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hearing the unheard voices

小鳥たちと対話し、自然と人とが調和できるバード・サンクチュアリを創立しています。http://homepage2.nifty.com/birdsanctuary/index.html

小鳥とダンス

連日の猛暑だというのに、gaeaちゃんが換羽を始めた。家族となってくれたときから、換羽の時期がずれていたが、もう、季節感しっかりしてよ、gaeaちゃん。暑いので羽が抜けても保温の心配はないが、体力をつけてもらおうと、小松菜・青硬菜・胡瓜のほかに、食欲増進のため、人間のためには絶対買わない高級メロンを買って来てお出しする。小露鈴はすぐに食べ始めたのに、gaeaちゃんは食べない。そこで、冬に良く食べるサツマイモの代わりに、南瓜を蒸してスライスしてお出しすると、小露鈴は食べたのに、gaeaちゃんは ・・・ 南瓜スライスの黄金色に驚いて止まり木からばたばた、あたふた、「怖い」の全身表現 ・・・!! gaeaちゃんもう嫌! あなたのための高級メロン、あなたのための有機栽培南瓜なのに。

いつも、とりさんの残飯整理係のわたし。でも、とっても美味しい、自分のためには絶対買わない高級メロンを楽しめた。

換羽時(通常5-6月)は、小露鈴の体力低下がいつも心配になる。だが、まっとうな時期にすっかり換羽が済んだ彼女は、今は元気元気。
 村松健さんのCD『水の中のピアノ』をかける。澄んだ音色のヒーリング系のピアノ曲が入っている。3曲目の「森へ行こうよ」という曲は、ゆっくりのんびりした楽しいリズムのピアノ曲で、村松さんのノーテンキな「ララララーララ ンーンーンー」というハミングが入っている。小露鈴が元気なので、この曲のとき、一緒にダンスを踊った。

えっ?! 文鳥がダンスを踊るって? はい、文鳥のオスは求愛のとき止まり木をぴょんぴょん跳ねてダンスを踊ります。でも、ここで言っているのは、「森へ行こうよ」の曲に合せた小露鈴(メスの文鳥)と人間のダンス。音楽で踊る芸術的なダンスです。

本当に踊るかというと、実は微妙だ。小露鈴がわたしの腕に止まり、わたしがそのまま、部屋の中をくるくる回り、ゆっくり優雅に(自分で言う?)小露鈴の止まる腕を左右や上下に揺らす。両手を開いたり閉じたり。

それでは、鳥は止まっているだけで、人間が踊っている(つもりな)だけじゃないか?! う~ん、微妙なんです。

小露鈴はじっと止まっている。自分が踊っているわけじゃない。だけど、この「じっと止まっている」というのが、彼女としてはすごいことなんです。

だいたい、普段、小露鈴はちょっともじっとしていない。人間の意識のスピードよりはるかに早くちょこまかしている。今、頭を掻いていたと思ったときには、飛び立っている。わたしが立ち上がるより先に、わたしが行こうとしているところに飛んでいく。
 朝、わたしがヨガをしているときはすごい。わたしは、小鳥とヨガが出来るというのは、(自分では)たいした芸当だと思っていて、人にも自慢し、いつかそういうヨガの流派を立ち上げたいくらいだ。ヨガのポーズは、手を上げたり、そったり、足を上げたりする。からだの動きに合せて、そこに意識を集中する。小露鈴は、そういうわたしの奇妙な動きに、雛のときから慣れてきた。小露鈴としては、同じ手に止まっていても、その手がひっくり返ったり、頭の上に上がったりする。彼女は、そうしたからだの動きに合せ、上がった手や足の先にちょこんと止まり、意識を向けている部分のどまんなかに、いつも居ようとする。

 *** ただし、小鳥とヨガをするのはすごく危険なので、絶対薦めない。
     小鳥が「今、背中のどの辺に止まっていて」「次に何処に移動しよ
     うとしているか」が即座に感じ取れるのでない限り、絶対やっては
     いけない。人間が動いているとき、小鳥は時として、人間としては
     絶対来ないだろう/来てほしくないところに、急にもぐりこんだり
     するからだ。そんなときは、声も立てないので、人間が気づかない
     で動き、不慮の事故になる可能性がある。

     小鳥と付き合うときは、小鳥という相手だけに集中しているのが、
     事故にならないために大事だ。真似しないでください。

そう、人間の意識が何処にあるかについて、小露鈴は非常に敏感だ。自分が訴えかける声で鳴いているのに、あるいは飛びついているのに、それでもわたしが本やパソコンに向かっていると、彼女は必ず邪魔をする。gaeaちゃんに話しかけていると、かならず彼とわたしの間に入ってくる。
 要するに、彼女が必要とするとき、わたしはいつも、彼女に意識を向けていなければならない、というのが彼女の言い分だ。(これは、gaeaちゃんにも当てはまる。小鳥たちはわたしが彼らに意識を向けない限り、邪魔したり鳴いたり暴れて訴えたりする。ま、人間の中にも多少そういう人いるかな)
 一番顕著なのは、携帯電話である。携帯電話をかけていると、不満そうな鳴き方が始まり、特に小露鈴は「それだけはやってほしくない」ことを始めたり、人間の皮膚をほんの少しつまんで噛み付き始めたりする(これは痛い)。それでも話を止めず、話に集中していると、携帯電話を持っている指を噛んでほどき始め、終いには携帯電話とそれを持つ手の間に、どうにかして潜り込んでくる。こうなると、彼女のからだへの電磁波の影響が心配で、わたしは電話を切らざるを得ない。

話が長くなったが、つまり言いたかったのは、(人が)ダンスを踊っている間、小露鈴がじっと人の腕に止まっているということは、かなり特筆すべきことだということなのだ。
 しかも、これが村松健さんの「森へ行こうよ」という曲のなせる技だということも、わたしは言いたい。どんな曲、どんな踊り方でも良いというわけではないのだ。たとえばその昔、Dionne Warwickの「Heartbreaker」という曲を乗り乗りで歌っていたら、彼女はものすごく怒ってわたしに飛び掛ってきた。他の曲でも試したが、とにかく「Heartbreaker」をわたしが歌うのがものすごく嫌いだ、ということがはっきりと分かった。

でも、いったい何故? 何故、「森へ行こうよ」ではじっと”(人間の)踊りに身を任せて”いてくれるの? 当事者のわたしは、「一緒に踊っている」楽しく嬉しい気分になる。
 ヨガでもそう。手や足を上げ下げしているときは、さっと意識を向けたところに飛んでいって、「わたしが親分」といった感じで止まるのに、人間が瞑想を始めると、じっと掌の上に座って、落ち着いて穏やかにしている。
 これもわたしは、「一緒に瞑想している」と感じてしまう。

異種間コミュニケーション研究としては、小鳥と人間との相互作用(やりとり)でさえ、そこで何が生じているかを探っていくことは難しい。「相手」として関係を結び、しっかりコミュニケーションをしているとわたしが信じているようなことさえも、「コミュニケーションなのか(人間側の)マニピュレーション(=操作:たとえば『刺激と反応』とか『餌付け』とか)なのか」と著名研究者に一言の元に拒否された。確かに、小鳥に見える世界と人間に見える世界とは違う。
 だが、共に生きるということは、異なる世界に生きる他者と何ごとかを共有していこうとすることではないのか。さらに、接点や共有できる何かを創っていこうとすることではないのか。
 小鳥と共に生きていたい。そのためには人間側の決め付けや思い込みに留まっていないで、小露鈴やgaeaの声をもっとちゃんと聴きたい。

それにしても、以上のように「小鳥との対話」の研究でさえ難しいのに、それを超えて「小鳥とダンス」「小鳥との瞑想」で一体何が生じているのかを探りたくなってしまったのは、無謀? 

小露鈴とダンス


     Shall we ダンス?
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