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hearing the unheard voices

小鳥たちと対話し、自然と人とが調和できるバード・サンクチュアリを創立しています。http://homepage2.nifty.com/birdsanctuary/index.html

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最近、my bird sanctuary 第一号地の真中辺りで、可能な限り焚火をすることにしている。

立ったまま枯れた竹が倒れたり重なったりして、荒れ放題に見える森林で、そうした竹を切ったり整理したりしても、倒れかかったり積み重なっている枯れ竹の山となっていくだけだ。現在はまだ、それらが敷地内のあちらこちらを無秩序に占拠している。正直、〝美しい森〟にするはずが(いや、その過程であるとは信じたいが)、逆に、どこもかしこも荒涼としてしまった。これらの竹、そしてその他の木が落とした枯れ枝等をどうするか?

様々な竹の利用を考えたが、当面のところ、排水を悪くさせている池周辺の地盤改良に「埋めて(大丈夫かな?)」使う以外は、燃やすしかない。燃やせば、途方もないこの〝かさ〟は減り、結果生まれる竹炭や木炭は、土質をよくするのに有効だ。

しかし、倒れかかりそうな竹を切る以上に、切った竹を1~2Mくらいの扱いやすい長さに分断して、更に横枝を払い、扱いやすい形で重ねて、焚火・竹炭作りをするという作業は生易しいものではない。竹を切るだけなら、のこぎりでやっていても、わたしでも何とかなるが、分断するとなると、のこぎりを扱う作業量がぐんと増え、おまけに横枝払いも容易でないので、右手首が壊れかけた(チェンソーの出番かな?)。これまで手伝いを申し出てくださった方の中で、屈強な方々に、とりあえず切った竹の整理をお手伝いいただけて、そうしてまとまった枯れ竹は、スペースが一杯にならないうちに、焚火で燃やしていこうと思う。

先日、ずっとご支援くださっている北茨城のSさんご夫妻がいらしてくださったときも、この問題をいち早く予測してくださり、屋外用の薪ストーブを持ち込んでくださった。朝早くから、大変に段取り良く、奥様のほうは、とりあえず畑一面にほったらかしになっている枯れ竹を、どんどん、どんどん、燃やしてくださった (ついでに、お昼用にと作ってきたカレーとナンも温めたよ)。

昼間は、大工さんや基礎屋さんたちの仕事が入っているので、煙が邪魔にならないよう、焚火はしない。燃やし始めるのは、夕方5時過ぎから--。わたしも、小露鈴&gaeaちゃんのためには、あまり夜遅くまで頑張れないので、5時過ぎから、用心しつつも、ぼんぼん、ぼんぼん、燃やしていく。

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できるだけ地元の自然の中で生まれたものを有効利用して建てるというコンセプトをお持ちの大工さんに、そうした考えに共鳴して、取り急ぎ物置小屋を建てていただいている。その物置小屋を建てる過程で出た木材のあまりの部分(杉板)を、「これも燃やさないか?」と大工さんに持ちかけられた。何袋にもなる杉板のかけらは、自然に帰るものだし、何らかの有効利用が出来そうなものだが、現在の法律の規定では、大工さんは、持ち帰り「産業廃棄物として処理」せねばならず、大工さんご自身が燃やすことは禁じられているという。ありゃりゃ、石油系の資材や化学物質が入っているゴミならばそうだろうけれど、こんな良い杉の板、何かおかしいな~。

さらに「焚火をしなければならない」作業量が増えてしまうことになるけれど、切られてしまった杉は、最後の最後まで、有効に使って欲しい、そしてできるだけ自然に帰りたい、と思っているだろう。その炭や灰がこの土地に帰っていくほうが、きっと良いに違いない。そう考えて、あまった杉板も頂くことにした。これらを燃やすと、とっても良い香がする。

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炎の中から、白い鳥が舞い上がった--。

あ、フェニックスだ。

そう、もう一つの ・・・ 焚火をする多分本当の理由は、もっと深いところにあるような気がする。

この土地と3ヵ月半必死で向き合ってみて、慣れない全て、大変な肉体労働の作業量(結果、筋肉ががっしりし、力こぶが出来た)、登記上の未解決の問題や心配事、近隣・土地周辺への配慮やトラブル回避、等々、どれも、自分のこれまでの力では及びもつかないほど頑張れるのだが、フル回転で続けても終わりがないどころか超えなくてはならないことが段々倍加していくような気がするときがある。温かくご支援しつづけて下さっている方々に頂いたご助言やご助力をできるだけ吸収し活かしていきたいと感じても、吸収しきれず、隅々まで瑞々しくこころが行き届かず、「とりあえずごめんね」の状態になっていることばかりだ。何より、ゆっくりやっていこうと決めていたのに、工事が入り、人の手が入ると、一つ一つを〝静かに感じて〟、見極め、天の声を聴いたり自然と対話したりするより前に、自然がどんどん改変されてゆく。少しマイペースを取りもどし、自分の歩幅で、一つずつゆっくりと、時には立ち止まり、一歩ずつ歩いていかなければ、そして何より静かに穏やかになって自然や命たちに〝耳を澄ます〟ことを忘れないようにしなければ、と痛切に感じるようになった。(それで、現実、なかなかそう行かないことも多いが--)

そして、そうやって抱えている問題とちょっと違う、だけど並行しながら密接に影響を与えているレベルに、「水」の問題があるような気がする。

土地全体の排水の悪さ、じめじめして、匂いも臭い、湿地状態となっている場所、この時期やぶ蚊や蚋が沢山涌き出しつつある「扱いきれない」二つの池の問題、井戸の問題、雨の後ずっと、あちこちに沢山の水溜りをつくり、しかも掘ると水が染み出てくるような土壌 ・・・・・ そうした「現実的な」水の問題は、最も頭が痛い問題の一つだ。

そして、それだけではない。「水」は、四大元素、五大元素のひとつとして、もっとずっと象徴的な意味の広がりがありますよね。例えば、水「龍」との関わりとか、浄化作用とか、水の性質が人間に取り込まれたときには「癒し」とか「治癒」とか、「感情面」をつかさどるとか・・・・ 。さらに、わたしの実感として、それは実は象徴レベルに留まらず、現実面の問題(排水の問題だけじゃないよ、土地が「聖地」とはならない理由になっている、もっと深くて大きい問題)に密接に関わっているように思う。

うん、難しいことはともかく、事実、わたしは -- もともとは「水」の星座生まれで、四大元素の中でももっとも親近感が持てて、特にクリスタルの「アクアマリン」のような清冽な水の色は一番魂が落ち着く感じがして、「水」が大好きだったのだけれど -- あの土地に関して、「水を何とかしなきゃ」と悩まされるようになって、ある明け方、どうしても眠れなくなって、ヨガや瞑想をやりながら閃いたのが、

-- あの土地には、「火」が必要だ。

ということだった。

「火」の元素は、四大元素、五大元素の中でも、わたし個人は「水」とは逆に最も苦手。「火」の元素の性質と言われること、その性質をもつ人は、正直「怖い」のだ。「怖かった」。そして、エコロジーから言っても、「水」が地球を癒し、育むのに対して、「火」は人間の力を想像させ、この元素は鉄を作り道具を作り、工業化・産業化へと突き進み、ついには技術と経済だけが先導する人間社会を作り上げて、地球崩壊・自然崩壊・人間性崩壊へと向かわせるというイメージがあった。工業化だけでなく、戦争やテロのときの戦「火」という言葉も、「火」だしね。

-- 火をおこし、鉄を作り道具を作ったことから展開した人間の力(技術力、そして何より智慧や精神性)は、今となっては、それなくしては、地球や自然、命の加速化しつつある崩壊も、食い止められないけどね。だから、「火」については、とても複雑な思いがして、苦手だった。

でも、あの土地では、流れずに溜まって、淀んで、汚濁を引き込んでいる「水」を浄化する必要があって(「水」にもネガティブな要素は沢山ありますね)、それには「火」を燃やし続けなければならない -- と、突然、圧倒的な強さで、何かが呼びかけた。

ぽかぽかと光を注いで、植物達の生長を促し、動物たちの活動を促す、温かな太陽も大事だけれど、もっと激しい、浄化の炎。淀んだ何もかもをスキッと燃やしきって、新たな再生を促す、浄化の炎 -- 多くの文化で神さまの形で崇められている「破壊と再生」のエネルギーのために、火をおこさなければならない。じめじめとした湿気を帯びて、過去の長い年月、特に誰にも手を入れてもらわず、住んで貰えなかった過去10年間が残っている、古い小さな家では、家が宿した過去に澄んだ敬意を払いつつ、新たなものに生まれ変わるように、ずっとお香(=「火」)を炊きつづけよう。これまでも、小鳥たちと暮らせるようにするために、「蛇除け」に(蛇は、煙を嫌うので)、蛇が棲んでいるらしいこの家で、キャンドルやお香を焚くことはあった。だけどもう少し、きっちりと澄んだ意図と敬意を持って、祈りのために、火を燃やさねばならない。その祈りで、自然と人、生きもの達の暮らしと人の暮らし、水(と龍)と水のない場所との境界線を、どちらにも敬意を払いつつ、どちらにも調和を導きつつ、引かなければならない。そうやって、浄化しなければならない。家の外、土地の中でも、朽ち果てて荒れたもの、溜まって淀んで無用となったもの、そのためにエネルギーが乱れたり浄化が必要なものは、焚火をすることによって、生まれ変わらなければならない--

-- 何だか分からないけれど、強くそう感じて、とにかく焚火。

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最初に焚火をしたとき、激しく燃える炎から出る煙は、一番浄化が必要そうな南側のどぶ池のほうへ真っ直ぐにたなびいていって、わたしは何となく、自分の直観は間違っていなかったことを確信した。

大きな枯れ枝、野放図に伸びた竹の枝や葉、杉板のかけら、そして家の片付けから出た(化学物質や石油系のものを含まない)不要物、要らないもの、自然に帰ろうとするもの、生まれ変わろうとするもの、山のようにあったものが、どんどん、どんどん、小さくなっていく・・・・・

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いつの間にか辺りが暗くなって、それから闇が濃くなっていって、闇の静けさの中にカエルや鳥(フクロウがいるみたい)の声が響くだけになっても、埋み火はちろちろと、なかなか消えなくて--。燃える必要のあったものが燃えても、まだ、火の神はそこにいる。この場で、「バケツの水をかけて火を消す」のは、何だかとても間違っているような気がして、わたしは結局、火の神にずっと祈りを捧げている。




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