電子機器を通しての情報や、外部からやってきて意識される/意識下の強い刺激を頭脳で処理し、他者や社会が押し付けてくる知識に基づいて行動している現代人にとって、ぼやけて失われかけていることだとすればなおさらです。

レッスンでは、呼び覚まされた生命力から、頭痛や肩こり、腰痛などが治ってしまう、疲れや不調がとれてしまう、健やかになる、人間関係や生活がスムーズになる、等々、先輩方も入門者たちも刻々と驚くべき変化を遂げていったのですが、わたしには戸惑うこともありました。まず … わたし、レッスン中も、教えていただいた技法をするときも、先輩の補助で技法を受けての反応も … 若干浮いていたようです(先生! 御免なさい!!)  自分を感じながら技法をやっていると、皆と同じにはできないのです。頭でガチガチに考えすぎてしまって、あるいは何か別のことに気を取られてしまって、からだの動きにブロックがある、というケースもこんなとき考えられますが、今回はそうではなくて自分に集中していけばいくほど、違うことが起こってくるのです。

最初にからだの反応が起こったとき、「通常なら(=お弟子さんや先輩方は)」からだの歪みが取れたり活力が湧く、という動きが生じるようです。が、わたしは、からだの反応もありつつ、同時にあろうことか、yogaで言えば、上の方のチャクラが意図しないほど大きく開いてしまった感じがしました(第四~第七、さらに上まで)。自己の存在や自己保存、生命力、健やかさや安定などの第一チャクラ、生命の根源のチャクラではありません。逆に、生命力が高まるにつれて(?)、胸が広がり眉間が開かれ天と直結して繋がってしまった(??)感じです。(でも、こんな反応を感じた方はいらっしゃらないようで、わたしの感覚もちょっと場違いだという雰囲気でした。)

その他にも、脊柱のうちのある一つの椎に触れられると特定の感情が呼び覚まされたり、ずっと昔に起こった深いトラウマが古傷のように戻ってきたり ―― (その上、どの先輩もわたしの背中に触れるときは必ずその椎に触れられるので ―― 手は一番よく知っているというか、わたしの‘その椎が宿している深い悲しみ’は、意識されずとも手で感じ取られているのだと思います。) ―― ただ、レッスンでは、脊柱のことは、「胸椎三番が呼吸器系に関係している」など、あくまでも技法はからだ・健康への働きかけとして学びました。

たった一人で、あまりにも「からだ=こころ」の境目のないその状況に、戸惑っていました。身体のあり方が、あまりにも‘こころ化’していて、からだが発する気(プラーナ)を整えたり開いたりすることが、こころやそれを越えた精神性そのものの開通を良くして次元を越えてゆくような感覚です。でも、レッスンでそんな反応をすることは邪道のような気がして、深く戸惑いました。体験したことのない技法でいきなりこころの奥や精神の上の方の扉が開かれすぎてしまうのは恐いという気持ちも、あったような気がします。

まだまだ体験がちっぽけで浅く、理解するには遠く、今はまず、真摯に学ぶときでしょう。そして、自分のからだが教えてくれることにも、からだが与えてくれる可能性にも、素直に開くことが大切でしょう。

それでも … 今直面している地球環境の危機、命や人間性の危機に対して、「生命の根源から再生する」「一人一人、からだに潜在的に秘められている知性や感性を呼び覚まして自立する」ということが、ここ数年、キーワードとして浮上しました。その、「からだに潜在的に宿っている力」というのが今回の講習のテーマで、それが呼び覚まされたとき、同時に並行して、胸(第四チャクラ)が無防備すぎると感じるほど開き、喉(第五)から眉間(第六)、頭頂(第七)にかけてスウッと天と繋がるような感覚が訪れたこと ―― これは、キーワードについての大いなるヒントであるとも感じられます。生物としての生命体の真の力(生存、他者との調和と存続、自己の確立 第一~第三)を取り戻せば、人間は同時に、「愛」や「霊性」に目覚める ――。目覚めるというか、本来のあり方を、想い出すのかもしれない。



ただ一羽の小鳥の命、地球環境や人間のゆく末を考える中、ここ数日(今日もまた)、ここまで来たのかと胸が詰まるほど、世界は大変な方向に進んでいるようです。森や海や川の流れ、一匹の虫、一羽一羽の小鳥を思いやるどころか、自分や親しい仲間、その少し先の世代の命さえも、人間には思いやることが難しかったという結果になるのでしょうか。この巨大な脳と繊細な感覚器官で学べて来たはずのことは真に学べたとは言えない結果となって、やり直しの効かない世界を壊しつつ、人間は退行してゆくのでしょうか。周りの方々を思い浮べる限り、そんなはずはありません。

ぶれず、鈍らず、自らの力を発揮しましょう。
負のベクトルに抗するだけでなく、まるごとの魂で希求する世界を生き生きと思い描きましょう。喜びと安らぎのもと、その世界を体現してゆきましょう。どこから、どんな範囲、どのシーンから始めても良いので、今すぐに魂の答を生きてゆきましょう。


seitai seminar1
 (宿泊所のお部屋から)

緑に囲まれ、ヴァリエーションに富んだ鳥の歌声が早朝4時から夕方まで朗々と聴こえていました。妙なる美しい声なのですが、それは外来種として勢力を拡大しつつある、ソウシチョウの声 -- sanctuary 近辺にはいないので、旧来の野鳥たちの歌声を掻き消す勢いの美声に、複雑な気持ちでした。

汗の噴き出る中での講習会 … 御講義が始まってすぐ、夏は暑いもので、汗をかかない(かけない)方が増えているけれど、本来汗をかくということはからだが体温を調節したり不要なものを排出する大切な働きだと教えていただきました。タオルを持ってくるようにと前もって教えていただいていましたが、実習をしながら汗が滴り、からだの変化に従って思わぬ時に急に汗だくになったりしてきます。

seitai seminar2

たっぷり汗をかいて、からだはツヤツヤに変化しました。でも、そんな雰囲気なので、決して言えなかったのですが、「暑かったぁ~!!」





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a sacred line

hasutsubomi


先の日曜日、突然つくばの気功の先生が誘ってくださって、急遽、神奈川の大先生の気功の練習会に参加することができました。

sanctuary からお伺いすると、かなりの距離となります。

くたくた、へとへとの一日になりましたが、今回もとても充実した時間をおくり、沢山のことを学ぶことができました。先生も先輩も仲間たちも毎回あっと息をのむほどの進歩、変容を遂げられています。練習のレベルが高くて、ようやくの思いで付いていきます(って、付いていけているかな?) なので、先月末と今回、一週間置いて再び練習できたのは、嬉しいことでした。

力(筋力)ではなく気によって打つ・受ける武術の練習で、打ち方を教えていただく中、大先生は打ちながら、「けじめをつける」とわたしに仰いました。「力」でなく「気」で打つので、それまでわたしは、力を抜き柔らかく打つことを練習していました。しかしそのとき、大先生が実際に打ち方を示しながら教えてくださったことは、筋力は抜けていても気の力で自分の限界まで打つ、ということでした。「けじめをつける」「打てるところまで(精一杯)うっていると、己の限界・可能性が伸びる」 ―― それは、力(筋力)を抜きながらも、一回の、その一打ちごとの真剣勝負です。

ああ、何ということでしょう。
長年わたしは、どれだけ脱力できるか、ということに意識を置いて打っていました。

いつも、一番適切なタイミングで、一番適切なことを、からだで分かるように、大先生は仰ってくださいます。

「けじめをつける」という言葉で、打ち方の何を改めるかを教えてくださったことには、一歩深い意味もあります … 多分。

これまで「覚悟」と「けじめ」を教えられてきました。沢山の失敗、七転び八起き、そして試行錯誤をしながら、今世で遂げたいことのための「覚悟」の方は、わたしはだいぶ、出来てきたと感じています。ですが、bird sanctuary を真に目指す空間として実現すること、生命や自然との調和の修練を広げること、小鳥をはじめとする野生との対話を深めてそれを研究して伝えてゆくことに関して、十分な実りを結んだかというと、自分がしていることの中でそれはまだ厳しいと言わざるを得ません。何かを達成することが道ではなく、‘いま、ここで、自ら’がどういった存在であるか、どんな過程にいるのかが問われるのだとはいえ、やりたいことへの意志が強い割には、実行力、低すぎるでしょう(涙)。

それでも今年から少しずつ、いろんな種が芽生えています。ただ、もっと早くに書く予定であった論文等になかなか手をつけられないことに、実は相当焦って、正直焦りを越えて自信喪失になり始めています。「異種間コミュニケーション」という、どの学会で発表できるのかさえ分からなかった研究テーマを掲げた2003年から、挫折の時期が長かった、その上、今のわたしは過去に蓄積してきた研究方法や論理の枠組み、その奥にある思想や価値観をかなぐり捨てて、新しいフェーズ、新しい魂で一新したことを書きたいというヴィジョンがある … 等々、‘書けない理由’を挙げればきりがないのですが、それらすべてが言い訳だということも分かっています。

要するに、「けじめ」をつけていません。

強力な言い訳の一つだったのが、「以前のように自分をがんじがらめに縛り付けてストレスの中で書くのではなく、内なる喜びがほとばしり出るように書かなければ」だったのですが、それはもしかすると、打ち方と同じように …

単に脱力する(サボる?!?)ということではなくて、やはり今できる限りの精一杯のところまで自分を届かせてゆくこと、だったのかもしれません。


さらに、もっと奥深いところで、‘野生の小鳥と対話、聞こえない声を聴く’ということにおいて、ここまでで大した成果が挙げられていない自分、というのが書けない理由としてあります。

こちらも、何かのきっかけから、小鳥たちの声をもっと聴きとり、もっと通じ合えるようになる奇跡が起きるために、最大限のこころを澄ませて最高の状態で待つことができてきたかというと、そこまでの意識で日々を送る精一杯のところまで、まだ行っている気がしていません。

(大先生、つくばの先生や先輩、皆様ありがとうございました!)

―― ここまで感じ取れれば、あと一歩、あと10センチと手を伸ばして、「けじめ」に届こうと想います。





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自然の恵み -3-

本年は4月に長引く風邪、5月に咳喘息と、野菜作りの‘病欠’が続いて、実りのご報告もままなりません。それでも、春先にホームセンターで購入し、体調不良の合間を縫って植えつけたジャガイモが先月末に枯れ始めたので、お芋を収穫しました。

キタノカムイ


種類は ―― 「キタカムイ」。古典的な「男爵」や「メークイン」ではなく、この地方で多く見かける「キタアカリ」でも、最近あちこちで流行りの(そしてとっても美味しい!)「インカのめざめ」でもなく、キタノカムイ、という、そのネーミングにとにかく惹かれての購入でした。

基本、生きている土地でジャガイモと大豆さえ育てられれば、あとは冬以外は野草の葉っぱがあれば、それらの恵みを頂いて生きていけると信じています。だから、キタカムイさんには沢山育ってほしかったのですが … 地植えするために一週間くらいカチンカチンの土地を耕して、土に埋められていた瓦礫を掘り出し、炭や灰や土壌再生のための微生物培養土などを投入し、そっと植えつけて ―― 10個近くあった種イモのうち、芽が出たのが二つほど、そして枯れたところを引き抜いてみて ―― あ~あ、土地の神様、農はまだまだです、あまり豊かな収穫とは言えませんでした。

野菜作りは本当に難しく、プランターで、野菜の培養土を入れれば、なぜか消えてしまったり育たなかったり実らなかったりはありますが、多少は育ってくれます。が、sanctuary の土地に地植えすると、まだまだハーブや紫蘇や浅葱やまぐれで豆類以外は、可哀想ですが生きていける土地となってはいないようです。

5kgの種イモから小さなジャガイモ五つ … この子たち、大切に丁寧に自然の恵みとし調理して頂く方がいいのでしょうか。それとも、この土地でも頑張って蓄えてくれた次の世代の希望として、来年植えつける種イモとして気をつけて来春まで保存して未来に託したほうがいいのでしょうか。

お~い、土地の神様!!




糠漬けsumiko

A様のお母さまに頂いた糠床をもとに、毎日とても美味しい糠漬けが仕上がっています。今なら、いらしてくだされば自信をもってご馳走できますよ! 玄米ご飯(か、おかゆ)とお味噌汁、糠漬け、それに、ある時はちょっとのおかず、かもしれませんが、お米とお味噌は自然農中心、お野菜も無農薬なので、こころから安心して召し上がっていただけます。もう少しすると、sanctuary で元々自然に育っていた茗荷の糠漬けもできそうです。

昨日の日曜日は、幸運にも、sanctuary から日帰りで神奈川の気功の先生のところへ気功の修練に出かけることができました(そのお話はまた明日!)。そして、尊敬する大先輩から「糠」をいただいて、ますます張り切って、糠漬け、ボカシ肥料、野鳥さんたちの外ごはんの調合、と糠生活にはまってゆけそうです。

糠漬けがあまりに美味しいので、塩麹も作り始めました。毎朝、神棚のお水をお取替えするのと同じくらい自然に、外の雀さんや雉さんたちにご飯を届けて、苗木や鉢植えの世話をして、糠や麹の菌類のお世話もします。糠漬けが美味しいと、かき混ぜる手も心も「ありがとう!」という感じになり、そうするとますます美味しくなってゆく … のは気のせい、ではきっとありません。

… ということは、野菜作りもそのこころで取り組まないと駄目なのかもしれません。


沢山の気持ちを注ぎ、山砂と瓦礫と粘土質の土地を掘り返して一週間ほど腕の痛み・腰痛に悩み、小芋が五つ、土の中に残っただけ … というのではなく、その過程で沢山のゴミや瓦礫を取り除かれて、よい土と混ざって元の土は呼吸できるようになり、大地はだいぶ浄化されました。掘って耕して3.11前に蓄えた腐葉土や培養土を混ぜた土地は、ミミズなどの土壌生物が棲む土地になっています。耕す前は、ミミズもダンゴムシもトビムシも、何にもいなくて、掘り上げると臭い水のたまる土でした。

そこで育ってくれた小芋は、やはり、来年の春に土に戻しましょう。

いつか ―― 本当に食べるものに困るようになった時には、きっと(勿論そんなことが起こらないに越したことがないですが) ―― 食べるものをふんだんにこの土地が分け与えてくれるでしょう。





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朧月満月

朧月満月

今宵は満月です。

あいにくの曇り空、満月が照らす光を感じることはできないけれど、その光の力を感じながら、つくばでyoga・瞑想の練習をしてきました。

帰りの高速道路上では、幻想的な深い霧に取り囲まれました ―― 視界はとても悪くなったのですが、その奥に在る、満月の光を不思議なほど感じました。

sanctuary に到着したのは11時過ぎとなってしまったけれど ―― 門を開けるとき(門に渡してある竹棒を下ろすというだけなのですが)、聖地から南に見遥かす貯水池の上に、朧月となった満月が微笑んでいました。

まるで、黄色い小鳥の雛を大切に和紙でくるんだような、どこかノスタルジックな色合いです。

その満月がちょうど胸の水面に映るのを感じながら、4年振りに「希望はある」と感じました。





3.11後、わたしは「希望」という言葉が使えなくなりました。

地球環境の未来、人間の進む道の未来について、‘たった1400坪の土地でも、そこが自然と人、生きものたちと人の調和していける場所となれば、そこから共感・共振してくださる人々の意識が広がってゆく’というのがわたしの希望でした。

「希望」の代わりに「愛」を考えたり(「愛」は大切ですが、それだけで前へは進めませんでした)、「奇跡が起こる」という祈りに突き動かされたり … はありましたが、「希望」という言葉はどうしても使えませんでした。


今、希望はわたしのこころの中にあります … あるかもしれません。

別の言い方をすれば、地球環境の未来、人間の進む道の未来について、と考えるなら、「希望がある」「希望はない」は語れないと思います。

あまりにも破壊的なことが進んでいることは、知れば知るほど慄然とする一方、生命の力、生命の連鎖・循環、生命エネルギー・その根源的エネルギーに関して、そこに在る可能性・潜在性に関して、その力に圧倒されることも多くあります。人間に把握できることはほんの僅かで、しかも正確に知ることの保証はないのではないでしょうか。

また、人の意識の中にある力、その可能性や潜在性も、個人が掌握できること、近隣の人々の言説やメディアやネット上にあらわれる内容を越えて、調和に向けての知性や感性を持つものかもしれません。集合意識や潜在意識、無意識や身体知レベルまでを含めるなら、「今」一人一人のローカルな場所で顕在していることは、良くてほんの僅か、もしかすると歪んだ幻想かもしれません。‘命の知性’‘命の感性’とでも言えるものがあれば、それは遥かに調和的なものではないのでしょうか。

わたしたちの、一人一人はほんの小さな、存在や行動が大きな動きを創ります。

わたしたちの意識が、流れに逆らっていても、流れに乗っているかのように見えても、「本当のところは」「深層で」正確にどこに向かうベクトルなのか ―― 思いがけない大きな転換点が生まれる可能性もあります。


こころが、どちらをどのように向いて何を築けば、満月の光から降りた希望を育んでゆけるか、揺れています。






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a spindle spins !

月一度の、都会の活動から、sanctuary に戻ってきました!

梅雨に濡れた鬱蒼とした緑の中の静寂をくっきりと感じながら過ごしています。

それくらい、今回の東京・神奈川では、沢山の大切な方々と充実した時間を過ごすことができました。(心身が一新する、生まれ変わったと感じるくらい、連日素晴らしいレッスンを受けることができて、気分は体育会系でした 笑。)

夏至を過ぎてから、驚くほど急速なスピードで、時間が回り始めました。

今度はそれを、口を開けてぼーっと眺めているのではなく、同じだけ、わたしも走っています。

種たちが成長を始めました。

今日から文月です。
文月はまた大事なレッスンがあって、長月に開く大切な節目のWS(そのお話はまた近いうちに)に向けて創造力が高まりつつあり、今年中に研究活動(論文3本)発表したくて、研究基盤も築きたくて、今年後半は大学で講義させていただく(多分最後の、だけど今度は大切だと本心から捧げられる内容の)授業があり(けどその後どうするか、という問題があって 汗) ・・・・・ WSは、わたしたちの存在に、祈りとして捧げたいです。3本目の論文からは、小鳥たちとの対話・コミュニケーションについて、小鳥たち(動物たち、植物たち)と人とがいかにして調和や信頼の関係を取り戻すかという祈りになるはずです。

時間は、焦って言葉を発しても、手を伸ばしても指の間からすり抜けていきますが、そのスピードの風を切って走っていると、驚くほど静寂な空間があり、「する」焦りも、ただそこに「いる/在る」瞑想となります。

沢山の方が、ご自身の立ち位置や持ち場で、走ったり瞑想したり祈ったりをなさっています。

あとは、その流れや波をからだで感じることができるか --
その祈りが、どれだけ大きなもの/大いなるものとなることができるか --

梅雨もあと少し、湿度や気圧の関係で、鬱陶しい日々もありますが、
どうぞ皆様も、風の心地よさや、水の潤いを、掴まれてくださいね!

楠1

楠2

楠3

 (修練の前に訪れた、平塚の総合公園の
 小鳥の森の脇の、敬愛する楠。
 朝の木漏れ日が美しく、いつにない光が
 生い茂る枝葉を通して幹へと注ぎ込んでいました。)










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