hearing the unheard voices

小鳥たちと対話し、自然と人とが調和できるバード・サンクチュアリを創立しています。http://homepage2.nifty.com/birdsanctuary/index.html

TURN ecology

何年も、ecology については、共振できる仲間たちと、あるいは全くの個人レベルで‘少しでもできることを’と真剣勝負の気持ちでいたのですが … もっと大きいレベルでは、グローバル化の実態を知る毎に、今世紀の年を重ねる毎に、閉塞や迷妄、絶望に陥らないようにすんでのところで留まっている感じだったのですが … そして、水面下にあるわたしたちの価値観や潜在性から希望を見いだす細い糸を手繰っていく道を探していたのですが …

久しぶりに、「社会」と「生命・環境」が調和する、熱いスピーチに出会いました。

少し長いですが、できれば最後まで見てください。






わたしたちの多くは、特に社会デビューを控える頃から「働き盛り」の間は、その意識を「社会・社会的自我」系に置いて、そこから自己を見つめ自分の在り方を模索し、行動をしていかなければなりません。「社会・社会的自我」の枠組みは、それ自体は悪くはないのですが、現社会、今の時代は、多くの人がその枠組みの中での自分や自分の生き方にストレスを感じたり、時には困窮に陥っています。強い矛盾や対立、激しい閉塞感、厭世観を感じる方も、最近では少なくありません。

でも、わたしたち、この枠組みの中だけにいるのではないですよね。

生まれてから、死を迎えるまで ―― あるいは生死を越えて ―― この地球は、「生命・環境」系です。今この瞬間にも、社会的自我がどれほど苦しくても、空を見上げれば遙か遠くに澄んだ天空があり、一呼吸が気持ちよい。ヒト以外の鳥も、動物も、植物も自然を生きています。

生まれたときや死に隣しているとき、人が本質的に感じているのは生命・環境系です。あるいは病気になったり深い悩みを持ったときに、癒されていくのは生命・環境系の力によってです。そうした時だけでなく、広大な自然や野性に触れたり、生きものたちのくつろいだ姿や植物の透明感の近くにいることを忘れない方々は、「生きていらっしゃいます」。自らのからだの自然を通して、そこからの力を発動させながら、世界に微笑みかけている方々は、「生きていらっしゃいます」。

わたしが人に希望を見るとしたら、今はそこです。



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garden huckleberries

今年は garden huckleberries が沢山の実をつけてくれました。

野菜や果物など、何を植えてもなかなかヒト用の収穫に結びつかない sanctuary の土地です。鳥さんたちの食べモノは、赤い実、紫の実、黒い実、ドングリ類、少しずつ賑わってきていて、そちらが本命なので達成感はあるのですが ・・・ 

garden huckleberries の苗は気功の先輩A様の弟様から頂きました。(以前この実のジャムまでいただいたことがあり、絶品でした。) 昨年も苗をいただいたのですが、育つ野菜が少ないため、あちらこちらに植えたら草に埋もれて消えてしまいました。今年はそうならないよう、陽の良く当たる一か所を耕して、日当たりを防ぐ他の草には御免なさいをして、すくすく育ちました。

真っ黒に色づいたけれど、鳥さんが食べる気配がないので、恐る恐る収穫です。
ジャムにしてみることにしました。

gardenhuckleberries1

ブルーベリーと感じが似ていますが、樹ではなく、ナス科のイヌホオズキに近い草です。
そして、ジャム作りも、ブルーベリーのジャムの作り方とは全く違います。

ブルーベリージャムを作る時は、健康的なお砂糖をまぶしておいて、果汁で煮詰めるだけ、というゆる~い作り方なのですが、huckleberries はあくが強く、しかも若い実は若干の毒性があるとのことで、用心して作ります。

まずは重曹を入れて煮て、その後長時間水替えをしてあくを取りました。

huckleberries2

健康的なお砂糖と、少々の赤ワインで煮詰めます。

… 実の一つ一つ、良く煮込んで木べらでつぶさないと、煮詰まっていきません。

huckleberries3

毎朝煮込んではつぶして果汁を煮詰めて、最後にジャム様にするために寒天少々、酸味を出すために柚子一個を絞って、完成しました。とっても色鮮やかで美味しいです!

本当は、肥えた畑ではもっと大量の実をつけるようですね。
そう想うと、うちの子は、痩せ土でとても頑張って実をつけてくれたに違いありません。
そして、朝のトーストを美味しくしてくれるジャム用に、うちではちょうど十分なだけ恵みを分けてくれました。

残りの実を収穫して、来年に種として蒔いてみましょう。









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瞬き

朝早く、何とも楽しげな、聴きなれない鳥の詩声がしました。
開けた南側の窓からはっきりと聴こえてくる、声の近さです。

uguisu


満ち足りて 独りで歌うかのような、途切れ途切れの詩声。

窓から目を凝らしても、耳を傾けても、誰の声だかわかりません。

本当に長い間、窓辺に立ち尽くして、ようやく姿と声の主に出逢えました。

朝陽のさしこむ、朱い可愛い実をたわわに付けた野薔薇の茂みの中、

独りで歌っていたのはウグイスでした。

片時も休まずに小さな枝から枝へと飛び移り、楽しそうに歌っています。

途切れ途切れなのは、枝についた何かをついばみつつ ―― つまり、
朝ご飯を食べながらだったから!


ここ一週間ほど、地鳴きが聴こえていました。

春夏には朗々たる歌声を聴かせてくれていましたが、夏の頂点を境に、

ぴたりと声がしなくなっていました(どこか別のところに行っているようでした)。

それが、一週間ほど前から、チャッ、チャッという懐かしい地鳴きが聴こえ、
戻ってきてくれたのだと嬉しかったのです。


野鳥たちの声は、春から夏に雄が縄張り宣言やメスに呼び
かけるために鳴く「囀り」、すなわち、「歌声」と言われているものと、
もっと単調な、互いに合図したり掛け声のような感じで鳴く「地鳴き」とに
分類されることが多いです。

けれども、「歌声」も「地鳴き」も驚くほど多彩なバリエーションがあり ――
と言うより、鳥たちはその時その場限りの、二度とはないコミュニケーションを
相手と、或いは何かに向かって交わしています。例えば雌が雛たちにかける
愛しさを込めた声は、一回ごとのシチュエーションで異なってきます。その
全てを「地鳴き」と括るだけでは何と味気ないことでしょう。

一方、雄の「歌声」は、縄張り宣言やメスにアピールするためとの
説明がありますが、
繁殖期の終わったこの時期、彼(ウグイスの男の子)がそのために
歌っているかというと、誰が眺めても、そうは感じないでしょう。
途切れ途切れの甘い歌は、澄んだ秋空から降りてくる朝陽が
野薔薇の茂みに差し込む、その朝の瞬間が余りに嬉しく ――
機嫌よく歌う鼻歌のように ―― 思わず溢れ出てくる詩に違いありません。



昨夜遅く、狸の黒ちゃんの様子を見に外に出たとき、
西側のグリーンカーテンの近くのミントの茂み下に、
淡く瞬く、微かな白い光を見つけました。

蛍でした。

昨夏も同じ、勝手口近くに(そこにグリーンカーテンがあります)
一点だけ、白く瞬く光も見つけた夜がありました。

この土地とご縁があった最初の夏は、前の土地の一部が水田だったので、
夜空に蛍の光が飛び交うのを、眺めて息をのみました。

大震災後にその水田もなくなり、前の土地の田の一部は、
駐車場のため、除草剤がまかれる様になり、
おそらくは ―― ほんの僅かに生き残った蛍が、
Sanctuary の土地で、(水場といっても排水の濁った池だけ)どうにか、
どうやってか、生き延びてくれているのです。
(しかもどうして、勝手口の外のところに??)
蛍が生きやすいようにするのに、この土地の条件で、
一体どうすればいいのか、未だに掴めません。
(この土地の池に関しては、ずっと頭を抱えていて ――
アイデアをお持ちの方がいらっしゃったら、ぜひご助言をお願いします。)

規則的に震えるように瞬く、儚い澄んだ光 …

あまりにも儚い、蛍の命が感じられて、
切なさに、胸がぎゅっと痛くなるけれど、
それでも、なおさら、
この光を取り囲む、深い闇の夜は、
美しいです。



始まった仕事に向けて、
つい前だけ向いて駆け出しそうなわたしに
押し寄せるヒト社会の不安や閉塞感に、
つい取り込まれそうなわたしに

ほんのふとした瞬間や
ほんのふとした隙間から、
瞬いてくれる自然の命たちは、
微かな瞬きながら、たちどころに
潤いや美しさや思いやりに
はっと連れ戻して、生きるための
呼吸をさせてくれます。



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オレンジの絨毯

神無月です。

蓮の生命のyogaの work shop の後、神無月からの仕事準備と東京行きとで、静かにゆっくり自然と対話する時間もなく過ぎてしまいました。

夏の間、あんなに聴こえていたカエルの声もやみ、今は夜長にコオロギとカネタタキの声が聴こえてきます。秋空の蒼が透き通り、赤とんぼが飛び、蜂たちは追われるように採蜜をしています。柿の実も色づき、シジュウカラやエナガ、コゲラが渡ってきて、大きな樹の小枝を飛び回っています。

東京・神奈川に出かける前は新鮮な芳しい香を届けてくれていた金木犀も、今はその花を明るいオレンジの絨毯に変えて、sanctuary の空間を灯してくれています。


オレンジの絨毯1

オレンジの絨毯2


ワークショップで皆様と創り上げることのできた時空間は、確かにわたしには、特別なことでした。
そこには、開いた胸から綺麗なプラーナが広がり世界に美しい振動を浸透させてゆくような、特別な何かがあり、お一人お一人の美しさや優しさ、空間の響きが輝いて、幾つもの宝石が生まれていました。

そして、、、
わたし個人にとっては幸運なハプニングとして、今月からの授業が急にもう一つ増えました(本年度限りですが)。それが … yogaを中心にボディワークを通して気づきを得てゆく授業です。授業シラバスに key words を書く欄があるのですが、旧職場では目指せなかった想い(祈り)を目いっぱい書きました。最初は、「身体感覚」、次が「調和(自己・他者・環境)」です。幾つか飛んで、「自然治癒力」も! ここまでで学べだことを基礎に、精一杯やりたいです。

異生物とのコミュニケーション研究でも、尊敬する方々が新たなチャンスを与えて下さいました。論文を書かなければなりません -- しかも、象牙の塔に飾るものではなく、この世界に息づく研究として、です。

3.11から急速に、意識が目覚めてゆく流れにしたがって、破壊された自然が再生され、今度こそわたしたちがいのちや自然と調和してゆける方向性、個人的には真の sanctuary の創立や野生の生きものたちと共振してゆくようなコミュニケーションの実現という奇跡の方向性とは、現実社会の方向性は逆抗してしまっています。それ以前の希望を再生させられるのかわからずに、そして確かに、抗えない糸に引かれるように、職場を離れこの地に暮らして、三年半が過ぎてしまいました。(正直、時にわたしは、もう何か迷妄とした土地の悲しみの中に埋もれたままになってしまうだろう、それでも幾羽かの小鳥たちや虫たちのためになっていれば、と考え、一方で何かに非常に焦っていました。)そのことや長いモラトリアムをとってしまった運命は、しかしながら、今の瞬間はとても納得できます。

現実の厳しさはここまでと想えるほど悪化しましたが、今のわたしには「答」があるだけでなく、「答をどう生きるか」の鍵がこの手にあります。運命の流れの中で、ヒントも支えも沢山与えられていましたが、ぶれず迷わず進めるだけ混乱を取り除くのにわたしには三年近くもかかったのです。「腑に落ちる」だけでなく、「腑」の度量も必要でした。でも振り返れば、“真我(神様と呼んでもいいのですが)”はずっと見守り、ただ一点を指し続けていたのです。


・・・ 奇跡を信じるようなものかもしれません。

でも、奇跡は起きます。

実は、今この瞬間も‘そこ’と繋がれています。

逆に、それ以外の道は、ないような気がします。


“命の根源”に降り立つと、どう生きたいか、何が嬉しく、悦びかははっきりしています。(小鳥たちはずっと前から、“そこ”から真っ直ぐ飛び立っています。) “そこ”の眼差しから観るとき、「愛」と「慈悲」しか感じられないのです。












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